いよいよ、暮れも押し迫ってきました。
今年もあと4日です。
前々回UPした飛田新地の「鯛よし百番」。現地から、携帯で写真を送りました。
当日、一眼レフも持っていたので、その写真をUPします。
エントランス横にある顔見世の間。以前は、ここに遊女が並んでいたそうです。
昭和45年までは遊郭として営業していました。私が生まれる以前、全く違う世界がここにあったのです。
先日、竹原義二、貴志雅樹、堀部安嗣、3人の建築家の講演を聴きました。その中で竹原氏がこのような発言をしました。
デジカメになり直接ファインダーをのぞかなくなったから、自分の眼でそのアングルを見ていない。それで、写真、建築とも重心がおかしくなっているのでは。
それを受けて、堀部氏の話は以下のようなもの。
ある映画監督が「映画館で映画を観るのは、お母さんの胎内で観るのと同じ」と言った。従来のカメラでファインダーをのぞけば、真っ暗の中からアングルを探している。少しキザに言えば、それは心の眼で見ていることになる。
この話は、すっと心に入ってきました。以来、一眼レフを出来るだけ持ち歩いています。
このエリア、基本的に撮影はご法度です。
もし、この建物以外にアングルを向けたなら……
緊張感をもって撮りました。
建物中心には中庭が配置されています。
中央には、石で出来た巨大なオブジェ。
私達の部屋は、三間続きの大広間。
最も装飾が豪華な部屋です。
調理は関東風すき焼きでした。
甘め、濃い目の割したなので、早めに引き上げるほうが良いかもしれません。
乾杯の後、3時間半があっという間に過ぎました。
沢木耕太郎か、報道写真家、ロバート・キャパの記述だったか、忘れてたのですが、このような話がありました。
カメラは構造上、像を焼き付ける間シャッターが下りる。厳密に言えば、自分が撮りたい画は観ていない。よって、そのイメージこそが写真と言える。
この話はデジカメの出現によって、根底から覆されました。写真家からみれば、2つは似て非なるものなのかもしれません。
物創りとは、そこに物がない中で、創り進めていくものです。これは建築設計においても同じ。未来の像を、自ら創れるのか。そこに掛かっていると言えるのです。
ロバート・キャパの名著は「ちょっとピンぼけ」。ノルマンディー上陸作戦の写真が、手の震えで不鮮明になった、というのがタイトルの由来です。
1枚目も2枚目もちょっとピンボケです。キャパと同じとは言いませんが、私なりに緊張していたのです。
マニュアル撮影なら、腕、気分が反映されるのです。まさに、カメラとは心の眼。
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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました