大阪では最高気温が20℃を超えるようになりました。この時期になると、毎年思い出すことがあります。
中学生になった頃、友達同士でスキーに行くようになりました。パック旅行なら、3月の末から4月の初めの期間は、びっくりするくらい料金が安いので、決まってその時期を選んでいました。
信州で存分にスキーを楽しんだ後、帰りのバスは、大阪駅や新大阪駅に、朝早く到着します。中学生の私は、通勤する大人もまばらな梅田で電車を乗り継ぐ為、スキー板と大きな旅行カバンを引きずって歩いていました。
信州と比べると、急に高くなった気温も手伝ってか、「スキーシーズンが終わる」「春休みが終わる」「新しい学年になる」など、いろんな感情が入り混じり、なんだか寂しい気持ちになっていました。
大阪に帰って来るという事は、楽しい春休みが終わり、いつもの生活に戻るということです。体感する気温が、急激に現実を感じさせたのかもしれません。
20年も前の、生暖かくて、少し気だるい感覚と、ビジネスマンがまばらに歩いている光景を、気温と共に、何故か今でも鮮明に思い出します。
テレビ番組を見ていて、以前から持っていた疑問が1つ解決しました。
江戸時代、「お伊勢参り」「熊野詣」「金毘羅参り」などの言葉が残るように、多くの人々が遠路はるばる、神社へ参拝したようです。庶民の信仰が何故そこまで篤かったのだろう、という疑問を持っていました。
当時は幕府によって、神奈川県の箱根の関や、滋賀県の逢坂の関などで、人の移動や、物の出入りは厳しく監理されていました。
しかし一方、信仰を建前とした旅には、通行手形が出易かったそうです。本当に「お伊勢参り」が主目的の人もいたでしょうが、それは建前として、京都や大阪(大坂)へ、という人が多かったようです。
「お伊勢参り」には半年で500万人が訪れたこともあるそうで、「旅行用心集」というガイドブックまで出版されており、庶民にとって大変なイベントだったと想像できます。
弥次さんと喜多さんが登場する十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が大きな人気を呼んだのは、多くの人がそんな旅を経験しており、自分の思い出と重ね合わせたという背景があったようです。
東海道五十三次。東京-日本橋から京都-三条大橋まで、宿場町を伝いながら、歩いて旅すると何日を要したのでしょうか。現在よりずっと美しい太平洋を眺めながらの旅は、なんとも楽しく刺激的だっただろうな、と旅情をかき立てられるのです。
商業の街、大阪の中心と言ってもいい淀屋橋の南西に、かなり古い木造建築があります。
最も有名なのは、江戸時代の蘭学者で、医師でもあった緒方洪庵が開いた「適塾」で、江戸末期の建築は国の重要文化財にも指定されています。
そのすぐ南側にも重厚な木造建築があり、その堂々たる構えは「適塾」も凌ぐほどで前から気になっていました。
それが先日、新聞で幼稚園だと知り驚きました。しかも現役なのだそうです。
オフィスビル街にあるその姿はなんとも勇ましく、この中で子供達が遊んでいる姿を想像すると微笑ましくもあります。



1月21日は、「初お大師さん」です。
四天王寺は593年に聖徳太子によって建立されたお寺ですが、弘法大師空海はこのお寺で修行したと伝えられ、江戸時代から弘法大師信仰がさかんだったそうです。
毎月21日は命日にちなんで、「お大師さん」として縁日がたちます。
四天王寺への参道にある店舗の改修計画をしていることもあり、調査がてら、辺りをウロウロして来ました。
この日の熱気も凄いものでした。但しお年寄り限定で。参道や境内の露店は軒並み行列が出来ていたのですが、中でも売れ筋ベスト3は、昆布、漬物、高野マキ(仏壇のお供え用)でした。
他にも、肌着、骨董品、100円お好み焼き、白蛇占い(本物の白蛇がいます)、に中古パソコンまで露店で売っているのには驚きましたが、ダントツに景気が悪そうなのは「ベビーカステラ」を売る恐めのお兄さんでした。
同じ縁日でも、人が変われば露店も変わるモンです。

