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ミュージアム in 北陸

連休明けの月曜日。ペースは戻ったでしょうか。

5月4日、5日のスケジュールが空いたので、急遽宿を探しました。北陸を中心に見ていると、和倉温泉に1部屋空きをみつけました。

4日(金)の早朝、大阪をでると、スムースに金沢まで来ました。

しかしかなりの雨量で、まずは能登半島を北へ移動することに。

かほく市にある「西田幾多記念哲学館」へ寄りました。

西田幾多郎の「善の研究」は、明治以後、日本人が初めて読む哲学書と言われます。

ここに来るまでには読んでおくつもりでした。持ってはいるのですが、まだ手をつけておらず……

館はの設計は安藤忠雄。今年で開館10年目とありました。

特に欧米では、哲学的とも言われる安藤建築。

館の目的に完全に一致していると感じます。

安藤設計のミュージアムは沢山見ました。

下階に向かう階段と吹抜けの空間は、ヴォリュームが心地よく、最も美しいと感じました。

人は少なく、満足して更に北上します。

能登半島の中央部にあたる能登島。

「のとじま水族館」はその北端にあります。

こちらは開園30周年。

子供の為に来たのですが、古き良きという感じで、好感がもてました。

直前にキャンセルが出たのはビジネスホテル。

よって食事ぐらいはという事になり、寿司割烹の店へ行きました。

和倉温泉街にある「又五郎」。

大将はとってもいい感じの良い人で、家族で7千円くらいでした。

寿司、焼き魚、茶わん蒸し、いずれも美味しかったです。

下の娘はいくらでも刺身を食べるのですが、長男はマグロ以外をあまり食べず。肉派なのです。

翌朝も早起きして、砂浜を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイへ。

どうしても走りたかったのですが、波が高く侵入禁止になっていました。

仕方なく、皆で走ることに。

南下して8時頃には金沢市内へ入ります。

金沢市は「パークアンドバスライド」という試みを実施しています。

市の人に聞くと10年程になるとのこと。

高速のインターを降りると駐車場があり、そこから市内をバスが循環しているのです。

車一台につき1000円で乗り放題。施設の割引もついています。

これを利用して、金沢21世紀美術館へ行ってきました。

レアンドロのスイミング・プールは凄い人気で、開館と共に一杯になりました。

子供はかなりテンションが上がっています。

上からは無料、下からは入館した人だけ。

この無料開放ゾーンが多いのもこの館の特徴です。

設計は、妹島和世と西沢立衛の建築ユニットSANAA。

2010年にはプリッカー賞を受賞しましたが、この館の評価が最も大きかったと言えるでしょう。

開かれた美術館というコンセプトは、収蔵作品にも反映されています。

円形の建物回りに、数多くの作品があり、子供たちも遊具のように遊び、触れています。

来る前は「また美術館」と文句を言っていた子供の気分を、ここまで変えのは、凄い事です。

駆け足で回った、北陸の旅。2つのミュージアムは印象に残りました。

強く、固い建築に、制限した光を落とす安藤。薄く、透明感のある建築を、更に街へ開くSANNA。

西沢立衛のプリッカー賞受賞のコメントは以下のようなものでした。

「建築と街に係わるものとして、とても嬉しく思います」

この言葉は時々頭の中に蘇ってきます。とても素直で気持ちが良い言葉です。

次回北陸に来る際は、再度なぎさドライブウェイにチャレンジします。これは昨年、現在の車に乗り換えたときから持っていたイメージの一つなのです。

木曽福島 出張模型教室

この土日は、久しぶりにスキーへ。

 木曽福島に義妹家の山荘があります。

 父、弟家族と合せて計10人。

 自炊なので合宿のようなものです。

 しかし、いくら騒いでも怒られない。広い。

 子供達にとって、これほど楽しい場所は無いはずです。

 初日は雪がちらつきましたが、2日目は朝から快晴。

 西に向かい合う御嶽山は3067m。冠雪した山頂がくっきりと見えます。

 時々こんな景色を見れるので、またゲレンデに立ちたいと思うのでしょう。

 子供達は全部で5人。上が7歳、下が2歳です。

