カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

こっそり見て、さっさと忘れる

 「機動戦士ガンダム」が始まったのは私が小学3年の時。1979年のことです。夕方の放送に急ぎました。

 ♪燃え上がれ~ 燃え上がれ~ 燃え上がれガンダム~♪

 オープニングの音楽は、すぐ耳に蘇ってきます。特別のファンだった訳ではありませんが、子供達はみな敏感に反応していたと思います。

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そのメカデザインをしたのが大河原邦男。「超大河原邦男展」に行ってきました。

 1947年生れ65歳。

 東京造形大卒業後、大手アパレルメーカーを経て1972年タツノコプロ入社。

 「科学忍者隊ガッチャマン」で初めてメカのデザインを担当し、以後メカデザイン専門に。「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」(1977年)他。フリーになってからメカデザインを担当したのが「機動戦士ガンダム」です。

 会場は兵庫県立美術館。安藤忠雄の設計です。

 エントランスの打ち放しの壁に、大きく描かれたザク。この2月、新聞でのインタビューにこんな話が載っていました。

 主人公、アムロ・レイが操縦するモビルスーツが「ガンダム」です。これは模型にして発売するため、スポンサーの玩具メーカーの意向に沿ったデザインにする必要があった。

 しかし、敵メカの「ザク」はその予定がなかったので、自由にデザイン出来た。また、そのデザインは、前職のアパレルメーカーの研修中に、背広のデザインばかり描き続けていたからこそ出てきたデザインだった。

 ガンダムなど、地球連邦軍のメカは第二次世界大戦のアメリカ軍を、一方ザクなど敵役のジオン軍はドイツ軍をイメージしてデザインしており、いずれも、監督の富野由悠季の要求に応じながら描いたもの。

 更にメカデザインを追求していった結果生れたのが「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)のスコープドッグ。

 こちらは鉄鋼アーティスト・倉田光吾郎が1/1スケールの実物?を制作、展示されています。

 また映画「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」のポスター原画は、感激しました。

 何に感動したかと言うと「本当に人の手で描かれているんだ」という事なのだと思います。

 後にガンダムは伝説的アニメとなるのですが、放送する側の期待通りではなかったようです。

 視聴率の低さゆえ、放送期間は予定より短縮。このあたりの時間的誤差は興味深いものがあります。

 また、当事者(ターゲット)とも言える私達は何を思っていたのか。

 正確には覚えていませんが、それまでに観たアニメとは違うものを感じていました。 子供向けアニメには有り得なかった、狂気のようなものが描かれていたり、戦争によって生まれた孤児や、大人の恋愛感情に至るまでが正確?に描かれていました。

 良い意味でも、悪い意味でも「観る相手が子供だから」という部分は希薄でした。これはのちに、総監督の富野由悠季氏のインタビューを見て瓦解しました。

 「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人になればアニメはさっさと忘れなさい」

 私が描いていたアニメ監督とは、似ても似つかぬ人物像でした。創った本人はさっさと忘れなさいと言うが、ドム、ズゴック、グフと名前が出てくる私達はどうすれば良いのか。

 受験勉強をしているような顔し、色々な本を読みました。また、家族揃って恋愛映画を観るのはあまり健全とは言えません。

 こっそり見るものが大切なのは間違いなさそうです。

鈴鹿サーキット

 東京の桜は満開のようです。

 関西は今週半ばあたりの予報。屋外にでる楽しみが増えるというものです。

 

 昨日は、久しぶりに子供を連れて出掛けました。

 リクエストを聞くと鈴鹿サーキット。

 テレビでCMが流れているようなのです。

 

 ホンダがつくったサーキットに隣接し、遊園地があります。

 流石に運転系のアトラクションが多いのが特徴です。

 数十年振りに来たのですが、小学生が遊ぶには総合点の高い遊園地でした。

 開聞の9時半から5時過ぎまで、子供達は十分に満喫していました。

 

 娘は制限こそありますが、親と一緒なら概ねOK。自分の思うまま、乗り物が動いてくれる。それが何故あれほどワクワクしたのだろうと考えます。

 若者の車離れ、バイク離れが聞こえてきます。

 「良い製品を創れば売れる時代は終わった」とはトヨタの張元会長の言葉です。

 

