カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

おもしろおかしく‐1407‐

 私のジョギングコースに、細長い公園があります。

 大阪市平野区には、以前チンチン電車が走っていました。

 西成区の今池と平野を結ぶ南海平野線です。

 1980年に開通した地下鉄谷町線が、ほぼ真下を走ることになり、廃線となりました。

 公園は終点の平野停留所跡です。

 平野は中世から綿の貿易で栄えた、環濠都市でした。

 神社仏閣も多く残りますが、今朝は地蔵盆の準備がなされていました。

 地蔵盆は街角にあるお地蔵さんにお供えをするもの。

 主に関西の風習のようですが、子供の安全を祈念します。

 平野も決して上品な街ではありませんが、辻地蔵があり、線香の香りの立つ風景は、やはりよいものです。

 暑い暑いといっているうちに8月24日。

 学生たちの夏休みも間もなく終わりです。

 現在、オープンデスクに3名の学生が参加しています。

 朝のミーティングでは、1日のスケジュール確認、そしてフィロソフィー勉強会にも参加してもらいます。

 勉強会といっても、皆のモチベーションを上げる時間なので、できるだけ分かりやすく、元気のでる話をするようにしているつもりです。

 社是が「おもしろおかしく」の堀場製作所。2015年になくなった創業者・堀場雅夫さんはこういいました。

「成功の道は、おもしろい仕事をするか、おもしろく仕事をするか」

 まさに至言です。

 「おもしろい」は心で感じることなので、多分に本人の意思に影響をうけます。しかしこう続きます。

 「人間は好きな仕事なら2、3日寝なくとも平気だが、イヤな仕事なら1、2時間でダメになる。どちらが効率が上がるかは自明の理。そういう状態に労働者を置くのが経営者の役割」

