カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

Let it snow

昨日はクリスマス。

天気予報も、大阪以外には雪マーク。ホワイトクリスマスになった街も多かったのでは。賢い子どもに、プレゼントは届いたでしょうか。

25日(日)は夕方から、実家でクリスマスパーティーを開催してくれることになっていました。

予約してあったケーキを取りに行くことに。

これくらいは手伝わないとバチが当たりそう。

甥っ子も1人連れて行くと、昼間からテンションは上がりきっています。

夕食は母が準備してくれます。

サラダもツリー仕立てに。

星はパブリカでしょうか。

それぞれの皿にもツリーと、サンタクロースが居ます。

全て力作ですが、オリガミで星を作るのが意外と苦労したと言っていました。

その甲斐あって、子供達もよく食べ、最後のクリスマスケーキへ。

長男はどこで貰ったのかクラッカーを鳴らしていました。

先日、1年点検での訪れた「イタウバハウス」でも、いつまでサンタクロースを信じているのかという話になりました。

我が家の長男も今年は小学生。

学校でも「サンタクロースなんて居ない」という子供も居るでしょう。

しかし
「サンタクロースは、故郷のラップランドで、小さな妖精たちに手伝ってもらいながら、大きな袋いっぱいにプレゼントを詰め込みました」

なんてと言うニュースを見かけると、やっぱり良いもんだと思えます。

もしクリスマスソングが無かったら、ここまでクリスマスは広がらなかったと言えば言い過ぎでしょうか。

それくらい名曲が沢山あります。

『Let It Snow』 作詞:Sammy Cahn 作曲:Jule Styne

Let it snow, let it snow, let it snow
雪よふれ 雪よふれ 雪よふれ 

この曲、クリスマスという言葉はでてきませんが、温かく、少し切ない感じが何ともこの時期にマッチします。

何より題名の音の響きが素晴らしいのです。

クラプトン

 先週末、録画していたエリック・クラプトンの番組を観ました。

 現在66歳。世界を代表するギタリスト、アーティストと言って良いでしょう。日本で公演があるようです。
 
 1945年生れのクラプトンは、祖父母に育てられます。もの静かで、シャイな少年は、8歳まで祖父母を生みの親だと思っていたそうです。

 13歳の時、祖父母はそんな彼にギターをプレゼントします。また、友人に勧められて聴いたブルースにすっかり魅せられ、それをお手本に腕を磨いていきます。

 20歳の頃、すでにギターの腕に絶対の自信を持っており、ビートルズのジョージ・ハリスンとも親交がありました。それをきっかけに、ビートルズのアルバムにギタリスととして参加。ギターソロも彼が担当するのです。

 ヤードバーズ、クリーム、デレク・アンド・ザ・ドミノスと歴史に名を残すバンドと関わってきましたが、いずれも短い周期で、入脱退、解散を繰り返します。

 麻薬中毒、アルコール依存症、そして親友ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドに恋いし、後に結婚という、波乱の人生を歩みます。大ヒットした「愛しのレイラ」はパティ・ボイドへの気持ちを歌った曲でした。

 その後パティ・ボイドと離婚。イタリア人女性と再婚。男の子が生まれます。その子が4歳の時、マンションから転落死するという悲劇に見舞われるのです。

 その時に書いた曲が「ティアーズ・イン・ヘブン」。1992年の作品です。

 この曲はアルバム「アンプラグド」にも収録され、アルバムと合わせて、グラミー賞6部門を獲得します。

 学生時代、車のCDチェンジャーに、絶えず入れていたアルバムでした。大学3、4年のことです。

 その頃、ここに書いたクラプトンの人生を、熱心に、繰り返し話してくれた後輩がいました。後に彼は家業に入り、門戸厄神駅前の「Spoon Cafe」チーフとなります。

 そして、1996年のリニューアルオープンの際、設計を私に任せてくれたのです。

 今考えれば、本当に申し訳ないのですが、その時は半分くらいしか話を聞いていませんでした。と言うより、彼の思い入れを受け止める許容量を、私が持っていなかったような気がします。

