タグ別アーカイブ: 講演

奈良ホテルでセミナー‐2093‐

先週火曜日のことですが、近鉄奈良駅から東に向かって歩いています。

左手に奈良県庁が見えてきます。

もう少し進むと若草山も見えてきました。

16時頃ですが、暖かい夕方でした。

奈良公園内でもところどころで梅が開花していました。

15分程歩き、奈良ホテルまでやってきました。

言わずと知れた辰野金吾の名作です。

訪れたのは大学の時以来だと思います。

皇室御用達のホテルですが、アインシュタインやヘプバーンまで宿泊した歴史あるホテルです。

別館でセミナーをして貰えませんか?とオファーを貰ったのは年始でした。

スキーの仲間だった年下の友人が、奈良大宮ロータリークラブに入っており、講師を捜しているということでした。

時間を確保できるかなあと思いながらも、15、6年振りに連絡をしてくれたこともあり、引き受けました。

ロータリークラブという名前勿論知っていますが、これまで接点は全くなかったので調べてみました。

Webサイトには「奉仕の理念を奨励し、これを育むことにある」とあります。

またセミナーに望むものは何か友人に聞くと以下のような資料が返ってきました。

知的視野の拡大のため、DEIを意識した外部講師を招聘すること。

DEIが分からず調べてみると、「ダイバーシティ(多様性)」「エクイティ(公平性)」「インクルージョン(包括性)」だとも分かりました。

なかなかハードルは高いなと思いながら、前日の遅くまで原稿を考え、「建築が市井の人々の幸せと、街の為にできること」としたのです。

美味しい夕食を食べてからセミナーのスタートです。

愛情を注いだ建築をつくることで、街を愛する気持ちが強くなります。

そして、その気持ちは能登半島の震災をはじめ、神戸、熊本、福島での復興の礎となる、という内容を考えていました。

前半は比較的イメージ通りに進んだかなと思います。

今回は持ち時間が30分だったので、最後の着地点までの時間があまりなく……

最後をしっかりまとめきれなかったことに、若干悔いが残りました。

これも経験です。

機会を下さった奈良大宮ロータリークラブの皆さんに感謝です。

その後、反省会も兼ねて、西大寺のあるパームカフェへ。

彼は一級建築士であり、工務店も経営するのですが、飲食店も経営しているのです。

元は肉の卸から飲食を始めたそうで、そういったメニューがお勧めとのこと。

ズリのアヒージョを頼みました。

8歳くらい離れているのですが、何とも気さくな友人で2人で乾杯したのです。

その後、大阪に移動すると20年振りの友人も合流し、久し振りに朝まで飲んでしまいました。

アルペンスキーという共通点があるだけで、一瞬でその時間を遡れることに、改めて感謝していたのです。

「翼よあれがパリの灯だ」という言葉で知られる、チャールズ・リンドバーグも奈良ホテルの宿泊したひとりです。

1927年に、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したのですが、こんな言葉も残していました。