 それなりに皆見ていますが、4歳の娘の上達がとても早い。

 中級コースくらいなら下りて来れるようになりました。

 合宿の楽しみは夕食です。

 早く遊びたいので、急かせる必要も全くなし。

 そう言うと、普段から面倒を見ているように聞こえますが、世の父親と同様、そんな機会は極めて少なく……

 こんな時くらいはと思い、模型作りの準備をしてきました。

 事務所で出た端材ばかりですが、彼らにとっては想像力をかき立てるはずです。

 道具を取り合いながらも、黙々と作っていました。

 遊びつかれて、1人寝、2人寝。

 何を作りなさいと言った訳ではありませんが、どれも家のようです。

 そういう私も、出張模型教室を終え、8時半には布団に入りました。

 旅情報で言えば、お土産ならJR木曽福島駅近くの「田ぐち」。

 「御嶽もなか」はおすすめです。

 甘党でない人も大丈夫だと思います。

 日曜日で東日本大震災から丁度1年。

 スキー場でも2時46分には黙とうが捧げられました。

 その時、自分へ何を問うのか。多くの人の答えは同じだと思います。自分に出来る事を、毎日全力で取り組む。

 ただそれだけの事ですが、それが世の中を良くすると確信します。

フェリーで行く鹿児島

 8月12日から15日の夏休みは、鹿児島を巡ることにしていました。

【1日目】 8月12日(金)

 夕方6時に南港をでました。
 15時間の船旅は、沈む夕日を見ながら。

【2日目】 8月13日(土)

 朝デッキへでると快晴の下、南九州が見えてきました。

 9時に志布志港へ到着。そのまま西に向かい、高速道路に乗りました。

 鹿児島湾(錦江湾)を反時計まわりに走り、西側の薩摩半島を目指します。

 

 道中に見えた桜島には、残念ながら雲が。

 この時は、また帰りに見れるだろう等と思っていたのです。

 昼食は一気に薩摩半島南端まで移動して、かつおラーメン。枕崎はかつお節の産地で、量、質とも日本一。

 現地の人にも聞ましたが、あっさりして美味しいとのこと。実際は、期待を大きく上回るものでした。

 かつお出汁をたっぷり使ったスープに、かつおの刺身、てんぷらも乗っています。これが、さっぱりかつ風味があって素晴らしく美味しかったのです。

 鹿籠豚(かごぶた)のトンカツも合わせて、旅行誌にも載っていますが「だいとく」は強力にお勧めします。

 この日泊まるのは、丸木浜キャンプ場。枕崎の西にあります。妻がwebで見つけてきました。

 人も少なく緑と海が美しく、南国ムード満点の浜でした。

 枕崎で購入した、食材で料理の準備を始めます。テントを張り、食事を始めたのが6時頃。

 子供達は海で遊び、疲れ、夕食を終えるとすぐに寝てしまいました。波の音を聞きながらビールを飲み、横になったのが10時頃。

 気持ち良く寝ていると、ポタポタと水滴が……時計を見ると深夜1時。

 休みを取るのにバタバタしており、天気予報のチェックが出来ていませんでした。鹿児島地方はこの日の夜から、ずっと雨だったのです。しかも結構な。

 風も強く、テント、タープを張り直し、雨対策をし終わったのが午前3時。ようやく一段落と思っていたら、こんな時間から浜で花火を始め出す若者が。

 浜には3組しかキャンパーは居らず、子供も起きないので放っていました。小一時間程して帰って行った時、チラと見えた感じでは20歳くらいの男女4人。

 どうやら近くから、花火だけをしにやって来たようです。

 言いたい事が無いでは無いですが、自分たちの事しか考えられない若者を、悲哀の目で見てしまう自分も居ます。

 タイミング良くというか、花火が終わるとまた雨が降りだしました。夜が明け、子供たちに朝食を取らせ、カッパを着てキャンプ道具を片づける私。

 端から見ればそれこそ悲哀の目で見られそうですが、やりだしてしまえばいかに効率よく、片付けるかに燃え出すのです。

 トラブルこそ旅の本質。とても良い浜でした。

【3日目】 8月14日(日)

 全ての片づけを済ませ、丸木浜を立ったのが8時頃。そのまま内陸に入り知覧を目指します。

 朝一番で特攻平和会館へ行ったのですが、多くの人が訪れていました。

 先の戦争で、300万人の命が失われた事、多くの若者が特攻隊員として犠牲になった事、その事実の上に今があるという事。終戦記念日の前日、ただその冥福を祈るしか出来ません。

