カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

日記を書こう

 もう10年程前でしょうか。信州へスキーに行っていました。

 確か白馬乗鞍だったと思います。

 次の日はレースに出る予定で、早く寝るつもりでした。

 ロッジの風呂に入りロビー脇を通ると、住み込みバイトが置いていったのか、沢山の漫画が置いてありました。

 何の気なしに見ていると「パチスロひとり旅」というタイトルに目が止まりました。

 パチンコは学生時代にした事がある程度ですが、何故か気になったのです。手に取って見ると、これが面白い。置いてあった2巻をすぐに読み終えました。

 大阪に帰って調べてみると、ブログのような物があると分かったのです。当時、ブログという言葉があったのかも分かりませんが。

 借金を背負ってしまった原作者はパチスロ(パチンコ店にあるスロット)で稼ぎ、これを返済しようと考えました。しかも旅をしながら。全国のパチンコ店を渡り歩くのです。

 勝った日はホテル、負けた日は車中泊。国取り物語風に、全ての都道府県でプラスにするという副題も掲げられていました。

 勝ち負けの内容と、旅先の風景等をそのサイトで発表していったのです。

 これに目を付けたパチンコ雑誌が、連載を始たのが事の始まりだと思います。

 その頃とサイトを久し振りに見てみました。 

 約600万円あった借金が完済したのかは知りません。

 今でも「何代目○○○」と名乗り、企画は続いているようです。こうなってくると、ビジネスの匂いが強すぎます。

 初期の手作り感のあるページには、何か惹きつけられるものがありました。

 半ばもうどうにでもなれという刹那的な感じと、その自由な生き方にちょっとした憧れがあったのだと思います。

 話の内容はギャンブルメインの旅日記ですが、何かとても身近で正直な感じがしました。いつUPされるか分からないのですが、とても楽しみにしていたのです。

 このサイトが、自分も日記を書いてみたいと思う、直接のきっかけになりました。

 自分の考えを正直に書くのはとても難しいことです。良く思われたくない人など居ないからです。

 さて今日は正直に書けたのか。まあ、自分の考えを書くところが少しだったので大丈夫と思っていますが。

一人前とは

 人の入れ替わりは世の常で、変化のない組織は衰退します。

 よって、実はということも無いのですが、9月に若い男性スタッフが退職しました。辞めるという結論を出したなら、何故とは聞かない事にしているので、本当の理由は分かりません。

 これは自分の経験から決めた事です。

 24歳の時、初めの事務所をクビになった後、ひらってくれた先輩がいました。その設計事務所で働いて1年ほど経った頃、ちょっとしたことで「辞めます」と言ったのです。

 止めてくれるだろうという気持ちが、いくらはあったと思います。しかし結果は「あっそう」という感じでした。

 辞めたいと言っておきながら、止めて貰うもないのですが、大方の若者は私と同じように、自分の発言に責任を持ったことがないと言えば言い過ぎでしょうか。

 いつも誰かが「考え直したら」とか「長い目で見たら為にならないから」とか正しい選択へ導いてくれたと思うのです。

 25歳の時に「辞めずにもう少し頑張ってくれよ」と言われていたら、私はまた違った生き方をしていたと思います。現実は1つしかないので、どちらが良かったを考えるのは全くのナンセンスですが。

 大学生の頃、下宿をしていた同級生が「一人前になるまで帰ってくるなと、父さんに言われている」とよく言っていました。

 しかし、やや違和感を覚えていました。一人前ってなんだろうと。

 「一人前とは逃げないこと」 
 
 出所を忘れていまったのですが、これより分かり易い言葉はありません。意地悪な言い方ですが、一人前は郷里には帰らないのです。

 新聞で、社会派小説家、城山三郎の言葉が紹介されていました。

 「1人のホンモノに触れれば、100人のニセモノを忘れさせてくれる。それが人間社会の有難さである」

 人間関係の問題が、一方にしかないことはあり得ません。勿論私も至らなかったのは間違いないのです。
 
 何度か紹介したのですが、社員の7割に知的障害を持つ人たちを雇用し、チョークを製造している会社、日本理化学工業の大山泰弘会長の言葉を書いてみます。彼は人としての、4つの究極の幸せを定義しています。

