タグ別アーカイブ: フェルメール

忠誠のひまわり‐1768‐

 1月8日から順に発令された二度目の緊急事態宣言ですが、やはり延長となるようです。

 東京にしろ、大阪にしろ、ある程度成果はでているものの、解除に至るまでではないということでしょう。

 不要な外出は勿論しませんが、不急でないかはなかなか難しいところです。

 中之島の国立国際美術館で開催されているロンドン・ナショナルギャラリー展は昨日までの開催で、ギリギリまで様子を見ていました。

 が、結局行ってしまいました。

 一時間ごとのチケット販売で、前日も売り切れの時間帯は全くなく、そこまで混んでいなだろうと判断したのです。
 

 何より、「ロンドン・ナショナルギャラリーの所蔵作品展は海外初」、「フェルメールが奏でた光の最終章、奇跡の初来日」、「ゴッホ、モネ、レンブラント全61点 日本初公開」の誘惑に負けてしまいました。

 中之島にある国立国際美術館は、アルゼンチン生まれの建築家、シーザー・ペリの作品です。

 一昨年に亡くなりましたが、追悼記事を書きました。

 竹からイメージしたというそのフォルムは、極めてアーティスティック。 

 南米の血がそうさせるのか単純明快で楽しい建築です。

 ただ、思いのほか来場者は多く、一瞬たじろいでしまいました。

 対策は万全を期しているつもりですが、正直、子供を連れてこなくて良かったと思ったのです。
 

 撮影はここまで。

 ゴッホ、フェルメールと共に広告にピックアップされていたのが、ルノワール、モネ、レンブラント、ターナーなど。

 ルノワールの安定感は流石でしたが、ゴヤやフランス・ハルスも素晴らしく、謳い文句に恥じない展覧会でした。

 今回は来日していない、更なるフェルメールやレンブラントの傑作も所有しているよう。

 トラファルガー広場に面して建つ美の殿堂を実際に訪れてみたい衝動に駆られたのです。

 訪れる前は、オランダを代表する光の画家、レンブラントとフェルメールにフォーカスして何か書こうかなと思っていました。

 しかしゴッホの「ひまわり」は会場での人気も段違い。アナウンスやネームバリューもあるとは思いますが、多くの人を立ち止まらせるものがあります。

 暗くて、文句ばかり言っている人が好きな人は居ません。明るく、話が楽しい人の所に人が集まるのは当然なのです。

 分かり易いゴッホの人気は、ピカソと共に常に圧倒的です。展覧会のwebサイトにも、ゴッホとひまわりのストーリーが特別枠で取り上げていました。

 ゴッホが花瓶に活けられたひまわりを描いたのは生涯で7枚。そのうち署名が入っているのは2枚だけです。

 1888年、理想の環境を求め、ゴッホは南仏のアルルにやってきました。良く知られる黄色い家を借り、画家達が集まる理想のアトリエを夢みて、多くの手紙を出します。

 その提案に応えたのはポール・ゴーギャンひとりで、2人の共同生活が始まりました。

 ゴーギャンを待つ3ヵ月、彼の寝室を飾る絵を描くのですが、自らがふさわしいと納得し、署名したのが2枚だけで、その1枚が今回来日した「ひまわり」だったのです。

 ところがゴーギャンとの共同生活は2ヵ月で破たん。その後「耳切り事件」が起ります。その2年後、37年の生涯を自ら絶ってしまうのです。

 明るい配色と力強い筆遣いとは裏腹に、ひまわりの花弁は多くが抜け落ちています。

 作品の明解さと、作家が不遇の人生が二重構造となり、ミステリアスとも言える魅力を放っているのではないか。僭越ではありますが、それが私のゴッホ評です。

 100年以上前のゴッホとゴーギャンの関係は、全て想像の世界でしかありません。しかし研究者の間では、ひまわりは「忠誠」を示すものだと考えられているそうです。

 太陽をまっすぐに見つめるひまわりから連想されたものだと思いますが、明るい黄色の後ろに流れる物語としては、これ程切ないものはないのです。

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■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
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■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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作品に罪は無い‐1571‐