 全てをiPodに移行している最中ですが、久し振りに「アンプラグド」のCDを出してきて、ライナーノーツを読みました。

 アンプラグドは、コードを抜いたという意味で、電気楽器をなるべく使わない演奏です。MTVの人気プログラムですが、単純で、プリミティブである程、その人自体が伝わって来るのは、一流ミュージシャンも同じです。

 先日なくなった、スティーブ・ジョブズとエリック・クラプトンは、目が似ていると感じます。

 訳あって、生みの親と別れた2人。辛いことも、傷ついた事もあったでしょうが、それらを自分の人生の、仕事の糧にしています。その憂いを秘めた目が、私は嫌いではありません。

 今幸せならそれも幸せ。そうでなければ自分で掴みとるしかないはずです。

ポテイト

 先週の土曜日、クライアントが来所した際にジャガイモを持ってきてくれました。

 自家製なのです。

 本業ではありまませんが、代々農業を営んでいる家系。

 クライアントである若夫婦も田植えと稲刈りの時期は手伝うのです。

 今年も、6月の初旬に無事田植えが終わりました。

 翌週の打合せの時に持ってきてくれたのがこのジャガイモ。前週まで、田んぼに植わっていたのかもしれません。

 細長いのが、メークイン、丸いのが男爵です。

 女性スタッフに聞くと、細長いメークインは煮崩れしにくく、ねっとりとして、カレーやシチュー向き、男爵はホクホクしているが煮崩れしやすく、コロッケやマッシュポテトに向いているそうです。

 ジャガイモの起源はアンデス山脈。16世紀にスペインがヨーロッパに持ち帰ります。コルテスやピサロの時代ですが、寒さに強く、肥料も少なくて済むので、ヨーロッパでの栽培は爆発的に広がりました。

 ジャガイモやトマトなどを南米から持ち帰ったのは大航海時代です。長い航海の間、どうしても新鮮な野菜が足りず、ビタミンCが不足します。その結果、壊血病という病気になり、多くの人が命を落としていました。

 その救世主がジャガイモでした。ジャガイモやサツマイモは加熱しても多くのビタミンCが残るという性質を持っていたのです。

 16世紀のヨーロッパの人口爆発に一役かっていたのもジャガイモ。日本には17世紀初頭に持ち込まれたようですが、江戸時代に起こった度々の飢饉の際にも、重宝されたようです。

 そう考えると、麦、米に加えて、ジャガイモこそが近代人の胃袋を、最も満たしてきた野菜だったと言えるかもしれません。

 こちらのクライアント「農業はあまり好きではないんですが……」と言っていました。

 しかし、奥さんが横から「歳がいったら、絶対するんじゃない?」とも。

 子供達が独立したら、庭先で小さな菜園。その光景は幸せな景色と言えますし、そんな街はとても住みやすいと思うのです。

アンリ・マティス

 昨日は『SUMAInoSEKKEI』の取材でした。

 「イタウバハウス」だったのですがずっと雨の予報。昼過ぎまでなんとかもって、無事撮影が終わりました。今日は「Shbby House」の撮影です。詳しくはまた現場日記で。

 先月末、カンディンスキーの展覧会へ行きました。

 それもあって、クライアントから新聞の切り抜きがfaxされてきました。「抽象画の創始者に迫る」という題で、その中に抽象画が生まれた瞬間というエピソードがありました。

 ある夕暮れ、カンディンスキーは自分のアトリエで、信じられないほど美しい絵画に惹きつけられます。誰が描いた絵画だろうと思い見ると、自身が描いた絵を横向きに立てていただけだった、という話です。

 カンディンスキーが画家を志したのはモネの「積みわら」を見てでした。強い感銘を受けたが、何を描いてあるのかは分からなかったともありました。

 この絵は、事務所に飾っているアンリ・マティス。

 1995年の夏、初めて設計の依頼を貰いました。「羽衣の家」のクライアントは大学時代の先輩のお父さん。

 その時社会に出て2年目だったので、勤め先の担当者として仕事をさせて貰うことになっていました。
 
 しかし所長と微妙な行き違いが生まれ、独立することになります。

 事情を話すと、先輩のお父さんは、にこやかに僕に任せると言ってくれたのです。大変温厚な精神科医でした。

 1996年の年末あたりに、食事に誘って貰いました。行き着けのミナミの串カツ屋さんでしたが、プレゼントも貰ったのです。それがマティス。

 マティスはカンディンスキーとほぼ同時代を生きています。1869年フランスに生まれ、当初の写実的な絵から、荒々しい筆遣いと大胆な色彩のフォビズム(野獣派)と言われる絵に変化していきます。更に、単純な線、単純な色を求め最後には切り絵に行きつきました。

 調べていると、この絵の題名が分かりました。『Christmas Eve』

 美しいと感じることを「美しい」と言う、自分が良いと思うものをプレゼントするのは勇気のいることです。
 
 この絵が届いたのはクリスマス前だったかもしれません。14年経ち記憶が定かではありませんが、そんなことを思いながらこの絵を見ています。

青騎士

 今年はなんと5月下旬から梅雨入り。例年より12日も早いようです。

 昨日は台風2号の影響もあり、一日中雨風が止む時ありませんでした。

 雨なら雨なりの楽しみを、ということで神戸の兵庫県立美術館へ。

 地下駐車場は展覧会等があれば2時間400円。

 スペースも大きく、これも助かります。

螺旋階段を上がってエントランスへアプローチします。

 現在は「カンディンスキーと青騎士展」が開催されているのです。
 
 ヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944年)は、20世紀の初頭に活躍した画家です。

 彼は1910年に初めて抽象画を描いたと言われます。

 その初期にあった芸術グループが青騎士とありました。
 
 はじめはミレーの「晩鐘」のような絵画が好きでした。そこから、シャガールやムンクのように、構図や色使いがダイナミックなものへ興味が移って行きます。

 そして、モンドリアン、クレー、ミロ、マレービッチ等の抽象画が最も気になりだしたのが、大学生の頃。カンディンスキーは現代まで続く抽象絵画の源泉にあると言えるのです。

 今回、一番良かったのは『印象Ⅲ(コンサート)』(1911年)でした。子供も連れて行ったので、慌ただしくはありましたが、それでも本物を見るのは価値があります。

 長男は何となく興味を示していました。

 カンディンスキーは、20世紀初頭から第二次世界大戦がはじまるまで、バウハウスの教官も務めています。バウハウスはドイツにあった、建築と芸術の総合学校です。

 同時期に活躍していた、モンドリアンと共にデ・ステイルという運動に参加していたのが、シュレーダー邸を設計したリートフェルト。彼も教官を務めています。建築の世界へも影響を与えていると言えるのです。

 しかし「青騎士」とは、何とも美しい響きです。

 この美術館の設計は安藤忠雄。

 長く、広く、薄く海へ向かって突き出した庇は、挑発的です。

 完成から9年。

 緑が鉄筋コンクリートの躯体を覆います。

 能の世界では、鬼の舞は優しい心をもって舞い、女の舞は鬼のように強い心をもって舞へといいます。

 無機質なコンクリートに緑と愛情を込めて、というところでしょうか。

 9年経って、一層感じが出てきました。

勝山

 4月の中旬に開催される、icetee CUPというスキー試合があります。

 子供も出場できるので、 家族でエントリーしていました。

 しかし今回の震災で試合は中止に。協賛で集まった賞品などは全て被災地に寄付すると発表されました。また、エントリー費も義援金として送って貰える選択もあったので、僅かながら応援しようと思います。