 「愛されること、褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること」

 いずれも他者が介在しています。この意味が分かれば、大切なのは自分の都合や考え方でなく、どれだけ誰かの役に立てるかこそが、自身の存在意義だと納得できると思うのです。

レディー・ジョーカー

 最近、低学年の子供が寝る時間は早まる傾向にあるそうです。

 共働きの家庭が増え、朝が早くなったのがその理由と新聞にありました。

 とても良い事ですが、我が家の長男は寝る時間が遅くなって来ました。起きている時間に帰ると、大概本を読んでいるのです。

 現在気に入っているのが「ヘンリーくんとゆかいな仲間たち」というシリーズ。

 横からのぞくと結構文字も小さいのです。

 朝起きてくると同時に読み始めるくらい、好きなようです。

 子供が本を読んでいる横で、テレビを付ける訳にはいかないので、私も食事を終わら一緒に本を読みます。

 おかげで、長らくカバンに入っていた「レディー・ジョーカー 高村薫著」をやっと読み終わりました。文庫本では上、中、下の3巻あります。

 ストーリーは、大手のビール会社、日の出ビールの社長が誘拐されます。

 数日拉致された後、開放。その間に、最小限の言葉で20億円の裏取引に応じるように言われます。

 レディー・ジョーカーを名乗る犯人グループからは「人質は350万キロリットルのビールだ」と脅され、ほぼ言いなりになる日の出ビールの社長。

 犯人グループは、薬局の老店主、競馬仲間の刑事、旋盤工、貸金達。

 事件を追う、警察、新聞社などが過去の事件、人間模様と絡み合いながら、物語は繊細に進行して行きます。

 特に、日の出の社長の日常、心理の動きが細やかに描かれているのですが、何の違和感もなく、実在する人物に見えてきます。

 とても面白かったのですが、読み終わった後、モチーフはグリコ・森永事件と知りました。

 80年代の半ば「かいじん21面相」「キツネ目の男」などで世間を騒がせたあの事件ですが、思い返せば同じような展開ばかり。一番違うのは犯人グループを誰だか知っているということだけ、と言えば言い過ぎでしょうか。

  小説では、警察には知らせないまま、犯行を収束させる為に日の出ビールは、要求通り20億円を犯人へ支払います。

 グリコ・森永事件は未解決のまま。高村薫が描いた犯人像が合っているのかは分かりませんが、こんな闇のストーリーがあったのかも、と思わせるには十分な展開でした。

 この本は知人に勧められ、作家、高村薫が男性か、女性かも知らずに読み始めました。この情報が多い時代、作家のことを全く知らずに作品を好きになるのは貴重なのかなとも思います。

 有名になれば、すぐにコメンテイターとして声が掛かるのでしょうが、発言している姿を見てがっかりしたことも多々あります。

 作家には、やや神秘性があったほうが良いと思っているのです。もしくは、そういう作家に私が憧れているだけかもしれませんが。

ジョブズ

 先週の10月5日(水)。スティーブ・ジョブズ死去のニュースが流れました。

 私はヘビーなMacユーザーではありませんが、反対にMacファンがウィンドウズを使うのとは全く違う動機を持っているのが良くわかります。

 社名の由良も諸説あるようです。

1. 創立の時、かじりかけのリンゴがそこにあったから。
2. 尊敬するビートルズが設立した会社がアップルだったから。
3. 人類に大きな変革をもたらしたリンゴがいくつかある。1つ目はアダムとイブが口にした知恵の実。2つ目は万有引力を発見したニュートンが見たリンゴ。3つ目のリンゴでありたいと考えた。

 3番目の話をどこで聞いたか忘れましたが、ストーリーがあって私は一番好きです。世間並みですが、ジョブズの言葉には力を貰い続けています。
 2008年8月21日(木)、この日記でも有名なスピーチを引用させて貰いました。

