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かわちいもじは鐘を金にかえる‐1908‐

週末、松原へ出掛ける用事がありました。

妻の買物中、周辺を歩いていると迫力満点の建物をみつけました。

松原市民図書館は、池の真ん中に建っています。

池を望む席は特等席。

今度は内部ものぞいてみたいと思います。

309号線をさらに南に下ると黒姫山古墳があります。

5世紀中頃の前方後円墳です。

周りには堀も残っていました。

周辺には陪塚跡も発見され、あたりはひとつの「墓域」を形成していたことが分かっています。

隣あう公園はクローバーの花が咲き乱れ、さながらモンゴルの草原のようでした。


行ったことはありませんが。

近くにある「M・Cみはら」では、 黒姫山古墳 の出土品がみることができます。

Museum(博物館)とCommunity(交流)のM・Cだそう。

24領もの甲冑が発見されたそうです。

この地域に住んだ丹比(たじひ)氏は、強大な権力を持っていました。

これらの出土品がそれらを物語っているとありました。

また、平安時代から鎌倉時代にかけて、堺市美原区・東区、松原市などには、 河内鋳物師 (かわちいもじ)といわれる鋳物師集団が活動していました。

鋳物は鉄や銅を溶かして型に流しこむ方法です。

彼らが製造した梵鐘が、西日本各地に残っているそうです。

鎌倉幕府の成立をきっかけに、関東でも鋳物技術の需要が生まれます。

多くの河内鋳物師が移住しましたが、鎌倉の大仏にも彼らが関わりました。

ヒッタイト王国は、オリエントで初めて鉄製の武器を使用したと言われます。

その製造方法は国家機密とされていました。

馬と戦車の扱いにもすぐれ、前16世紀には強国だった古バビロニアを滅亡においやります。

しかし鉄製武器はオリエント全域に広まります。前12世紀、海の民によってヒッタイトは滅ぼされるのです。

力による支配は、いつか終わりがくるのは歴史上、疑いようのない真実。なのに歴史はなぜ繰り返されるのか……

おそらく武器の製造によって進歩した鋳物の技術を、梵鐘や鍋釜の製造に活かした河内鋳物師。

軍需産業が、多くの進歩と、多くの富を生むのは間違いないところです。

技術は独占しておきたい。しかしそれは難しいのです。ならどう生きるか。

そこで鐘を金に換えるとは……流石は関西人。勉強させてもらいました。


■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■  『建築家・守谷昌紀TV』 開設

■ 『ESSE-online』にコラム連載

4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■5月13日『homify』の特集記事に「アンティーク雑貨のある家」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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