タグ別アーカイブ: 能登半島地震

能登半島をめぐる、街、宿、食‐2250‐

8月28日(木)の夕方から8月31日(日)まで、災害復興まちづくり支援に能登半島を訪れていました。

最終回は、街、宿、食を書いてみたいと思います。

8月28日(木)は、21時頃金沢駅に到着。

駅近くの、日航ホテルに泊まりました。

早めに取ったので1万2千円くらいでした。

29日(金)は17階からの日の出を楽しんで、早朝に金沢を発ちます。

9時半頃に能登町に到着。

役場のある街、宇出津(うしつ)の海沿いには「みなとのニワ」があり、イベントに利用されているとのことでした。

29日(金)、30日(土)と、5件の相談者の自宅や店舗を回ったのですが、土塁のような場所を見かけました。

2005年に廃止された「のと鉄道」の穴水 – 蛸島間のようです。

廃止されてゆく地方の公共交通は切実な問題ですが、遺構のようなその風景は何とも物悲しいのです。

廃線となったエリアにある道の駅「イカの駅 つくモール」です。

九十九湾の最奥にありますが、名物はこのオブジェ「イカキング」です。

イカで有名な港街ですが船凍イカが食べられます。

1500円くらいだったと思います。

普段アイスクリームは食べませんが、名物・イカスミソフトを食べてみました。

これが、コクがあってかなりいけます。

しかも400円代でした。

29日(木)は、能登町の「ラブロ恋路」という宿に泊まりました。

男ひとりで泊まるには、ロマンティックすぐる名前ですが、すぐ近くにある恋路海岸から取ったようです。

約700年前から伝わる、ある若者と娘の悲恋伝説から付いた名前でした。

聞くと第三セクターとのこと。


こういった夕食がでてきた時、味に期待する人は少な目では。


しかし、見事に期待を裏切ってくれました。


豚肉の豆乳鍋、地魚の刺身、付け出しのイカの麹付けは絶品でした。

朝食にはカレイの一夜干しをあぶって頂きます。

朝からご飯を3杯も食べてしまいました。

こちらは2食付きで1万3千円。お得感はあります。

2日間の活動を終え、再び金沢に戻ったのが30日(土)の21時頃でした。

三井ガーデンホテルは、食事なしで1万3千円程。

最上階にある大浴場の景色が素晴らしく、コストパフォーマンスの高いホテルでした。

夜ご飯をと、近くにあった近江町市場を歩きますが、概ね閉まっています。

「ラストオーダーまで20分ですがいいですか?」と言われた居酒屋で、すぐに頼んだ刺身の盛り合わせ。

急いで追加のクエの刺身。

夕方から、能登半島をぐるりと回って金沢に戻ったので、夜は時間切れでした。

ビール2杯で5千円程。次回はゆっくり寿司でも楽しみたいものです。。

翌31日(日)は、朝から金沢市内をまわりました。

「金沢の夜」片町にある、金澤名物とあります。

かなり混むだろうと思い、閉店1時間前の14時に行くと「14時半までですが大丈夫ですか」と。

全く同じパターンで、急いでおでん盛り合わせをオーダー。

6種入っていましたが、赤白の蒲鉾「赤玉」が名物のようです。

「車麩」と「魚団子」が美味しかったです。

「梅貝」。

はんぺんより歯ごたえのある「ふかし」、「タコ」もかなりいけました。

食事のみで4千円でした。

夕方、北陸新幹線の「はくたか」に乗車。

金沢から敦賀までは約1時間です。

敦賀でサンダーバードに乗り換えると、大阪まで1時間半程です。

一番スムーズな乗換は、8分に設定されています。

もし駅弁などの買い物を楽しみたい人は、一本ずらすことをお勧めします。

行きは買えなかった「鯛鮨」を千円ちょっとで購入。

お土産にしましたが、家族の評判は良かったです。

司馬遼太郎も愛した湖西の景色。

湖西線から琵琶湖を望む景色は、全く飽きません。

座席は「D」一択です。

1時間半で大阪まで帰ってきました。

電車は、チケットレスで購入すれば、大阪-金沢で片道8500円。

レンタカーは初めて利用したトヨタカーシェアなら、朝6時でも夜の23時でも店舗へ行く必要は無し。

スマホが車のキーになります。

とても便利でしたが、2日で2万6千円。

普段レンタカーをしないので、これは高いのか安いのかは分かりません。

お金のことばかり書きましたが、一番の復興支援は、やはり人が訪れること。

言い方が難しいのですが、普通の店、宿で食べても、魚介類はどこでも素晴らしく美味しかったです。

旅行に行った時には、少し奮発してみようかと思ったのです。

少しでも出掛けてみようかと思ってもらえたら、これ程嬉しいことはありません。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催■■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

