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春はあげもの、秋はまきもの‐1526‐

 昨年だったか、電車の中吊りで「春はあげもの」という広告を見かけました。

 ハイボールの宣伝だったと思いますが、もちろん枕草子の冒頭「春はあけぼの」に掛けてのコピーです。

 思わずくすりとした人が沢山いたのでは。秀逸でした。

 先週は国道169号線で崩土があり、目的地にたどり着けず。

 今週は、無事復旧工事が終わっていました。

 2ヵ月振りに訪れる奈良県下北山村の池原ダム。

 ボートであちこちと移動しながら釣るのですが、秋の湖上は素晴らしく気持ちが良いのです。

 バスフィッシングで聞く言葉に「秋はまきもの」があります。

 ルアーは大きく分けると、ソフトルアーとハードルアーがあります。

 ソフトルアーはポリ塩化ビニルで出来ているものが多く、消しゴムの柔らかいものを想像下さい。

 ハードルアーは、文字通りプラスチック、木、金属等でできています。

 人の方で動きを付けなければ、魚がエサと勘違いすることはありません。これらの一部を「巻き物」と言ったりするのです。

 水温が下がり、魚が動きやすい季節になると、バスはエサを求めて広範囲を回遊するようになります。

 今年は台風が続いたので濁りが残っており、こういう状況も巻き物が効くケースです。

 水通しのよい、岬まわりでいきなり来ました。

 クランクベイトの中でも5m潜るタイプを選択。

 急な冷え込みで、かなり深いレンジに居るようです。

 その後、上流部、中流域もチェック。

 とにかく釣るだけなら、ソフトルアーに軍配が上がりますが大きさは35cmまで。

 昼食休憩のあと、少し曇ってきたこともあって再びクランクベイトを巻きます。

 3本程続けてきました。くれば40cm以上で、今日はこちらが正解のようです。

 午前中にみつけたような条件を探して釣っていると、この日最大の魚が。

 45cmのコンディションのよい魚でした。

 すっかり日暮れも早くなり、16:30にはボートを上げたのです。

 「秋は巻き物」はいわゆるセオリーです。「春はあげもの」に続けたので、食べ物を想像させた人には失礼しました。

 セオリーはいつも効く訳ではありませんが、先人の経験則でもあります。

 ただ信じるだけでは駄目だし、否定的な見方をしても価値は生まれないと、この日も痛感したのです。

 何より、軸がなければ比べるという行為が発生しません。この部分がセオリーの最大の価値なのだと思います。

 スティーブ・ジョブズは数学を例にとって、こんな表現をしています。

 クリエイティブな人というのは、先人たちが残してくれたものに感謝したいと思っているはずだ。

 僕が使っている言葉も数学も僕が発明したわけではない。同じ人類の先人たちが作ってくれたものなんだ。

 勝者のメンタリティには、常にどこかに謙虚が隠れています。

 そう在りたいと、心から願うのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm「回遊できる家」放映

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『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<&lt;/a&lta</