 その魅力や価値を伝えるところから始めなければならない時代に入りました。

 これは何も、車、バイクに限ったことでは無いと感じます。

 

 実際のサーキットを、ゴーカートで走ることも出来ます。これが1200円。

 これだけはややがっかりしました。とにかく遅いのです。

 私が小学生の頃はもっとスピードが出たような……

 これも知恵の悲しみなのかもしれませんが。 

 

 つくしも顔を出し。

 

 桜ももう一息。

「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012

 昨日放送があった『「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012』

 番組で言う「匠」が採点、投票するもので、私も全24物件観て、採点しました。

 部門は、①家具収納②キッチン水周り③空間アイデア④再生と大賞があります。

 私が担当した「天井から雨が降る家」は、空間アイデア部門の第2位に選ばれました。

 既存建物の中央部に設けた光庭を評価して貰ったのですが、嬉しくもあり、悔しくもあり。出来れば大賞を取りたかった……というのが正直なところです。

 しかし大賞以外なら、「空間アイデア部門」は嬉しい部門です。そこでプロから多くの票を貰ったことは励みになります。

 さて、クライアントはどう思っているのか。まだ話はしていませんが、昨年12月の中頃、写真とメールが届いていました。

 守谷様

 なんとなく気忙し師走となりましたが、お変わりございませんか?もうそろそろビフォ-の大賞は決まったのですか?

 放映は来年1月なので黙秘なんでしょうね。早いもので1年たつのですね、楽しみです。
 
 今年は、例年になく寒いですね。

 我が家はお陰さまで、日中の日差しがある場合は暖房いらず、過ごしております。

 夜はやはりこの寒さなので、石油ファンヒーターを点けていますが、設定は20度で過ごせますので、以前に比べると暖かくて凌ぎやすいです。

 写真をお送り致します。

 いいカメラではないので写りが悪いかと思います。もみじも秋が訪れたようで今、紅葉しております。

 2人でコーヒータイムはなごみますよ。

 まだまだ寒さ厳しい折、お身体に気を付けて下さい。

当事務所の作品としては「住之江の元長屋」。何と言ってもマンションの谷間なので、今年は紅葉するかな……と思っていました。

 写真も嬉しいのですが、むしろ素晴らしいのは文章でした。こちらの心が和みます。

 「ビフォーアフター」の件はこれで一区切り。今日から仕事初めという人も多いと思います。2013年が本格的にスタートです。

 今年の干支は「巳」。粘り強く、あきらめずに、まっすぐに目標進んで行きたいと思います。基本的に私はしつこいのです。

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■■■「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012■■■1月6日(日)放送で「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました

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ちょっとピンボケ

 いよいよ、暮れも押し迫ってきました。

 今年もあと4日です。

 前々回UPした飛田新地の「鯛よし百番」。現地から、携帯で写真を送りました。

 当日、一眼レフも持っていたので、その写真をUPします。

 エントランス横にある顔見世の間。以前は、ここに遊女が並んでいたそうです。

 昭和45年までは遊郭として営業していました。私が生まれる以前、全く違う世界がここにあったのです。

 先日、竹原義二、貴志雅樹、堀部安嗣、3人の建築家の講演を聴きました。その中で竹原氏がこのような発言をしました。

 デジカメになり直接ファインダーをのぞかなくなったから、自分の眼でそのアングルを見ていない。それで、写真、建築とも重心がおかしくなっているのでは。
 
 それを受けて、堀部氏の話は以下のようなもの。

 ある映画監督が「映画館で映画を観るのは、お母さんの胎内で観るのと同じ」と言った。従来のカメラでファインダーをのぞけば、真っ暗の中からアングルを探している。少しキザに言えば、それは心の眼で見ていることになる。