 スピーチの結びの部分を掲載したのですが、本来はもっと長いものです。ちょっとおこがましいのですが、段落毎に箇条書きにしてみます。

スティーブ・ジョブス、スタンフォード大学で卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日

【1】  生い立ち
・私はリード大学を半年で中退したので、このスピーチが大学卒業に最も近い経験になる。 
・生みの母は、より良い教育環境を望んでおり、生まれてすぐに養子となった。
・実際のところ、育ての父親は高校を出ていなかったが、必ず大学に行かせるとの約束で、養子縁組は成立した。

【2】 大学中退 
・大学へ行き、半年で興味を失う。何がやりたいか全く分からなかった。
・大学を辞めてからは自分の直感の赴くままに生きた。これが後になって大変活きた。

【3】 点をつなぐ 
・大学は辞めたので、好きな授業だけにでた。哲学やカリグラフィー(西洋書道)の勉強をした。
・カリグラフィーは当時何の役にも立たなかったが、美しい書体を兼ね揃えた、10年後のマッキントッシュ・コンピューターへとつながる。
・ウィンドウズは単なるマックのパクリなので、この時カリグラフィーの勉強に寄り道していなかったら、美しいフォントを搭載したパソコンはこの世になかったことになる。
・未来を予測して、点と点をつなぐことは出来ない。その時点では、信じるしかない。信じることで全てのことは、間違いなく変わる。

【4】 アップルから追い出される
・人生の早い段階でやりたい事を見つけることができたのは幸運だった。
・実家のガレージでウォズとアップルを始める。10年後、社員は4千人になり、20億円企業になる。
・片腕として雇った優秀な人材とビジョンが合わず、また取締役会は彼を支持。30歳を前にして会社を追放される。
・大変落胆したが、やはりこれらの仕事が好きだと分かりピクサーを設立。世界で最も成功したアニメーションスタジオとなった。
・再びアップルに復帰することになるが、追放の経験がなければこれらの事は何1つ起こらなかった。今は最良の出来事だったと理解できる。
・成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わり、人生の絶頂期に新たな1歩を踏み出すことができた。

【5】 死について 
・17歳の時「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」という言葉を聞いた。強烈な印象を与えるものだった。
・それから33年間、毎朝鏡を見てこう問い掛ける。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」答えが“NO”の日が続くと、何かを変える必要があるなと悟る。
・死と隣り合わせにあることを忘れずに思うことが必要。何故なら、外部からの期待、己のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったものは、死んだ瞬間きれいサッパリ消えていくものだと分かっていれば、自分が何か失ってしまうのでは、という思考の落とし穴は回避できる。これは私の知る限り最善の防御策。
・君たちはもう素っ裸。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
【6】 ガンと診断される 
・今から1年ほど前(当時50歳)、治療不可能な癌と診断された。生きて3ヶ月から6ヶ月という見解だった。しかし手術で治せると分かり、現在も生きている。
・以前、死は概念だった。今は確信を持って、死にたい人などいないと言える。
・死は生が生んだ唯一無比の最高の発明品。古きものを一掃し、、新しきものに道筋を作っていく働きのあるもの。
・君たちの時間は限られている。他の誰かの人生を生きて無駄にする暇などない。自分の内なる声、心、直感は、君が本当になりたいことが何か、もうとっくに知っている。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

【7】 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
・若い頃、”The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)”という出版物があり、同世代の間ではバイブルの一つになっていた。グーグルのペーパーバック版とも言うべきもの。
・その最終号にはこんな言葉が書かれていた。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。
・私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止まない。Stay hungry, stay foolish.
 Steven Paul Jobs

 CEO退任がニュースになったのが今年の8月25日でした。僅か1ヶ月程前です。56年の生涯全てを、革新、仕事に捧げたのです。

五七五

 「最近、字を書かなくなった」という会話をあちこちで聞きます。 

 スケジュール管理はスマートフォンという人も多く、ペーパーレス化が加速していると実感するのです。そんな事もあり、長男は書道教室に通っています。その教室で俳句大会があるらしいのです。

