タグ別アーカイブ: ゲツモク日記

チャンネル登録者数、祝100人!‐1881‐

昨日も車で打合せに出ていました。

花を育てる畑でしょうか。光の強さも増してきました。

日の出が早くなると、目覚めも快適。自然にジョギングにでる回数も増えていきます。
なんだか縁起の良さそうな雲をみつけました。

事故をよく見る日はあるものです。

昨日は3件も。

中国道の吹田~宝塚の工事閉鎖が影響しているのかもしれません。当事者は本当に大変です。舌打ちしなくて良いように、早めの出発を心掛けたいものです。

昨夏に開設したYouTubeチャンネル、『建築家・守谷昌紀TV』ですが、ようやくチャンネル登録者数が100人を越えました。

100人を越えると任意URLを設定できるので、ひとつの目標にしていたのです。

新URLはhttps://www.youtube.com/c/moritanitvです。

「しっかりUPし続けていれば、100人くらいはすぐ」と解説しているサイトが多かったので、「そんなものかな」と思いスタートしました。

ずぶの素人が始める訳です。実際はそんなにたやすいはずもなく……

Ohanaの石井さんには、開設10日後から参加をお願いしました。

なかなか登録者数が増えないなか、牽引してくれたのが「8.8坪の家」の動画だと思います。

1ヵ月で再生回数が3000回を越えました。

「8.8坪の家」ピンタレストでもかなり人気で、私にとっては孝行息子のような存在です。



「H型プランの平屋」も1200回を超え、この2本が登録者数をジワジワと増やしてくれたような気がします。

日本一レベルなら1千万人ですから、足下にも及びませんがこれは100と言う数字ではありません。100人という数の人が実際に行動してくれたのですから。

ちょっと無理を言って登録をお願いしたクライアント。快くその場で登録してくれた現場の職人さん等。心から感謝しています。


通信教育の老舗、Z会に入会していたことがあります。その代名詞ともいえるのが「継続は力なり」というフレーズ。

出自は謎とされてきたようですが、そのことに触れた新聞記事を見つけました。

2018年11月18日の西日本新聞によると、大分県出身で 童謡「夕焼け小焼け」の作詞者としても知られる童話作家、久留島武彦(1874~1960年) によるというものでした。

1911年のアメリカ旅行で知った「考えは力なり」という言葉をもとに、「継続は力なり」を考え、座右の銘として使い始めたそうです。

Z会は御多分に漏れず1年を待たずに退会。NHKラジオの基礎英語も続かずでした。

続けるには仕事とするのが一番です。簡単に辞めたりすれば信用して貰えませんから。

私の仕事は建築設計ですが、ゲツモク日記も、 建築家・守谷昌紀TVも仕事だと思っています。 YouTubeチャンネルも力となるまで継続したいと思います。

次の目標は1000人。1年くらいで達成できればなと思っているのです。

■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」
2月1日「アウトドアリビング」
2月14日「屋根裏部屋」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

チャレンジ&アジャスト‐1879‐

先程、 『ESSE-online』 のコラム第4弾、「屋根裏部屋」が公開されました。

Yahoo!ニュースにもUPされています。

これまで設計してきた、屋根裏部屋を5件とりあげています。

まずは「阿倍野の長屋」

次は「碧の家」

そして「神戸の高台の家」

ここまでは3件はリノベーションです。


「千葉の家」

そして「おいでよ House」は新築です。

「おいでよ House」のこの写真は、奥さんに追加で撮影してもらいました。本当に有り難いかぎりです。

よく書けたかな?と思っているので、よければ一度読んでみて下さい。

日曜日は遠方の方との初期相談で、リモートで打合せでした。距離がある場合は特に助かります。

画像や資料は画面共有できるので、内容によってはリモートの方が合っている場合もあると思います。ただ画面は1つなので、基本的に見て貰えるものも1つになります。

リアルの面談なら、テーブルの上にいくつか資料を広げることもできますが、このあたりが力量を問われるところでしょうか。

何をどんな順番に見て貰うかで、密度が全く違ってきます。どんな話の展開になるかを、想像しておく必要もありますし、流れによって、いくつかのバリエーションを準備しておくことも大事です。