 先週末は、その練習にと思いジャム勝山のホテルをとっていたのです。少し考えましたが、行ってきました。

 もうすぐ4月とは思えないほど、雪もしっかりありました。

 久しぶりのスキーで、長男も気合十分。

 ボーゲンですがどこでも滑るようになりました。

 下の娘も雪の上にいるだけで、結構楽しんでいます。

 来年は何とか滑ってもらい、4人で山頂へ行きたいと思っています。

 この時期としては本当に寒く、頂上付近には樹氷も見れました。

 日差しだけは春のもので、野鳥がゲレンデに降りてきました。

 ヒヨドリでしょうか。

 1匹が小気味よいリズムで鳴きだすと、皆鳴き出すのです。

 行き帰りの高速道路でも、多くの災害復旧車両を見ました。

 この寒さを超えれば、本格的な春がやってきそうです。
  
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住人十色

 日を追うにつれ、被害が明らかになる東日本大震災。

 天災の恐ろしさに、ただ向かい合う他ありません。土曜日に、メッセージをUPさせて頂きました。

 横浜のエピック・ゲーム・ジャパンへ連絡すると、品川で被災し15km歩いて帰社したとのこと。

 「現状を見るとこれくらいで文句言ってはいけませんよね」とも。

 事務所の照明を半分にしました。どれ程の効果があるか分かりませんが、何か行動したいという気持ちです。

 昨日は、朝から快晴で「頑張れる家」の写真撮影に行っていました。こちらのほうはまた現場日記でお届けしたいと思います。

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 この時期なので、もしかすると延期かなと思っていたのですが「光庭の家」

の前に、撮影クルーの荷物が。

 日曜、月曜と『住人十色』という番組の撮影だったのです。

 昼過ぎにつくと、街中でのロケが終わり、現場はちょっと休憩という感じでした。

 ナビゲーターは『世界ふしぎ発見』でミステリーハンターを務める宮地眞理子さん。

 とても感じの良い人でした。

 テレビの撮影は、やはりカメラが回るとピリッとします。

 この人出の多さこそ、テレビが娯楽の王様たるゆえんかもしれません。

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 少しの間見学していたのですが、宮地さんの声を聞くと、さすがはタレントさん、という感じになります。

 聞き取りやすく、心地よく耳に残るというか。これは少しでも見習わなくてはなりません。

 普段講師を務める奥さんが、インテリアコーディネーターとしての知識と経験に裏付けされた、収納レクチャーを、という感じで撮影は進んで行きます。

 現場の雰囲気は、とても和やかな感じ。

 ただ下のボクは、沢山の大人が居るのでちょっと退屈気味です。

 多くの方の協力で番組は出来上がって行きます。放送は4月23日(土)夕方5時からの予定。

 このような状況なので、変更の可能性も高いのですが、確定したらまたお知らせします。

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ライブ イーグルス

3月1日(火)大阪ドーム。7:00pmからイーグルスのコンサートが始まりました。

前にライブへ行ったのはいつだろうと考えてみると……高校生の頃行った、ハウンド・ドッグでしょうか。本当に久しぶりです。

一昨年のマイケル・ジャクソンの件もあり、見たいアーチストがいたら、すぐ行動しようと思っていました。

そんな時、テレビでイーグルスの日本公演を知ったのです。

遅ればせながら予約すると、スタンドの真ん中あたり。ステージから左斜め45度、およそ70m程。メンバーは小指大でした。ちなみにチケットは¥12,000-。

コンサートが終わり、まず来て良かったと思いました。

60代半ばにさしかかったメンバーはもう初老と言って良い風貌でした。1985年、最高にかっこ良いと思っていたドン・ヘンリーは若干お腹が出ていました。

しかし、彼のやや鼻にかかった、高めのハスキーな声は、今まで何回聴いたか分からない、歌声そのものでした。

コンサート後半の中頃、ドラムがハイハットを刻むイントロが流れてきた時、今まで何度聞いたか分からないその曲に感激しました。

私が一番好きな曲「ボーイズ・オブ・サマー」。イーグルス解散の後、ドン・ヘンリーがソロで発表した曲です。

その後バンドは復活し今回の公演に繋がっていますが、ソロ曲は演奏されないんだろうと、思っていたのです。

若干残念だったこともありました……それは隣席のこと。

30歳代くらいの女性2人組は、開演後2曲目くらいに席に着きました。「7時に来るのが大変な人も多いだろうな」とか思っていたのです。

彼女は席に着くと、すぐさまテイクアウトの牛丼を食べ始めました。「まあ腹が減っては、聴けないかもな」と考えていると、3曲目に「ホテル・カルフォルニア」が始まったのです。