 さっそく五七五のルールを習ったようで、指を折りながら、言っています。

 草の中 バッタのレース おもしろい
 公園で ウンテイをして マメできた

 ただ文数を合わせるだけですが、それでも色々と考えているようです。先日買い与えた本には、小林一茶が載っていました。

 やれ打な 蝿が手をすり 足をする
 痩せがえる 負けるな一茶 是にあり
 めでたさも 中位なり おらが春

 一茶は、小さい物、弱い者の見方をする人でした、と解説にありました。

 歴史に名を残す俳人ですから当たり前ですが、たった17文字でここまで違うのです。

 コミカルだったりアイロニカル(皮肉)だったりする句は、一茶のお得意とも言えます。

 早くに母親と死に別れたり、その生い立ちとも関係しているようですが、アイロニカルな表現は、嫌味を感じるか、ふと笑ってしまうか紙一重。この辺りが一流との境目でしょうか。
 
 日本の文化には、金閣寺、日光東照宮、金の茶室など、豪華な貴族文化もありますが、利休の待庵などに代表される「わびさび」の文化もあります。これは、それらへの反発心からくる対比文化とも言えます。

 17文字の小宇宙。

 そんな言葉が頭に浮かびますが、俳句こそがミニマリズム(最小限主義)の行きついたところと言えるかもしれません。

『住まいの設計』 に「イタウバハウス」掲載

 昨日発売の『住まいの設計』11月・12月号に「イタウバハウス」が掲載されました。

 まず雑誌掲載は、クライアントの協力のたまもの。出来上がった誌面は、こらから家を建てるという人へのメッセージ。この場が有る事は、とても有難いことだと思えます。

6ページの紙面を創るためには、多くの人が関わっています。

 まずは作品を選び誌面の構成を考える編集部の人達。そして記事を書くライター、写真を撮るカメラマン。

 撮影は6月初めで、皆東京からの来阪でした。

 今回は-身の丈予算で「自分らしい家」-という特集内です。

 クライアントへの取材、私達が出した資料をもとにライターが記事を構成して行きます。

 素材は提供し、調理して貰う感じ。よって料理の仕方によって全く違うものになります。まさに腕の問われる仕事なのです。
 
 ライターの萩原さんとは、サロンのある家と近現代建築紹介に続いて3回目。取材のあとはいつも「もう一つ上手く説明できなかったな」と反省するのですが、出来上がってきた項を見ると、そんな事もなかったのかなと思います。

 これぞプロの仕事というところでしょうか。

 今回のメッセージは本文にもある通り。

 「何とかなりますか」と問われれば「何とかします」というのが建築家の仕事。

 出来ると分かっている事をするだけなら、私達の仕事など不要だと思っています。

 詳しくは、是非本屋さんで手に取ってみて下さい。

 

知識は勇気を

 「営業マンは断ることを覚えなさい」という本が、ベストセラーになりました。

 発売は2003年となっているので、もう7、8年前のこと。その作者、石原明氏はこうも言っています。

 『知識は勇気を補完する』

 人はだれしも弱いもの。しかし知らないという事は、更に心を迷わせます。不安な状態で良い決断が出来ないのは当然です。

 鋼のような精神力を持っている人は別ですが、そうで無い人はどうすれば良いか。その答えが、前述したものだと思うのです。

 昨年、日本建築家協会に入会したのですが、住宅部会というワーキンググループにも入りました。

 部会員の2人が世話人となり、月に一回、例会を主催します。

 その世話人会は本町の綿業会館で開かれます。

 綿業会館は渡辺節の設計で、当時所員であった村野藤吾が担当していました。

 重要文化財に指定されている近代建築も、見ると使うでは全く愛着が変わってきます。

 先週土曜日の例会は、住宅の見学会でした。石井修設計の目神山の家1-回帰草庵-を見ることができたのです。

 4年前に85歳で亡くなられた、巨匠の自宅は西宮市の山手にあります。

 現在もご親族が住まれ、写真の掲載は控えますが、何度も住宅雑誌で見たその居間に入った光景は、やはり鮮烈でした。

 急な斜面にある敷地を友人と分け、ほぼ同時期に目神山の家1と2が建ったそうです。1の回帰草庵は低い方の敷地にあり、エントランスから、更に急な階段を下りていくと、まずRC造の棟があります。

