タグ別アーカイブ: 谷崎潤一郎

雨のち曇り、そして青天井‐1601‐

 前回は、芦屋の「谷崎潤一郎記念館」と谷崎が暮らした「富田砕花旧宅」を訪れたところまで書きました。

 更に谷崎の足跡をたどるべく、阪神電車の魚崎駅まで移動してきました。

 住吉川の左岸を走る六甲ライナーに沿って、北に5分程歩いたところにあるのが「倚松庵(いしょうあん)」、別名『細雪』の家です。

 明治、大正、昭和を生きた文豪、谷崎潤一郎の代表作『細雪』の舞台となった旧宅です。

 六甲ライナーの工事のため、150m南の敷地から移築されたのが1990年(平成2年)のことです。

 阪神間では13件もの家に住んだ谷崎ですが、昭和11年から18年と、最も長く住んだのがこの家です。

 3人目の妻、松子は前夫との間に恵美子という娘が居ました。

 また、次女だった松子には三女、四女がおり、この倚松庵で一緒に暮らすことになります。


大阪船場の旧家、蒔岡家には美しい四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子がいました。

 幸子は、貞一郎を婿養子に迎えて芦屋に分家しているが、堅苦しい本家を嫌って雪子と妙子は、芦屋に居つきます。

 なかなか縁談が決まらない雪子、自由奔放に生きる四女の妙子らの、優雅な日常を、船場言葉で描いたのが『細雪』です。

 谷崎自身が貞一郎のモデルで、家族の日常をほぼそのまま描いた物語なのです。

 名作は一通り読んでいるつもりでしたが、未読だったようです。

 早速購入したのですが、読み始めから谷崎の世界に引き込まれていきます。

 文章が美しく、読みやすい。

 例えるなら、口当たりのやわらかい上質のワインのよう。芳醇といった言葉が、自然に浮かんでくるのです。

 この歳になって、大谷崎の筆力に感激したのです。

 エントランスを入るとすぐにあるのが応接室。最も登場場面が多い部屋でしょうか。

 谷崎は洋風好みだったようで、マントルピースがあり、ステンドグラスも見えます。

 隣合に食堂も机と椅子。

 一脚だけが当時のままとありました。

 反対に浴室は五右衛門風呂。

 祖父の家には五右衛門風呂が残っていたので、かろうじて現役経験者なのです。

 台所には面白いものがありました。

 これも当時の物で、冷蔵庫だそう。上の部屋に氷を入れる原始的なものです。

 管理の女性は65歳くらいでしょうか。

 「昭和40年くらいまでは、氷屋さんが毎日配達してくれたものですよ」と言っていました。

 私が生まれる少し前まで、そんな暮らしがあったのでしょうか。

 2階南東角の部屋は、三女雪子の部屋。

 一番奥にあるのは、奔放な人生を歩む四女妙子の部屋です。

 これは1階最奥にある和室の地窓。

 作品中でも、陽と陰を描き分けています。

 先に寄った「谷崎潤一郎記念館」では、生前の松子夫人のビデオが流れていました。

 かなりの年齢だったと思いますが、そのきりっとした話しぶりに品格と知性がにじみだしているようでした。

 エントランス脇の床に掛かる文字は、彼女の直筆とのことでした。

 自らの名にある松を、とても好きだったそうです。

 それで門の脇にはおの大きな松の木が植えられたのでしょう。

 奈良の志賀直哉旧居も素晴らしいなと思いましたが、私の中では双璧です。

 最終的には70歳の時、1956年(昭和31年)に京都の家を売却し、関西での生活を終えます。

 37歳、1923年(大正12年)の関東大震災でやむを得ず関西にやってきた谷崎は、当初関西を嫌っていたとも言います。

 しかし、食べ物の美味しさ、山と海を臨む阪神間を気に入り、作家として最も充実した時期を過ごすことになりました。

 『細雪』に至っては、場所と共に家まで作品にとって重要な役割をはたしています。

 建築と街に関わるものとしては嬉しくありますが、ピリッとした気持ちにもなります。

 ノーベル賞候補に何度もあがった文豪の半生を、2回に渡って勝手に分析しましたが、スケールが全く違うというのが実感です。

 巨匠、文豪はいつも興味の対象です。

 どんな世界でも青天井であるのは同じです。大雨のち曇りの、とてもモチベーションが上がった一日だったのです。

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噂の文豪の、危ない関係‐1600‐

 昨日は「災害級の大雨」という記事をみて、遠出はやめることにしました。