私は空と、飛ぶことを何よりも愛している。もちろん危険はある。しかし、適度な危険は人生を豊かにするのだ

もの作りを愛し、人と話すことを愛してきたつもりです。

今回、引き受けさせて貰ったのは、奈良ホテルが会場というのは大きかったです。

名建築で名講演とはなりませんでしたが、機会があればどんなことにもチャレンジしていきたいと思うのです。

■■■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

2022年 暮れは元気にご挨拶‐1969‐

今年も残すところ2日。

この「ゲツモク日記」も今年最後になりました。

最近は忘年会もめっきり少なくなりましたが、イタリアより来客がありました。

2016年の11月まで働いてくれた元スタッフのマルコです。

2014年の5月に入社試験を実施しましたが、真面目な働きぶりですぐに採用しました。

就労ビザの取得などは大変でしたが、余りあるくらい貢献してくれたのです。

イタリアではトップレベルの国立大学を卒業しており、アーキテクトの免許も持っていました。そのレベルと他の新人を比べるのは酷かもしれませんが。

今回は日本にバカンスに来ており、食事でもしようとなったのです。

アトリエ近くの焼き鳥屋さんへ。

2019年以来の再会で、2人で乾杯です。

日本語が殆ど衰えていないことにも驚きます。

彼は好き嫌いが殆どなく、日本食も大好きです。

ホタルイカの沖漬けも頼んでみましたが「美味しい!」と。

イタリアに戻って6年目の今年、ついに独立したとのこと。2人でお祝いしたのです。

互いの報告をしたり、建築談義をしていると、あっという間に3時間が経っていました。

言ってみれば同志です。今度は私たちがマルコの働くラヴェンナへ行けるとよいのですが……

そんなこんなで、私の1年も振り返ってみたいと思います。

1月 完璧ではないから‐1868‐ 

今年の年始は、木曽福島の山荘で過ごしました。

義妹家の別荘ですが、従弟同士とても楽しそう。

ブレーキの掛かった世の中はもう少しのはず。

2月 北北西に進路を取れ‐1876‐

2月に小型船舶1級へのランクアップ試験を受けました。

受験勉強はぱっとしませんでしたが、資格試験は得意です。

1級建築士の資格と同じく、独学で一発合格しておきました。

3月 第二の故郷、天王寺でブラモリタニ‐1886‐

アトリエmは1996年に天王寺にある4畳のワンルームマンションで創業しました。

あべのハルカスができ、街の雰囲気はかなり変わりましたが、変わっていないエリアもあります。

ブラタモリよろしく、ブラモリタニしてきたのです。

4月 『住まいの設計』の撮影は、セッションも爆笑も動画もあり‐1895‐

「おいでよ House」『住まいの設計』の撮影があったのが4月。

ご夫妻のインタビュー、長男君がお気に入りの場所の撮影、そして奥さんと次男君のピアノとヴァイオリンの演奏。

家族総出で頑張ってもらいました。

5月 今なら分かるこの味‐1902‐

結局家族で出掛けたのは、ゴールデンウィークの池原ダム行きだけ。

しかも受験生の長男を除いた3人で。

来年はどこか旅行へ行けるとよいのですが……

6月 躍動の50代‐1915‐

「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演を」ということで、大阪府建築士会で講演をしました。

売上も含めて、洗いざらい話してきたのです。

『住まいの設計チャンネル』に「おいでよ HOUSE」登場‐1911‐

『住まいの設計』に掲載された 「おいでよ House」 ですが、『ESSE-online』『住まいの設計チャンネル』でも公開されました。

7月 海に感謝する海の日‐1922‐

夏の日本海行きは、必須の行事でした。

子ども達を連れて出かけていた頃が懐かしくさえあります。

孫ができたらまた頑張ります。

8月 泉南アナゴパワー‐1928‐

長年働いてくれたスタッフが6月末で退職し、するべきことがいくらでもあります。

今後も人出不足は進む一方でしょう。

一番平和な日曜日の使い方は、半日で妻と食材を買い物に行くこと。

気分転換になる上に、食卓も賑わいます。

朝市や直売所によく出かけるようになりました。

稲盛塾長‐1935‐

盛和塾にて経営を教えて下さった稲盛和夫塾長が亡くなったのが8月24日でした。

塾長講和を聞きながら、スケッチする時間が好きでした。


心から感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。

9月 人生初、発掘調査決定!‐1938‐

工事がスタートした音楽室のある「没頭できる家」


何と、人生初の発掘調査となりました。

現場から土器出土‐1939‐

そして、実際に古墳時代の土器が出土したのです。

10月 方違神社には方角がない?‐1948‐

何度か聞いたことがあった堺市にある「方違神社」

摂津、河内、和泉の三国の境に位置するので、方角の無い聖地であると考えられたそうです。

品格と活気のある、雰囲気のある神社でした。

11月 世界最大の祭典開幕。50億人のモチベーション‐1959‐

まだワールドカップ、カタール大会の熱気は完全に冷め切っていない感じもあります。

世界を驚かせたのが、日本代表の初戦でした。

あのドイツを、後半での逆転劇でやっつけてしまうとは……

また4年、私も頑張ります。

12月 伊勢神宮、外宮前にて‐1961‐

あちらこちらと、様々な相談を頂けるのは嬉しい限りです。

12月に入ってすぐ、伊勢へ敷地を見に行ってきました。

帰り際に、外宮を参ってきました。

楽しみな計画です。

桟あり窓にサンタがやってくる‐1963‐

「かやしまフォトスタジオOhana」は2009年に完成しました。

12年に渡り、地域の方々に愛して貰ったのですが、道路収容のため立ち退きとなりました。

そして新たに、「森のOhana」が完成したのが、今年の1月でした。

正面の窓は、全て桟ありのデザインとしています。

親しみやすい建物になったのではと思っています。

恩師である稲盛塾長のことは今回も触れましたが、安倍元首相アントニオ猪木も鬼籍に入りました。

命ある限り、何とか世の中に貢献できるよう、懸命に働くことを固く誓った1年でもありました。

今年1年、「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2023年も、素晴らしい1年となることを確信しております。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