仕事は準備と想像力なのだなと最近つくづく思います。

北京オリンピックも中盤を過ぎました。環境に左右されやすいウィンタースポーツはその対応力が結果を大きく左右します。

それが空中でのこととなれば、素人にはもはや想像がつきません。小林陵侑選手に続き、平野歩夢選手も史上初への挑戦と見事な対応力で金メダルを獲得。

多くの国民が「さあ頑張るぞ」と思ったに違いありません。

コロナ下の社会になり、仕事のスタイルもどんどん変化していきます。「これまでこうだったから」は通用しないのです。


変化を柔軟に受け入れ、進歩していかなければならないと感じます。

寒い寒いと言っていたら、近所の梅はもう満開でした。

ある日、ウグイス色をしたメジロ(ウグイスではなく)が梅の花をついばんでいました。

今日はバレンタインデー。妻と娘から貰う(予定の)チョコレートをついばんで、ちょっとワインをいただく予定です。

チャレンジ&アジャスト

私も本気で金メダルをめざします。

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12月6日「キッチン・パントリー」
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■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
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あの森の「Ohana」ご来店お待ちしています‐1878‐

昨日は快晴の予報で、「あの森のOhana」に行っていました。

現場だったのが、ついに新店舗へ。

営業もスタートしたのですが、【ゲンバ日記チャンネル】の撮影をお願いしていたのです。

前Ohanaから移植してきたのが手前のオリーブ。3年前の台風で根元から折れてしまたったのです。

後ろにあるのは新しいオリーブです。

幹の太さが全く違いますが、これが12年の月日なのです。

前Ohanaにあった庭木は全てこちらに移植しました。

https://youtube.com/watch?v=AeEXFEmrfWY%3Frel%3D0

そのあたりは、【ゲンバ日記チャンネル】EPISODE7-あの森へ-で紹介しています。

最後になっていたのが、この移植のオリーブでした。

これがなかなかに大変で……

その過程と思い入れを、1回分の動画で紹介したかったのです。

ようやくレセプションは営業可能な状態になりました。

トイレの色彩感は踏襲していますが、可愛らしさはUPしたでしょうか。

引越し休みもなかったので、店舗は本当に大変だなと思います。

新しい2階スタジオは斜めの壁も取り入れ、更に進化しているはず。

そして変わらぬキャラクターも。


なんといっても一番の商品は石井さんですが。
夜景の写真を送ってくれました。

プロの写真を、日記で使わせて貰うのは何とも贅沢なことです。

今週末から、撮影の予約が入っているとのことでした。

今回の移転を機に、さらに沢山の人が訪れてくれればいいなと思います。

ご予約はこちらまで。

かやしまフォトスタジオOhana

ご来店お待ちしています!

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頑張れニッポン!‐1877‐

土曜日は敷地調査へ向かうために、車で家をでました。

阪神高速の松原線に乗るとすぐ目に入ってくるのがあべのハルカス。

そして通天閣。

ディープな南大阪に住んでいる証しです。

あまりにも天気が良いので窓を開けてみると、びっくりするくらい寒い!

