カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

ぼやき

 アメリカのメジャーリーグ、日本プロ野球ともレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンに入りました。

 何れも、世界一(アメリカ一?)、日本一を決めるものですが、日本では楽天ゴールデンイーグルスがこのステージに進んでいます。

 「楽天ゴールデンイーグルスというチームは大好きだけど、楽天球団は大嫌い」

 最終決戦を控えるこの時期に、来期の監督を探す球団に対しての発言です。決して褒められたものではありませんが、何となく野村監督を応援したくなるから不思議です

 野村克也74歳。現役時代には「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」と言いました。現在はぼやきで、世間の注目を集めます。

 好き、嫌いは別にして、創立以来、4年連続Bクラスだったチームを、ここまで導いた手腕はさすがです。こんな言葉も残しています。

 「負けに不思議な負けなし」 野村克也

 不思議な勝ちはあったとしても、です。他にも、今年聞いた言葉を書いてみます。

 「才能が無いと分かる事が才能」 ビートたけし

 「矢沢はマジメ」 矢沢永吉

 どの言葉をとっても、謙虚な姿勢が伝わってきます。ある人から、失敗を成功に導く方法があると聞きました。喜び勇んで聞くと「反省する事」と。

 更に「出来れば、どこの分岐点から、失敗に向かっていったかまでを反省し悔やむ事」と言われました。「仕方なかった」でなく「どうすれば良かったか」

 謙虚な姿勢以外に、成長はないということです。

ことばの力-みなぎる編2-

 この秋に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がドラマ化されます。

 日露戦争を描いた壮大な歴史小説ですが、激動期を支えた多くの人物が登場します。彼らの言葉も、多く残されているのです。

 大臣だった児玉源太郎はその職を去って、実質的には格下である参謀本部次長に志願します。その職務は、ロシアに対しての作戦を練るもので、日本の将来を左右する仕事です。激戦となった203高地の戦いも、彼の手腕によって何とか結末を迎えられたのです。 

 日露戦争当時、最新の知識の持ち主が軍司令部に揃っていました。彼らはいわゆるエリートで、鎖国で軍事的に遅れをとた日本は、留学生を軍事先進国へ送り、最新の知識を学んでいたのです。

 よって知識は持っているが、成熟している訳ではなく、あくまで翻訳者の域を出ていませんでした。児玉が参謀本部で、彼らのような専門家に意見を聞くと、十中八、九、「それはできません」という答えを受けるのです。いつもその繰り返し。

 そこで彼は言い放ちます。

 「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」

 チャレンジしなければマイナスポイントは生まれません。しかし、それでは過去をなどるだけです。小さな失敗を恐れるより、成長や未来を求めるほうが、絶対に素晴らしいと思うのです。

 社会に出るまで繰り返される試験は、間違いを無くすことが、良い結果を生みます。しかし生きる事において、平均点が高い事に意味は無いと思います。喜びと苦労の平均値をとっても無意味だからです。

 その呪縛から解き放つことで、活き活きとした人生を送れるのだと思っています。その考えを、仕事を通して少しでも世に問うてみたいのです。

39

 一昨日が誕生日でした。今年で39歳。地球が太陽の周りを39周しました。

 ビッグバンから137億年、地球誕生から46億年。そう考えれば、人の一生など、瞬く間に似ています。しかし、人が虚無的であったり、投げやりであったなら、現在の私達まで、生は受け継がれてこなかったと思うのです。

 チャップリンのこんな言葉を教えて貰いました。

 「バラは美しく咲くのではない。一生懸命咲いているから美しいのだ」
チャールズ・チャップリン-ライムライトの台詞より-

 映画は見ていますが、覚えていませんでした。

 能の完成者、世阿弥は舞台には「花」が必要だと言いました。

 「花」とは命がけの熱意のこと。たとえ芸が上手くても、命がけの熱意のない舞台は能ではない。

 来年は40歳。孔子の言う不惑を迎えます。たった一年で惑わない精神が宿るかは別にしても、30代最後の一年を、精一杯生きたいと思います。

 数字通りに、感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思うのです。

繁栄と衰退を分けた違い

 先月、写真スタジオのクライアントから面白い話を聞きました。

 約3万年前にネアンデルタール人は絶滅し、私達の祖先、ホモ・サピエンスは生き残りました。その決定的な差は、声だったそうです。

 前者の声帯はチンパンジーと同じように、口に近い位置にありました。後者の声帯は深い位置にあるので、声を共鳴させる事が出来き、言葉という複雑な音を操れるようになったのです。