良き京都の風情を色濃く残す「石塀小路」に行ってきました。
高台寺の西側にある、300mくらいの短い小路で、その入り口は普通の道路を歩いていると突然現れます。
注意していないと見逃してしまうくらい小さなものです。

家をくり抜いてあるような真っ暗なトンネルを抜けると、ハッと明るくなり、石畳だったことに気付きます。
辺りの喧騒とは、全くの別世界が広がっています。

この日は雨で、濡れた石畳が、なんとも美しく、両側には品のある、料亭や茶屋、旅館などが建ち並びます。
ん~、京都の街並みはまさに芸術品!と今更ながら、驚嘆しました。
石塀小路に来たその足で、もう少し東にある、幕末の志士、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓にも参って来ました。

お墓は東山の高台にあり、京都の町を一望できます。
私も司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み志を大きくもちたいと思った一人です。
龍馬はここから、今の日本を見てどう思っているんだろう、とか、自分には何が出来るんだろうとか・・・・・。
百数十年前には確かに実在した、英雄のお墓の前で、ゆらゆらと得意の夢想にふけっていました。
私は大阪市平野区の喜連という町に住んでいるのですが、いまでもかなり古い建物が残っています。

喜連という町は、戦国時代の堺郷や平野郷が自らの町を環濠で守ったように、環濠に囲まれていたそうです。その名残に、5つあった村への出入り口には、今でも祠(ほこら)が残っています

古代、大阪湾は内部に深く侵食し、河内湾、河内湖を形成していましたが、現在の平野区は上町大地に続く高台にあり、常に陸地でした。近くには瓜破遺跡があることからもそのことはうかがえます。
私は小学生までしか地域の学校に行っていなかったので、一昨年、この地域に事務所を移してから、今頃になってこの町を勉強中です。
ですから、少し散歩に行くだけで、いろんな発見があり、結構楽しんでいるところです。
うどんを食べた後は、JR丸亀駅のすぐ前にある、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館を訪れました。
駅のすぐ前にあるという立地と、現代美術の常設美術館という2点で、日本でも珍しい美術館で、図書館も併設されています。駅からアプローチしてきた際に初めて目にする姿は圧巻です。

幾何学的な外観は、巨大な門のようにも見えます。
単純でありながら気品があり、そのスケール感で圧倒してしまう事は無く、門は携える空間と共に、駅前を行く人々を暖かく見守っているようにさえ感じます。
設計したのは、建築家の谷口吉生氏。代表作には、愛知県の豊田市美術館や、長野県信濃美術館東山魁夷館などがあり他にも多くの素晴らしい建築を設計しています。
建築をことばや、写真で伝えるのは非常に難しいと思います。建築の醍醐味は、人が暮したり、見たり、遊んだり、その空間に入ることが出来る、スケールあります。そのダイナミズム、心がスィングする感じ、心地よさは、やはり体感しないと分りません。空間はその場に居た時の感情も含めてのものだと考えています。
その後、淡路島経由で明石大橋を渡って帰ってきたのですが、心地よい潮風を感じながら見る姿も、また美しいものでした。

この連休を利用して、香川県に行ってきました。母の実家が金毘羅さんと日本一長い石段が有名な門前町にあり、3年前に亡くなった祖父のお墓参りを兼ねての旅行です。

昼食には、本場の讃岐うどんを食べに行きました。お店は最近のブームですっかり有名になった、山あいにあるにも係わらず常に行列の店『やまうち』。
かけうどんのメニューにも「ひやひや」、「ひやあつ」、「あつあつ」とあります。
これは、麺とダシのそれぞれを熱い、冷たい、を選べて組合せは自由。私は「ひやあつ」(麺は冷+ダシは熱)の大とてんぷらを頼みます。薬味のしょうがは各テーブルにある、おろし金ですりおろし、大目にいれて頂きます。
コシが強く、かつもっちりしているうどんはそのまま食べても、充分美味しいくらいの、塩の下味がついています。麺の味がしっかりしているのでダシは薄味で澄んでいます。