 屋根に草が生えており、森の中に隠されるように建っているのですが、そこから内部に入ると、中庭を挟んで木造棟へ続く階段があり、下りて行くとそのリビングがあるのです。

 多くの開口がありますが、この時期の木々は鬱蒼としています。まず初めの印象は「暗い」でした。

 目が慣れくると、好んで使ったというキシラデコールのパリサンダで塗られた壁の赤みが、だんだんと浮かび上がってきます。正面には暖炉、天井からは直径2mはある、和紙の照明が吊り下げられています。

 簡素な山荘という趣にも関わらず、艶っぽい幽玄の世界が広がっているのです。

 出来上がって35年。ご子息が案内してくれましたが、RC造部より、木造部の方が改修箇所が少ないというのも印象に残りました。
 
 建築史に残る住宅を見たとき、まず浮かんだのが「本物」という言葉。敷地の変更を最小限にとどめ、自然の中で暮らすのを良しとした設計者、石井修の強い意思を感じます。

 深く考えられ、素材の魅力を引出し、洗練されたディティールによって建築、空間は成り立っているのですが、全く手が届かないものではないとも思えました。勿論それには、研鑽に継ぐ研鑽が必要なのですが、未知の次元ではないと感じたのです。

 知る、経験する、頭を打つ。自らの成長に繋がるなら、何にも代えがたい喜び。ちょっと立ち止まってしまった時、知識は勇気を補完すると唱えてみるのです。

関西56人の建築家と家をつくる。夢を形にした60のストーリー

 7月10日の日曜日に、(社)日本建築家協会近畿支部が編集した建築家カタログVOL.6が発売されました。

 建築家協会は一般的に、JIAと呼ばれます。


 カタログということは、私も1つの商品になった訳です。題名は『関西56人の建築家と家をつくる。夢を形にした60のストーリー』

 昨日、堂島アバンザのジュンク堂に寄ると、店頭に並んでいました。作品は「加美の家」

 居室は内外ともコンクリート打ち放し仕上げで、建物と庭の関係にこだわって設計しました。

 先日も近くを通った折に見てきましたが、汚れもなく、とても美しい状態に保たれていました。

  欧米では、作家性を持つ建築家と、エンジニアとしての建築士は違う職業として区分けされます。

 日本ではJIAに「登録建築家制度」というものがあり、私も登録していますが、それらの違いを分かり易く解説してくれるのが、前JIA会長の出江寛氏です。

 「建築屋」とは本屋さんや八百屋さん、あるいは政治屋などのように『物』に携わる人。

 「建築士」とは教師や弁護士あるいは詐欺師などのように『技術』に携わる人。

 「建築家」芸術家とか音楽家など『心』に携わるの人。

 設計するという事は広い意味で建築を売っている訳ですから、私は「建築屋」です。私は一級建築士の資格を持っていますから「建築士」でもあります。

 そして私は「建築家」と呼ばれていますが、それは私の建築に対する姿勢を見て評価して頂けたものだと思っています。

 建築が単に『物』や『技術』のみで終わることなく『心』を込めた物でなければなりません。

 さて、この日記の題名には「建築家」と付けています。

 誰かがそう呼んでくれたから、加えたのではありません。事務所を始めた時から、そう名乗っています。

 出江的美意識からするとNGかもしれませんが、社会的に認知されたら建築家を名乗るなど、悠長なことは考えていなかったのです。
 

寄り添うことはできる

 昨日は夏至。

 当たり前の事ですが、一年で一番太陽が長く出ている日です。

 小学生が夏休みに育てるのは、ヒマワリとアサガオです。

 我が家でも、随分大きくなってきました。

 ヒマワリは向日葵と書きます。いつも太陽の方を見るように、私達も常に希望を見て生きて行きたいものです。