物悲しい、ツインネックのギターの音色に、甘く切ない歌声。まぎれもなくあの名曲だったのですが、それは牛丼の匂いの中で……これが一生で一回の生「ホテル・カルフォルニア」体験です。

ちょっと笑い話です。

もしまた機会があればできれば、アリーナで聴きたいと思います。遠くスタンドから見ていると、どうせなら、あの熱気中で聴きたいと思ったです。

最後は平井堅もカバーしていた「ディスペラード」でコンサートは終了しました。

良くライブは皆で造り上げるもの、と言いますが、良いも悪いも、身をもって体験しました。

久々のライブ。とっても良かったです

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毎日かあさん

 先週の金曜日は、建国記念日で祝日。

 朝起きると白銀の世界、の一歩手前くらいでした。

 2006年もかなり積もったので、4年振りの大雪です。

 咲いたばかりの梅には災難か。しかし一層美しく見えます。

 紅白のコントラストは、日本人が最も好む色かもしれません。

 2月5日に封切られた映画「毎日かあさん」

 こちらの監督、スキー部時代の先輩なのです。

 もう4年も会っていないので、よく知っていると言うと語弊がありますが、5年前に初めて長編を撮った際にはスキー部でも集まり、お祝いしまいた。

 関大のスキー部で(私は近大ですが)、学年は1つ上。当時から、音楽、ファッション、スキーの道具にも、かなりこだわっていました。いつもニコニコして、とても面白い人だったのです。

 しかし現在、webサイトで紹介されるその姿は渋く、最高にかっこいい!やはり立場がその人を磨くのでしょう。

 人気の女性漫画家と、元戦場カメラマンの結婚、離婚、日常の喜怒哀楽を描いたストーリー。監督は「広い意味でのコメディー」とインタビューで答えていました。

 小泉今日子と永瀬正敏の元夫婦が、夫婦を演じるというキャスティングが話題を呼び、注目度も抜群です。前作の日本映画監督協会の新人賞を上回る、素晴らしい結果が出ることを期待しています。

 関大のスキー部には変わった人が多く、2つ下の後輩は、ハワイで鍼灸院を開業するため夫婦で渡米中。なにか州の認可を取るのに、猛勉強中らしいのです。もう少しの所までこぎ着けたと、年賀状にありました。

 大学を出て17年。本気で夢を追いかけてきた人は、それを実現するステージに立ち始めています。ビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』でヘップバーンはこう言います。

 「生きがいのある生涯を送るには、傍観者でいてはいけない。人生は自分の手でつかむのです」

 もちろん傍観者でいるつもりはありません。ただ悔いのない毎日をおくるだけ。

 しかし映画は観に行かないと、と思っているのです。

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ついに『24 -TWENTY FOUR-』ファイナル・シーズン

 初めて「24」を観たのは2005年の9月。日本でのレンタル開始は2003年でした。

 今回のファイナルシーズンを含めて、24話完結を8シーズン全て観終えました。

 合計192時間に、外伝が数時間あるので、約200時間を費やしたことになります。映画化もされるようですが、ひとまずこのドラマは終わり。一抹の寂しさを感じます。

 CTU(テロ対策ユニット)に協力するジャック・バウワー。

 今回もならず者、卑怯者、そして大統領までを敵に回し、超人的な働きを見せます。

 国と大統領に忠誠をつくしてきた彼が、大統領のテーラーと意見をたがえる場面があります。

 世界各国を迎えて平和条約締結を目指すテーラーは、その目標を達する為、重要な事実を隠ぺいしたまま、調印を進めようとします。勿論架空の話。
大統領は「私が目指すのは平和」と。条約締結の為には、事実隠ぺいもやむなしという主張です。

 対するジャック・バウワーは「私が目指すのは正義です」と反論。
自身の利優先の為、行動を起こさない人が多い中、そんなセリフに観る者は痺れるのです。

 最終章の最終話を見終えた今の感想。「終わる気はないな」です。誰も納得できないはずです。

 今後の軸が映画になるのか、それとも違う展開を考えているのか。ジャック役のキーファ・サザーランドはプロデューサーも兼務しています。

 プロデューサーとしての手腕に注目です。

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