 ヨハネス・フェルメール。

 17世紀のオランダに生まれた、寡作の天才画家という表現で良いでしょう。残された作品は世界で35点前後。

 そのうちの6点がやってくるという「フェルメール展」をのぞいてきました。

 会場の大阪市立美術館は、動物園の中を通っていましたが、現在は開かれた空間となりました。

 天王寺駅から「てんしば」を歩いて5分程。

 混んでいるという話もありましたが、夕方の時間帯はそれほどでもありませんでした。

 初来日の大作『取り持ち女』がフォーカスされていましたが、このパネルに有る通りです。

 やはり、手紙をモチーフとした3作品が圧倒的でした。

 1665年頃の『手紙を書く女』。

 フェルメールが得意とした、画面左から光が差す構図です。

 青、黄色が鮮やかで、椅子の鋲等も極めて緻密に描かれています。

 1669年から70年頃に描かれた『手紙を書く婦人と召使い』。

 彼は1675年に43歳で亡くなっているので、貴婦人が召使に目配せをしている『恋文』と合わせて、晩年の傑作と言ってよいでしょう。

 素人が解説する程野暮なことはありませんが、この時代のオランダには特に興味があります。

 光と影を描かせれば世界一と言ってもよいレンブラント。この展覧会にも2作品展示があったフランス・ハルスは、微妙な笑顔を描かせれば右に出るものはいません。

 前座扱いできるレベルの画家ではありません。

 オランダにはこういった写実主義の系譜が確実に存在します。なぜこの国のこの時代に集中しているのでしょうか。

 寡作だったということは、ほぼ売れなかったことになります。

 歴史に「もし」はありませんが、現在のような情報化社会なら、フェルメールにおいても不遇な画家人生は無かった気がします。それはゴッホにしても同様です。

 素人の私が観ても、明らかに群を抜いているのですから。

 先週、電気グルーヴのピエール滝が薬物の使用で逮捕されました。

 『Shangri-La』は1997年の3月21日の発売。丁度22年前のことです。

 久し振りに聞き直すと、疾走感があり、メロディアスで、刹那的。当時27歳でしたが、その頃の記憶が一気に蘇ってきます。

 教授のニックネームもある坂本龍一ですが、販売を自粛する動きを受けて「音楽に罪はない」とコメントしました。

 マイケル・ジャクソンが少年を虐待したとするドキュメンタリー映画が上映され、マイケルの音楽を流さないというラジオ局もでてきました。

 こういった問題が起った時、事実なら当事者が罪を免れることはありません。

 社会的責任を負う為、もしくは回避する為、製作会社は発売中止、作品の回収などをしますが、私も坂本龍一の論調を支持します。

 作品は、創り手の手を離れ、誰かの手元に届いたとき、誰かの人生の一部になります。

 これを機に、ファンを辞める人もいるだろうし、その作品を手放す人もいると思いますが、それはそれぞれの判断に委ねればよいはずです。

 知る機会を簡単に奪う権利を、製作会社は持ちあわせていないと思うし、そんな仕事をする以上、もっと覚悟が必要な気がします。

 それが発売し続けることなのか、説明することなのか、アーティストを教育することなのかは分かりませんが。

 でないなら、安全に儲かるものだけを売る会社ですと、世間に宣言するべきです。

 オランダでは大麻を認めています。フェルメールがそれを求めたかは分かりませんが、万が一そうだったとしても、その絵の美しさが変わることはありません。

 薬物の使用は、本当に格好悪いことだと思っているので、許容するという気持ちは全くありません。
 
 しかし、あまりにも短絡的で、自分勝手な判断に見えるのは、私も創り手だからでしょうか。

 それでも、やはり作品に罪はないと思うのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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