 「おもしろおかしく」社員が働いていないなら、それは経営者の責任だということなのです。

 30歳の時なら「そんな殺生な」といったと思いますが、やはりその通りなのだと思います。

 まずは、どんなことでもリーダーが楽しもう、面白がろうとすることだ大切なのだと思います。親が楽しそうに掃除をしていたら、子供は掃除機を奪い合うかもしれません。

 仕事も同じです。

 最後は、ビートたけしも敬愛した、指パッチンで知られたあのひとの言葉で締めたいと思います。

 ドーランの 下に涙の 喜劇人 
 - ポール 牧 - コメディアン

くものすくぐって‐1399‐

先週土曜日、3つの現場をまわりました。

朝一番は「中庭のある無垢な珪藻土の家」

タイル工事に手直しがあり、私も立ち会ってきました。

次は「KISHIWADA HOUSE」の1年点検。

1階の玄関を入ったところが涼しいらしく、彼はここがお気に入りとのこと。

9カ月振りの訪問でしたが、全てモノトーンでビシッときまっています。

四季を過ごし、暑さ寒さの問題もないとのことでした。

普段はテレビをみるのに、この席が一番人気だそうです。

パウダールームは、奥さんがリラックスできる空間を目指しました。

この日は残念ながら不在で、感想は聞けずでしたが。

バスルームにレインシャワーがあるのですが、うまく雨になっていないようです。

すぐに手直しの手配をしてもらいました。

最後は「さかたファミリー歯科クリニック」の内覧会。

ユニフォーム姿がとても凛々しく感じます。

廊下と待合を兼ねた空間には、ところせましと花が並びます。

受付の奥にあるのがカウンセリングルーム。

早速何組かの方が相談されていました。

妻と娘を連れていきましたが、院内をゆっくり見て回る機会はなかなかありません。

娘も興味をもってみてくれたようです。

治療体験もさせてもらいました。

私たちが居るあいだは、絶え間なく訪問がありました。

設計者としては嬉しいかぎりです。

クリニックのイメージカラー、紫の濃淡でアレンジして欲しいと、近くのフラワーショップにリクエストしました。

このあと、長男をピックアップし、バタバタと南港へ向かったのです。

無垢にこだわった木造住宅、ミニマルな2世帯住宅、ランドマークを目指したクリニックと、本当に色々な仕事をさせてもらっています。

10年程前、ある経営者に「あなたの強みは?」と質問されました。

少し考えて「必ずクライアントの夢を実現することです」と答えました。

すると「もっと何かに特化しないといけないね。差別化をはからないと」と。

私のことを思いアドバイスしてくれたので、もちろん理解できます。特化することが、ビジネス上よいこともわかります。

しかし、いくら沢山の仕事があったとしても、同じ道をたどることはさけたいし、クライアントも望んでいないと思うのです。

一度も歩いたことのない道を行くから、大変ではあるけれど楽しいのです。

「さんぽ」の歌詞にもあります。

 さかみち トンネル くさっぱら

 いっぽんばしに でこぼこじゃりみち

 くものすくぐって くだりみち

曲:さんぽ 歌詞:中川李枝子

歩きやすい道は、もっと優秀な誰かが先に歩いていきます。

デコボコ道だけが残っているし、そこに物語りの種が落ちているのだと思うのです。

運命は勇者に微笑む‐1394‐

 昨日は、1年ぶりに「松虫の長屋」へ。

 施工会社の担当者の引継ぎがうまくいっていなかったようで、私も立ち会ってきました。

 天王寺からチンチン電車で2駅。

 ローカル感たっぷりのホームと日本一高いあべのハルカス。

 便利と暮らしやすさが、阿倍野区の魅力でしょう。

 こちらに伺うのは、昨夏「住人十色」の撮影打合せにきて以来です。

 普段使いの風景と、テレビ撮影時がまったく同じではありませんが、それほど大差はないとも言えます。

 そんな写真をあげると「ウチは無理だわ」という声が聞こえてきそうですが、日々の暮らしを楽しくするのが、空間の力だと思っているのです。

 施工会社の引継ぎが終わり、ご主人、お母様と世間話をしていました。

 そうしていると、習い事から奥さんと子供さんが帰宅し……

 いつもの定位置に。

 2人がいつも元気に迎えてくれるので、私はとても訪れやすいです。

 最近、休職、退職という言葉を本当によく聞きます。

 1年休んだことがある私がいうのも何ですが、どこで働いても、いくら休んでも、自分の生き方、考え方を変えなければ、結局何も変わらないと思います。

 その覚悟を決めるために時間が必要なら、それはそれでよいかもしれません。

 しかし、本当に困り、そして成長していくのは、残された側なのです。

 もし自分が特別な存在でないなら、同じような課題、問題は、ほぼ平等に起こっています。

 それから逃げなかった人が、少しよい結果をだしているにすぎないと思うのです。

 運命は勇者に微笑む

 ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」の中にある一節です。

 人は誰しも弱いもの。だからこんな言葉をよりどころに、今日も勇気をだして働くのです。

けがれとはらい‐1391‐

 昨日、食卓にさくらんぼが並んでいました。

 このあいだ田植えが終わったと思ったら、いつの間にか夏至も過ぎ。

 2017年もあっという間に上半期が終わります。

 お札やお守りをゴミ箱に捨てるのは気が引けるもので、近所の神社へ奉納してきました。

 杭全神社は平安時代に創建され、府社の社格をもちます。

 門の脇に、六月三十日夕刻に大祓式(夏越祓)とあります。

 横には「茅の輪神事」とも。

 門の手前に、「茅の輪(ちのわ)」が設置されていました。

 初めて見たのですが、以下はその案内文です。

 昔から六月と十二月の晦日に大祓いといって今まで半年間の罪祓いを人形に託して流し祓い清め(雛祭りの起源)生々きした生命力の復活を祈願しました。

 (中略)

 とくに病気にかかりやすい真夏を迎える六月の大祓(夏越の祓)には、疫病神を追い払う霊力をもつ「茅の輪(ちのわ)」をくぐって心身を祓い清めるのが昔からの古い伝承であります。

 水無月の夏越の祓する人は 千年の命延というなり(古歌)

