カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

真似る 真似ぶ 学ぶ

 昨日は桃の節句。

 なかなか雛人形を飾ってやれず、申し訳ない気もします。来年こそは新しい家で……

 先月、娘のお遊戯会に行きました。その会場がコミュニティ・プラザ平野です。

 設計は出江寛で1995年の作品。

 私が初めて働いた事務所は、出江事務所のOBが所長でした。

 そこでは1年しか働いていませんが、その間に他のOBとも少し面識ができました。うち一人はこの建物の担当者でした。

 その人は、私より2つ3つ先輩だったと思います。公共建築を設計する大変さ、その苦労なども、聞かせて貰いました。私が24、5歳の頃のことです。

 その時の自分と照らし合わせ、遥か彼方の話しのように聞いていました。

 未だ、公共建築に関わったことはありません。しかし重鎮出江寛とて、初めからそのようなチャンスがあった訳ではありません。やはり、目指さなければ、その機会が訪れることはありません。 

 元楽天イーグルスの監督、野村克也はこんな事を言っていました。

 親も育ってきた環境も違うし、肉体や骨格も違う。それを猫も杓子も一通りの型にはめたのでは個性を生かすことができない。「学ぶ」というのは「真似る」を語源にしていると言われるが、若手も「教わる」のではなく、「覚える」という意識が必要なのではないか

 「学び」と対になっているのは「憧れ」もしくは「謙虚」、というのが持論です。少なくとも「教える」ではないと。

 ああなりたい、と思わなけれれば、真似たいと等と思わないはずです。となれば、子供に、スタッフにそう思わせる事が出来るか、という一点に掛かってきます。

 大きな仕事をするなら、更にスタッフも必要です。まずは自分が希望に燃えていなければ、何も始まりません。

 季節がらもあってか、何か良い事が起こりそうな予感……

必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる

 四ツ橋はその名の通り、4本の橋が架かっていたのがその由来。
アメリカ村の北、西心斎橋と言った方が分かりよいでしょうか。

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 リキテンシュタインの「OSAKA VICKY!」が迎えてくれます。

 その北にあるキッチンハウスで、建築家・窪田勝文氏の講演がありました。
海外でも多くの賞を受賞する建築家で、現在55歳。

 講演は建築家協会の主催で、世話役を務めるのがキッチンハウスの人だったのです。

 彼は当事務所の担当でもあり「質疑応答で、挙手が無かった場合何か質問して貰えますか」と言われていました。

 講演時間は1時間半。自身の生い立ちから、創作のストーリー、作品の変遷。また世界の名建築がなぜ名建築たり得るかなど、素晴らしい内容でした。

 人と自然の間にある、建築がその関係を邪魔してはいけない。

 ファンズワース邸を見てもよく分かる。

 そして建築は、心を動かす事ができる瞬間がある、そう信じている、と。

 講演が終わると挙手は無く、「仕込み」のあった建築家3人が質問をしました。

 そして最後に私。

 いくつか聞きたいことがあったのですが、答えは全て講演の中にありました。それでこう質問しました。

 「多くの創り手が、自身の哲学や思想をダイレクトに表現したいと思っていると思います。その中でも、窪田さんは非常に多くのことを実現していると感じるのですが、何故それが可能となったのだと思われますか」

「昔から、何故フェラーリよりクラウンのほうがかっこいいという人が居るのだろうと思ってました。ずっと世の中がそうだと言っていると、同業者の人でも自分が気づかないうちに、社会に合せてしまってているのでは、と思う事があります。僕は、そこは曲げなかった、という事ではないでしょうか」

