鯉のぼりと八十八夜

 今日は、長男の初節句。

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 義父母からの贈り物です。なぜ五月五日は「鯉のぼり」何でしょう?

 端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾り男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からのようです。

 室町時代には、戦のノボリが起源となって「吹き流し」を上げていたようですが、中国の故事から、“鯉の滝のぼり”は立身出世の例えとされるようになり、ノボリも鯉の柄が主流をしめるようになったようです。

 五月五日という日の起源は中国から伝わったという説、元寇の勝ち戦が五月五日だったとか、足利尊氏の天下統一の日だったという説もあるようです。

 しかし、今年のゴールデンウィークは天気が良くて、本当に爽やか!半村良の小説に「八十八夜物語」というあるホステスの人生を描いた、傑作があります。“女の一生を一年に例えるなら、八十八夜の頃が一番良い”というくだりがありました。

 八十八夜は、立春からかぞえて八十八日目、現在の暦で言うと5月2日。人の年齢に換算すると、二十代前半頃でしょうか。正に一年の中でも、人生の中でも最高の時期かもしれません。

 と、いう訳で、仕事が残ってしまい、自分が遊びに行けないとなると、羨ましさも一層です。ワタクシ、現在、百五十九夜。

お風呂と便利

 現在、ゴールデンウィークの真っ只中。しかし、幸せにも、残念にも、私は仕事であります。

 この間、母に「風呂場で、子供にオシッコを掛けられた」という話をしていると、「そう言えば小さい頃、銭湯の湯船の中でウンコをしてしまって、プカプカと浮かんで来た時は、慌ててタオルで隠したワ」と笑っていました。私の小さい頃の話です。

 ん。という事は、風呂が無かったということ?

 父は今も、ガラス屋を営んでいますが、私が1歳になるころ、現在の場所に引っ越して来ました。それまでは、四畳半と三畳、二間きりの長屋を借りて、四畳半の部屋を仕事場に改造し、三畳間で父、母、父の従兄弟の3人で生活をしながら、ガラス屋を始めました。考えてみれば風呂などあるはずも無かったのです。

 1970年、昭和45年の話です。大阪万博が開催され、高度成長期の真っ只中で、仕事も本当に忙しく、大阪には活気が漲っていたそうです。

 当時の色あせた写真を見ると、大阪の下町の風景が見て取れます。舗装されていない道路、所々に残る田んぼ、角ばった無骨な車、そして華奢な家々。家同士は密集しており、道が広いわけでも無いのに、何故か街はゆったりとしていて、開放感があるのは、家が軒並み2階建てだからでしょうか。

 建築の設計をしていると、いつも繰り返し考えます。「街も家もどんどん便利になっていく。しかし、良くなったんだろうか」ということです。

 私の家も含めてですが、多くの事が家の中で完結できるようになると、地域との関係は自然と粗になって行きます。ご近所に頼らなくても、何とか暮らせるからです。お風呂屋さんに行かなくても良いし、映画館に行かずとも、テレビでも結構な画質と音でDVDを観ることができます。便利で快適ですが、本当に良い事だけなのかな、とも思います。

 懐古的な発想だけでは、前には進めませんし、クライアントの要求に応えるのが、職業建築家の仕事です。しかし、便利さによって失なうものがあるかもしれない、という気持ちは常に持っていないと、もっと大きなものを失うかもしれません。明快な答えと方法が有るのかと言われれば、口ごもってしまう部分もありますが、建築を通して、自分なりの提案はして行きたい、と。

 親が風呂の無かった昔を思い出し、大変だった事を、嬉しそうに話すのを見て、そんな事を考えました。

気分を変えても・・・・・・

 ちょっと気分を変えて、日記の背景を変えてみました。

 今週は、月曜日の朝から兵庫県尼崎市での列車事故の一報がありました。事故の重大度は、亡くなった人の数で決まるものでは無いと思いますが、誰が犠牲者になっても、全く不思議の無い場所で、100人近くの市民が亡くなるというのは、どうにもやりきれない気持ちになります。

 状況は、新聞やテレビで刻々と報じられています。

 その情報の中に、複雑に絡み合った数十秒刻みのダイヤがありました。専門家が言っていましたが、これを守れるのは日本以外ではあり得ない事で「神技」レベルとも言える、と。

 ラッシュの時間帯の電車に乗ると、プラットフォームに電車が到着した瞬間から「間もなく、ドアを閉めます。急いで、ご乗車下さい」のアナウンス。神技を要するダイヤを守るためには、そういうアナウンスにならざる得ないでしょう。

 今回の事故の原因が何だったかは別にしても、私達日本人も、定刻を守らなかったから、といって駅員にクレームを付けたり、必要以上に約束の時刻を守る事に固執するのは、止めたほうが良いのかもしれません。もっと大事で、守らなければならないものがあると・・・・・・。

 どんな人でも、命を懸けてまで急ぐ場所など、無いのですから。

吉野杉と檜のある湖

 半年ぶりに奈良県の南端にある湖へ、釣りに行って来ました。

 今年は稀に見る、花粉の飛散量の多い年のようです。昨年までは、春先からは少しくしゃみが多くなるな、という程度だったのですが、今年は違いました。完全に花粉症です。

 その上、吉野杉、檜で埋め尽くされた山々に囲まれた湖に、ボートを浮かべていると、取れたてのフレッシュな花粉が、絶え間なく降り注いでくるわけです。

 おりしも当日は一日中強風が吹き荒れ、花粉は乱舞し、釣りをしながらも、水のような鼻水は垂れ流しのまま。静かな山上湖には、くしゃみの音が延々とコダマしていました。くしゃみのしすぎは本当に体力を消耗します。その上、誰にぶつける事も出来ない不快感。

 花粉の治まるゴールデンウィークが本当に待ち遠しい。

 花粉症が完治する薬を発明したら、多くの人に感謝された上、ダイナマイトを発明したノーベル級の財を築けるのでは?