メディア掲載情報

躍動の50代‐1915‐

昨日の夕方5時半。

谷町3丁目にいました。

北東角にあるこのビルに、大阪府建築士会の事務所があります。


先週月曜日に少し書いた、講演のためにやってきたのです。

オーダーは「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演」でした。

会員、非会員で金額は違うのですが、お代をとっての講演も初めてで「参加者があるんだろうか?」と不安に思っていました。

結果として、14人の方が参加して下さったのです。

若い方が一番知りたいのは、どうすれば仕事の依頼がくるかだと思います。

25歳でアトリエmを設立して今日までの葛藤を、売上も含めて洗いざらいお話ししました。

独立して5年、ただ我武者羅に働いていると、すっかり心が疲弊してしまい、1年休業したことも。

東南アジア放浪から日本に戻り、32歳で仕事を再スタートすると、徐々にメディアにも取り上げて貰えるようになりました。

メディアといっても、最終的には人と人の関係なので、その縁を大切にすることが大切だと思います。

大阪にも多くの建築家がいるなかで、私に「地元建築家がガイドする名建築 大阪編」を任せて貰ったのは光栄なことで、自信にもなりました。

これも縁がなければ無かったことだと思います。

テレビでの露出は大きな効果がありますが、自分の力だと勘違いしないことも重要です。

縁や幸運に感謝しながらも、やはり謙虚でいることが、最も大切なことだと思うのです。

努力を怠り、変化を恐れると、あっという間に時代に置いていかれます。

YouTubeチャンネルの取組みについても話しました。

十分結果がでている訳ではありませんが、行動しなければ何の進歩も生まれません。

2001年に東南アジアを放浪して10年後、子どもも大きくなってきたので、海外の一人旅を再開したのが41歳の時です。

若い方には、是非バックパックを背負って、安宿を渡り歩いて欲しいと思うのです。

講演なので、結論めいたことも話してみました、

何においても、覚悟をきめることに尽きると思うのです。

質疑応答もしっかり頂き、とても良かったという言葉も頂きました。

何とかその役目を果たせたのかなと、2時間と少しの講演を終えたのです。

懇親会には、ほぼ全員の方が参加下さいました。

外で家族以外と食事をしたのがいつだったか……思い出せないくらい前だと思います。

その席で、先輩の方が「話を聞いていて、途中で涙がでそうになった」と言って下さったのです。

若い方へ向けて、私が何を考え、どんな行動をしてきたかがメインテーマでしたが、同業の人にしか分からない苦労も多々あります。

自身の人生と重ね合わせ、こみ上げるものがあったのだと思います。

「守谷さんに頼んでよかった」とも言って頂き、ラストオーダーのタイミングでお開きとなりました。

仕事にかこつけて、横も縦もほとんど繋がりを持ってきませんでした。

それは、助けて貰っていないと同時に、お役にも立っていないということです。

我武者羅に20代。再スタートの30代。成長の40代。

どんな10年を送りたいのか。「躍動の50代」を目指したいと思います。

やはり目指すは山の頂上です。大阪で最も求めれらる建築家になりたい……

そんなことを整理する、良い機会にもなりました。

仕事の合間を縫って原稿を作るのはなかなか大変でしたが、とびきり美味しいお酒でした。

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

セミナー開催。花ならアザミのように‐1913‐

一昨日、関西も梅雨に入りました。

田植えの季節でもありますが、梅雨入りは例年より8日遅いそうです。

7月後半に竣工写真の撮影があるので、それまでに明けてくれると良いのですが……

この時期、花にとっては最高の季節でしょう。

あちこちの庭先で、さまざまな花が咲きみだれています。

道路脇の植込みで、アザミが淡い紫の花をのぞかせていました。

この花は、スコットランドの国花だそうです。

その由来が色々とでていましたが、一番多かったのは以下のようなものでした。

スコットランドを夜襲しようとした兵士が、足音を気付かれないよう裸足で忍び込んできました。

ところがアザミを踏みつけてしまい、その痛みに声を上げたことで敵襲に気付き撃退、勝利した。