 という答えでした。

 この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

 松下幸之助の言葉です。

 自分に足りないものは何なのだろうと、いつも考えます。能力、努力など色々あると思います。しかし、真面目で一生懸命ではあるつもりでした。

 「誰が一番真面目で、純粋なのか」というメッセージとも言えます。真面目さが足りてなかったとは……

 全ては必然で必要、ベストのタイミングで起こるのです。

サラダと漬物

 土日はASJの建築家展で高松に居ました。
 香川は母の郷里でもあります。

 少し早めに着き、車で海沿いまで。
 
 屋島は源平合戦の古戦場です。

 那須与一は強風の中、70m沖に浮かぶ船上の扇を射抜きました。

 それが現実なのかは別にして、想いをめぐらせるのが楽しいのです。

 会場までにも沢山のうどん店が。さすが「うどん県」です。

 タクシーの人に、おすすめ店を聞くと「うどんバカ一代」と。

 何とも気になる名前で、次回の楽しみにしています。

 このようなイベントに参加するのは7回目。

 その中では、最も広い会場でした。

 試行錯誤し、ひとまず自分の展示スタイルを決めました。

 1日40組の来場があり、ほぼ話しっ放し。多少のどが痛い感はありますが、話を聞きたいと言われるうちが華です。

 瀬戸大橋が出来たのは私が大学生の時で、それまでの帰省はフェリーでした。その港がここ高松です。

 盆休みを過ごし、夕方祖父の家を出ます。1時間程で高松港に着くとフェリー乗り場は、車の長い列。そしてむせかえるような排ガスの匂い。当時は休みが分散化していなかったので、まさにラッシュでした。

 何とかフェリーには乗れたものの、客室は一杯。甲板で寝たこともありました。夏は星空を見ながらと、なかなかのものですが、冬は寝られるはずもなく。今は車で2、3時間ですが、当時は半日仕事でした。

 建築家・出江寛は、文化と文明の違いをこう書いています。

  高い・速いを文明の特徴とするなら、低い・遅いが文化の特徴。サラダオイルで野菜を食べるのが文明で、漬物にして食べるの文化。文化には「かくし味」がある。

 低い・遅いが良ければ現在もフェリーは運行しています。しかし利用しているのは橋。速い事で私は何を得、何を失ったのか……

 そういえば出江寛のデビュー作は1977年の丸亀家でした。さて私はこの地で仕事が出来るのか。

お札のすすめ

 今日はバレンタインデー。

 近年妻は「チョコレートを買い忘れた」という事もあるくらいで……よってさほど気にしていません。しかし、この日は娘の誕生日でもあります。

 先週末はお遊戯会もあり、立派にセンターの役目を果たしました。随分大きくなったなと思います。

 この日、実家では誕生日会も開いて貰いました。

 私は行けなかったのですが、父母からはお小遣いもあったようです。

 帰ってから妻が「貯金しておこうね」と言うと、そそくさと自分の財布になおしたのです。

「これは100円玉が100個分のお金だから貯金しておこうね」と言っても納得しません。よって未だに彼女の財布の中なのです。

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

 1万円札は日本最高額紙幣。誰もが知る福沢諭吉の言葉です。博愛主義的な響きですが、続きがありました。

 されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

 元々人に貴賤はないが、学ぶと学ばざるによって、それは生まれる、という意味です。始めのくだりとは、全く趣きが異なります。

 昭和21年発行の1円札は二宮尊徳が描かれていました。

 マキを背負った像を、最近天王寺で見かけました。

 彼も諭吉同様、江戸末期の思想家です。

 早くに親を亡くし農耕に勉学に励みました。

 その結果、藩の重職につくまでの人物になります。以下は彼の言葉です。

 道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である

 共に、耳心地よい話だけの人ではなかったようです。

 仕事、お金、愛情。全てにおいて、他力本願はなさそうです。こんな日に何ですが、お札に学ぶ話を。

 今週末は香川にいます。近くの人が居れば遊びに来て下さい。

弔辞

 先日ミッドタウンへ行った際、青山霊園の横を通りました。

 東京の真ん中に、大きな霊園があるものです。
 
 これだけ便利なところにあれば、まいり易いだろうと思います。

 人が亡くなるのは悲しいこと。その墓が無くなるのはもっと悲しいこと。徒然草だったでしょうか。

 1月15日に大島渚監督が亡くなりました。22日の告別式で坂本龍一が読んだ弔辞が掲載されていました。

 俳優経験のない彼のもとへ、大島渚監督が一人で出演交渉にやってきました。そこで彼は「音楽もやらせて下さい」と言ったというのです。そこで監督は「お願いします」と即決。この場面こそ映画です。