 再び海沿いに戻り、開聞岳回りを走ります。

 JR日本最南端の駅、西大山駅で記念写真です。後ろの開聞岳は別名薩摩富士。晴れていれば最高だったのですが、仕方ありません。

 この日もキャンプ場のつもりでしたが、時々降る雨あしも強く諦めました。

 指宿まで移動し、駅前の観光案内で宿を探すと、ウィークリーマンションの一室なら空いていると。何とか屋根付きの寝床を確保できたのです。

 昼からは第27代島津藩主が作ったという温泉、殿様の湯へ。

 180年前から藩主を癒して来た、二月田温泉。現在は銭湯のように使われており270円。人もおらず中も撮ってみました。

 このあたりの温泉は一様に熱いそうですが、ここもとびきりの熱さでした。

 その晩は清潔な布団にありつき、外は雷雨。当たり前の事がどれ程有難いか知ったのです。

【4日目】8月15日(月)

 翌朝、朝一番で指宿名物の砂むしへ。

 娘は嫌がりましたが、長男は喜び勇んで砂の中。彼はあまり汗をかかないのですが、ここでは大汗でした。

 その後、すぐに近くの山川港のフェリー乗り場へ向かいましたが、残念ながらいっぱい。

 それで鹿児島市のすぐ北にある鴨池港まで北上します。

 ここから対岸の垂水まで渡るフェリーは35分。

 桜島のすぐ北を通るのですが、この日も曇天で山頂は見えず。

 アキアカネにしては黄色く。何と言うトンボでしょうか。

 対岸に着くと、最終目的地、佐多岬を目指します。

 およそ80kmを1時間半で走り、ようやく到着したのが2時頃。岬までは更に徒歩20分かかるようです。

 娘を背負い、熱帯雨林の中のような景色をくぐり、ようやく着きました。

 北緯31度。本土最南端の岬です。

 「子供が地球の端を見たいと言ったから」というCMが、昔ありました。

 地球の端でもないし、子供に言われた訳でもないのですが、何故か来たかったのです。

 すごい風でしたが、スカッと晴れてくれました。ここが本土の端なら、今度は沖縄か……などと思ったり。

 再び志布志に戻り、夕方6時に九州を離れたのです。

【5日目】 8月16日(月)