岩をもうがつ強い意思、そして心に花を‐1525‐

 10月8日(祝・月)は快晴でした。

 台風通過の影響で、気温は30℃近くまで上昇。

 汗ばむ程の陽気になりました。

 久し振りに奈良の湖へ行くつもりが、169号線が崩土によって通行止めに。

 何とも言えない気分ですが、直接出くわさなかっただけでも、幸運だったと思わなければなりません。

 Uターンして奥吉野の川上村、柏木というエリアまで戻ってきました。

 以前観たテレビ番組で、紀伊半島には神奈川県と同じくらいの巨岩が埋まっていると紹介されていました。

 巨岩が多い理由は忘れてしまったのですが、確かに大きな岩が多いと思います。

 この山頂部に見えているのも一枚岩のよう。

 こちらは下北山村の景色ですが、これもおそらく一枚岩だと思います。

 紀伊半島南端にある「古座川の一枚岩」も日本最大級とされています。

 専門家ではないので絶対とは言えませんが、これもそうなら古座川の一枚岩と遜色のない程の大きさです。

 また柏木には、「不動窟」と言われる鍾乳洞があります。

 急に時間ができたので、のぞいてきました。

 受付を済ませ、レストハウス横の長い階段を降りていきます。

 山腹にぽっかりと口が開いていました。

 天井の低い所もありますが、かなり広い空間が広がっています。

 修験道(しゅげんどう)の行場としても知られているそう。

 最奥には、轟々と音を立てて流れる滝がありますが、ちょっと怖いほどの迫力でした。

 この滝の水源がどこにあるのか、またどこへ流れていくのかは、まだ分かっていないそうです。

 その脇に祭られた不動明王。

 恐ろしげな表情でにらみをきかせています。

 硬い石を水が延々と削り、このような空間が生まれました。

 20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチは「石は地球の骨である」と言いました。

 彼は石にノミを入れる時、飛び散った破片が目に刺さろうとも、更に顔を近づけ、ノミと人間が一体となって石に挑む瞬間に目をこらすことをやめなかったと言います。

 その写真を見たことがありますが、まさに鬼神の表情でした。

 ヨーロッパなら石積みの城に、日本においても城郭の石垣にと、石は最も硬く、強い材として建築にも使われてきました。

 また、磨けば極めて平滑になるので拭き取りやすく、清潔を求められる場所でも重宝されます。

 いわば究極の材なのです。

 鉄筋コンクリートは、石に対する憧憬から生まれたと言っても過言ではないでしょうし、私は人が作る石だと考えています。

 里山風景の中にコスモスを見つけました。

 現実というものは、なかなかに厳しいものです。

 困難を克服し、更に前進するには、岩をもうがつ強い意志を持っていなければなりません。

 ただ、心には花を持っていたいと思っています。

 ささくれだった心では、やはり真実を見抜くことはできません。ただ一輪でも花を持っていたいと思うのです。

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晴れの日も、土砂降りの日も‐1508‐

 世はお盆休みです。

 建築業界では、15日(水)あたりまでを休暇とする会社が多いでしょうか。

 週末は長男と休みが合い、池原ダムへ行っていました。

 6月に行った前回から、面白さのステージがひとつ上がったようで、「行こうか?」と聞くと即答でした。

 気温的には30℃を越えていますが、滝からは谷筋の涼風が吹き降ろします。

 おのずとそんなポイントを回るのは、こちらの都合と魚の都合が一致するから。

 木陰に人が集まるように、条件が厳しければ魚の居所は絞りやすいのです。

 長男も今までで一番釣っていました。

 面白いと思えば、自分でしてみたくなります。

 ようやく一通りのことが出来るようになりました。

 暑い暑いと言っているううちに、山上湖では結構な数のトンボが飛んでいます。

 暦の上では立秋を過ぎました。

 長男も満足していたので、この日は昼前に上がりました。

 こうしてスロープでボートを上げ下ろしして貰います。

 セルモーターが回らない場面があり、湖上で少し慌てました。

 ボートもここに駐艇しているのですが、店長がエンジンを見てくれました。

 エンジンをかける時、セルモーターのギア部分がせり上がるのですが、そこがスムーズに動いていなかったようです。

 丁寧にグリスアップしてくれました。

 機械はいつも私の都合に合せてくれますが、メンテナンスをしなければ、言うことを聞いてくれないものです。

 昨年のお盆休みは、トレジャーキッズたかどの保育園の追い込みで、47都道府県制覇の旅を年末に延期しました。

 今年もあるプロジェクトの追い込みです。

 休んだお盆も多々あるのですが、何故か仕事をしている場面ばかり思い出します。人は本当に弱いものです。

 27歳から3年程の間、ひどい鬱に悩まされていました。

 何件かの病院で診察を受けましたが、こんなことを言ってくれた先生がいました。

 「あの人は何故あんなに休みがあるのだろうとか、何故若くしてあんなに給料を貰っているんだろうとか、人はどうしても周りと比べてしまう。

