イタリアとスペインの旅② <フィレンツェ編>

 翌日、8月11日(土)は朝からイタリアの新幹線で移動です。

 チケットは日本で予約していましたが、旅の移動は早めが基本。

 駅まで歩いて1分で、40分前はちょっと早すぎました。子供はややだれ気味。

213

 ローマのテルミネ駅からフィレンツェまではイタリアの新幹線で、1時間半程です。

 車窓から見る景色から感じる事は、何と起伏の少ない国なのか、という事です。

 街を少し離れると延々と続く農場の風景。

 現代なら重機もあり、平地を作ることはたやすい事と言えますが、古代にはこの平地を取り合う為、多くの血が流されたのです。

 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着。

 まずは高台にあるミケランジェロ広場まで、バスで行くことにしました。

 フィレンツェの象徴は何と言っても、ドォーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)です。

 これが最も美しく見えるのが、ここと言う事なのです。その看板に偽りなしでした。

 フィレンツ最古の橋、ポンテ・ヴェッキオも、良く見えます。

 橋の上には宝石店等が建ち並びます。

 これが近くで見るとかなり危ういのです。

 橋からはみ出して建っているその支えは、細い木のつっかえ棒。

 ローマは完全に石の街という感じでしたが、フィレンツェに近付くにつれて、少しずつ森が見えるようになりました。

 そんな事も影響しているのか、軒などは木で出来ているものが目につきました。

 いくら地震が少ないとは言え、日本人の私としては心もとなく映ります。

 再び街中に戻り、ドォーモの屋根上まで登る事にしました。

 この階段が初めこそ良いのですが、上に行くごとに細くなり、最後は上り下り兼用の階段になり……

 大変でした。救われたのは、4歳の娘が、何とか自分の足で登り切ってくれたこと。

 登りづめで20分くらいは掛かった気がします。

 屋根上の塔の部分出るのですが、高さ100mくらいあるでしょうか。

 その景色は最高で、私以外の3人ははしゃいでいました。

 が、正直私は生きた心地がしませんでした。

 階段の途中、どう見ても剥落したのではと思う穴がいくつもありましたし、先日イタリア北部で地震が会った事も頭にありました。

 500年もこの場に建っているんだからと自分に言い聞かせても、数枚シャッターを押すのがやっと。

 もしかすると高所恐怖症なのかもしれません。

251

 この日の宿は、唯一の4つ星ホテル。

 久々に数部屋あるホテルに泊まりました。

 従業員の雰囲気も良く、調度品は落ち着きがあり、いい感じです。

 子供が「こんな所にも絵が描いてある」と引出しを持って来ました。メディチ家の紋章が入っています。

 ルネサンスを支え、ミケランジェロを育てた大パトロンの影響は絶大だったと想像できます。

 このホテル「APRILE」は朝食もとっても美味しく、169ユーロでした。

 行きのアリタリア航空のCAからも、このホテルのスタッフからも娘を指し”She is so beautiful.”と言われました。

 娘なので勿論可愛いと思っていますが、イタリア人はこんな子供が好きなのかな、と思っていました。

 後に泊めてもらうミラノの友人にこの話をしました。

 「イタリア人は、博多人形みたいな切れ長の目に憧れてるところがあるかも。無いものねだりって言う感じかな」と。

 腑に落ちたような、落ちないような。でも、悪い気はしてません。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

メディア掲載情報

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

イタリアとスペインの旅① <ローマ編>

 長い夏季休暇を終え、月曜から仕事を再開しました。

 今回の休暇中、12日間で7都市を回りました。明治維新までは国と言う概念が希薄だったように、古代では都市国家という考えの方が、自然だったのは容易に想像できます。

 それぞれの都市ごとに感じた事を、順にUPして行きたいと思います。まずはローマ。

 8月9日(木)の昼に関空を発ち、夜の7時にローマのフィウチミーノ空港に着きました。フライトは13時間。

 空港バスでローマ市内に入ったのは夜の9時頃です。

 全ての道はローマに通ず。そんな言葉が頭に浮かんできます。ファーストコンタクトというのは兎に角興奮するものです。

 写真はブレていますが、気持ちは入っています。

 初日、2日目の宿は、ローマの中心、テルミニ駅のすぐそばに取っていました。非常に便利が良かったのですが、夜の騒々しい事。

 私は耳栓を持っているので事なきを得ましたが、妻は寝不足気味でした。

 翌日は朝から、2階建てバスに乗って市内を回ります。

 初めのに行ったのはトレヴィの泉。

 世界の旅行者と同じく、私達も再び訪れたいと願うのです。

 ナヴォーナ広場に移動して、ひとまず昼食。

 ミナミでお好み焼きを食べているようなものなので、どんな店なのか全く分りませんが、ピッツァは十分美味しかったのです。

 気温こそ30℃を超えていますが、湿気の無い事がこれほど気分の良いものとは。

 日影に居れば本当に心地よいのです。

 ローマで一番見たいと思っていたのは、パンテオンでした。

 118年にハドリアヌス帝が再建したとあるので、1900年前とほぼ変わらぬ姿がそこにあります。

 天井最上部に空いた天窓は直径9m。

 そこから落ちる光は「全ての神の神殿」に相応しい、静謐な空間を醸し出していました。

151

 その後は、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場へ。

 ヴァティカン市国は世界最小の国で、カトリックの総本山です。

152

 その東にあるサンタンジェロ城は、ハドリアヌス帝の廟として建造されたもの。

 しかし、サン・ピエトロ寺院と城壁で繋がっているのです。

 その城壁の上部には秘密の通路があります。

 非常時にここを通り、逃げ延びた教皇が実際にいるのです。流石、世界の中心は違うなと思います。

 ヴァティカンに来た本来の目的は、博物館にあるシスティーナ礼拝堂を見る為。

 ミケランジェロの最高傑作と言われる壁画「最後の審判」があります。

 写真不可なので画像はありませんが、薄暗い中にあるその絵の大きさと、反対にその細密さに、しばしその場で佇んでいました。

 ミケランジェロは若いころ、顔を殴打された際に鼻梁が曲がってしまい、そのコンプレックスが彼を創作に向かわせたとも言われています。

 その彼の最高傑作とは。ぜひとも見ておきたかったのです。

 初めて来た家族での海外という事もあり、独り旅と同じようには行きません。

 今回はコロッセオで終わりだなと歩いていると、ガイドブックがない。黄色の頼りになるヤツ「地球の歩き方」を、バスに忘れてしまったようなのです。

 すぐに次のバスに乗り、乗務員に私の怪しい英語で事情を説明しました。何とか通じたようで、営業所なのか、電話をしてくれました。

 横で待っていると、別の乗務員が営業所に持ち帰ってくれるとの事。ホッとしました。

 宿に帰ったのが夜の9時頃。こうして初ローマは終わったのです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

メディア掲載情報

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記