 15日の朝、大阪の南港に戻ってきました。

 WTC、海の博物館が朝日を浴びて、美しいのですが空気、海は比べる由もありません。

 しかしここが私の住む街、仕事をする街です。

 旅は自分との対話、と安藤忠雄は言いました。

 家族旅行が、自分との対話かは別にしても、私にとって、家族にとって何かを考える時間にはなったと思います。

 鹿児島一周の旅。長々と書きましたがこれで終り。

 出来ればもう一度、快晴の桜島と開聞岳を見に行ってみたいものです。

晴れ雨曇り、鹿児島

 ゴールデンウィークは大分へ行きました。

 船旅と自然の中を走る楽しさを改めて感じたのです。

 そのとき夏休みは、鹿児島へ行こうと決めました。

 大阪南港から、志布志までは15時間。

 高知沖の外海を通るので、揺れを少し気にしていましたが、大したことはありませんでした。

 ずっと快晴……であれば良かっのですが日曜の朝方から雨に降られ。

 2日共、雨のテントは辛いと、指宿で急きょ宿を探したのです。

 観光案内所で1ヶ所空いていると確保出来たのがウィークリーマンション。

 青い海、濃い緑、そして澄み切った空気。

 僅か1日でしたが。

 今朝は曇り。佐多岬へ行くつもりです。

 今日の夕方の便で大阪へ戻ります。

浜名湖

 週末は旅行に行っていました。

 友人が浜名湖のホテルを取ってくれたのです。

 仕事終わりに現地で落ち合ったので、土曜日は夕食のみ。

 翌日は朝からウォットという水族館へ出かけました。

 入館料300円で魚や貝を触ったりできるのです。

 浜名湖は汽水域なので(淡水と海水が混ざっている)、多くの海産物がとれます。

 新幹線から見る景色も、ダイナミックでとても気になるエリアでした。見どころも沢山ありそうです。

 とは言え、小学1年生どうしの長男達は、とにかく遊びたいのです。

 次に行ったのは舘山寺という温泉街にある遊園地パルパル

 一応上限を決め、2人で考えるように言いました。そもそも、2人いれば何だって遊び道具になるのですが。 

 6歳で身長1m10cmを超えると、子供達だけでも結構乗れるものです。

 そう考えると、随分大きくなったなとも思えます。

 親の楽しみと言えば、やはり食事。土曜日の夜はまずウナギ。

 蒲焼、鰻重とも、間違いのない味。

 子供も沢山食べたのがウナギの白焼。

 パリッと焼きあがっていて、わさびと生姜を少しつけて醤油たれで食べるともう……

 娘と取り合うこうくらいの美味しさでした。お店は「かねりん鰻点」

 雰囲気も応対もとても良い感じでした。

 http://www.kanerin.net/

 B級グルメなどは、最近よく聞く言葉ですが。

 浜松のご当地グルメは餃子のようです。確かに住宅街にも、ポツポツと店があるのです。お持ち帰りで買ってみました。

 お店は「喜慕里(きぼり)」

 1人前500円程。甘めのタレでかなり美味しかったです。

 日曜日の昼は、舘山寺温泉街にて。

 目当ての店が一杯で「うなぎ湖畔食房舘山寺園」へ。

 ウナギも勿論美味しかったのですが、しらす丼をお勧めします。

 釜揚げのしらすの上に生のしらすが載っていて1500円。最後は出汁茶漬けに。これはかなり満足できました。

 段々飽きてきた子供達は足元で遊び出しました。

 1000円上限割引の最終日というのもあり、この店を出て帰路につきました。

 結論でいうと「浜松は食べ物が抜群に美味しい」です。

 東海道の要所、新居の関所があり、海産物豊富な浜名湖があり、家康の御ひざ元。

 これくらい条件が揃えば、必然かもしれません。今回は浜松大橋や、新居の関所などにも行けなかったので、また行ってみたい街です。

フェリーで行く九州

 今年のゴールデンウィークは、大分、熊本へ。

 妻、子供とは南港で待ち合わせ。

 私が着いた頃には「さんふらわあ」を前に子供のテンションは上がりきっていました。

 2段ベッドはただのジャングルジム。特に娘は得意げでした。

 夜の8時頃南港をでて、別府港到着は朝の7時半。約12時間の船旅です。

 1日目は晴れ予報だったので、まずは阿蘇を目指します。

 別府から阿蘇まで、やまなみハイウェイで1時間半ほど。

 大阪で暮らしていると、目にしない風景が延々と続きます。

 草原で遊んだり、昼食を食べたりで、阿蘇着は2時頃。

 世界最大級のカルデラの中心にある火口。それを見ると、この国が火山国である事、地球が生きている事を、十分に認識させてくれます。

 山頂付近は草木の育たない荒野。

 退避小屋とでも言うのか、まるでトーチカのような建造物が、妙にこの場に合っているのです。

 宿泊は少し北に戻った、久住(くじゅう)高原。夕食まで少し時間があったので、辺りで遊んでいました。

 このホテル、温泉からの眺めが素晴らしく、食事も満足できる良い宿でした。