 神道は、自然崇拝を基本としたものですが、穢れと祓いの概念が中心にあるといえそうです。

 生きるということは穢れるということであり、祓いによってそれらは取り除かれる。

 非常に寛容な精神文化ともいえるのです。

 織田信長が、今川義元を討った桶狭間への出陣の朝。「敦盛」を舞った話は有名です。

 敦盛は「人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」で始まる能の演目。

 ある番組で、この舞によって信長は呼吸を整え、冷静になっていったのではないか、という説が紹介されていました。

 「穢れ」をネガティブな感情、考え方とするなら、「祓い」を儀式と置き換えてもよいかもしれません。

 信長を例にとるまでもなく、成功者は例外なくこの儀式を持っている気がします。

 瞑想、座禅、ジョギングなど方法は様々ですが、いずれもそれは時々でなく習慣となっています。

 脳科学的にも、人の感情は、意思で制御するより、行動で導く方が簡単だそうです。

 「茅の輪(ちのわ)」をくぐってきたので、半年の穢れが全て祓われました。

 6月の晦日を過ぎれば、清い体で勝負の下半期へ突入です。

 穢れは儀式で祓う。

 当たり前ですが、誰もが舞う必要はありません。

 入浴でも、読書でも、ヨガでも、自分がそう思いこむことが何より大事なはずなのです。

好きは妥協なし‐1390‐

 週末は久し振りにしっかり降りました。

 明日からは、ようやく梅雨らしい天気が続くようです。

 降らなければ心配だし、降れば降ったで文句をいい。

 人の都合を聞いてくれないのが自然ですが、水を治めたものが、この国を治めたといえるでしょう。

 大和川は奈良盆地の水を集め、大阪平野に流れ込んできます。

 元の川筋は、生駒山地を越えてすぐ北上していました。大雨の度に氾濫していたと想像できます。

 それを現在のように付け替えるようとしたのが秀吉です。そして江戸幕府によって付け替え工事が行われました。

 