それから国花になり、王家の紋章にもなったそうです。

何とも勇ましい逸話ですが、それを連想させるのに十分な姿形をしています。

プロ向けなので告知していなかったのですが、6月22日(水)にセミナーの講師をします。

先月から、大阪府建築士会のWebサイトではスライダーの一番最後に告知されていました。

「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演をできないか考えているのですが」と相談を貰ったのが1月。

講演は色々しましたが、同業者に向かって話をしたことはありません。しかも、お代が掛かることも分かっていませんでした。

しかし8名の申し込みがあったと連絡がありました。

自慢話でなく、ただの理想論でなく、どうやってこの26年間働いてきたのかを洗いざらい話してみたいと思います。

花ならアザミのように、ピリッと役に立てれば一番嬉しいのですが。

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

そこそこ⇒物凄く‐1872‐

18日(火)、高校1年生の女の子が来社しました。

興味のあることを実際に調査し、発表するそうです。質問に答える形式で、1時間ほど話しをしたでしょうか。

仕事に対する考え方や、建築が出来上がる過程を説明すると、とても興味をもっているのが伝わってきます。

若い人からのインタビューは、出来る限り引き受けるようにしています。

熱心にメモを取っていましたが、タブレットなのは時代を感じました。

と思っていたら、建築士会の役をしている方から、「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演をできないか考えているのですが」と電話がありました。
講演は色々しましたが、同業者に話したことはありません。

「僕の話しを聞きに。プロの方が集まって下さいますかね」と訊ねると、「守谷さん、そこそこ活躍しておられるので」と。

「そこそこ」が「物凄く」になるよう、頑張らなければと身が引き締まる思いです。

初めて講演をしたのは、2011年の7月。

ある専門家紹介サイトの主催で、参加者は8名でした。

主催者側との相談で「タイトルはできるだけキャッチーなものがよい」となりました。

はじめてだったこともあって従ったのですが、やはり心から話したいという内容でなければ、伝わることはないと思います。

「そこそこ」できるつもりが、初回は敗北感だけが残りました。

その後、15回以上講師を務めましたが、参加者が最も多かったのは、2012年9月の中国新聞主催の広島でのセミナーです。

『ビフォーアフター』放映の2ヶ月後で、中国新聞で告知されていたこともあり、100人以上は居られたでしょうか。

流石にテレビ、新聞の力は大きいものです。

この頃になると、思ったイメージの7割くらいは表現できるようになった気がします。

講演料、アゴアシ代もタレント並で、ここまでの条件はその後一度もありません。

一番最近では、天六の住まいの情報センターで。

2017年の11月でした。

この日の参加者は7名。

多くはありませんが、イメージの8割くらいは表現できたかなと思っています。

コロナ下の社会になり、この日以来講演はしていません。

夢を語ることで成立する講演もあると思いますが、プロに講師を頼むなら「役立つ」ということが大前提となります。

裏付けがなければ説得力もありません。ということは、自分の人生を振り返るしかないのです。

これが、講演をしたり、物を書くことの最大の長所だと思います。

若い建築士が知りたいことは、おそらく「どうすれば仕事のオファーが貰えるか」だと思います。

もし、先の講演が実現したなら、私の知っていることは全て話します。

よほど特別な能力を持っていれば別ですが「私だけの秘密」などありません。それでも全てオープンにしてこそ、その先に進める気がするからです。

でなければ、「そこそこ」から「物凄く」には行けない気がするので。

■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

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