 2日目は雨予報だったので、まず乗馬クラブへ。子供の唯一の希望でした。

 その後、久住高原をでて、今度は熊本市内へ向かいます。

 加藤清正による熊本城は、日本三名城の一つ。白と黒の対比と、石垣が大変美しい城でした。

 八代にも見たい建物があったのですが、季節がらの渋滞も加味して、4時頃別府へ立ちました。距離は約150km。

 渋滞を避け、峠越えの山中深くを走っていると、左3km「長湯温泉」の標識が。これは「ラムネ温泉」のあるところです。

 夕方の6時頃になっていたのですが、もう来る機会もないだろうと寄ってきました。

 ラムネ温泉は、温泉も勿論ですが建物も有名なのです。

 設計は藤森照信。

 氏の作品の特徴は有機的な造形でなんと建物に木が生えているのです。屋根一面に「ニラ」が生えていたり。自邸には「タンポポ」が生えているのです。

 こちらの温泉には「松の木」。とても優しい建物でした。

 湯は、世界でも有数の炭酸泉で、入っていると体に泡が付きます。とても良い湯でした。

 この日は鉄輪(かんなわ)温泉泊でしたが、到着したのは夜の10時前。その日はすぐに寝たのです。

 翌朝、内風呂がいいと妻に言われ言ってみると、こらがなかなか。

 急に探した素泊まりの宿でしたが、さすが「湯の国」大分という感じです。

 鉄輪温泉は、別府にある古き良き温泉街です。地獄めぐりにも力が入っていました。

 全部で8つあり全て回る共通券は2000円。まず、かまど地獄。

 鬼石坊主地獄。

 海地獄。

 街のいたるところから、湯気がもうもうと立ち上り、嫌が上のでも旅情は高まるのです。

 最後は体験型水族館の「うみたまご」で遊び、フェリーは夜7時に別府を離れました。

 道路脇にあった「九州行きフェリー」の標識を見て、ふと思い立った九州行き。果てしなく続く草原が頭に浮かんだのです。

 久し振りでしたが、船旅も良いもんだなと思えました。

 今度は南九州か、北九州か。フェリーの航路を探します。

広島

 今週の月曜日は春分の日で祝日。

 日曜日は香川、尾道を回り、三原で一泊。この日は朝から広島へ向かいました。

 今まで、原爆ドームへ行ったことが無かったのです。

 初めて見る原爆ドームは、雨にも関わらず多くの人が訪れていました。

 印象として、65年の月日は感じませんでした。

 未だ足元に散乱する瓦礫を見て、確かにここに原爆が落ちたのだと実感します。

 その写真は、数えきれない程見たはずですが、体感は全てを凌駕するのだと改めて感じたのです。

 澱のような思いを持ったまま、すぐ南の平和記念公園へ向かいます。

 原爆ドームと一直線に結ばれる縦軸と、直交するよう配置された平和記念資料館。

 これらをを中心とした公園は、丹下健三の設計で1955年に完成しています

 丹下は高校時代を広島で過ごし、1945年の8月6日は父危篤の知らせを受け、帰郷の途中。尾道にいました。

 この計画案はコンペで選ばれたものですが、関係は浅からぬものがあったのです。

 見返すと、一直線に並んでいるのが良く分かります。

 戦後10年。この建築は、日本復興のシンボルでした。

 資料館には、原爆の爪痕を残す悲惨な写真、遺品など、膨大な資料がありました。

 家族4人で行ったのですが、6歳の長男と3歳の娘には途中で見せるのを止めました。

 今の時点で、その現実を受け止めるのは難しいと思ったです。

 正視出来るようになった時、自分たちで行くことを勧めようと思います。

 ただ、私自身が今その現実を見れたのかも分かりません。

 戦争の前では、人は只々無力なのだという事だけ、痛いほど感じたのです。

 その後、20kmほど西にある安芸の宮島へ。

 あの有名な社殿は1168年、平清盛によって造られたものです。

 日本三景、重要文化財、世界遺産と、様々な側面を持つ厳島神社。

 私が訪れた時は干潮で、残念ながらその幻想的な風景を見る事は出来ませんでした。

 鳥居のそばまで歩いて行きました。

 逆光気味で分かり辛いかもしれませんが、鳥居の縦材が一本の樹をそのまま使っています。

 あえてなのか、やや歪んだものを使っていることに驚いたのです。

 この厳島神社も、決定的な水害を受けない位置に造営されたと言われます。先人の知恵が活かされているからこそ、現存しえたのです。

 短い広島行きでしたが、色々考えさせられました。

 原爆によって廃墟となった広島は、世界で最も悲劇的な痛手を被り、世界一劇的な復興を遂げた街と言えます。

 長崎と共に、これほどの被害を受けた街は世界中にないのです。

 平和記念公園は、あまりの瓦礫の多さにどうすることも出来ず、盛り土をして木々を植えました。50cm掘れば今でもその当時のままです。

 路面電車は原爆投下から3日目に、運転を再開しました。それが広島市民を勇気づけ、現在も路面電車を愛する気持ちに繋がっているのです。共にボランティアの方から聞きました。