金沢の街を一日で歩き尽くす‐2249‐

患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載 されました。

掲載されることは聞いていましたが、時期は分かっておらずで昨日気づきました。

8月1日から11月30日までの掲載だそうです。

1年を3期に分けているのですが、2期においては、作品紹介ページで上から2番目でした。

順番は関係ないとはいえ、大変嬉しいことです。

早速、院長の江口さんに報告したのですが、とても喜んでくれました。

前回は、地震発生から1年9ヵ月たった能登半島へ、災害復興まちづくり支援のボランティア活動の詳細を書きました。

土曜日は金沢で一泊。

翌日曜日は、市内を回ってきたので、そのことを書きたいと思います。

金沢に前回来たのは2012年なので13年振りです。

まずは金沢らしい景色を求めてひがし茶屋街へ。

石畳の通りに、出格子と座敷を備えた現役の茶屋が続く風景は、江戸時代から大きくは変わっていないよう。

ところどころにある、柳が涼しげです。

ひがし茶屋街の脇を浅野川が流れますが、金沢は川の多い街でもあります。

800円でバスの一日券があるのも嬉しいところ。

このマップを見ても、観光に力が入っているのが伝わってきます。

私は、スマホ版を購入したのですが、バスを降りようとしたときにログアウトしてしまったので、紙版の方が無難かもしれません。

そのバスに乗って、兼六園までやってきました。

実は訪れるのは初めて。

言わずと知れた日本三大庭園のひとつです。

重要文化財に指定されている、石川城の石川門の向かいにありますが、もとは城の見張り台だったとありました。

園内の景色は見ごとなものですが、そのロケーションも特別なものだと分かります。

江戸末期につくられた、日本最古と言われる噴水がありました。

瓢池(ひさごいけ)は、最も古いといわれる箇所で、加賀百万石の粋を感じさせるのです。

兼六園に隣接するいしかわ生活工芸ミュージアムです。

谷口吉郎の設計で、1959年の完成です。

金沢での目的のひとつが、地元出身の建築家、谷口吉郎・吉生親子の建築をめぐることでもあります。

エントランスまわりは、手が入っていないようで、往時の空気感を感じさせてくれます。

そのまま兼六園の外周を回るように、時計回りに百万石通りを下ります。

坂は景色を変化させるので、強く記憶に残るのだと思います。

日曜日は酷暑の一日だったので、汗をかきながら、普段と違って、ゆっくりゆっくり歩きました。

坂を下りきると金沢21世紀美術館が見えてきました。

妹島和世と西沢立衛の元子弟コンビの設計ユニット、SANAAの最高傑作のひとつと言ってよいでしょう。

真円のシンプルなプランに街に開かれた美術館は、酷暑の夏で、より多くの市民がこの景色を楽しみ、涼んでいました。

建築家である以上、こういった仕事をしたいといつも思わせられる建築です。

当日は35度くらいあったので、できるだけバスで移動しましたが、鈴木大拙館までは歩いてみました。

15分くらいだったでしょうか。

こちらも、兼六園のある小高い丘の裾あたりに建っていますが、そのロケーションの活かし方が秀逸でした。

館としては地元出身の哲学者、鈴木大拙を紹介し、その功績を知ってもらい、思索する場となることを願って開館したとあります。

息子である、谷口吉生の設計で2011年に完成しています。

これは、鈴木大拙館の後に行った、谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館のファサードです。

代表作である、豊田市美術館などでみられるような、これぞ谷口吉生という空間構成でした。

しかし鈴木大拙館は、谷口吉生の違った一面を見せてくれました。

撮影可能な場所は限られているのですが、氏の建築ではめずらしい、方形の独立棟がぽつんと置かれています。

そこから見る水盤に、ときおり「ボコッ」という音とともに水紋が広がるのです。

無言にして雄弁とも言える、空間が広がっていました。

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館まで移動したのですが、名前は親子が並列されていますが、子・谷口吉生の父・ 谷口吉郎へのオマージュと言って言ってよいと思います。

この空間は、父・吉郎が迎賓館赤坂離宮和風別館を再現したものです。

実際は池に面しているのですが、それを子・吉生は水盤で表現しました。

父・吉郎は犀川の横にあった、九谷焼の窯元の家に生まれました。そこにこの館が建っています。

親子とも東大卒でもあり、いろいろなことに圧倒されてしまいました。

前の通りの名前は蛤坂。

何とも美味しそうな名前です。

金沢は高低差があるので坂が多く、函館や長崎と同じように、これらが旅情をさそう景色を形作っていると感じます。

川が多い上に山も近く、街と自然の距離感がとても近い街でした。

長くなってしまったので、次回、食、宿などを書いて完結編としたいと思います。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