 九州南部では、残念ながらその通りとなってしまい……

 熊本は2016年の震災のあと、建物の危険度判定活動に参加しました。「水の国」を実感したのですが、今回の大雨もそろそろ終息に向かってくれれば良いのですが。

 阪神電車に乗って、芦屋までやってきました。

 阪急電車と共に、芦屋川の上に駅があります。

 南東へ歩いて10分程のところに「谷崎潤一郎記念館」はあります。

 絵でも観に行こうかなと探していると、あまりにもセンセーショナルなキャッチコピーに目を奪われたのです。

 1886年(明治19年)、東京の日本橋に生まれた谷崎潤一郎は、東京帝国大学に在学中の24歳のときに「刺青(しせい)」を発表。

 あまりに過激な描写で、なかなか注目されなかった作品でしたが、当時の流行作家・永井荷風に激賞され、一気にスターダムの階段を上って行きます。

 1923年(大正12)、37歳のとき箱根で関東大震災にあい、そのまま関西へ移住。

 その風土を気に入り、その後の21年の間に阪神間で13回も引越しを繰り返しました。

 京都にも別荘を持ち、この館の庭もそれをイメージしたものだとありました。

 『スキャンダル~噂の文豪~』のポップに全く恥じず、その私生活は凄いの一言でした。

 3度の結婚、人妻、妻の妹、息子の嫁と、女性への欲望を隠そうとしませんでした。むしろ、それらが執筆の原動力だったという切り口です。

 大谷崎とまで言われた、何度もノーベル賞候補になった文豪に失礼ですが、それよりもその私生活に興味深々でした。

 谷崎により興味が湧き、実際に暮らした家が近くにあると分かり、更に10分程東へ歩きました。

 ひとつ大阪よりの打出駅との間に、富田砕花旧居はあります。

 現在は芦屋市が管理しているとのこと。

 静かな住宅街に突然小振りな瓦屋根の家が見えてきました。

 詩人・富田砕花は岩手県の出身ですが、縁あって1984年に亡くなるまでこの家で暮らしたそうです。

 自然派の作家らしく、庭もあまり手を加えていません。

 母屋は戦争で焼失し、建てなおしたものとのことでした。

 それでも、昭和の雰囲気が色濃く残っています。

 もとは社会の先生だった方が、色々と教えてくれました。

 門の右にあった棟を角屋と呼んでいるそうですが、1階は砕花の資料展示室となっています。

 この角屋だけが戦火を免れたそうです。

 谷崎は、1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)までこの地に暮らし、この2階で「潤一郎訳源氏物語」を執筆したそうです。

 私が建築設計をしていると言うと、普段はみれないんだけどと、2階も案内してくれました。

 天井に引戸があります。

 それをスライド。

 のぞかせて貰いました。

 「窓がここしかないので、あの下で執筆していたのでしょう」と。

 好意に感謝し、ここを後にしたのです。

 谷崎の初めの妻、千代は従順な女性でした。しかし妹せい子は対照的に、奔放で小悪魔的な性格。せい子にのめりこんで行きます。

 谷崎の親友で詩人の佐藤春夫は千代に同情を寄せ、それが愛情へと変わって行きます。

 谷崎はそんな佐藤に、千代を譲るといいます。しかし結局せい子とは破局。佐藤との約束は反故にされ、絶交します。

 これが世に言う「小田原事件」ですが、形ばかりの夫婦に戻った谷崎は、自分たち仮面夫婦を題材とした「蓼食う虫」を執筆します。

 作品の完成後、千代は佐藤春夫と結ばれるという結末を迎えますが、「妻譲渡事件」と世間を騒がせたのでした。

 佐藤春夫の代表作「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか」は千代への思いから生まれたものだと知りました。

 谷崎の「陰影礼賛」は建築の世界でも名著として知られています。

 軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、谷崎は日本の美を見出だしたのです。

 陰があってこその光。人の人生も、光だけでは立体的に捉えることは難しい気がします。

 それでも昭和の文豪たちは、全くレベルの違う危ない関係だったのです。

 この日はここまでと思っていたのですが、「細雪」の舞台も訪れることにしました。

 続きは次回に。

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