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誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 応募のストーリー‐2186‐

昨年の秋、ENGINEという雑誌から「誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」という企画があるという案内が届きました。

なぜメールアドレスを登録していたのか覚えていないのですが、ざっと内容を読むと「私の為にあるような企画」と勝手に思い、締め切りをメモしていました。

締め切り日になったので、バタバタと書きはじめると、写真1枚、文章は400文字とあります。

私のディスカバリー愛を綴るには少なすぎる……というのが正直な気持でした。

折角なので送ってみたのですが、先週金曜日に公開されていました。

【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 epilogue】

しかし、実際に取材となった3件には選ばれませんでした。

ちょっと残念なので、イメージしていた「私のディスカバリーストーリー」をUPしてみます。

はじめてディスカバリーがやってきたのは、2011年の5月。40歳の時でした。

20年に渡って、2台のハイラックスサーフを乗り継ぎました。

若いころ大好きだったハイラックスサーフの後は、この車しかないと思っていたのです。

1989年に誕生したディスカバリーは、この型で第3世代になります。

この世代のフロントまわりのフォルムを見ると、最高に心ときめきました。

ENGINEにもある通り、「比類なきオフロード性能」を早速フルに発揮してもらいます。

2011年1月の蓼科高原です。

2012年の9月。

ハイラックスサーフと同様、キャリアーを取付け、ボートを積んで日本海へ。

海を見ながら、現地で獲れたものを食べるのは最高なのです。

2015年6月の池原ダム。

後部がフルフラットになるので、子供がかなり大きくなるまで、2人で十分寝れました。

この広さは、角ばったボディと背の高さが必要です。

それを、美しさ、運転性能とともに成立させているのが、ディスカバリー最大の魅力だと思っています。

5年乗った緑のディスカバリーは、乗り換え時に「さらば、緑のディスカバリー‐1327‐」という記事をUPしました。

なので、軽めにしておきます。 

そして、紺色の第4世代がやってきたのが2016年12月。

2017年5月。すぐにボートを積まれ、奈良県の七色ダムへ。

2018年の1月、「家族で47都道府県制覇」のために、大雪の蔵王へ。

かなりマナーの悪い車とでくわし、あやうく大事故になりそうな場面もありました。

2018年にバスボートを購入し、今度は牽引に変わりました。

流れは忘れてしまいましたが、ナンバープレートを貰うため、南港の近畿運輸局まで行ったこともありました。

2019年の1月は木曽福島へ。

オフロードカーは、やはり自然が良く似合うのです。

その後すぐに出掛けた伊豆半島の旅では、路肩にタイヤをぶつけてしまい、JAFにタイヤ交換して貰ったこともありました。

2024年8月、南紀白浜です。

ついに長男が免許を取りました。

初心者マークが付き、長男に運転して貰うことがあるとは、全くは想像していなかったのです。

子供達も、6歳、3歳からの付き合いなので、もやは家族のようなものです。

ディスカバリー誕生から35年。

そのうちの14年だけですが、40代、50代には常にディスカバリーがありました。

海、湖、雪山、そして仕事でも、撮影機材などを沢山積んで移動します。

心からディスカバリーを愛し、これだけその性能を必要としているのです。

ただ、最新の第5世代があまり好みでなく、現時点では動かなくなるまで乗ろうと思っています。

車を乗り継ぐ時は、感謝の気持ちをここで綴るのですが、その風景が全く想像できないのです。

ディスカバリー乗りは、縮めて「ディスコ」と言ったりします。

私のディスコ愛、伝わったでしょうか。

物づくりが仕事だからか、物に対する愛情はただならぬものがあります。

車やボートは、真の意味での相棒だと思っているのです。


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