昨日は宝塚まで行ってきました。
阪急電鉄の創業者・小林一三は「電車に乗る人が居なければ、乗る理由を作ればよい」と言ったのは有名な話。
そうしてできたのが、宝塚歌劇団です。
今年で100周年を迎えるそうです。
今回の目的は手塚治虫記念館。本物を見ることは、大切なことです。
しかし子供達は、こういったミュージアムをあまり喜んでくれませんが。
内部撮影は禁止が多い中、ここはほぼ撮影可。小学生の時に描いた絵もありました。
殆どプロになってからのタッチと変わりません。
仕事は才能に左右されないと思っています。しかし漫画の世界はこの限りではないかもしれません。
1970年代の初め、手塚治虫はすでに確固たる地位を築いていました。しかし、なかなかヒット作が出ず苦しんでいたのです。
「終わった」と言う声も聞こえる中「週刊少年チャンピオン」に連載されたのが『ブラック・ジャック』です。
その異質とも言える暗さに惹かれ、こわごわ読んだのを覚えています。少年誌初の医療漫画はすぐに人気が高まり、5年の連載となったのです。
「産後すぐ、病院で子供を取り違えたことが、数十年後に分かった」という事件がありました。全く同じモチーフが、水島新司の『野球狂の詩』にもあったのです。
私は1970年生まれで、『野球狂の詩』も70年代前半の人気漫画です。
本当に凄腕の闇医者がいたのか、また、裕福な家庭の赤ん坊が、取り上げ違いによって、任侠に育てられた野球選手が居たかは別です。
しかし、終戦から25年。今とは全く違う空気感があり、それらが漫画に反映されていたと考えると、納得できることが多々あるのです。
体力をもてあまし気味の子供を、最後は万博公園へ連れていきました。大阪万博は、70年代の象徴です。
長男が、私と同い年になるのは2049年。その時に、この時代はどう映るのだろうと考えます。
せめて、子供達が私の作品を振り返った時に、恥ずかしくない仕事をしなければと思うのです。