日中で4℃とはかなりの寒さです。

何か雰囲気が変わったなと思っていたら、阪神高速は11月末にリニューアル工事を終えたばかりでした。

表示はかなり見やすいですが、車線が減っているところもあり、多少あたふたしました。

道を知っていてこれなので、はじめて阪神高速に乗る人は大変だろうなと思います。

運転しながらこの標識群を理解するのは、相当に難易度が高いはずですから。

北摂へ向かう時は、環状線から池田線に乗り替えます。

空港を過ぎたあたりの景色が気に入っていますが、「路外パーキングサービス」があることは十分認知されているのでしょうか。

池田線では、豊中南出入口付近の「ロイヤルホームセンター豊中」がそれにあたります。

2時間以内なら、ここに立ち寄っても通常料金で済むのです。

シオノギ製薬の医薬研究センターを過ぎ、名神とのJCTを越えるとすぐに見えてきます。

Webサイトで見ると3月末までの社会実験とありました。

都心部の高速道路はサービスエリアがあまりないので、出来れば続けて欲しいところです。

池田線を走っている時は、どこかで飛行機を期待しています。

帰りはグッドタイミング。

JALの鶴丸マークが見てとれました。

日曜日の夜、北京オリンピックでも見てみようかとテレビをつけると丁度スキージャンプの決勝。しかも小林陵侑選手の2本目直前でした。

20分くらいの観戦で、金メダルの瞬間を見せて貰うことができました。

個人に限れば長野オリンピックの船木選手以来の金メダル。ノーマルヒルにおいては札幌五輪以来50年振りの文字が踊ります。

JAL ではありませんが「日の丸飛行隊」の面目躍如です。

先のシオノギ製薬は、薬の町、大阪の道修町が本社。

コロナのワクチンでは海外の製薬メーカーに遅れをとりましたが、是非一矢報いて欲しいところです。「物づくりの国、日本」の面目躍如となるはずです。

微妙な時期に、微妙な国での開催ではありますが、やはり人類の頂点を見せて貰えるオリンピックは特別な機会です。

この日記を書いていて、ふと「麗しのサブリナ」でのヘップバーンのセリフを思い出しました。

人生とは何か。
どう生きるべきかを知りました。
傍観者ではだめだと。
……もう、人生から逃げはしません

ある若者にこの言葉を送ったことがあります。

読み返すと、我ながら偉そうなことを書いているなと思います。しかし本心です。

学びは必ず年長者から有る訳ではありません。若者から学ぶことも多々ありますし、時には我が子から学ぶこともあります。

その気持ちを忘れなければ、いつまでも成長できるはずですし、そう信じます。

頑張れニッポン!

ニッポンには勿論私も家族もある若者も含まれます。

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北北西に進路を取れ‐1876‐

今日は節分。ということは明日は立春です。

すっかり春めいて……きてはいませんが、文字だけでも春を感じてこうと思います。

一昨日、 『ESSE-online』 でコラムの第3弾が公開されました。

今回は「アウトドアリビング」について書きました。

これまでと同じく、内容に関してはピンポイントですが、外部の写真が多いので画は楽しいと思います。


Yahoo!ニュースにUPされるのも嬉しいことです。編集の方は、結構なPVがあると教えてくれるのですが、もうひとつ実感がなく……

アトリエmのコラムのページにもリンクを貼ってみました。

これで記事は3本になりました。このまま書き続けていけば、一冊の本にできるのではという夢も持っているのです。

前回、大阪砲兵工廠跡を訪ねたと書きました。

所用のついでに立ち寄ったのですが、その目的地が後ろに見えています。

土佐堀通の南に建つこのビル。「日本海洋レジャー安全・振興協会」が入居しています。

2級小型船舶操縦士は学生時代に取りましたが、5年に一度の更新が必要です。

いつか更新のタイミングで、1級にランクアップしよう思っていました。

試験の申し込みと、教材を買いに行ってきたのです。

2級を持っていると実技試験は免除。学科試験も「上級科目」の14問だけです。

「上級科目」 は2つのカテゴリーに分かれます。

「上級運行Ⅰ」の8問のうち4問以上、「上級運行Ⅱ」の6問のうち3問以上の正解が必要です。かつ 14問中、10問以上正解すれば合格。

「上級運行Ⅰ」は海図を使った問題が3問でるので、ここがキーになるようです。

独学で受けようと思うので、練習用の海図も購入してきました。

恥ずかしい報告にならないよう、合間を見て勉強してみます。

先程の建物、立地が素晴らしく目の前に大阪城の天守閣が見えます。

働く人にとっては日常ですが、私にとってはまさに絶景でした。

大阪は八百八橋の街ですから、船の街とも言えます。

2級小型船舶操縦士は河川や海岸から5海里まで。1海里は約1.8kmなので約9km。1級は限定なしです。

80海里以遠へ行くには、6級海技士(機関)などの同船が必要ですが、免許として限定解除は魅力的です。

「上級運行Ⅰ」の海図の問題ですが、これが結構面白いのです。

三角定規を平行移動させて方位を測ったり、コンパスで距離をとったりします。今でこそCADで図面を描きますが、言ってみれば私の本職です。

これは落ちる訳にはいきません。


「北北西に進路を取れ」はアルフレッド・ヒッチコックの名作です。

ケーリー・グラント主役の傑作ミステリーが、なぜ 「北北西に進路を取れ」 という題だったかは覚えていません。

ただ今年の恵方は北北西。ゴロも縁起も良いのでタイトルにしてみました。

私にとって、あなたにとっての北北西はどこですか?

