大谷選手のドジャース行きが決定しました。
選手としてのピークを迎えていることを考えると、実際にロサンゼルスへ観戦に行くか、そうでなければ観戦できる方法を考えなければなりません。
先日のサッカー日本代表の中継問題ではありませんが、最高レベルのスポーツが無料で観れる時代は終わったようです。
さて、どこと契約するか……
大谷選手は年に100億円を得る契約で、こちらは年に1、2万円を払う契約問題ですが。
前回、阪和貨物線は大和路線の加美駅と、阪和線の杉本町を結んでいた貨物線と書きました。
2004年に閉鎖されましたが、実際には大和路線の八尾駅が起点だったようです。失礼しました。
前回に続いて、平野川あたりから更に南に下ってみます。
このあたりは住宅街の中を通り、草に覆われているところが大半です。
ただ、中には駐車場などに利用されている所もあります。
購入できるのか、賃貸なのか分かりませんが、これだけの土地なので、JR西日本も何かしら利用したいところでしょう。
長吉出戸公園は、線路跡に対して駅のような位置関係にあります。
何か付帯施設があったのかもしれません。
もう少し南の長吉出戸2丁目あたり。
踏み切り跡のレールは撤去されていますが、10年くらい前まではレールも残っていました。
線路跡は南にまっすぐ伸びていますが、地下鉄の出戸駅上で長居公園通りと交差します。
その線路跡と道路の間にある、わずかな隙間に建てられたマンション。
間口は2mちょっと。
このマンション、以前も紹介してことがありますが本当に逞しい建物です。
南北に交差する長居公園通りが、高架になっているのは阪和貨物線を越すためです。
自転車も越えられるよう、巨大な歩道橋があるのですが、現在は閉鎖されています。
ということは、この高架も現在は無用の長物になってしまいました。
高架を通過した阪和貨物線は、ここから大和川沿いまで、更に真っすぐ南へ進みます。
柵の跡だったり、電気設備を置く基礎のような物も残っていました。
進行方向右手、西側に大阪市内最大の霊園、瓜破霊園が見えてきました。
瓜破霊園の外周に沿うように、緩やかに西に向きを変えて行きます。
そして、生駒山麓から流れてくる大和川に沿うように、土手の北側を大阪湾に向って進んで行くのです。
中高野街道と大和側が交差する、高野大橋までやってきました。
西を見ると少し先に、阪神高速松原線が見えています。
この辺りは、幼少期の遊び場圏内でした。
4つくらい上に近所の悪ガキを束ねるリーダーがいました。
小学6年生から小学1年生まで、10人くらいが集まり、いつも一緒に遊んでいました。
列車の通らない時を狙って、この土手で段ボールの草ソリをしていたことを覚えています。
いま考えると、かなり恐ろしいですが。
この悪ガキリーダー、ちょっと悪いことが大好きです。
阪和貨物のレールの上に釘を置き、ぺちゃんこにして手裏剣のようなものを作っていました。
もう完全に犯罪ですが、子供のころはそういったタイプが人気者なのです。
特に評判が良い訳でも、悪い訳でもない、阪和貨物線跡をめぐる旅の2回目。
ロサンゼルスから、超大阪ローカルの話で失礼しました。
折角めぐって来たので、もう1回だけお付き合いください。
■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン
■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■10月11日『homify』の特集記事に
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載