 玄関で子供が育てるのはカブトムシの幼虫。ついにサナギになりました。

 植物も、虫も明るい日の下に出るため、暗い土の中で過ごしている期間があります。

 人にとって、明るく前向きであることは一番大切な事です。しかし、反対の出来事からも学べる人が、更に奥行のある人へなって行くのかもしれません。

 作家の伊集院静が、テレビでこんなことを言っていました。

 「小説が人の人生を変えられるとは思っていない。ただ寄り添うことは出来る。誰しもこんな悲しみがあるんだな、とか。そういう小説を書きたい。なかなか書けないけどね」

 伊集院静は最後の無頼派と言われ、無類のギャンブル好きだそうです。

 ギャンブル小説の最高峰は阿佐田哲也の「麻雀放浪記」でしょう。学生の頃、もう熱中して読みました。本名の色川武大名義では「怪しい来客簿」や、直木賞作品「離婚」などの純文学も書く多才な作家でもあります。

 彼を師事し、晩年まで同じ卓を囲んでいたのが伊集院静でした。
 
 広告代理店のCMディレクターから始まり、近藤真彦の「愚か者」「ギンギラギンにさりげなく」の作詞と、多彩なキャリアを誇ります。直木賞作家でもあり、以前から気になる作家でしたが、まだ作品を読んだことは無いのです。

 前妻の夏目雅子が亡くなった時の事も語っていました。

 「金があれば海外で移植を受けさせられたかもしれない、と考えた。しかしそれは叶わなかった。それからは、金なんかに左右されない人生を、ビクともしない人生を歩んでやると決めた」

 ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和も今回の震災をふまえ「音楽が誰かを助けられるとは思っていない」と発言していました。

 「私の時も、そうだった。ただ、思っているほど、人は弱くない。ただ、音楽はそこにある事は出来る」と言っていたのです。

 共に、自身のパートナーを失った経験を語っています。その世界で上り詰めたと言っていい2人が、行きついた答えは同じものでした。

 仕事において「幸せのために」を追及して来たつもりですが、「寄り添える」という言葉を聞いた時、何の違和感もなく体の中に入って来ました。

 寄り添うことはできる。

なずな咲く

今月の中旬、香川へ行った時に「なずな」が咲いていました。

ペンペン草のほうが通りが良いでしょうか。最近あまり見かけなくなった気がします。

 よく見れば なずな花咲く 垣根かな

芭蕉の代表作で、私の好きな句なのです。

垣根の狭間に咲くなずな。そんなところに季節の移ろいを感じられる人でいたいと思います。

小さい頃、大人ってタフだなと思っていました。そうなりたいと思う反面、なんと言えばよいか感覚が鈍くなっていくのは嫌だなとも思っていたのです。

40歳になった今、12歳の頃と同じ人間なので本質は変わらないと分かります。しかし当時と比べると、その都度落ち込むことはなくなったと思います。

タフになったのでなく、落ち込んでいても現実は寸分も変わらないと、知ったのです。悟ったように書きますが、もちろんまだ過程。そう言い聞かせている部分もありますが。

以前、明石家さんまが「生きてるだけで丸儲け」と発言していました。素晴らしい!としか言いようのない人生観です。だからこそ彼は成果を出し続けるのでしょう。

地震の起こった3月11日。24歳のスタッフが入所しました。彼は千葉の船橋出身。当日は情報が入るたびに不安だったと思います。

先週末は実家に帰って家族にも会えたそうです。親御さんにも、頑張れ!と励まされ戻ってきました。

仕事に精進し、感じられる、しかも前向きな仕事人になって欲しいと思います。その為に全力でサポートします。

一生懸命働くことが、本人の、日本の、世界の幸せにつながると信じています。