 深い位置にあると、食べたものが、気管に入るリスクはあります。それでも生存競争に勝ったのは、後天的に多くの情報を共有し、受け継いでいったからなのです。

 
 太陽があの辺りから出てくると、段々寒くなるから、しっかり食料を貯めておかないといけない……

 この時期は、あの方角に半日歩けば水場がある……

 そんな事を子孫に伝えたいという思いが言葉を生んだ、と言えばちょっとロマンティックすぎますか。

 初めに言葉ありき

 は、新約聖書の一節。やはり言葉なのです。

自由と正義の国の平等

 昨日から7月。今年の後半戦がスタートしました。

 7月4日はアメリカの独立記念日。1776年の事です。合衆国憲法の前文には正義(Justice)と自由(Liberty)が謳われています。そのアメリカで、法的な人種差別がなくなったのは公民権法が成立した1964年。僅かと言って良いのか45年前のことです。

 法案の成立に大きく貢献したのが、マーティン・ルーサー・キング・Jr牧師です。その生い立ちをテレビで観ました。

 人種によっては集会さえも規制されていた当時、集まって話を出来るのは教会だけでした。彼は皆に平等を伝える為、牧師になります。そして、ガンジーが提唱した「非暴力、非服従」の精神に共感し、民衆にもそれを貫くよう訴えかけ続けます。

 その集大成となったのが、教科書にも出てくる、「I Have a Dream 」という演説で、法案成立の一年前、1963年ワシントでのものでした。

 公民権法が成立した後、キング牧師はベトナム反戦運動にも力を注ぎます。しかし1968年、凶弾に倒れ39年の生涯を終えるのです。

 亡くなる少し前のスピーチが紹介されていました。

We shall overcome(私達は打ち勝つ)
私達は打ち勝つ
たとえ遠回りをしていたとしても
行き着く先に「正義」があるかぎり
私達は打ち勝つ
なぜなら「偽り」が
永遠に生き続けることはないから
私達は打ち勝つ
私はそれを
心の深いところで信じている

 アメリカの独立から、世界の時流は民主主義に大きく傾き、1789年にはのフランス革命が起こります。自由、平等、博愛の精神です。ここでは平等が謳われています。

 18世紀末から200年もの間、アメリカでは、自由と平等は違うものでした。その事に実感として、初めて気付かされました。

人それぞれ

 いきなりですが、ずっと思っていた違和感を書いてみます。

 話が行き詰った時「人それぞれ」と、会話を終えるケースがあります。正直に言えば「それを言ってはおしまいよ」と思っているのです。

 一見言葉として問題ありません。他人を尊重しているようにも聞こえます。しかし、実際には関係を諦めた瞬間というか、コミュニケーションを拒否した瞬間というか……

 一人一人が違うのは当然です。人は誰もが生まれながらにして、唯一無二の存在です。絶対正しいもの、誰もが共感出来る事が、常にあるとは思いませんが、あるかもしれないという幻想はもっと大切だと思うのです。
 
 「分かってもらえないだろうなア」と思いながら話をして相手に伝わることは無いはずです。創作もデザインも全く同じ。誰かに分かって貰える、誰かとその思いを共有出来る、と信じるからこそ、多くの情熱が捧げられるのです。

 人は生まれながらに「真・善・美」を求めると言います。そうでなければ、真理を追求してここまで科学は発展しなかったかもしれません。善き心を求めるからこそ、神や仏という概念が生まれ、哲学や宗教が生まれてきたはずです。ましてや、存在しなくても命には影響の無い、美や芸術などは全く発展しなかったはずです。それらを人が求める事は歴史が証明しているのです。

 善き心は誰が見ても善のはず。それは人それぞれではないのです。

夢の条件

 夢に条件も何もあったものではないのですが、こんな話を聞きました。夢には3つ条件があるそうです。

 ここではあくまで仕事人としての夢の話し。

①考えただけでワクワクする事
 
 出来るだけ鮮明なほうが良く、その映像がカラーで詳細に説明出来るくらいでないとダメだそうです。

②自分らしい事

 意外に難しいのが自分らしさ。これは「苦労してもやってみたい事」という説明でした。これは納得出来ます。手を抜く姿が自分らしいと言っても「そうだね」とはなりません。自分らしいかどうかは、困難がフィルターになるのです。  

③世の中の役に立つ事

 仕事人としては必須条件と言えます。なので、小学校の時に描いた夢とは少し違うかもしれませんが、本質は同じような気がします。

 加えて、夢と幻の違いも聞けました。

 差は行動が伴うかどうかでした。こんな仕事がしたいと思っても、ベッドに寝ているだけなら、これは幻。ダイエットしたいと思っていても、何も始めなければこれも幻。

 夢は前向きに行動するためのエンジンもしくは燃料みたいなものです。但しシャボン玉のように壊れやすいものだとも。夢を壊すのも自分、抱き続けるのも自分。これだけは、人から貰えません。