 2000年前の大阪平野をみると、村落が、谷か河口の低湿地帯に発展したのがよく分かります。

 それには理由があります。

 司馬遼太郎が「この国のかたち」で、こう書いていました。

 谷こそ日本人にとってめでたき土地で、丘(岡)などはネギか大根、せいぜい雑穀しか植えられない。

 江戸期の岡場所(正規ではない遊郭)という場合の岡は、傍(はた)とか第二義的な場所と言う意味だった。

 田は水を抜かなければならないので、緩やかな斜面に棚のように田を造成し、低地へと下っていきます。

 しかし底の地は、しばしば洪水で家なども一緒に流されます。二律背反の緊張の上に成り立っていたのが、日本の村落だったのです。

 山手に人が住みはじめたのは、幕末から明治にかけて西洋人が横浜、長崎、神戸あたりで異人館を営んだことが始まりです。

 ○○ヶ丘が、少し時代をさかのぼれば、ネギしか育たない、傍(はた)扱いだったのは面白いところです。

 甲斐の国(山梨)を、空からみると、さまざまな峡(かい)が割れ込んでいて、細流が多く、山国とは思えない程多くの人口を養ってきたことが分かる。

 はじめて空から見たとき、感動を覚えたと司馬遼太郎は書いていました。

 知らなければ、心が動くことはなかったはずです。

 「知」が考察を深め、真理を見抜く。こういった人を本当のプロフェッショナルというのでしょう。

 学ぶが先か、知りたいが先か。

 今は、「知りたいが先」とはっきり分かりますが、最も時間がある学生時代に、これがなかなか見つからないものです。

 司馬遼太郎は37歳のデビューですし、「ゲームの達人」で知られるシドニィ・シェルダンが小説を書き始めたのは50歳から。

 流石に50歳まで持ちこたえられるのか分かりませんが、好きに妥協だけはしてほしくないのです。

「いま、ここ」だけを生きる‐1380‐

 先週末、「中庭のある無垢な珪藻土の家」の2ヵ月点検に行ってきました。

 3月末の引っ越しを実現するため、ギリギリの工事が続いていたのは2ヵ月前。

 もとより閑静な住宅街です。

 それらが嘘のように静かな週末の風景でした。

 正面のヤマボウシ。

 あまり道路にはみ出すのも良くないだろうと、少し低めのものを選びました。

 後ろに見えるのは、リビングにつながる中庭です。

 中庭のヤマモミジはなかなか立派な枝振り。

 ご夫妻とも「中庭はとってもいい」とのことでした。

 親族が集まっての、BBQもすでに開催されたと。

 写真がとてもよかったので送ってもらいました。

 炭火を起こすのはたいそうだけど、カセットコンロやホットプレートなら気楽だという方はとても多いのです。

 45cmほどの縁側に腰掛けての昼食はとても楽しそう。

 ちょっと木陰があるだけで、中庭が全く違うものになるはずです。

 こちらのご家族は、お子さんが4歳と2歳で最も親との時間が必要な時期です。

 点検のあと四方山話をしていたのですが、ご夫妻ともフルタイムの共働きということもあり本当に大変そうです。

 私ができることと言えば、一緒に創り上げたこの家が、少しでも日々の暮らしに貢献してくれればと願うだけです。

 ここで書く家創りのストーリーは、「大変だったけどやっぱりよかった」が中心です。

 時には少し叱られることもありますが、最終的には何が何でも、「よかった」まで行くしかありません。

 そう考えると、やはり全てよかったとも言えるのです。

 「うちのお客さんは皆喜んでくれている」というような言葉を聞く場面は結構あります。

 もちろん、不満な状態のまま仕事を終えるなど論外ですが、クライアントは心の底から「喜びたい」と思っています。

 何千万、何億円ものお金をかけて、「まあまあで十分」という人はたったの1人もいません。建築において、喜んでいただくは最低条件だと思っています。

 「特別に喜んで貰っている」と思いたいですが、それは私が決めれることではありません。

 ニューヨーク在住の友人が、「嫌われる勇気」が、すごく面白かったと教えてくれました。

 2014年から2015年にかけてのベストセラーで、タイトルくらいは聞いたことがありました。

 哲学者と現実を嘆いている若者との、対話型式で話は展開していきます。

 結論で言うと、凄い本だと思います。

 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

 (中略)

 ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。

 (中略)