 この話は、すっと心に入ってきました。以来、一眼レフを出来るだけ持ち歩いています。

 このエリア、基本的に撮影はご法度です。

 もし、この建物以外にアングルを向けたなら……

 緊張感をもって撮りました。

 建物中心には中庭が配置されています。

 中央には、石で出来た巨大なオブジェ。

 私達の部屋は、三間続きの大広間。

 最も装飾が豪華な部屋です。

 調理は関東風すき焼きでした。

 甘め、濃い目の割したなので、早めに引き上げるほうが良いかもしれません。

 乾杯の後、3時間半があっという間に過ぎました。
 
 沢木耕太郎か、報道写真家、ロバート・キャパの記述だったか、忘れてたのですが、このような話がありました。

 カメラは構造上、像を焼き付ける間シャッターが下りる。厳密に言えば、自分が撮りたい画は観ていない。よって、そのイメージこそが写真と言える。

 この話はデジカメの出現によって、根底から覆されました。写真家からみれば、2つは似て非なるものなのかもしれません。

 物創りとは、そこに物がない中で、創り進めていくものです。これは建築設計においても同じ。未来の像を、自ら創れるのか。そこに掛かっていると言えるのです。

 ロバート・キャパの名著は「ちょっとピンぼけ」。ノルマンディー上陸作戦の写真が、手の震えで不鮮明になった、というのがタイトルの由来です。

 1枚目も2枚目もちょっとピンボケです。キャパと同じとは言いませんが、私なりに緊張していたのです。

 マニュアル撮影なら、腕、気分が反映されるのです。まさに、カメラとは心の眼。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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気品

 昨日は、設計相談会でハービス大阪に居ました。

 3時までの相談会が終わった後、梅田の北東エリアを歩いて来ました。

 NU茶屋町周りのライトアップは、年末気分を盛り上げています。

 JR大阪駅周辺は大きく変わりました。百貨店戦争と言われる通り、買い物をするには便利になったと思います。

 しかし、東京の表参道のように街歩きの楽しみはありません。キタなら、そんな可能性が残るのは、この茶町エリアだと思います。

 そのはしりは梅田ロフト。その頃から比べると、随分賑やかになりました。

 相談会には3組が訪れました。うち2組は「旧知の人(もしくは友人)に設計を依頼しているが、気になる点を見て欲しい」という内容。

 作品をネット上で見かけ「出来るならお願いしたのですが」と言ってくれたのは、ともても嬉しい事です。しかし、このケースはとても難しいとまず伝えました。

 第三者の意見に、どこまでの真剣みが有るのかという事です。セカンドオピニオン側が、その意見に責任が取れる仕組みになっているかが問題だと思うのです。

 建築士会の社会貢献活動の一環としての場なので、アドバイスをするのが仕事なのですが、無用に混乱させたくないという気持ちもあるのです。

 更に南に足を延ばしてお初天神へ。

 正確には露天神(つゆのてんじん)

 近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台で有名です。

 江戸時代、人形浄瑠璃、のちに歌舞伎の人気演目になったとあります。

 人形浄瑠璃、歌舞伎ともに詳しい知識がある訳ではありませんが、中村勘三郎さんの訃報を聞いて思う所があります。彼の語る姿を見るたびに「品」というものを考えさせられました。

 言葉が特別に丁寧な訳ではありません。ややもすれば江戸っ子特有のべらんめえ調で、下品になってもおかしくない程。しかし漂う気品。

 大阪では文楽に対する助成金打ち切り問題も話題になりました。

 歌舞伎界の由緒正しきサラブレッドを見ると、続くことによってのみ、踏襲されることもあると解ります。

 全く関わりのない人間に、何らかの影響を与えるという事実。

 これが芸能者の醍醐味なのでしょうか。

 祖父もそうだったのですが、肺の病気は最期が辛いと聞きます。ご冥福をお祈りします。

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モンゴル’93

 長男が小学2年になって、サッカーチームに入りました。

 チームスポーツをするのは、とっても良い事です。しかし、私のスケジュールだけで予定を立てられなくなってきました。

 昨日の練習は昼から。

 それで、午前中に「モンゴル恐竜化石展」へ行ってきました。

 大阪市立自然史博物館は長居公園にあります。

 趣味、遠出の私にとってはやや物足りませんがそうも言っていられません。

 タルボサウルスは、約7000万年前のゴビ砂漠で、最大の肉食恐竜です。

 子供のものですが、ほぼ全身の骨格が見つかっています。

 実物で復元されていました。

 今回の展示は、多くがレプリカでなく実物なのです。

 獣脚類の卵の化石も勿論本物。

 昨日は、実際に発掘に参加している、調査員への質問コーナーがありました。

 それもあって、朝一番で行ったのです。

 子供も本物の発掘作業は興味があるようで、飽きずに見入っていました。

 注射針のようなもので、廻りを削りとり、刷毛で丁寧にその土を払います。

 

