この日は、友人とフランク・ロイド・ライト設計の落水荘へ。
落水荘(Fallingwater)は1936年の作品で、アメリカで一番有名な住宅と言ってよいでしょう。
しかし場所はペンシルバニヤの片田舎。ニューヨークからは車で行くしかないようです。
朝一番、グランド・セントラル・ターミナルの1ブロック北東へ。レンタカーショップで待ち合わせました。
東には、ライト、ミースと並び近代建築の3大巨匠のひとり、ル・コルビュジエが設計に関わった国連本部ビルが見えます。
車はホンダ。GPSも含めて134$でした。
準備が終わると、ニューヨーカーはまずはコーヒーです。セルフで1$でした。
マンハッタンを出てひたすら西へ向かいます。
まずはルート78、続いてルート81、ルート76……最後は州道381。ひたすら西へ西へ。
驚いたのが、はねられたシカの多い事。シカも災難ですが、かなりの大きさなので、こちらが安全である保障はありません。
12:00pmを過ぎ、昼食にダイナーへ。
日本で言うファミリーレストランのようなものと言っていました。ステーキが15$くらい。日本と同じ様な値段でしょうか。
ようやく州道にはいり、ぐっと田舎の風景になってきました。
この時点ですでに3:30pm。予約してあったツアーは3:00pm。最終のツアーは4:00pm。それでもニューヨーカーは焦りません。
ようやく着いてたのが4:20pm。ゲートに居るおじさんと交渉すると、外観ならOKだろうと。
折角来たので、門前払いは辛いので、まずは第一関門突破です。
ここは完全に森の中。アプローチがまた長い。
焦る気持ちの中、ついに見えてきました。
日は落ちつつありましたが、ダイナミックなロケーションの中、その住宅は大きく川へ張り出していました。全く期待に違わない迫力でした。
下にあるのが母屋、上にはゲストハウスがあります。
丁度外観写真の左側にあるのですが、母屋の裏を通って行きます。この建物が、自然の岩を基礎としているのが良くわかるのです。
後で何とか入れて貰うことが出来るのですが、召使いの部屋はこの岩の反対側にあります。
これがなかなかに素晴らしい空間でした。
ゲストハウスには、最後らしいガイドツアーの一行がいました。
大げさに「彼は日本の建築家で、これを見るために日本からやって来た」とか言って友人が交渉してくれるのです。
何とも、むずむずとした居心地の悪さもありましたが、交渉成功。一緒にゲストハウスの内部に入る事が出来たのです。
ここも内部撮影は禁止。8:30amにツアーに申し込んでおけば大丈夫なのですが、これは物理的に無理でした。
石積みのディティール。
ゲストハウスと母屋を繋ぐ通路の屋根。
まるで折り紙のように、限りなく繊細です。
外部照明もライトにより設計されたもの。
友人がツアーガイドに、出来れば母屋の中も見せてくれないかと更に交渉。
自分の権限では、改築したキッチンだけで精一杯だと。キッチンに入れて貰うと隣はもうリビングとダイニング。
結局、リビング・ダイニングにも通して貰い、ほぼ全てを見せてくれたのです。
最後は個人ガイドのように案内してくれ、とっても気のいいお兄さんでした。
優しい照明。
柔らかにつながる内部と外部。
この家の為に、完全にデザインされた家具。
面積は大きいのですが、豪邸と言った趣でなく、スケール感がコンパクトで、とても優しいのです。
何度も補修されたという、大きく張り出したテラスは、流石の迫力でした。
中央には川へ降りる階段が貫かれており、夏は足を浸しそうです。
この水平線の強い住宅は、美しく夕焼けに映し出されていました。
また来る日があるのかないのか。それは分かりませんが、2度3度と振り返りつつここを後にしたのです。
考えてみれが行きは8時間掛かりました。500km程との予想でしたが、どうも600kmはあったようです。
帰路は道も分かっているので、6時頃に出て夜中の1時頃着きました。
友人も帰りは眠そうだったので、私もアメリカでの初ドライブ。国際際免許も取得して行きました。
マンハッタンに帰り食事をとなったのですが、なかなか開いている店がなく。
リトルイタリーのはずれの店で遅い夜食。
パリーニとかいう、生ハムの入ったイタリア風サンドウィッチがとても美味しかったのです。
この後、友人にラップトップを借りて日本時間11月7日(月)の日記をUPしたのですが、慣れないMacに手こずってしまい、短い文章を書くのに3時間もかかってしまいました。
翌朝、返却に行くレンタカーショップで落ち合い、ラップトップを返す約束をし、その日は別れたのです。