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能登半島地震、復興まちづくり支援。一歩前へ‐2248‐

8月28日(木)夕方の大阪駅です。

18時10分発のサンダーバードに乗車しました。

湖西線を抜けて、1時間半程で敦賀に到着。

北陸新幹線に乗り換えて更に1時間。

金沢までやってきました。

そのままホテルで一泊し、翌朝レンタカーでのと里山海道を北上します。

能登半島地震発生から1年9ヵ月経ちますが、北に向かうにつれて、道路はいたるところで復旧工事が行われています。

かなり余裕を見て6時半に出発したのですが、途中渋滞があったり、下道では片側通行があったりで、能登町まで3時間近く掛かりました。

能登町役場があるのは宇出津という街です。

「うしつ」と読みますが、見ての通り天然の良港で、北前船の寄港地として栄えました。

現在でも内浦地区の経済の中心となっています。

本当に美しい港だなと思って海沿いまで行くと、その水面の高さに驚かされます。

湾に注ぐ川べりを見ると、水面の高さが分かるでしょうか。

災害復興まちづくり支援のボランティア団体から、建築士の参加を広く募っていると知り、参加させて貰いました。

前回の熊本地震と違う点は、弁護士と建築士がチームになって回ることです。

弁護士がコーディネーターとしての役割と、支援金制度などについてもアドバイスしてくれるのは、素晴らしい試みだと思います。

能登町も大きな被害を受けていますが、徐々に復興は進んでいるように感じました。

ただ、地震後1年9ヵ月経ってからの相談依頼なので、大きな問題を抱えている方が大半でした。

2日で5件回ったのですが、同じ班になった建築士の方の意識も高く、非常に遣り甲斐がありました。

能登半島の先端部は、北側の外洋に面する輪島市や珠洲の北側周辺を外浦と呼びます。

南側の、能登町、穴水市、七尾市周辺を内浦と呼びます。

外浦周辺は最大4m隆起した場所があり、内浦は30cmから50cm下がったとの言われた方もいました。

能登半島の先端は、北側が大きく隆起し、反対に南側は沈下したのです。

相談内容はここでは書きませんが、2日間の相談・調査の後、能登の先端をぐるりと回ってきました。

宇出津から少し北の白丸地区は津波の被害を受けています。

海沿いにある白丸郵便局は、震災遺構となると弁護士から聞きました。

シートの中は、津波の被害がそのまま残っています。

少し北上すると、珠洲市に入ります。

見附島は軍艦島とも呼ばれていましたが、地震で大きく崩れ、その形状が変ってしまいました。

「えんむすびーち」とありますが、復興と共に観光客も取り戻したいところです。

ただ、見附島から北のエリアの被害は甚大でした。

右に左に倒れる電柱や、ぐにゃぐにゃと曲がる鉄製の柵が、凄まじい揺れを物語っています。

手つかずの建物も多く残っていました。

そして珠洲市役所までやってきました。

震災発生の際に、リアルタイムでその様子を映していたのは屋上のカメラでしょうか。

一番驚いたのは、内浦では特にですが、震災後も多くの家は黒瓦で葺き直しています。

揺れに対しては軽い屋根が強いので、金属板で葺き直す方が有利なのですが、ほとんどそういった家は見かけませんでした。