一旦口に運ぶと、心地良いのど越しであっというまに一杯たいらげ、もう一度行列に並び直して、しょうゆうどんも食べました。こちらは、麺に醤油を直接かけて頂くのですが、麺を味わうなら、こちらもおすすめです。
と、非常に満足した上に値段は、小200円、大250円、特大350円で100円のてんぷらを乗せても500円あれば充分と、非常に安い!そして美味い!
香川県では、全国平均の4倍うどんを食べるそうです。小麦粉の産地、イリコが良く獲れる、醤油造りが盛んなどの理由からのようで、少し前まで、ごく普通に一般家庭でも手打ちうどんを作っていました。小学生の頃は、夏休みの半分を香川で過ごしていたのですが、亡くなった祖父も、良くうどんを打ってくれたものでした……
コシを出すために、麺を足で踏むのですが、その姿を思い出しました。
大学時代の友人がバーを始めました。場所は北新地に隣接しているのですが、住所に北新地と付かないので、家賃がだいぶ違うようです。
経営者で、マスターの彼はすこし風変わりな男です。
同じ大学の理工学部建築学科に在籍していたのですが、建築関係の定職についたことは一度もなく、一定期間バーテンをしては辞めて海外に貧乏旅行への繰り返し。世界各地にある一泊数ドルのゲストハウスと言われる安宿を泊まり歩くのです。-そういう長期旅行者をリュックひとつ背負ってという意味でバックパッカーと言います-
彼はあるときはタイに1年も行っていました。初めて行った海外旅行がインド。悪く言えば、チャランポラン、良く言えば自由人。但しどちらも徹底しています。
たまに顔を出しては取りとめも無い話をしているのですが、私も貧乏旅行が大好きなので、話が尽きることはありません。
35℃を超えるむせ返るような暑さと、ホコリっぽい風と、すえた匂いの漂う、東南アジアの街の話をしていると、なぜかソワソワした気持ちになります。日本より裕福では無い国の人々のギラギラした目を見ると、怖い気持ちもありますが、何より刺激になります。
バックパッカーとなることは、大袈裟に言えばちょとした冒険です。初めて訪れた街は怖くもあり、ワクワクもします。むやみに危険な場所を求めている訳ではありませんが、少し怪しい
街の外れの屋台で、何が入っているか分らない料理で、冷えの悪いビールを飲んでいると
-小さなことで悩んでたなア、地球ってほんとにデッカイなア、ホントにいろんな言葉があるなア、街の空気が全く違うなア-といろんな事を感じ、想います。
旅は自分との会話の繰り返し。
昨晩も今すぐにでも旅に出たいという衝動に駆られていました。
新潟県にある山間の温泉宿に行ってきました。
最近は少し気になる温泉の源泉ですが、上杉謙信の隠し湯だったといわれる関温泉は、100%掛jけ流しで(注1)、鉄分が豊富で赤味がかっています。ゆっくりと温泉に浸かり、のんびりとした時間を過ごしました。(注1)源泉に加水、加熱、ろ過循環、塩素使用をしない
朝夕は高原のひんやりした風が心地よいのですが、昼間は晴れたこともあり、すこし体を動かすと汗をかくほどの気温でした。ただ山の木々は少し色付きだしているものもあったり、ススキが穂をつけていたりと、秋気配は充分に感じます。
コスモス2輪

旅行から帰って少し調べてみると、
「四季の歌」がこの地で生まれたようです。
温泉宿、秋の花、風に揺らぐススキの穂。日本の秋。
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