分からなくても、根拠はなくとも、今年も黙って丸かぶりしたいと思います。

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大阪砲兵工廠にも光と風を‐1875‐

1月はあっという間に行ってしまい、今日が最終日です。

地下鉄の天満橋駅から、土佐堀通を東へ5分ほど歩きます。

大川に流れ込む寝屋川を渡ると、南に向かってまた橋が伸びています。

この橋が「京橋」だと今日はじめて知りました。

Googleマップにも「江戸時代の街道の起点だった橋」とあります。

このあたりに所用があったのですが、それを済ませて京橋を南に渡ってみます。

橋の中央から東を見ると、OBPのクリスタルタワーが真正面に。

大阪城の手前に見えるのは、大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)の旧化学分析場です。

「筋鉄門跡」が見えてきました。

大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)の石柱も。

徳川幕府が筋状の鉄筋で補強した門を設けたそう。いかに重要な場所だったかが分かります。

入ってすぐに見えるのは警備員詰所だったそうです。

完全に朽ちています。

南に廻り正面までやってきました。

1919年の完成ですが、周辺は完全に封鎖されていました。

建物からは木が生えています。

傷んではいますが、立派な建物です。

ちなみに、大阪城の天守閣のすぐ南にある「旧陸軍第四師団司令部庁舎」は「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」として昨年再オープンしています。

すこし東へ行きすぎると、中央に水が溜まった鉄の塊がありました。


ネット上にも色々な書込みがありましたが、どうやら砲兵工廠の溶けた鉄がそのままここに残されているようです。

江戸時代、街道の起点だったこの場所に、なぜこのままの状態で放置しているのか……

また、新兵器の開発や化学実験をした場所ですから、不気味さは一層です。

戦後この周辺は、「アパッチ族」と呼ばれる、不良集団が跋扈しました。

大阪砲兵工廠後地に、警備をかいくぐって侵入。鉄くずを集めてそれを売り、糊口をしのいでいたのです。

その姿を開高健は「日本三文オペラ」で、小松左京は「日本アパッチ族」で描きました。先程の朽ちた詰所には、彼らを取り締まる警備員が居たのでしょうか……

しかしその面影を残す建物が、現存しているとは全く知りませんでした。

あるテレビ番組では「光と風の振付師」。「光のマイスター」と呼ばれたこともあります。

この負の遺産を、明るく風通しの良い建物にできないものかと真剣に思うのです。


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建築家・守谷昌紀TV「あの森のOhana」Episode7-あの森へ-

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アトリエmの現場日記

野球狂、水島新司‐1874‐

アトリエmのWebサイトには建築家プロフィールのページもあります。

その中に、BIOGRAPHY/おいたちのページもつくり、1970年、0歳から何枚かの写真を掲載しました。


1974年、4歳。

私のスポーツ歴はスキーから始まりました。

1980年、小学5年生。

しかし小学校で熱中していたのは野球です。

3番サードだったので、多少の自信は持っていました。

低めを打つのが得意でしたが、これはファール(笑)