その黒瓦が艶やかで、日本の原風景とも言ってよい、甍の続く街並みを残しているのです。

そのあたりは、住んでいる人たちの覚悟のようなものをヒシヒシと感じたのです。

そのまま能登半島を横切り、輪島へ向かいます。

内陸部の道路は大きな被害を受けた跡が、まだまだ残っていました。

輪島の朝市通り周辺は、火災の被害が最も大きかった場所です。

能登町の方が「輪島、珠洲の方が揺れは酷かった」と言っていたことも理解できます。

火災が起こったエリアはほぼ手つかずで、焦げ跡だけが残っていました。

ポツンと残った黒焦げの木が、夕日を浴びてなんとも物悲しい風景だったのです。

輪島から南下し、何とか陽のあるうちに、黒島地区までたどり着きました。

宇出津と同じく、北前船で栄えた黒島は江戸時代に幕府の直轄地となっています。

黒瓦と下見板が張られた街並みが、当時の繁栄を感じさせますが、倒壊した建物も多くあります。

被害は甚大だったようです。

すぐ目の前にある海が繁栄をもたらしました。

しかし、最大4m隆起したと言われる外浦地域では、多くの港が干あがり、港としての機能を失っています。

堤防の下半分が白っぽくなっていますが、そこまで海に浸かっていたのです。

海が隆起したことで海岸線が後退しますが、その景色は、今まで日本では見たことのないものでした。

何とも言えない、虚しさを感じたのです。

そろそろ沖に漁火が見えだしたので、黒島を後にしました。

ある相談者の女性は、地震発生時に、近くにあったテレビ台にしがみついたそうです。

激しい横揺れで、テレビ台ごと1.5m程海岸側にずり動かされました。

その横揺れの後、最後に「ドーンと地面が落ちたと」語っておられました。

内浦地区のことなので下がった方向は南側です。前の道路とは、50cm程の段差ができていました。

全てが地震の動きと合致します。

そのテレビ台は小さく2ヵ所、塗装がはがれている箇所がありました。

揺れに耐える際、女性の爪が食い込んだ跡だったのです。

なぜ、大地震はこれ程美しい場所にばかり起こるのでしょう。

全ての相談を終え、そんなことを感じていたのです。

今回の、弁護士と共に活動する復興支援は、とても良い試みだと感じました。

コーディネーターの弁護士さんに「なぜこの活動をしているのですか?」と聞くと、「天災は重大な人権侵害がおこります。基本的人権を奪いかねないからです」と。

それを聞いて納得できました。確かに、人としての尊厳を保てないような生活を強いられている人を多く生んでいるのです。

震災後、1年9ヵ月が経過しているにも関わらず……

その状況が過酷な人もおり、少しでも職能を活かせるなら、積極的に参加したいと思いました。

そして、その現状を伝えると共に、是非現地への観光も促したいと思っています。

次回は、能登、金沢の魅力を、たっぷりお伝えしたいと思います。

ある公民館の、小便器の前にあった貼り紙です。

どんな状況でも、ユーモアは忘れないようにしたいものです。

■■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催■■■

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