イタリアとスペインの旅④ <ブリオン・ベガ編>

 8月13日(日)は、朝から電車に乗って、カステル・フランコという街へ。

 ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅でチケットを買うとおよそ4ユーロ。往復で800円程です。

 1時間ほど電車に揺られ駅に着きました。

 ここからバスに乗るのですが、何故か駅からバス停までが歩いて20分。近くのBARでチケットを買うと往復で4ユーロでした。

 バスの運転手に「ブリオン・ベガに行きたいので、着いたら教えて欲しい」というと「分った、分った」という感じ。

 日本人が時々くるので全て心得ているよう。とってもフレンドリーな感じでした。

 S・VITOというバス停から、さらに歩いて15分くらい。

 まずは公共の墓地がみえてきました。

 その奥にあるのがブリオン・ベガ。

 イタリアの大手電機メーカーの創業家、ブリオン家の墓なのです。

 2つの円が重なったその開口部からは、傾斜した壁が見えます。

 その上には限りなく青い空。

 反対に回ると、赤と青のタイルに縁どられた様子が、良く分かります。

 写真を見ると裏表の色が反対になっているのが良く分かります。お盆前のこの時期、墓地を照らす太陽は強烈です。

 陽が芝生を焼き付け、むせ返るような草のにおいは、日本のものと全く変わりませんでした。

 写真で分らないのはにおい。妙なことが気になるものだと自分でも思うのですが。

 全体がブリオン家の墓地ですが、ブリオン夫妻の墓はこのアーチの下にあります。

 2つ石の棺が並んでいました。


 アーチの裏はブルーとグリーンのタイルで彩られています。

 芝生と空に抱かれ2人は静かにの眠っているのです。

 カルロ・スカルパは、素材の

 使い方と、その装飾形態に長けた建築家です。

 しかし、それらがテクニックにとどまっていない感を受けるのは何故なのでしょうか。

 1906年、彼はヴェネツィアに生まれました。フランク・ロイド・ライト、デ・ステイル、日本文化という順に影響を受けたと言われます。

 そして生涯、この地方の方言しか話さなかったと言います。

 その時々の影響を作品にみる事が出来るのですが、いずれも模倣のレベルではありません。

 今回私が見て回ったのは、概ね1950年から1970年までの仕事です。

 まさに円熟期に入ったと言って良い頃の作品なのです。

 スカルパは1978年、旅先の仙台で亡くなります。

 そしてその墓は、このブリオン・ベガの一角にあります。

 CARLO SCARPA の文字が刻まれています。

 いつ火がともされたのか、金色のろうそくにも文字が刻まれていました。

 そこには亡くなった1978年7月6日と1993年2月23日という日付が。後の日付は何を意味するものなのか。

 墓は人が人生を終え、永遠の眠りにつくところ。

 ピラミッドも墓なら、サン・ピエトリ大聖堂も墓と言えます。タージ・マハルは王が愛妃に送った墓。

 ブリオン・ベガはスパカルパのブリオン夫妻への愛と感謝の結晶と言えなくはないか。

 ブドウ畑と、トウモロコシ畑に挟まれた道を歩きながらしばし考え、ヴェネツィアに戻ったのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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