 さあ、人生の嘘を振り切って、恐れることなく「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てなさい。

 「いま」という一瞬を精一杯生きる。それ以外にできることは何もありません。

 それらを積み重ね、感激、感動してもらえるところを目指すしかないのです。

 自由、幸せ、孤独、そして勇気。これらの言葉は、常に意識してきました。

 「嫌われる勇気」。この本については、また一度しっかり書いてみたいと思います。

美しい花にトゲはある?‐1379‐ 

 今日は、現場を回った帰りに大阪市役所へ。

 空は快晴。

 木陰を抜ける風はとても気持ちがよいものです。

 川に挟まれた立地は流石に一等地。更に風が冷たいのです。

 最近の行政は、映画撮影の誘致活動をかなり熱心にしています。

 大阪市役所から北に行き、少し東へ入ると「大江ビルヂング」があります。

 1921年完成の建物で、高倉健、松田優作が出演した、「ブラックレイン」のロケ地になりました。

 角地に建つ上にこの庇。なかなかの迫力です。

 こういったロケ地は監督が選ぶものなのか。

 ハリウッド映画にもかかわらず、なかなか渋いセレクトだと思います。

 大阪市役所を東に行けば、中央公会堂。

 「大阪に人の集まる公共施設を」と、株の仲買人だった岩本栄之助の寄付によって、1918年に完成しました。

 後に岩本は株の失敗によって自殺。

 しかし、「民の街」大阪を象徴する建築と言えます。

 さらに東へ行くと、中之島バラ園。

 多くのマダムが、行き来していたのでのぞいてみました。

 レンガに白バラ。

 都会に咲くさまも、なかなか絵になります。

 ちなみに後ろに見えるのは大阪辯護士会館です。

 「美しい花にはトゲがある」は、もちろんバラからきたものでしょう。

 しかし、バラ以外にトゲのある美しい花を私は知りません。

 もうすこし言えば、そう言いたいがために、バラを探したようにも感じられるのです。

 「バラという花が美しいのではない、懸命に咲くさまが美しいのだ」

 誰の言葉かも忘れました。もしかすると覚え間違いかもしれません。

 しかし、先の言葉より、圧倒的にこの言葉を支持します。

 何らかのブレーキをかける言葉はきらいですし、美しいとはそういうことだと思うのです。

壁は扉に変わらない‐1366‐

 4月に入り、新年度が始まりました。

 現在進行中の計画で、釣り好きのご主人が2人います。

 ともに「忙しくて、全く行けていない」と聞いているので、ちょっと書きにくいのですが、七色ダムへ行ってきました。

 七色ダムは奈良と三重の県境にあり、大阪から2時間半ほど。

 随分道もよくなりました。

 山桜は一番進んでいるもので7分咲きくらい。

 来週には満開になりそうです。

 すぐ北にある池原ダムとともに20年通っていますが、七色というくらいなので、本当に色鮮やかな湖です。

 これらの写真を撮ったことで、私の目的は半分が達成されているのです。

 残り半分の釣りですが、ボートの数はさほど多くありませんでした。

 寒い冬から春に向かい、水温が上がりはじめるこの時期。

 三寒四温と温度の変化も激しく、なかなかに釣り辛い時期でもあります。

 一昨年、昨年と、年初めの1匹を釣るまでに、2、3回の釣行を要しました。

 例年の反省も踏まえ、最も条件が良いと思う場所で徹底的に粘るというプランをたてました。

 めぼしいところをチェックした後、決めたのはダム最上流部から初めに大きく曲がっているエリア。

 春を意識した魚が、ユラユラと行き来するのが最も多く見えた場所です。

 今日はこの場所で心中と決めたのです。

 朝の10時頃、確かな生命感がロッドに伝わってきました。

 慎重にとりこんだのはコンディションのよい35cmのブラックバス。

 気が向いた時に来れば、いつでも私と遊んでくれる唯一の親友です。

 手を離せば、急いで水中に帰って行きますが。

 「春は最上流部」はバス釣りの鉄則です。

 このエリアをフラフラと動き回るのですが、水温が低いので目の前にルアーを持っていかなければ食べてくれません。

 私が心中と決めたのは、岸から3mほどにある大岩が沈むポイント。

 この岩が魚の回遊ルートを狭め、かなり限定してくれると考えました。

 また、大岩の後ろにボートをつけることで、こちらの気配も消すことができます。

 岸と大岩の間にルアーを置き、回遊してくる魚をとことん待つと決めたのです。

 釣りなど全く興味がない、という人がここまで読んでくれることは無いかもしれませんが、バス釣りの面白さが少しは分かっていただけたでしょうか。

 扉に変わるかもしれないという、勝手な希望にとらわれて、壁をたたき続けていてはいけません。
 
 -ココ・シャネル-

 現実の情報が、願望によって曲げられているケースは、仕事の場面でも、遊びの場面でもよくみられます。

 色眼鏡でみる、という表現もある通り、現実をできるだけ正確に、透明な目でみることは、全てにおいての第1歩です。

 シャネルをトップブランドに押し上げた要諦なのかもしれません。

 また、孤児院で育ったココ・シャネルにとって唯一の願いだったのではとも想像するのです。

大善は非情に似たり‐1365‐

 当社の隣では「平野西のアパートメントハウス」の工事が進んでいます。

 職長が、新入り君らしき若者を叱る声が聞こえてくることもしばしば。

 中学校をでて、すぐくらいの年齢でしょうか。

 小さい体で頑張っている姿をみると、まずは「頑張れよ」と思いますが、他の気持ちも湧いてきて、複雑な気持ちにもなります。