 今朝の新聞には、原発事故で水道水にヨウ素が含まれているという報道がありました。遠くアイスランドのレイキャビックで、放射能を測定したというニュースもありました。

 東北、関東、日本というレベルでなく、水や空気は地球規模での話です。私たちは運命共同体なのです。

 何があっても、人は生きるために生きるほか無い。

 そんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えします。広島、長崎の人々がそうであったように。

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尾道

 昨日は朝から、四国へ。

 宝塚あたりで少し混みましたが、11時すぎにはうどんの「やまうち」に着きました。

 有名店だけあって、この時間でも席は埋まっていました。

 しょうがは食べる前に、自分ですりおろします。

 麺とダシ、それぞれの温かさが選べます。

 「ひやあつ」の特大と「しょうゆうどん」の特大、と大きな声で注文。

 母の実家のそばなので、時々来てますよ、みたいな感じで。

 こんな時、自分の俗物加減がいやになるのですが、それも含めてのやまうち。ちなみに地元の叔父さんは「麺が少なくなった」とやや否定的です。

 その後、祖母を訪ねました。

 大正13年生まれなので87歳。前回会ったのは、一昨年の夏だったでしょうか。

 一度脳梗塞で倒れてから、動きは随分遅くなりましたが、顔色もよく元気そうでした。

 祖父の墓へ参ると花が供えられていました。

 こんぴらさんが見える、田んぼのなかにあるのです。

 「誰か参ってくれたんかな」と妻に言うと、お彼岸だから、と。

 言われて初めて気づきました。温かいわけです。

 香川を後に、愛媛の今治、しまなみ海道を経由して、尾道へ。

 あいにくの雨模様でしたが、一度行ってみたかったのです。

 ラーメン、大林映画などありますが、真近に迫った瀬戸内海と、坂に張り付くような街。その急峻さは想像以上でした。

 長崎、函館、神戸。坂と海のある美しい街は多くあります

 見上げれば迫る坂、振り返れば海。そのコントラストが、旅情を掻き立てるのでしょうか。

 大阪で育った私には、より一層なのかもしれません。

 尾道のすぐ西の街、三原に泊まり、今日は広島へ行くつもりです。実は生れて一度も、原爆ドーム、平和記念公園へ行ったことがないのです。

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神戸クルーズ

 昨日と打って変わって、今日は快晴でした。

 

 ルミナス神戸2は「国内最大級のレストランショップ」とwebサイトにはあります。

 クルージンクグをしながら、買い物をしたり、食事をしたりする船で、メリケンパークから出航しているのです。

 

 弟がチケットを持っているからと誘われ、二家族で行ってきました。

 カップルが多いのかと思うと、意外に家族連れも多く乗船していました。

 神戸港には川崎重工を初め、造船会社が多くあります。昔は良く釣りに来ました。

 メンテナンス中なのか、潜水艦も浮かんでいました。ちょっとワクワクします。

 2:00pm、4:00pm、7:00pmの3つのコースがあり、2時間ほどかけて、明石大橋まで回ります。

 私達は4:00pmの便でした。

 子供達は、さんざんはしゃぎ回っていました。

 6:00pmに港へ戻る頃、ビルの合間に夕日が沈んで行きました。

 夕食は、少し北にある南京町へ。メリケンパークから、1km程でしょうか。

 連休の最後で、結構な人出でした。

 店頭販売も良い感じでしたが、子連れの1kmで親達はやや疲れ気味。

 西安門付近の店へ入ったのです。

 夜景が美しいのは、街の雑然としたところが隠されるからだと思っていました。

 数年前に「夜景は最も美しい照明。その訳は、それぞれの光に、それぞれのストーリーがあるから」という話を聞きました。

 明るすぎる事に問題はありますが、求めるから光はあります。

 それは、人の生そのものだったのです。

富士山

 この夏期休暇の間、山梨県へ行っていました。

 出発した8/14(金)は、地震の影響で東名高速の袋井~焼津間が不通。渋滞予想もあったので、3:45amに大阪をでました。

 不通の区間は下道で移動です。ドライブがてら、県道を遠回りしてみました。

 静岡だけあって辺りは一面の茶畑。

 焼津から高速に乗りなおし、富士ICを降りたのが10:00am頃。

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 この日は生憎の曇り空。景色はあきらめて、牧場に寄りました。

 乳搾り体験は終わっていたので、子供には練習機で。

 富士五湖をぐるりと回って5:00pm頃、ホテルに到着しました。

 8/15(土)は朝から晴れ。しかし富士山だけはスッポリと雲の中。

 今年に入って、4日見に来ましたが、まだ一度も山頂を見ていません。何とか見れないかと、5合目まで上がってみました。

 ♪頭を雲の上に出し~♪

 とはならず、これも駄目。登山する人達の多さに圧倒されて、早々に退散です。

 最終日に期待して、夕食は山中湖畔のレストランへ。

 甲州牛の陶板焼きは5000円。この焼き方が名物のようです。

 ちょっと奮発しましたが、かなり満足の味でした。

 食後、夕涼みに浜辺へ。

 いつの間にか雲がとれていました。

 暫くの間、感激です。

 8/16(日)は打って変わって朝から快晴。

 近くにある、森の中の水族館へ。

 ここは淡水魚専門の水族館でこじんまりとして中々に良いのです。
 

 水盤のある公共施設は数有れど、水とここまで密接な建物は中々無いと思います。

 木陰から、水中をのぞいている感じなのです。

 山中湖花の都公園は、ヒマワリが一面に咲き、素晴らしい景色でした。
 
 今回は富士山を見る旅。

 やはり、日本一以外に例えようの無い、流石の美しさでした。