並行してソフトボールもしていましたが、こちらではピッチャー。

春と秋に地域の子供会単位で優勝を競うのですが、区大会にでる時は小学校オールスターです。そこでもエースでした。

平野区は学校が多く、決勝まで6試合くらいあったと思います。準決勝までは完璧に抑えていたのですが、決勝は打ち込まれて結局準優勝。

前列左から二番目が私ですが、泣きはらしていたと思います。メダルを掛けていないのは悔しかったからかもしれません。

1984年、中学2年生。

中学に入っても野球です。後列の真ん中でチームメイトの頭にピースしているのが私です。

身長は一番小さい部類でしたが、2番ショートでした。実は坊主頭にするのが嫌で、高校は野球部に入りませんでした。

野球は大好きだったので、今の世の中なら野球を続けていたと思います。

1989年、予備校生。

今は無き大阪北予備校のクラス対抗ソフトボール大会。

十三に予備校があったので、淀川の河川敷で真っ黒になるまで練習していました。


なぜ予備校にそんな大会があるのか分かりませんが、5回戦くらいあるトーナメントで優勝。

決勝では文系のトップチームをやっつけました。練習量が違いますから。

1992年、大学3回生。

大学に入るとスキーに戻りますが、学生時代の中盤、一番好きなスポーツは野球でした。

先々週逝去された水島新司さんの漫画は沢山読みましたが、心に残っている作品があります。確か「野球狂の詩」の中にあったなと思い探してみると、見つかりました。

劇場版の映画にもなっていたようです。

製作会社のサイトに「ストーリー」がでていました。

北の狼南の虎 [劇場版]

東京メッツのエース・火浦健には、父親の仇討ちをして逮捕され、野球を挫折した過去があった。しかし、甲子園の英雄・王島大介のプレーを見て再起を期す。メッツに入団した健はある日加代という女性と知り合うが、加代は幼い頃いなくなった母親だった。実は、健と大介はまだ赤ん坊だった頃火災に会い、母に捨てられ生き別れとなっていた双子の兄弟だった。真実を知った健は兄弟対決の末優勝し新人王を獲得し、加代を「かあさん」と呼ぶ。TVシリーズの「勇気編」終了後、好評だった前後編のエピソードを編集して映画化。


代表作「ドカベン」も大好きでしがたが、憂いを秘めたキャラクターが多く登場する「野球狂の詩」は、特に心に残っています。

そのひとつが「北の狼南の虎」です。上のストーリーを少し補足してみます。

北の狼こと火浦健。彼は赤ん坊の時、事情あって母に捨てられます。彼を道端で拾ったのは侠客でした。家族を失ったばかりの彼は、男手ひとつで赤ん坊を育てるのですが、その場面が何とも切ないのです。

成長した火浦健は、甲子園にでるため父に組を辞めて欲しいと伝えます。その結果、父は組に盃を返しに行くのですが、リンチにあい命を落としてしまうのです。

事情を知った火浦健は、父が封印していた日本刀をもち、組事務所へ仇討ちに向かいます。刑期を終えた火浦健は東京メッツに入団し、双子の兄弟と新人王を争うというストーリーです。