 それがストレスになって、精神をむしばんでいくのだろうね。

 でも、それは当たり前だから、趣味が一番で仕事が二番くらいの考え方が良いだろうね」

 解散してしまったSMAPのヒット曲ではありませんが、人はどうしても人と比べたがるのです。

 それらを認めた上で、自分の生き方、働き方を決めなければなりません。

 仕事があるうちが花。また、今週末も旅行が控えています。また、何としても完結させなければなりません。

 人は比べたがります。でも比べないと決めるしかありません。

 晴れの日も。

 土砂降りの日も全て受け入れて、自分の道を行くしかないのですから。

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日本最強の城で、開高の言葉を思う‐1502‐ 

 埼玉県熊谷で41.1℃を上回り、日本最高記録を更新したとありました。

 クーラーがなければ生命の危険さえあるという時代になってしまいました。

 普段の暮らしで我慢する必要はないと思いますが、今回の天災時のように、電気の供給がままならない事もあります。

 夏の光は最小に、冬の光は遮らない。風が流れやすい開口部を切る。建築に関わらせて貰う以上、これらは常に探求していかなければならないと感じます。

 「日本最強の城」というノボリをみつけ、奈良県の高取城址へいってきました。

 山道に入った途端に道が狭くなり「もしや険道か」と一瞬思いましたが、何とか到着。

 高取山(583.9m)の山頂付近にあり、日本最強をうたう山城が高取城です。

 城内は約10,000㎡、周囲約3km。

 広大な城内は、山頂付近の3,000坪にも及びます。

 壺坂口門から、木漏れ日が落ちる山道を500m程登ります。

 山頂付近の3,000坪が全て城。

 急峻な山肌の至るところに石垣が築かれています。

 ただ登るだけで息がきれてきますが、涼し気な景色に救われます。

 山頂付近に近付くと、急に視界が開けてきました。

 やっと天守閣址かと思うと、これは太鼓櫓。

 裏手に回ると東洋のマチュピチュと言われた、別子銅山を思い出します。

 櫓上に登り、振り返るとようやく本丸。

 手前が二の丸で、家臣たちの屋敷があった場所。

 とても見難いのですが、右下に居る人の身長と中央の大木を比べてみて下さい。

 石垣をみて「うわっ」と声を出してしまったのは初めてです。

 正三角形よりきつい角度で、石垣が10m積み上げられていました。

 その景色は圧巻でした。

 左側面から登りますが、標識を持っているのは熊。

 スーパーKなる人を襲う熊が話題になる時代です。ちょっと冗談きついわ、という感じ。

 ちなみに、8m飛ぶ熊撃退スプレーは持っていませんが、2~3m飛ぶ唐辛子スプレーは持ち歩いています。

 非常時にこれで撃退できるかは、普段のイメージトレーニング次第。

 動線を複雑にするため、曲輪が複雑に配置されています。

 14世紀に築城され、明治期までに自然倒壊したそうです。

 現在は木が生い茂っていますが、是非その姿を見たかったもの。

 標高583.9mにある、天守閣跡に到着しました。

 壺坂口門から20分くらい掛かったでしょうか。

 正面の大木裏を恐る恐るのぞいてみると、足がすくむ程の高さです。

 手摺がないこういった景色を、現代人はなかなか体験することができません。

 北には奈良盆地。

 南には吉野の山並みを望みます。

 この上に3層あったという天守閣からの眺めは、いかばかりのものだったのか。

 真っ二つに割れている木が結構ありました。

 落雷によるものでしょうか。

 この山頂部にある広大な本丸で、多くの人が暮らしていたのでしょう。

 井戸跡には、清いとまでは言えませんが、この日照りが続く中、水がにじんでいました。

 難攻不落というか、甲冑を来た武士がたどり着くだけでも大変なこの高取城。

 どうやら先月、NHKの番組で熊本城や大坂城を押さえて「最強の城」と認定されたようです。

 この山奥で、それなりの人とすれ違った理由と、真新しいノボリがあった訳が理解できました。

 石垣の上に古瓦が置かれています。

 足下を見れば石に交じってあちこちに。

 城郭に使われていたものでしょうが、分別解体した訳でもないのに、石垣以外、すべて自然に帰って行くのです。

 改めて、石の強さと、自然素材で作る意味を考えさせられます。

 永遠である必要など全くありません。

 作家・開高健は「河は眠らない」でこんなことを書いていました。要約してみます。

 木が倒れ、朽ち、苔が生え、微生物が繁殖し、バクテリアが増殖し、土を豊かにする、小虫がやってくる。

 小虫を捕まえるためにネズミなんかがやってくる、そのネズミを食べるためにまたワシなんかの鳥もやってくる。

 森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする。全てはつながりあっているんだ。

 風倒木のことを、英語でナースログと言う。森の看護をしているという意味で、自然にとって無駄なものはひとつもない。

 無駄に見えるけど貴重なものは沢山ある。人にとってのナースログとは?