 その夢を持続する方法は紙に書くこと、だそうです。
 
 全て簡単な事ばかり。しかし実際に行動出来るかで、すでに10%内との話しもあります。それこそ幻にしてしまうかどうかは自分次第……

進みだす

 現在は、1人がオープンデスクに参加しています。先日までは男女の学生が2人来ていました。

 20回で1クール。14回目を迎えた女の子が、朝一番に「今日で終えたい」というのです。理由を聞くと「やはり内定を辞退して、すぐに設計事務所の就職口を探したい」という理由でした。

 彼女は学校の先生から紹介して貰った会社から、内定を貰っていまいた。それでも迷う気持ちがあり、オープンデスクに参加していたのです。

 彼女はどちらかと言うと大人しいタイプに見えました。設計の仕事がしてみたいが、どんなものかを知らず、このまま就職して良いのか……と悩んでいたのです。

 研修中「紹介して貰った以上、やっぱり断れないですよね」と聞いてきたので「そんなことは無いと思う。自分の人生だけは自分が主役なんだから」と答えました。その時は、このまま就職するのだろうと思っていました。しかし、最後に下した決断は違いました。

 もし、親御さんが聞いていたら「この就職難の時代に、何を言うんだ」と叱責されるかもしれません。

 雇用について聞こえてくる話しは厳しいものばかりです。彼女が今から精一杯頑張ったとしても、思ったような仕事に就けるかどうかは分かりません。それでも、チャレンジしての結果なのか、せずの結果なのかでは、全く違うと思うのです。

 もうひとつ載せておきたいと思います。これは、全ての人へのメッセージだと思うのです。

 これまでに何度も耳にしてきた言葉で「一生懸命頑張った、力いっぱい努力して負けたのだから悔いは無い」というものがある。

 この言葉は、努力の限りを尽くした者が勝負に負けた時、相手の力が上回っていたことを讃え、自分への妥協が許されるものなのかもしれない。

 しかし、私は目標に向かって全力で努力した者にはその結果が必ず出ると信じて行動してきた。

 「やっていおけば良かった……」の人生なのか「やっておいて良かった」の人生なのか。ここに「全力に悔いなし」の背景がある。

サガン鳥栖ゼネラルマネージャー 松本育夫

 

変わる

 何年か前、車のCMで「変わらなきゃ」「変わらなきゃも変わらなきゃ」というシリーズがありました。

 その出演者のイチロー。野球の国別対抗世界一決定戦、ワールドベースボールクラシック(WBC)には並々ならぬ意欲を見せています。3年前、第1回大会の時も「なぜこの記念すべき大会に出ない人が居るのかが僕には分からない」「運命的なものさえ感じる」といったコメントもありました。

 予選リーグで韓国に負けた時の悔しがりようは、尋常ではありませんでした。その後、アメリカの思わぬ負けもあり、日本代表は決勝戦でキューバを下し初代チャンピオンに輝きます。

 今回の第2回大会では、昨年の北京オリンピックで敗退した日本代表チーム監督の星野さん続投の雰囲気を「オリンピックのリベンジの場でない」と暗に批判する場面もありあました。

 賛否両論ありますが、それを言えるのはキャリアのピークにあるイチロー以外に無かったはずです。

 第1回大会の監督は前ソフトバンクホークス監督の王さん。生涯ホームラン数868本。世界一多くのホームランを打った偉大な選手です。今回は体調と年齢のこともあり、日本代表相談役という立場となりました。先日テレビで、長嶋茂雄さんの長男、一茂さんとの対談が流れていました。

 「人は変わる。変われるでは無く変わるんです。調子がいいからずっと同じ状態でいたいと言っても無理なんです。ならいいほうに変わろうよと、僕はいつも言ってるんですよ」

 奥行きの深い、示唆に満ちた言葉です。まさに、諸行無常の響きあり……
 
 イチロー、海を渡った松坂と役者はそろいました。WBCは3/5が開幕。決勝は3/24です。楽しみになってきました。

何故か送る若者へのメッセージ

 今日は成人の日。正月休みが終わったと思ったら、また3連休。いつの間にやら、日本の労働時間は韓国、アメリカよりも短くなっていました。

 成人とは20歳を超えた人達のこと。社会的責任を負う年齢となります。この意味が、20歳の時には全く分かっていませんでした。

 社会的責任を負うというのはどういう事か。逆の言い方をすれば、責任を負える人であるという事です。しかし、これは消極的な表現です。

 積極的な言葉に置き換えると、社会の役に立つ、社会が必要する人、と言い替えれます。

 『人類は宇宙船地球号の乗組員である』

 建築家、バックミンスター・フラー の言葉です。

 若者よ、乗組員として必要とされない人生はつまらない。精一杯働こうじゃないか。そうすれば、自分の持ち場が必ず見つかるはず。

 成人してから18年。今はそんな風に思って働いています。

 ようこそ「素晴らしきこの社会へ」です。