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吉野に、悲運の天皇を訪ねる‐1569‐

 大阪なら、ちらほらと桜が開花しだしました。

 関西も桜の名所は多々ありますが、規模で言えばやはり「一目千本」の吉野山です。

 「下千本」を一望しますが、満開の景色は格別でしょう。

 全くの開花前ですがふと立ち寄ってきました。

 吉野山は尾根道に沿って、門前町が広がります。

 その入り口にある黒門をくぐり、緩やかな坂道をのぼって行きます。

 この閑散期、お土産店の人も時間を持て余しています。

 「4月中頃の平日に、朝6時頃一番上まで車でいかれたらよろしい。朝靄がかかった景色は、それはもう素晴らしいから!」と。

 何とか時間を捻出して、再訪したいものです。

 門前町の高台にある仁王門。

 金峯山寺は修験道の総本山で、この仁王門は大阪、京都からの信者を迎えるため、北を向いているそうです。

 そのすぐ南にある金峯山寺蔵王堂は世界遺産。

 写真ではもどかしいくらいその迫力が伝わらないのですが、総檜皮葺きでこの規模のお堂はなかなかありません。

 東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築とありました。

 道中、見事な枝垂梅だけはみることができました。

 娘が歴史で「南北朝時代」を習っているようで、その南朝があったのがこの吉野です。

 それで、ふと訪れてみたいと思ったのですが、当時天皇家には2つの統がありました。

 交互に皇位についていましたが、相続をめぐる争いが続きます。

 京都を制圧した足利尊氏は、持明院統の天皇をたて、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位をせまります。

 有能で政治力もあった後醍醐天皇はこの地までのがれ、吉野朝廷をおこしたのです。以来、2つの朝廷が並び立ったのが南北朝時代です。

 室町幕府は、15代義昭を信長が追放するまで240年続きました。

 後半100年の戦国時代を含め、動乱の時代でした。

 しかし、南朝を中心とするこちらの世界は比較的安定していたようです。

 修験道を中心とした戦力もあり、この地から天皇家を中心とした平和な世界を創り上げるという旗印のもと、結束は固かったようです。

 しかし、南朝は57年で消滅しました。

 日本最長の歴史書と言われる「太平記」は、この地で生涯を閉じた後醍醐天皇を悲運の天皇として描いています。

 山川出版の「日本史」を引っ張り出すと、僅か2ページの内容です。

 なのに、何か心に引っ掛かるものがあります。

 情報を独占するIT企業の躍進。生活にはなくてはならなくなった?コンビニチェーン。

 コンビニのオーナーは、命を落としてでも契約を守らなければならないのか。勿論そんなはずはありません。

 勝者と強者だけが常に正しい訳ではありません。

 判官贔屓かもしれませんが、だからこそ、太平記では敗者とも言える後醍醐天皇や楠正成を熱心に描くのだと思います。

 大和魂。

 そんな言葉が頭に浮かぶのです。

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