 無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。

 人は分からない中でも、何かしらの決断をしながら生きて行かなければなりません。

 悩んだとき、迷った時は、原理原則に戻る、太古に戻ることにしています。

 自然だけが素晴らしいとか、人こそが素晴らしいというつもりはありません

 無駄をおそれてはいけない。軽蔑してはならない。大阪生まれの作家の言葉に、何か救われる気がするのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
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花には蝶が、臭いものには……‐1488‐

 2週前に、柿の葉寿司の「松屋」のことを書きました。

 その時、取材があると聞いたテレビの放送は5月19日(土)だったそうです。

 爆笑問題がMCをつとめる、「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」でした。

 バックナンバーに奈 良 県、柿の葉寿司とでていましたが、「ご当地魚めしグランプリ」でチャンピオンに選ばれたそうです。

 見ていると、バイクの一行も「ここ、ここ」と手で合図をおくり、少し先に停まりました。

 チャンピオンと聞くと更に食べたくなるのが人の心情。

 それは皆同じで、列までできていました。

 「今が一番いい時期で、柿の葉まで食べられますよ」と。

 実はこちらのお店、古い知人と繋がりがあるのですが、「たまにだけど店頭にでている」と。

 この時は不在でしたが、正直、かなり驚きました。

 そうなれば更にひと押ししたくなります。

 このあたりは景色も良いところです。気になる人は是非。

 昨晩、父の日、母の日会が実家であり、皆で集まっていました。

 魚が得意でない長男以外は、皆喜んでパクパクと食べてくれました。

 その長男ですが、昨日もクラブの卓球で帰ってきたのが夜7時前。

 思ったような結果が出なかったそうで、1つ下の従兄弟と実家の1階でさらに練習していました。

 好きなことがあるというのは、本当に幸せなことです。

 学年は1つ下ですが、誕生日は2ヵ月違い。

 本当によく似た背格好ですが、切磋琢磨して成長していって欲しいものです。

 長男が一度入ってみようと言った橿原にある海苔専門店の「植田商店」

 ご親族に、別の知人ですが旧友が居るそうで、「世間って狭いね」と言っていたのです。

 「類は友を呼ぶ」と言いますが、やはり同じようなタイプの人が集まるものです。

 食べ物の話の後で気が引けますが、始道塾の恩田さんはこう表現していました。

 花には蝶が集まり、ウンチにはハエがたかる

 失礼しました。

 しかし表現として秀逸です。良い人生を送りたければ、花になるしかありません。

 心は花のようでありたい。

 齢47ですが、これは真剣に思っているのです

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ギリギリ険道酷道‐1487‐

 昨日、今日と雨が続きます。

 今朝、食卓にイチゴがでていました。

 小振りだなと思って聞いてみると、「地物のいちごはこんなものよ」と。

 小振りで甘さ控えめ。近頃の果物は、どれもびっくりする程甘いので、これくらいが丁度良いのかもしれません。

 先日、車で現場を回っていると、燃料タンクのガソリンが底をつく寸前に。

 足りると計算していたのですが、走行可能距離が「1km」に。

 ガス欠は後が面倒と聞いていたので、まずはエアコンを切り、赤信号ごとにエンジンをストップ。

 ドキドキしながら、ガソリンスタンドに滑り込みました。

 街中なら何とでもなりますが、肝を冷やしたことがあります。

 20年程前、和歌山県の最南端にある、七川ダムへ妻とキャンプに出掛けました。

 高速が今ほど伸びておらず、大阪から4、5時間掛かったでしょうか。人は少なく、秘境と言って良い場所でした。

 大阪へ帰るには、海沿いの国号42号線に出たあと、2つのルートがあります。