 坂本龍一というミュージシャンを「いけないルージュマジック」と「芸者ガールズ」くらいでしか知らない私は「教授」のニックネームの通り、クールでクレバーというイメージをもっていました。

 YMOというユニットで、すでに成功をおさめ、才能も実証済みだったはず。その本人が「あれから全てが変わった」と言うのですから、それだけの変化が起こった訳です。

 以前、赤塚不二夫の葬儀で、タモリが白紙を読んだという、弔辞が話題になりました。「私もあたなの作品の1つです」。流石、芸能界の最前線に立ち続ける訳だと、納得したものです。

 何かを極めた人への弔辞は、その人生の写し鏡のようにやはりドラマチックです。

 記事には「メリー・クリスマス ミスターローレンス」が流れる中、棺は運び出されたとありました。その光景を見たかったと言えば、あまりに非礼でしょうか。

 日本人初、アカデミー賞オリジナル作曲賞は、自分からの「音楽もやらせて下さい」から。ギネス最長寿テレビ番組は、場末のバーでのイグアナから。

 人生の転機と言うけれど、全て自分の行動からなんだな。この弔辞を繰り返し読み、そんなことを思っていました。

聞くは一生の損

 聞くは一生の損

 宮本哲也著「強育論」の中にあった言葉です。

 聞くべきことの例として、喪服のネクタイの色とありました。

 なるほど、これは年長者に教えて貰わないと、解りようがありません。

 聞かないほうが良い事は、算数の答えの出し方、とあります。

 解き方を教えるのでなく、考え続けることによってのみ人は成長出来ると、知って貰うことに尽きるという考えです。

 「どうやって勉強していいのかわかりません」は「どうやって生きていけばいいのかわかりません」に等しい、とも。

 私もそう思いますが、なかなかに刺激的な言葉が並びます。

 初版が2004年となっていたので、著者はすでにかなり露出しているのかもしれません。彼は中学受験をする塾の算数の先生です。

 申し込み順で入塾できるようですが、有名私学への高い合格率を誇っています。その核心にあるのが、初めにあった考え方です。

 思い当たる節もあります。私は25歳で事務所を設立しました。

 望んでではありませんが、28歳までは、全く一人の事務所で、誰と相談する事も出来ませんでした。

 全ての判断において、よりどころは自分だけ。不安で不安でしかたなかったのですが、何とかかんとか生きていたのです。

 反面、基本を勉強する時間が短かった為、建築家の下で、しっかり修行してきた人には、知識で劣る部分がある事も感じていました。

 しかし、更にラッキーだったと思うのが、ぎりぎりwebが無かったことです。(あったのでしょうが、当事務所の導入は2002年でした)もしあったなら、自分で考えるより、答えを多数決に求めていたと思うのです。

 知るも一生の損となる可能性もありますし、悩む喜び、不安に

 なる喜びだってあるかもしれません。

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難解、読書の秋

 昨日、11月7日は立冬。秋は足早に……

 週末は、滋賀県の朽木に行く予定です。山中なら、紅葉がさかりでしょうか。この季節、歯ごたえのある、ありすぎる本を読みたくなるようです。

 昨年の秋は、「タイタンの妖女」カート・ヴォネガット・ジュニアにてこずっていました。

 今年はニーチェの「善悪の彼岸」。

 途中、他の本も平行しましたが、約4ヶ月掛かってしまいました。

 そもそもは、「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―」佐藤優、を読んだのがきっかけです。この本を勧めてくれた人から「彼はこんな本を読んでるみたい」と教えて貰ってのです。