おそらく読んだのは40年程前だと思いますが、鬼気迫る表情だったり、悲哀に満ちたストーリーが忘れられません。

子供の頃、家業の手伝いで大好きな野球ができなかったことが、水島新司さんをここまでの野球狂にした動機になったそうです。

人、言葉、本、漫画、音楽、映画、スポーツ……

自分という人間が形成されるにあたって、どれだけのことが影響しているのでしょうか。

野球の面白さ、人生の悲哀を教えてくれた野球狂に心から哀悼の意を表します。

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バーゲンは罪?‐1873‐

日曜日が雨予報だったので、土曜日に梅田へ出ていました。

JR大阪駅の南東にある交差点は「阪神前」。

「阪神前」の北東に建つのは阪急百貨店です。ややこしい言い方をしていますが。

その前にあるのは、村野藤吾設計の梅田換気塔。

1963年の完成ですから、60年近く地下街へ新鮮な空気を供給しているのです。

梅田の地下街は、屈指の大きさと通行量を誇りますが、大規模なリニューアル工事中。

阪神百貨店前の東広場に至っては完成が1937年。80年以上経っているのです。

イメージパースが掲示されていました。

東広場を西に進み、大丸方向へ向かうと、パッと明るくなり雰囲気が変わりました。

何と、大阪駅前地下道にトップライトが設置されていました。

阪神、阪急、大丸をむすぶ歩道橋から確認してみます。

位置から考えるとこの部分でしょうか。

地下に外光が差し込むと、全く雰囲気が変わるはず。最終的にどうなるのかとても楽しみです。

この光が一番欲しかったのは、以前あったふるさと名産店(通称アリバイ横丁)の売り子さんかもしれませんが。

百貨店の一角に、まだ「セール」の貼り紙があったと聞き、あわててやってきました。

現場へも革靴を履いていくので、全てが傷だらけに。何足か補充しておきたかったのです。

3つの百貨店なら私は大丸派。フロアが適度にコンパクトで、買い物が早く済みます。靴売り場へいくと、それなりに残っているようで探し始めました。


店員に「この25.5cmってあります?」と聞くと、「もう展示だけですねエ。セール終盤なので」と。
他のものを訪ねると「それもないですねエ、セール品は」と。

セール品でなくても構わないかなと思っていたのですが、この時期に来たのをとがめられて様ないるような扱いで……

バーゲンに来るのは罪ですか?と言いたくなりました。

気分の悪いまま買うのは嫌で帰ってきました。

帰りの地下鉄でふて寝していると、乗り過ごしてしまいました。

谷町線の終点は八尾南です。

そういえば、子供達はしょっちゅう乗り過ごしているといっていました。

ホームから東を見ると、沢山の車両と生駒山が見えました。なかなかの景色だなと気分を直して会社に戻ったのです。

若い時ほど腹が立つことは減りましたが、それでも時々頭にくることがあります。

そんな時は、まず一呼吸おいて寝る。そして移動する。これに限るのです。

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そこそこ⇒物凄く‐1872‐

18日(火)、高校1年生の女の子が来社しました。

興味のあることを実際に調査し、発表するそうです。質問に答える形式で、1時間ほど話しをしたでしょうか。

仕事に対する考え方や、建築が出来上がる過程を説明すると、とても興味をもっているのが伝わってきます。

若い人からのインタビューは、出来る限り引き受けるようにしています。

熱心にメモを取っていましたが、タブレットなのは時代を感じました。

と思っていたら、建築士会の役をしている方から、「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演をできないか考えているのですが」と電話がありました。
講演は色々しましたが、同業者に話したことはありません。

「僕の話しを聞きに。プロの方が集まって下さいますかね」と訊ねると、「守谷さん、そこそこ活躍しておられるので」と。

「そこそこ」が「物凄く」になるよう、頑張らなければと身が引き締まる思いです。

初めて講演をしたのは、2011年の7月。

ある専門家紹介サイトの主催で、参加者は8名でした。

主催者側との相談で「タイトルはできるだけキャッチーなものがよい」となりました。

はじめてだったこともあって従ったのですが、やはり心から話したいという内容でなければ、伝わることはないと思います。

「そこそこ」できるつもりが、初回は敗北感だけが残りました。

その後、15回以上講師を務めましたが、参加者が最も多かったのは、2012年9月の中国新聞主催の広島でのセミナーです。

『ビフォーアフター』放映の2ヶ月後で、中国新聞で告知されていたこともあり、100人以上は居られたでしょうか。

流石にテレビ、新聞の力は大きいものです。

この頃になると、思ったイメージの7割くらいは表現できるようになった気がします。

講演料、アゴアシ代もタレント並で、ここまでの条件はその後一度もありません。

一番最近では、天六の住まいの情報センターで。

2017年の11月でした。

この日の参加者は7名。

多くはありませんが、イメージの8割くらいは表現できたかなと思っています。

コロナ下の社会になり、この日以来講演はしていません。

夢を語ることで成立する講演もあると思いますが、プロに講師を頼むなら「役立つ」ということが大前提となります。

裏付けがなければ説得力もありません。ということは、自分の人生を振り返るしかないのです。

これが、講演をしたり、物を書くことの最大の長所だと思います。

若い建築士が知りたいことは、おそらく「どうすれば仕事のオファーが貰えるか」だと思います。

もし、先の講演が実現したなら、私の知っていることは全て話します。

よほど特別な能力を持っていれば別ですが「私だけの秘密」などありません。それでも全てオープンにしてこそ、その先に進める気がするからです。

でなければ、「そこそこ」から「物凄く」には行けない気がするので。

■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記