 1つは西に回って、和歌山市を目指すルート。もう1つは、東へ回って熊野まで行き、紀伊半島中央を169号線で北上。吉野へ抜けるルートです。

 この時はお盆だったので、すいているであろう東回りを選択しました。更に、念には念をいれ、出来るだけ山側を抜けて、まずは新宮市を目指したのです。

 カーナビはありましたが、この辺りに来ると調子の悪いことが多く、この日も駄目でした。

 一本山側を走るだけなので、間違うこともないだろうと行くと、小さな村が見えてきました。

 通過する時、道端で話をしていたお爺さん達が、私の車を不思議そうに見ていたのです。

 以下のようなルートを通っていたのだと思います。

 ボートを積んでいたので「この辺りでは珍しいのかな」とか妻に言いながら通り過ぎました。

 少し行くと「車幅1.7m以上は通行不可」とありました。山道とは言え5、6kmのつもりだった私は、「大げさに書いているんだろう」くらいの気持ちでやり過ごしました。

 道幅が徐々に狭くなり、肌寒くなってきました。

 標高が上がったなと思っていると、道路の真ん中にコケが生えているのが見えました。初めて、道を間違っていることに気付いたのです。

 変わった滝があったので、その景色を覚えていたのですが、後で調べると「滝の拝(はい)」でした。

 日記の写真は自分で撮ったものと決めているのですが、当時の写真がなく……

 逆向きのルートでしたがこちらのサイトから拝借してきました。

 また、通過した集落は小川という村だったと思います。

 一旦止まって地図を確認すると、山中を北に向いて走ってきたようです。

 先は山の尾根を走る九十九折の道でしたが、瀞峡 のほうに抜けています。

 戻るという選択肢もありましたが、ガソリンが半分位になっており、そのまま行くしか帰る方法はないと判断しました。

 道は更に狭くなります。

 曲がりくねっていて、もうUターンできるような場所は一切ありませんでした。

 当時乗っていたハイラックスサーフは車巾が1.8m。

 確かに道幅は1.7m程で、冗談抜きでタイヤが路肩からはみ出していました。何度も、何度も降りて確認したのです。

 一台だけ出合ったバイクとは、あわやぶつかりそうになってバイクが転倒。

 起こしてあげると、逃げるように行ってしまいました。今思えば、一刻も早くここを抜けたかったのでしょう。

 断崖絶壁のがけにも係わらず、ガードレールが無かったり、岩盤が崩落した後の大きな岩が転がっていたり。

 夕暮れが迫り、更にガソリンは減り、道は細く、深いカーブの連続。

 もう神聖というより、薄ら寒いというか……

 間もなく国道168号線というところまでくると、ようやく景色が開けてきたのです。

 3時間くらい掛かって国道に出たとき、ブレーキを踏む右足はパンパンに張っていました。

 こちらの写真は昨年ですが、20年前はもっと悪路だったと思います。

 あの村で、お爺さんの顔を見たとき、どうして立ち止まれなかったのかと、何度悔やんだことか。

 もうガソリンが無くなるというタイミングで国道169号線に出ました。

 時刻は19:00頃。もう閉めようかというところで、この時程ガソリンスタンドに感謝したことはありません。

 調べていると「険道」「酷道」という言葉があるようです。

 和歌山県道43、44、45号線は、ちょっと知られた「険道」でした。

 また、紀伊半島の中央を、御坊から十津川温泉へ抜ける国道425号線は「日本三大酷道」のひとつだそうです。

 この道もハイラックスサーフで走っことがありますが、「国道だからって信用できないな」と思ったのです。

 今年、国道を169号線を走っていると事故渋滞につかまりました。

 少し戻れば、天川村を抜ける国道309号線があります。

 「待ってるくらいなら、少々険しくてもUターンして行ってみるか」と思っていると、車列が動き出しました。生来のギリギリ、険道、酷道好きなのでしょう。

 しかし命あってこそ。ほどほどにしなければと自戒しています。

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革命は小より起こる‐1485‐