 古典から哲学書まで、どう見ても難解そうなものばかり。たまにはそんな本を読まないといけないなと思い、久し振りにニーチェを読み始めました。

 しかしこれはカート・ヴォネガット・ジュニアの比ではありませんでした。難解につぐ難解。形容につぐ形容。訳者は「ビルマの竪琴」の著者、竹山道雄。彼もあとがきに、難解だと書いていました。

 男子の成熟。―小児のときの遊戯の際に示したあの真剣さを、ふたたび見いだしたこと。

 愛よりなされたことは、全て善悪の彼岸に起る。

 前者は理解できます。しかし後者は……何とかかんとか読み終わりました。

 今度は楽しく読める小説をと「官僚たちの夏」を選びました。

 著者の城山三郎は社会派小説家と呼ばれ、一度読んでみたいと思っていたのです。

 1960年代の通産省を舞台に官僚のトップ、次官となる主人公、風越信吾。彼は、ミスター通産省と呼ばれる名物官僚で、大臣、総理との論戦も辞さないという豪傑タイプ。

 池田勇人、佐藤栄作など実在の総理もモデルとなっている通り、多くの人物が実在したようです。日本が我武者羅に働いていた時代の、官僚の栄光と悲哀を描いた話と言えばよいでしょうか。やはり小説は読みやすい。

 例えばテレビで、評論家が難しい時事問題を簡潔に解説し、一刀両断に結論付ける場面があります。爽快な感もありますが、普段の暮らし、仕事ではなかなかそうならないもの。

 「バカの壁」の著者、脳科学者・養老猛は「常に脳にトゲが刺さっている。そんなちょっと気持ち悪い状態じゃないといけない」と言っていました。何かちょっと気持ち悪いくらいで丁度いいのだと。

 自分の哲学と合わない事を避けていたなあ、と思う時があります。しかし、会話でも答えが予測できないほうが刺激的なもの。苦手、知らない、ところに成長の余地はありそうです。

 次に読むのはまた来年か。秋は難解が良いかも。
 
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秋のセミナーシリーズ 5回戦

 8月の終わり。天王寺に建設中のあべのハルカスが、日本で一番高いビルになりました。

 設計は竹中工務店で、外観はシーザー・ペリがデザインしています。

 シーザー・ペリは高層ビルも得意としているアメリカの建築家で、中之島のある国立国際美術館も彼の作品です。

 竹をモチーフにしたというこの挑戦はなかなか刺激的です。

 天王寺は事務所創業した場所で、私も一家言持っています。

 ハルカスの北側はJR天王寺駅で、東隣は天王寺MIO。間の道がそれほど広くないのです。

 以前建っていた、村野藤吾設計の近鉄百貨店。それらを配慮して高さを抑えていたのかは分かりません。

 しかし300mという高さは、完全にスケールアウトしていると思います。

 建築は街の一部で、街を構成する要素です。

 在る物、これから出来て行くものは、出来るだけ肯定的にとらえたいと思いますが、チンチン電車の走るこの街に、日本一高いビルが要るのかなと思うのです。

 完成すればまた違う印象を持つのか。注目しています。

 話は変わって、今週土曜日はすまいcafeでのミニセミナーです。その後も、人前に出る機会が何度か続きます。

■10月20日(土) 13:30~15:30
LIXIL大阪水まわりショールーム
第47回すまいcafe『幸せな家って?新築orリフォーム』
http://showroom-info.lixil.co.jp/kinki/osaka_wt/
■10月27日(土)、28(日) ASJ建築家展に参加
泉の森ホール 1F・ギャラリー
大阪府泉佐野市市場東1丁目295番地の1
11:00~18:00(入場無料)
■11月3日(祝・土) 11:50am~12:00pm
高槻高校でセミナー
■11月17日(土)
山口県岩国市で建築関係者向けセミナー
■11月18日(日)
ASJ岸和田スタジオでセミナー