 しかしその場は、いつの間にか「大人」の恐竜ファンによる、熱い質問コーナーに。

 私も質問しましたが、色々な事が分りました。

① 化石とは、骨と石の成分の置換によって出来るもの。よって石のように固く、重い。
② モンゴル、ゴビ砂漠の化石は、砂に埋まっているので、泥より軽い分、保存状態の良い。
③ 発掘自体は、100年程前から行われているが、当初は冷戦の影響もあり、ロシア、中国が主導することが多かった。1992年、93年あたりから、欧米、日本なども本格的に参加。よって、比較的新しい場所とも言える。
④ 日本から参加している隊は、株式会社林原という民間企業がもつ、生物化学研究所から派遣されている。国などの金銭的サポートがある訳ではない。

 皆で話をしていると、子供がそろそろ帰ろうと言いだしました。

 大人が質問ばかりするので、調査員の手が止まり、見ていても面白くないと言うのです。なるほど、申し訳ない。

 でも、子供のように、いや、それ以上に。

 調査員へ向けた、キラキラした眼差しに免じて、許して上げてくれ、という気分でした。

 将来の日本を背負うのは子供達です。

 しかし、今の日本を、世界を良くするのは、現役の大人。

 子供の教育問題以上に、大人の覇気のほうが大切かもしれません。

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生き方 映画俳優の場合

 高倉健81歳。俳優業は56年目。

 これまで、その日常がさらされることはありませんでした。その番組も「初めての密着取材」というキャッチコピーが踊っていました。

 番組の冒頭で「遅すぎたのかもしれないけど、本音をそろそろ」と話している姿が、やや寂しげでもあり……

 「網走番外地」は1965年、日本映画史上最も過酷なロケと言われた「八甲田山」は1977年。その伝説的逸話は聞こえてきますが、1970年生れの私はリアルタイムでは観ていません。

 少し近いところでは「鉄道員(ぽっぽや)」1999年などもあります。しかし、実際に観たことのある映画は「南極物語」(1983年)と「夜叉」(1985年)とだけ。

 「夜叉」に至っては、当時大好きだったビートたけしが、出ていたからにほなりません。

 北九州の炭鉱の街で生まれた小田少年は、生きていく為、芸能プロダクションのマネージャーになります。

 しかし、その容姿を買われ映画俳優となるのです。その芸名が高倉健。あっと言う間に、任侠映画でスターとなり、華々しい俳優人生が始まります。

 映画については

やっと気心がしれて来た頃に終わり。映画は1回性の切ない仕事。恋愛だよね。

 と語っていました。45歳を機に独立。以来、納得できる仕事だけをするようになります。

 映画俳優っていうのは良い仕事で、こういうのはいい人間だよって、ずっと教えて貰ったのかもしれない。

 こういう人生もあって、みなさんどうですかって。こういう生き方も悪くないんじゃないですかってちょっと見せたい。

 唯一無二の映画俳優としての栄光、そしてその悲哀。「肉親の葬式だって行った事がない。自分が言えば撮影が4、5日止まる。そういった部分は捨ててるよね」という言葉に集約されています。

一番心に残ったのは以下の話です。

 俳優という仕事には、生き方がやっぱりでているよね。テクニックではないんでしょうね。

 柔軟体操なら、いいトレーナーにつけば体を壊さずに柔らかくなる。いい本を読めば知識はつく。

 しかし、最もでるのは普段の生き方。偉そうなことを言うようですけど。

 他人から学ぶ事によって人は成長できます。しかし、自分自身に最も大きな影響を与えるのは、普段の暮らし、考え方に他なりません。

 この番組を観るまで、私にとって高倉健は特別な存在ではありませんでした。

 しかし、時代の一番前を走ると言う事は、ここまで人を成長させるのか、というのが正直な感想です。偉そうなことを言うようですが。

 番組の中で、映画撮影の合間に岡村隆史とのやりとりが映っていました。

 岡村隆史と言えば、最も露出が高く、テレビの達人と言っても良い芸人です。僅かな時間でしたが、その彼をテレビカメラの前で、手の上で転がし、けむに巻き、また笑わせる、というくだりは圧巻でした。

