真似る 真似ぶ 学ぶ

 昨日は桃の節句。

 なかなか雛人形を飾ってやれず、申し訳ない気もします。来年こそは新しい家で……

 先月、娘のお遊戯会に行きました。その会場がコミュニティ・プラザ平野です。

 設計は出江寛で1995年の作品。

 私が初めて働いた事務所は、出江事務所のOBが所長でした。

 そこでは1年しか働いていませんが、その間に他のOBとも少し面識ができました。うち一人はこの建物の担当者でした。

 その人は、私より2つ3つ先輩だったと思います。公共建築を設計する大変さ、その苦労なども、聞かせて貰いました。私が24、5歳の頃のことです。

 その時の自分と照らし合わせ、遥か彼方の話しのように聞いていました。

 未だ、公共建築に関わったことはありません。しかし重鎮出江寛とて、初めからそのようなチャンスがあった訳ではありません。やはり、目指さなければ、その機会が訪れることはありません。 

 元楽天イーグルスの監督、野村克也はこんな事を言っていました。

 親も育ってきた環境も違うし、肉体や骨格も違う。それを猫も杓子も一通りの型にはめたのでは個性を生かすことができない。「学ぶ」というのは「真似る」を語源にしていると言われるが、若手も「教わる」のではなく、「覚える」という意識が必要なのではないか

 「学び」と対になっているのは「憧れ」もしくは「謙虚」、というのが持論です。少なくとも「教える」ではないと。

 ああなりたい、と思わなけれれば、真似たいと等と思わないはずです。となれば、子供に、スタッフにそう思わせる事が出来るか、という一点に掛かってきます。

 大きな仕事をするなら、更にスタッフも必要です。まずは自分が希望に燃えていなければ、何も始まりません。

 季節がらもあってか、何か良い事が起こりそうな予感……

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