 私は始道塾という経営の勉強会に参加しています。

 その塾長である恩田さんに、話をする際に心掛けている事を聞いてみました。恩田さんの講義は、分かり易く、かつ面白い。素晴らしいのです。

1. 自分が思っているより、何倍もゆっくり話す。出来ればその映像を撮ってみてみる。
2. 間をおき、反応を確認。
3. 重要なフレーズは何度でも。
4. 聴いている人が良くなりますように、と思う。
5. 共通の土壌をつくる。

 早口な私は、1.はまず注意しないといけない所です。2.が最も欠けているのかなと思います。自分の立てたタイムスケジュールをこなすような話し方では、何か伝わる事はなさそうです。

 3.は1、2割の人が「しつこい」と思ったとしても、大半に伝わっていないと思えば、何度も繰り返して良い。4.は間違っても、自分が恰好良くなどと思わない事、と。これもよく分ります。何故か、上手く、恰好よくやりたいと思ってしまうのです。

 皆が同じ土壌ではない、結婚式のスピーチは、5.の土壌作りが難しいのだと分りました。

 今月末の建築家展はセミナーではありませんが、私にとっては5回シリーズ。野球のプレーオフではないので、勝ち負けはありませんが、進歩できるのか。

 全て終われば総括したいと思います。

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小さな説

 私の住む平野区は大阪市の南端。いくらか田んぼも残っています。

 概ね稲刈りも終わり、ハトが落ち穂をついばんでいました。

 日に日に秋は深まって行きます。

 知らぬ間に冬になったと言わないで良いよう、どこかに出かけたいところ。

 しかし昨日は子供のソフトボール、サッカーがありどこにも行けず。DVD、読書とインドアな一日でした。

 この秋に読んだ本については、また書こうと思っているのですが、作家・開口健は「大きい説ではなく、小さな説を書いて飯を食うてます」と言いました。

 同じ出来事を体験したとしても、それをどう切り取るからで「説」は大きく変わります。

 開高健をノンフィクションライターとしてとらえるなら、沢木耕太郎、二宮清純は正統な系譜と言えるかもしれません。二宮清純が自身のwebサイトに再掲載したコラムにその実力が余すところなく発揮されています。

 題材は、1988年ソウル五輪。背泳ぎで鈴木大地が金メダルをとった場面です。

 鈴木大地は、決勝までライバルに大きく水を開けられていました。

 もし、メダリストではなく、金メダルを取りに行くなら、スタートから水中を潜水しながら進む「バサロ」のキックの回数を増やすべきではという結論を、コーチの鈴木陽二が導き出します。

 前半に体力を消耗しすぎると、後半のスピードが伸びない。経験から21回と決めていた水中でのキックを、リスクを覚悟で25回にしないかと鈴木大地に提案します。

 それに対して鈴木大地は「いや27回でいきましょう」と応えました。結果、3人がほぼ同時にゴールした大混戦を制し、鈴木大地は金メダルを獲得しました。

 二宮はこの話の前後から、4つの切り口で語ります。

1. コーチ鈴木陽二が言う「プレッシャーを楽しんでしまえばいい」とは、子供がピクニックを楽しむというようなものではない。世間をあって言わせてやろうと、絶え間なく脳細胞を働かせ、創意工夫を重ねる事だ。

2. 「あとは開き直ってやるだけ」という発言をする選手が、予想以上の成果をだすことはない。これは思考停止という現実逃避で、そのような愚か者に、神様が至福の瞬間をプレゼントすることはない。

3. 「負けはしたが、練習通りできたので満足している」や「教えた通りにやってくれた」と言う選手や指導者にも魅力を感じない。プロセスは大切だが、結果が伴ってこそ評価。なぜ選手をいたわるのかいうと、自分の満足に協力してくれたという考えに他ならない。