 一切の嫌味が無く、人間として、俳優としてのスケールの大きさと、愛情を感じたと言うか。ビートたけしを始め、名だたる芸能人を、ファンにしてしまうその魅力を垣間見ました。

 映画の主人公を演じる事によって成長し続けて来たという高倉健。彼こそ、日本の良心なのかもしれません。

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いい日旅立ち

9月も中旬にはいり、夜は寒い日さえ。

朝起きる時刻が、ようやく日の出を追い越しました。

急速に秋が進んでいることを、実感します。

夏の庭先の主役だった朝顔。そろそろ終わりの時期が近付いてきました。

週末からの連休は、日曜日に広島でセミナー、祝日の月曜日はジュンク堂京都店で建築相談会があります。

興味のある方は、是非お越し下さい。

■9月16日(日)中国新聞リフォーム・エクステリアフェアにて
セミナーを開催①11:30②15:00広島産業会館西展示館
■9月17日(月・祝)ジュンク堂京都店 13:00~15:30
JIA×JUNKUDO 共催「住宅無料相談会」に参加

土曜日には千葉へ行く用件もあり、何となく頭の中に ♪昨日、今日、明日~♪ と「三都物語」が流れます。しかし、JRのキャンペーンソングと言えばやはり「いい日旅立ち」でしょうか。正確に言えば当時は国鉄。

稲盛和夫氏と五木寛之氏との対談、「何のために生きるのか」という本にこんな記述がありました。

山口百恵以来、皆で口ずさめる歌が日本にはない。

例えば、平安から鎌倉にかけて「万葉集」や「古今集」のように、芸術性の高い歌集があり、もう片方に「梁塵秘抄」という巷の歌集があった。

これによって日本の文化は厚みを帯びて感じられるわけです。だから流行歌をばかにしちゃいけない。

「いい日旅立ち」が流れてくると、つい口ずさんでしまいます。あのへんまでですよ。日本人の歌の中でいい歌があったのは。

子供から大人まで世代を超えて口ずさめるような日本人の歌と言える歌がどこにもない。

それが日本人のこころが乾いてしまっているひとつの原因なのではないかと思っているのです。

こう五木寛之は語っています。「シクラメンのかほり」で有名な小椋佳の曲、「泣かせて」にはこんな詞もあります。

『泣かせて』 作詞・作曲:小椋佳

 あなたの言葉より

 今は安い流行歌のほうがまし

中学年時代からサザン、ハウンド・ドッグ、米米クラブから始まり、マイケル・ジャクソン、イーグルス、ドン・ヘンリー、マービン・ゲイへ。

しかし、不意に口をついて出てくるのは、小学生時代に聞いた歌謡曲だったりします。改めて「赤いスイトピー」は歌は素晴らしい曲だったんだなと思ったりするのです。

「いい日旅立ち」をを聴きかえすと、情緒あふれる歌詞に、緩やかなメロディライン。これこそ皆が口ずさめる流行歌だと解ります。

1978年の発売で、当時私は8歳でした。山口百恵の魅力が解る歳ではありませんでしたが、これほど無色に近い、透明感のある歌い手は、なかなか居ないのだろうと感じます。

だからこそ、皆が自分自身を投影で来たのではないかと。

「三都物語」と共に、作詞・作曲は谷村新司。とても深夜ラジオ「ヤングタウン」で話していた姿からは想像できない上品さです。

決して馬鹿にしているのではないのですが、人の才能は、見た目、話し方だけでは解らないものです。

五木寛之はこの対談の中で「日本人皆が口ずさめるような曲をつくろうと、詞を書いているんです」とも語っています。この本の初版が平成17年なので、それは未だに達成出来ていないようです。

