先週末、香川県牟礼町にある、イサム・ノグチ庭園美術館へ行って来ました。
以前紹介した、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(2004/10/14「さぬき その2」参照)と共に評価の高い美術館ですが、こちらは葉書での申し込みが必要です。
バスで行くセミナーに参加したので、往路での昼食は讃岐うどんの有名店「わらや」のたらいうどんでした。
彫刻家・イサム・ノグチ。彫刻の他にも庭園、公園の設計など活躍は多岐に渡ります。
和紙と竹ひごで作られた照明器具「あかり」シリーズも彼の作品で、私も建築設計の中でよく使わせて貰います。20世紀の偉大な芸術家ですが、その生い立ちは複雑なものでした。
1904年、詩人、野口米次郎と作家レオニー・ギルモアの間にハーフとしてロスアンゼルスで生まれます。父は彼の誕生前に日本に戻ってしまいます。女手ひとつで育てられますが、やがて父を頼って母子は来日します。しかしその生活も長くは続かず、再び異国の地で2人での生活に逆戻りしました。現在よりもハーフへの差別は大きく、苦しみの多い、孤独な少年時代だったようです。
その後、母の勧めで13歳の時再びアメリカに渡ります。苦学しながらも自らの才能に目覚め、彫刻家として生きる決意をしたイサムは母の姓を名乗るのを止め「イサム・ノグチ」を名乗ります。
日本にいればアメリカ人、アメリカにいれば日本人と見られる。どこにも帰属しないという孤独を彫刻家として背負うことを決意したのでしょう。
ニューヨーク、ヨーロッパ、エジプト、インド、バリそして自らのルーツ、日本と、世界を渡り歩きながら創作を続けます。1951年に日本の女優・山口淑子(李香蘭)と結婚しますが1958年には離婚します。
その後、再びニューヨークに戻り創作に打ち込むイサムは「未来の彫刻は地球そのものに刻み込まれる」という考えに至ります。「地球こそ理想のデザインである」という建築家フラーの言葉に強く影響を受けていたようです。
彫刻だけでなく、新たなフィールドを見つけたイサムが晩年アトリエと居を構えたのが牟礼の地でした。
イサムは良質な安治石の石切り場が見える、この地をこよなく愛しました。庭園美術館の中は写真撮影禁止なので、紹介できませんが、庭園内には、完成したもの、製作中のもの、無数の石の彫刻が屹立しており、その景色は圧巻です。
1988年イサム・ノグチはニューヨークにて没しますが、石の作品群の中を歩いて回る彼の姿が目に浮かぶようでした。
ここには古い酒蔵を移築した収蔵庫兼展示スペースがあります。その中に入った瞬間、ゾクゾクすのものがありました。
彼の人生は、どこにも帰属しないという孤独を埋めるための創作の旅でした。石は語りませんが、こめられたメッセージはより強く伝わってきます。
展示スペースには彼の代表作「エナジー・ヴォイド」(1971年製作)があります。国籍に翻弄され放浪の人生を送ったイサムの「平和」と「原爆反対」の願いが込められてています。
権力の空しさを形にしたものなのです。
(上写真:イサム・ノグチと「エナジー・ヴォイド」 パンフレットより)