4. 「選手たちを褒めてやりたい」「選手たちに感謝している」と涙ながらに話す指導者も同様。こういったセリフは自らが主人公だと勘違いしているからつい口にでてしまう。

 これらの解釈は、冷徹にも見えますが、奥底にある真実だと感じます。また、スポーツをする者、またそれ以外の人へ向けても、成長の糧とするよう促している、大きな愛情も感じます。

 これ程シャープで手厳しい説を見る事はまれです。何らかの説を唱える時、真実を真っ直ぐに見る目と、非難を恐れぬ覚悟が必要なのは間違いありません。

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イチローNYへ行く

 7月24日(火)の朝、「イチロー、ヤンキースへ」というニュースが飛び込んできました。

 昨年、連続シーズン200本安打は10年で途切れましたが、ことしは4割に近いような数字を残してくれるのではないか、もしくは本当にイチローは衰えたのか。とても興味を持って見ていました。

 打順が3番になったり、1番になったりというニュースは聞こえてくれど、調子は一向に上がらない様子。ついに……という気持ちもありました。

 火曜日はイチローの会見を見ようと、急いで家に帰りました。

 移籍の理由については会見の通りですが、マリーナーズのファンに深々とお辞儀する姿が心に残りました。
 
 彼の出す結果はいつも痛快で、その言葉も刺激的でした。

 過去に全て過去に掲載したものですが、敬意を持ってイチロー語録をピックアップしてみます。

 「モチベーションが落ちたことは無い」
 「目標を設定して到達してしまうと努力しなくなる。満足は求めることのなかにある」
 「第三者の評価を意識した生き方はしたく無い。自分が納得した生き方をしたい」

 子供達に、私達にも夢を与えてくえます。
 「体がでかいことにそんなに意味はない。僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。

 『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。

 あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる」

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。
 
 彼は、ある番組でこう言っていました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。

 もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。

 しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打。一般的に内野安打とは、打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言いました。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者なのでは、と感じたのです。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋で、楽しく野球をしようと努力したのがイチローだったのでは、と思うのです。

 2009年の春にあった第2回ワールド・ベースボール・クラッシクでは、絶不調に陥ります。それでも最後にはサヨナラ安打で結果を出しました。何故これらの事が達成できたかという記者の問いに

 「重圧には弱いほうだと思います」

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。言い訳は絶対にしないという宣言です。大切なのは常に準備。彼こそ真の侍です。最後に、その環境についても再度掲載しておきます。 

 イチローを含めた一流のアスリートが育った環境、親の考え方を書いた本『天才は親が作る』吉井妙子著の内容を要約したものです。

 イチローの父は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習し、高校卒業まで欠かさず練習を見に行きっていました。

 中学生の時、イチローは監督からバッティングフォームを矯正する指導を受けます。

 二人でフォームを創り上げてきた父は「バッティングフォームだけは変えないように指導していただけませんか」と監督に願い出ます。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきますが、今度は自らそれを拒否します。その結果2軍に落とされたりもしました。聞き入れていれば現在のイチローは居なかったかもしれません。

 父からはリーダーとしての覚悟、子、イチローからは信念を貫くことの重要性を教えられます。素晴らしきかな鈴木家と一郎。

 彼はその華々しいキャリアをヤンキースで締めくくるつもりでしょうか。どうしても観に行きたくなってきました。
 

 以下はその他語録。

 僕は「寝ずに考えたんだけど」は信用しないんです。だって、そうでしょう。夜に書いたラブレターなんて翌朝見れないじゃないですか。大事な決断こそ、いつも以上に寝て、お天道様の下で!ですよ。

 彼は以前、俳優としてドラマにも出演しました。その理由はこうです。

 野球でも自分がイメージ出来れば、ほぼその通りのパフォーマンスが出来る。演技もイメージさえ出来れば、何とかなると思っていました。

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