 昨日の雨で、葉には雫が残っていました。

 清々しい朝でした。

 長男は奈良の中学校へ通っているので、朝7時前には家をでます。

 私は休みの半分を奈良の南部で過ごすので、なにかしらの縁があるのかもしれません。

 海に面しない古都奈良。○○ビーフなどあまり似合わないと思うのは私の思い込みでしょうか。

 三輪素麺の老舗「池利」も古いスキーの仲間ですが、これぞ奈良の名産品と言った趣きです。

 また、柿の葉寿司も名産品のひとつ。

 川上村にある柿の葉寿司の「松屋」

 吉野川が大きく蛇行する169号線沿い、川上村の大滝という所にあります。

 この辺りには柿の葉寿司を売る店が何軒か並びます。

 5月前半に立ち寄った際は、70歳前後の気さくなご夫妻がでてきてくれました。

 「進物でなければ上に置いてあるものが安いですよ」と。 柿の葉寿司、11個入りが1,100円です。

 話をしていると、「明日、テレビ朝日の取材があるんですよ。何でも、外国人の方が食べてみて、日本一美味しいと評価してくれたそうで……」と。

 いつも前を通過するのですが、時間帯が合わずで食べるのは今回が初めて。

 チェーン店のものは何度か食べましたが、流石は日本一の柿の葉寿司。

 柿の葉の香りがよく、塩がしっかり効いた〆サバと甘めの酢飯が絶妙。各段に美味しかったのです。

 地ものだというので、干し椎茸もかってみました。

 これもゴールデンウィークのことですが、長男のクラブがあり、それ終わりで橿原まで迎えに行きました。

 買い物をしていると、向かいに海苔専門店がありました。

 長男が「買物をしている間、店に誰も入らなかった」と言うのです。

 で「可哀想だから何か買ってあげよう」と。

 なかなか高級そうな店ですが、子供達にはそんな事は関係ありません。2人とも海苔が大好きなのです。

 店内の雰囲気は、なかなか好感がもてます。

 溌剌とした店主に聞くと、主に寿司屋さん等の専門店に卸しているそう。

 店構えというのは正直なものです。仕事に困っていたら、ここまで手を掛けることはできないでしょう。

 上手くいっているんだろうと想像はしていましたが、ほっとしました。

 いやいや、明日は我が身と思い、心配して貰わなくて済むように、日々頑張るだけですが。

 有明産とのことで、娘は塩のりを購入。

 長男はこちらの梅のり。

 そこそこのお値段でしたが、美味しかったようです。

 「松屋」のある川上村のwebサイトに、「2045年の人口は270人になると予想され、その減少率は全国で一番高い」とあります。

 村長は続けてこう語っています。

 それにしても、あえて御幣を恐れずに言うと、今回の「報道」そのものに違和感を覚えます。もちろん報道の使命もその役割も十分認識していますが、今回この結果を報道することで「地方創生に水をさす結果にならないか」「その地で〝今〟を生きる人たちの希望はどうなるのか」等々、あまり好ましくない影響を与えるように思えてなりません。

 都市計画のある説で、「自然災害で壊滅的なダメージを受けた都市と、そうでない都市の10年後は、前者のほうが発展を遂げる」というものがあります。

 海のない奈良に美味しい柿の葉寿司があり、こだわりの海苔を売る店が立派に商いをしています。

 データやマーケティングを無視するつもりはありませんが、それが全てなら、いつも有利なものが必ず勝つことになります。

 しかし、人にはバイタリティや意思があります。少々の困難は、むしろ発奮材料。〝今〟は、過去とも未来とも違うのです。

 中国のことわざに、「革命は小より起こる」というものがあります。

 主流派ではなかった者のたわごとかもしれませんが、生きるということはそういう事だとも思っています。

 頑張れ栗山村長。本当に陰ながらですが応援しています。

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『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a