 1人では無理だが、2人いれば出来ること、が現場にはあります。

 どんなに長けた職長でも、人の手を借りないとできないことが多々あるのです。

 若手の教育はどの業種でも大きな課題ですが、なれ合いが命にかかわることがあるかもしれません。

 やはり、現場とは上品だけではやっていけないところです。

 私の仕事がら、現場に是正を求めることがあります。

 現場チームと仲良くするのが目的なら、是正を求めるのは気が重いことです。

 実際、楽しいことではないかもしれません。

 しかし、最終的にクライアントに喜んで、感激して建物を引き取って貰えないとしたら、全ては無になります。

 多くの時間と情熱をかけて創り上げたものが、そうなることを誰も望んでいません。

 それを考えると、是正を求められた人の立場においても、厳しく監理したほうが最終的には幸せにつながると確信しているのです。

 稲盛和夫さんの著書、「成功への情熱」にこんな挿話が載っています。

 IBMの創始者、トーマス・ワトソンがよく社員に話したそうです。

 ある湖のほとりに、老人が住んでいました。

 この湖は、野鴨が暖かい地方に渡っていく途中に、立ち寄る場所になっていました。

 ある年寒波がやってきて、食べ物がなくなり、数羽の野鴨が立往生してしまったのです。

 かわいそうに思った老人は、毎日彼らに食べ物を与えました。

 その後、年ごとに老人の優しさを頼る野鴨は増え、最終的には群れの全てが移動しなくなってしまいまいした。

 そしてある冬、老人は亡くなりました。

 エサをもらえなくなった野鴨は、何百羽もが飢え死にしてしまったのです。

 「小善は大悪に似たり」の1例です。

 数羽の野鴨といえ、それは命です。

 この否定できない真実があったとき、これらの間違いは起こりやすい気がします。

 命を救うこは正しいことです。しかし、族、種別が滅びることは誰も望みません。

 「大善は非情に似たり」なのです。

 非情を簡単に理解してくれる人などそうはいません。

 リーダー業とは基本孤独なものだし、それで当たり前なのだろうと思います。

 さらにいえば、行きたいところがあることが、何より幸せなことなのだと思うのです。

「どうせ」はやめた‐1364‐

 先週の金曜日、中高の先輩に声をかけてもらい、京都へ行っていました。

 20歳ほど上の先輩が、2件目に連れていってくれたのが「カルシウムハウス」

 京都で35年続くニューハーフのショーパブです。私も名前くらいは聞いたことがありました。

 こちらのオーナー、梶子ママはかなりメディアに露出しているそうで、高槻中高の先輩でした。

 何期上かは彼女(彼?)の商売柄を考えて控えておきます。

 お土産にもらった、「なにわのおばちゃん&おネエの牛すじカレー」。

 右が梶子ママです。

 見た目は美しいですが、声は完全に酒やけしたダミ声。もちろんそれも商品のはずですが。

 その翌日、ご一緒したその先輩から、「ビフォーアフターに 貴兄が出てますね」とメールをいただきました。

 土曜日の午後2時から、「住之江の元長屋」の再放送があったようです。地上波放送は今回で3回目だったと思います。

 テレビ局側から再放送に関して連絡はないので、全く知りませんでした。

 放送後「 明かりも大切ですが、私は 風が抜ける設計を評価しますね。 通風性の重要さを思い付かない方が多いし、解決策が 見事です」とメールをもらいました。

 ニューハーフのオーナーママあり、建築好きの税理士ありと、改めて母校の奥行きを知ったのです。

 この春から、長男が中学校へ行きます。

 部活は必須だそうで、候補にしている卓球を一度やってみようとなりました。

 妻がカミ卓球場というところを見つけてきました。

 加美は平野区なので、車で5分くらい。

 また、2006年の作品「加美の家」も近いので土地勘はあります。

 住宅っぽい門扉の先にあるのは元作業場のよう。

 それらを改修し練習場となっていました。

 中には卓球台が4台ありました。3人で2時間借りて3000円。

 子供達は、実家にある小さいテーブルで練習を重ねているそうで、思った以上でした。

 長男は左打ちなので、結構いけるかもしれません。

 娘も負けず嫌い感をだして頑張っていました。

 壁には、福原愛、石川佳純、伊藤美誠とオリンピック選手の色紙や写真が飾ってありました。

 こちらのコーチは、先日結婚した福原愛ちゃんの練習相手をしていたそうです。

 ここで練習していたのかは分かりませんが、トップ選手ながら、卓球をとりまく環境も楽ではないのだろうと想像します。

 ベスト4まで進み、盛り上がりを見せていたワールド・ベースボール・クラッシク。予想以上の活躍を見せ、注目を集めたのが巨人の小林捕手です。

 彼の談話が載っていました。

 「『どうせ』って言うのはやめました。僕は下手くそなんで必死にやるだけ。がむしゃらに。それだけです」

 巨人のレギュラーである小林捕手にしても、超エリート集団にはいると「どうせ」と言いたくなるのです。

 ということは、どんな分野の、どんなレベルであれ、同じことが起っていると想像できます。

 入社試験を1日で辞退。

 それは個々の生き方なので自由です。

 イエール大学の建築学科卒なら別ですが、エリート街道という言葉がある通り、私達に舗装道路など残っているはずがありません。

 でこぼこで水たまりだらけの泥んこ道を行くしかないのです。

 大した努力もしてきていない非エリートの私達が口にしてよいのは「どうせ」ではありません。

 「せっかくなら」以外ありえないのです。