天王寺

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 現在、大阪の天王寺に設計中の現場があります。帰り道を歩いていると、美しい夕焼けでした。

 25歳の時に、成り行きで、勢いあまって、建築設計事務所「アトリエm」を立ち上げました。親などの「まずは、自分の部屋で始めたら?」という声に反発して、JR天王寺駅のすぐ北に4畳一室の部屋を借りました。

 天王寺だった理由は「梅田や本町では家賃が高いから」と言っていましたが、正直に言えば実家から近いというのが何よりの理由でした。

 天王寺には、5年ほど事務所を構えていたので、街には愛着があります。聖徳太子によって建立された四天王寺などの、お寺が有るかと思えば、終戦直後、ドヤ街が増殖していった際の、薄暗い路地が残っていたり、動物園、美術館、百貨店があったり、チンチン電車が走っていたりと「ごった煮」のような街です。

 その路地をウロウロしていると、突如として2000円で「羊の脳みそ」を食べさせる、洋食屋が現れたり、350円で刺身を食べさせる居酒屋があったりと、なんとも楽しいのです。

 当時、仕事を始めたばかりの私は、当然仕事のスピードも遅く、毎日深夜までドロドロになった頭で、必死に図面を描き、あがいていました。兎に角、部屋が狭かったので、行き詰まると深夜の天王寺を徘徊したものでした。

 夕焼けを見ていると、少しセンチメンタルな気分になって、生ぬるい夜風を思い出しました。

大の字

 近頃の休みは、何かと子供中心の生活になってしまいます。この日曜日は、お宮参りに大阪の平野区にある杭全(くまた)神社へ行ってきました。神社の起源は平安時代初期に遡るそうで、何度か参ったことがありますが、とても静かで、立派な神社です。

 我が子の、一生の健康と安全をお願いするわけですから、神妙な面持ちでお払いを受けていると、儀式は滞りなく終わりました。が、自分のイメージにある「大」の文字が子供の額に描かれていません。

 神主さんに聞いてみると、「最近は、男の子が『大』、女の子が『小』というのは、差別に繋がりかねない、ということもあり、描かない事にしています。ただ、お描きになられる場合の口紅なら用意しています」。ん~、なるほど。

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 とういことで、妻がその場で書いた『大』の字です。

 ちょっと星型みたいですが、まあそれもいいんじゃないか、と私達夫婦と互いの父母、6人で笑っていました。

やっと出ました

 ホームページにも載せましたが、年始から「出る、出る」と言っていた本がやっと出版されました。

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 昨年の11月頃に 「平野西の家」-イロツキの家-を掲載するという話があった時には、「年始には出版する予定です」という事だったので、知人に言って回っていたら、遅れに遅れて、今年の4月1日になってしまいました。
 出版社側にも、遅れる理由はいろいろあったのですがそんな事は、こちらには一切関係なく、誰かに「本、どうなったの?」と聞かれると、「実はまた遅れてるみたいで」と頭を掻きながら答えるばかりで・・・・・・。

 3月の末には、現物が手元に届いていましたが、まだ信用出来なかったので、インターネット上の本屋さんセブンアンドワイamazon.comで確認すると、やっと売っていました。

 多くの建築家の中の1人としての掲載ですが、嬉しい事には代わりなく、今は、事務所の打合せ用テーブルの一番目立つところに置いています。

20℃くらいの記憶

 大阪では最高気温が20℃を超えるようになりました。この時期になると、毎年思い出すことがあります。

 中学生になった頃、友達同士でスキーに行くようになりました。パック旅行なら、3月の末から4月の初めの期間は、びっくりするくらい料金が安いので、決まってその時期を選んでいました。

 信州で存分にスキーを楽しんだ後、帰りのバスは、大阪駅や新大阪駅に、朝早く到着します。中学生の私は、通勤する大人もまばらな梅田で電車を乗り継ぐ為、スキー板と大きな旅行カバンを引きずって歩いていました。

 信州と比べると、急に高くなった気温も手伝ってか、「スキーシーズンが終わる」「春休みが終わる」「新しい学年になる」など、いろんな感情が入り混じり、なんだか寂しい気持ちになっていました。

 大阪に帰って来るという事は、楽しい春休みが終わり、いつもの生活に戻るということです。体感する気温が、急激に現実を感じさせたのかもしれません。

 20年も前の、生暖かくて、少し気だるい感覚と、ビジネスマンがまばらに歩いている光景を、気温と共に、何故か今でも鮮明に思い出します。

彼は映画監督

 中学・高校の同級生に映画監督がいます。というと、どんな人をイメージするでしょうか?

 彼は才能のある映像作家で、色々な仕事をして来たようですが、「プレーステーションのソフトのムービー部分をディレションしている」というのを聞いて「すごい」と思ってしまいました。それは私でも知っている、かなり有名なゲームソフトでした。そんな彼が映画を創り、なんと劇場公開中なのです!

ANALIF アナライフ 監督 合田健二

 高校時代には、同じバンドにいたりしたのですが、当時からかなりマニアックな一面がありました。お世辞にもおしゃべりが上手というタイプではなかったような気がします。

 しかし現在、劇場では公開に先駆けてトークショーを行っています。ゲストは、「オー!マイキー」の監督・石橋義正さんだったり、「タモリ倶楽部」に出ている杉作J太郎さんだったりするのです。

 同級生が、頑張っているのを見ると、何より刺激になります。自分の選んだ仕事、建築家はなにより好きですが、『映画監督』 その響き、なんともかっこいいじゃないですか、合田君。

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