子供ってのは、預かりもの‐1480‐

 連休明けの月曜日、大阪はしっかり雨が降りました。

 そのぶん、ゴールデンウィーク後半は天気に恵まれ、絶好の行楽日和でした。

 私たちは、奈良の池原ダム近くのバンガローを取っていました。

 いつもは夜に走る東熊野街道(169号線)も、昼に走ると新緑が目に痛いほどです。

 少し余裕があると全く違う景色が見えてきます。

 前回に続いて釣りですが、今回は多少趣きが違います。

 家族の反対を押し切って、船を乗り換えた結果を出さなければなりません。

 結果とは「楽しませる」と「釣らせる」です。

 子供たちはスピード大好きなので、湖面を滑走するだけで喜んでいました。

 むしろ、そっちの方が楽しいようですが。

 長男と同船するのはいつ以来か。

 受験、中学に入ってのクラブ活動と忙しく、3年振りくらいでしょうか。

 今回は幸先よく、1尾を手にしてくれました。

 「魚はお父さんの大事な友達なので」とずっと言ってきたので、リリースは丁寧です。

 今回は家族に楽しんで貰う釣行です。

 昼は早めに上がって、ぱぱっとパスタを作りました。ソースはレトルトですが。

 夕方の部は、妻と長男。

 妻と釣りをするのも、2005年に長男の生まれる前以来です。

 ということは13、14年振り。

 それまでは結構一緒に行っていたものです。

 僅かの時間でしたが手早く2尾をキャッチ。

 母親の面目躍如です。

 夜は、家族3人を温泉に行かせ、本気モードで、最速、最善を尽くして食事の準備をしました。

 たかが炭火焼、されど炭火焼です。

 渾身の焼き鳥とステーキを、3人とも喜んで食べてくれました。

 2日目の朝の部も、長男、娘と早起きして湖上にでました。

 以前はそこまで熱心でなかった長男ですが、中学生になって色々なことの呑み込みが早くなった感じ。

 今回の最大のサイズをキャッチ。全て自力で釣りあげました。

 こうなってくると娘に釣らせなければ、ヘソを曲げてしまうパターンです。

 多少裏技を使ってまずは1尾。

 そしてもう1尾は、正真正銘、全て自分で釣りあげました。

 これで最低限の任務は完了です。

 船上で湯を沸かし、インスタントラーメンと、お父さん特性のチーズレタスサンドの昼食です。

 娘はカップラーメンが辛すぎて嫌いなのですが、何とか食べられると分かったのがチキンラーメン。

 安藤百福さんに感謝です。

 反対に、長男はカレーヌードル大好き。これも日清とは、やっぱりすごいメーカーです。

 バックウォーター(最上流部)での冒険アトラクションも忘れてはなりません。

 オールを使っての急流下りも必須なのです。

 サルなどが出てきてくれると、更に雰囲気は盛り上がります。

 この時期は子ザルが多いので、出会える確率がぐっと上がるのです。

 私は自然の中に居るのが好きだし、この大自然を子供に見せてやりたいと思っています。

 また、深く自然と関われる釣りの楽しさも伝えたいとも思っています。

 現地で話した、同年代の子供を持つ男性が「釣らせたいから、もっとこうしなさい、ああしなさいというと、最終的には一緒に来てくれなくなった」と言っていました。

 よく分かります。

 親とはそういうものです。

 ビートたけしは、こんなことを言っていました。

 子供ってのは、預かりものだと思わないと。

 出来ているかどうかは別にして、この感覚もよく理解できます。子は自分の所有物ではないのです。

 神様なのか、天からなのか、お預かりし、何とか世の役に立てる人にしてお返しする。

 それが親としての究極の理想だと私も思います。

 長男の身長が160cmになり、足のサイズは私を超えました。

 中学2年生と言えば14歳になる歳です。大学で家をでるなら、一緒に暮らすのはあと5年弱。

 預からせて貰う時間も、終盤に入りました。

 力みすぎるでなく、達観するでなく、自分にできることをしたいと思うのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
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竹内街道から古都の秘密にせまる‐1175‐ 

 この日記も10年を越え、正確には分かりませんが、200~300名くらいの方に読んで貰っているようです。

 しかし、アクセスの少ない回には傾向があります。

 その一つが歴史の話。前回も普段から比べるとやや少な目でした。

 前回、聖徳太子廟のある街、太子町について書きました。今回も懲りずに、古都・奈良の秘密に迫ってみたいと思います。

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 太子町には多くの古墳が残りますが、少し視野を広げてみれば、竹内街道周辺に多くが集っています

 堺から明日香村に至る竹内街道は、日本初の官道と言われます。

 山川出版の日本史によると、3世紀から4世紀にかけて、瀬戸内海沿岸から畿内にかけて、古墳が発生しました。

 これは、弥生時代の共同墓地とは異なり、権力者が多数現れたことを示します。

 多くの古墳がある大和を中心とし、4世紀中頃、豪族達が連合して大和政権が起こったと考えられています。前回書きましたが、皇室の祖先にあたります。

 魏志倭人伝に邪馬台国の卑弥呼が登場するのは3世紀のことで、その後の時代の話です。

 大和政権は、権力争いが絶えないなか、中央集権化を進めて行きます。

 7世紀初め、混乱の中即位した女帝、推古天皇は甥の聖徳太子を摂政とし、律令国家を目指しました。

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 そんな時代、小野妹子を隋に遣わせます。

 この時代、文化の進んでいた大陸と船で繋がり、シルクロードの終着点となったのが大和の地でした。

 東京オリンピックに際、新幹線の完成を急いだように、隋からの国賓を迎える為、急ピッチで進められた国家プロジェクトがが、竹内街道だったのです。

 では、なぜ都がこれほどまでに、畿内に集中していたのか。その訳は、旧石器時代にまで遡ります。

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 竹内街道のすぐ北にある二上山で、サヌカイトという石がとれました。この、矢じりなどに適した石は、二上山産が広い意地域で見つかっています。