そんな歌がいつかは出来るのか。もう皆が愛する事の出来る歌など出来得ないのか。また、日本人の心は乾いているのか……氏の言葉がとても気になります。

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男たちの挽歌

 DVDを借りても、結局観ずに返してしまうものも結構あります。

 何度も観ずに返していたのが「男たちの挽歌」。ようやく観ました。

 1986年、ジョン・ウー監督の作品です。
 
 26年前の作品だけあって、ファッション、メイク等はやや見れない感もあります。

 香港映画の良さとも言えますが、演出、演技も大げさ。

 途中まで「これ大丈夫?」と感じていました。

 1998年に始まった「笑う犬の生活」というコント番組がありました。

 この深夜番組のリーダーの内村光良は、何度も「男たちの挽歌」を模したコントを作っていました。

 また、本人の発言からも監督ジョン・ウーが好きなんだなと思っていたのです。

 同じく1998年。松本人志の「 VISUALBUM 」が発売されました。コントの作品集で、3巻続けてリリースされたのです。

 松本人志のコンセプトには、いつまでも見続けられるような作品を創りたかった、とあったはずです。その中に「男たちの挽歌」を意識した作品があったと分りました。

 「男たちの挽歌」は香港のマフィアの権力争いを中心に描かれています。
  
 よって見せ場は暴力シーン。銃を使っての戦闘シーンは、アップ、スローモーションを駆使した映像は、確かに美しくさえ感じました。

 20代の終盤、内村、松本に笑い「また明日から頑張るか」と元気を貰いました。彼らも、20代の頃ジョン・ウーに影響を受けたのは間違いないはず。

 素晴らしいものは、時代、国、ジャンルを超え引き継がれていくのです。
 
 この作品には、素手での戦闘シーンも多くあります。こちらは、ジャッキー・チェンの映画を観るようで、ややコミカル。これがもしハリウッド映画なら、許容できないはずです。

 これは、由緒正しき香港映画の血統。そう思えるのも、受け継がれているものが有る証拠。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します 

陽のあたる教室

 このところの寒さで、桜の開花はやや遅れ気味。

 それでも昨日の日曜日が、人出はピークでしょうか。

 近所の神社でも、9分咲きという感じ。

 休日の夜、7歳、4歳の兄妹が、今一番見たいDVDは「こびとづかん」です。

 まずは本が欲しいと言っていたのですが、どこからかDVDもあるらしいと聞いてきたのです。

 もちろんですが「こびとは居る」という設定で全てが進みます。

 そのキャラクターが気持ち悪いというか、何と言うか……子供たちはほぼ、居るんじゃないかと思っています。

 本ならまだしも、DVDで「こびと」は難しいんじゃないかと思っていると、意外に何とかなっています。気持ち悪いの好きな人は観てみて下さい。

 「こびとづかん」を借りにレンタルショップへ行った際、ふと目に入ったのが「陽のあたる教室」。

 長らく名作と言われる映画を観ていないなと思い、借りてみました。

 バンドマンだったグレン・ホランドは30歳の時、生きる為にしかたなく音楽教師になります。1965年のことです。

 学校、教育が嫌いだった彼が、何とか生徒に音楽を好きになってもらおうと、懸命に教え始めます。
 
 作曲がしたいが為、時間がとれるだろうと始めた教師にのめりこみ、音楽の素晴らしさを伝える事に打ち込んでいく30年間が描かれているのです。

 生れてきた自分の子供は耳が聞こえず、それらの事から起こる家族内の葛藤。

 州の方針で、退任をせまらた後に用意された、ドラマティックな場面。

 そして初老教師と教え子との淡い恋ごころ。所々に挿入されている音楽もよく、飽きる場面がありません。

 音楽教師ホランドを演じるのはリチャード・ドレイファス。30歳から60歳までを1人で演じているるようなのですが、もしかすると別人、と思う程でした。こんな人を名優というんだなと納得できます。

 他の出演作品は好きなものが沢山あります。「張り込み」「のるかそるか」。「スタンド・バイ・ミー」は言うに及ばず、いずれも間違いない作品です。

 ただ、観ている途中、名作と言われるドラマはもう観たくないなとも思っていました。

 映画というのは、観手の心を動かすことが目的と言えます。それを最も効果的にしようと思えば、際限なく色々な演出が出来る訳です。

 楽しい、悲しい、辛いなどの場面をこれでもかと見せられると、何と言えば良いか、心を誘導されているようにも感じます。正直に言えば、そんな違和感を覚えた場面が何度かあったのです。

 それさえも気づかない映画が良い映画なのか、そんな事を考える私がひねくれているのか。結論はありませんが。

 いずれにしても、最後はそんな事も帳消しにしてくれるくらいの名作であることは間違いありません。泣きたい人は是非。