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 更に、古墳時代に移ると、石室などに使う、加工しやすい凝灰岩が必要になります。

 あの2こぶラクダのような形状は、富士山と同じように、噴火によって形成される形です。

 古代、二上山は火山だったので、灰が固まった凝灰岩を多く産出しました。よって、多くの石切り場跡も確認されているのです。 

 7世紀中頃、大化の改新のあと、都は難波の宮、現在の大阪城南に移されます。

 その後、主なところでは、近江宮(大津市)、藤原京(橿原市)、平城京(奈良市)、紫香楽宮(甲賀市)、難波京(大阪市)、長岡京(長岡京市)、平安京(京都市)と、天皇が変わるたびに、都は移ります。

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 緑のエリアが都の跡ですが、大阪の難波宮、奈良の平城京、明日香、橿原の藤原京と、これらを結ぶように、大道が発達していったのです。

 明治を迎えるまで、概ねは日本の都は奈良、京都、大阪、滋賀と、常に畿内にありました。広辞苑には、畿=帝都から500里(200km)四方とあります。

 サヌカイト、凝灰岩が、人をここに集め、後に都へと発展して行ったと考えると、辻褄があいます。

 では、なぜ大阪平野より、奈良盆地、京都盆地に都が多かったのか。当時の地形を想像すると分り易いかもしれません。

 水都大阪というサイトにありました。

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2015_0608古代大阪湾 - コピー

 古代からの大都市は、ローマ、長安、パリ、ロンドンなど、全て内陸の大河沿いにあります。

 水は人が生きる為に必須で、水運の重要さは、現代の比ではなかったはずです。

 しかし、大阪平野なら、繰り返し水害をもたらした大和川を、秀吉が付け替えたように、水害の被害も、現代の比でなかったと考えられます。

 堺は急深の良港だったのが、この付け替え工事により土砂が堆積。港としての価値を急速に失って行ったのは皮肉なところ。

 利休を自害に追い込んだのも秀吉で、堺と秀吉は相性が悪かったのでは、というのが歴史のサイドストーリーです。

 京都の鴨川も、暴れ川だったとの記述もあるように、枯れることのない水量と、氾濫の頻度のバランス、そして外敵からの防御。

 それらの総合点が最も良かったのが、奈良盆地だったのではと想像しています。

 奈良はリニアモーターカーの駅で京都と綱引きをしています。

 勿論、駅が出来るに越したことはありませんが、何千年も日本の中心だった理由を探求し、もっと伝えていけば、世界一の観光都市、京都を凌ぐ可能性も十分にあるのでは。

 奈良の秘密に迫る。いかがだったでしょうか。 

奈良には冬が良く似合う‐1122‐

 先週は、法隆寺の宮大工、西岡常一から、弟子となる小川三夫への手紙について書きました。

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 実物を見たくなり、奈良県斑鳩町へ。家から西名阪で30分程です。

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 607年、聖徳太子が建立した現存する世界最古の木造建築。日本初の世界遺産でもあります。

 柳のようなしなやかさで揺れをやり過ごす考えは、日本初の超高層ビル、霞ヶ関ビルにも応用されました。

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 五重の塔の高さは約32m。中央を貫く芯柱は他の構造体と触れていない事で知られます。

 揺れの周期が違うことで、運動エネルギーを打ち消しあっているのです。

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 1400年もの昔、構造解析など無い時代に、どのような経緯でこの構造体は生まれたのか……

 子供達の名前も記載できるとの事で、瓦を1枚寄進してきました。

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 その後、明日香村まで移動。子供はマイ自転車で、大人はレンタルで、大和路を走ってきました。

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 石舞台、亀石、高松塚古墳。

 何故か奈良へ出掛けるのは決まって寒い季節。奈良は冬が良く似合うのです。

 「鬼」と言われた宮大工、西岡。その話を子供にしていると、長男からこう聞かれました。

 「お父さんは仕事の鬼?」

 ここでひるんでいては。「もちろん」と答えました。

 広辞苑には、天つ神に対して、地上などの悪神、邪神とあります。その恐ろしい形相から転じて、何かに精魂を傾ける人を指すようになったのでしょう。

 楽しんで働くのも正なら、鬼の形相になるのもまた真。

 古い考えかもしれませんが、仕事人にとって「鬼」は最高の褒め言葉でしょう。