カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

蜃気楼とレンブラント考‐1763‐

 年始から、あっという間に2週間がたちました。

 2度目の緊急事態宣言もあり、落ち着かないところもありますが、するべきことを粛々と進めるだけです。

 寒い日が続きましたが、昨日今日と幾分寒さが緩みました。

 建築設計の仕事は、大きく分けると3つの段階があります。

①企画提案から基本設計

②実施設計と見積り調整

③現場監理

 この他に「建築確認申請業務」等もありますが、概ね各プロジェクトは、3つの段階に分散しています。

 ①②はアトリエにて、③は現場へ。

 現場も増えてきたので、2008年から「現場日記」として独立したブログとしたのです。

 車で行く場合も多いのですが、景色的には電車よりも変化があります。

 天満橋から中之島を見返す景色は、水都大阪らしいもの。

 一本西の天神橋筋も目に楽しい通りです。

 関テレ本社とハトのシルエットがなかなかのものでしょうと自画自賛。

 もう少し北へ行けばJR天満駅あたりのガードをくぐります。

 安くて美味しい店が沢山あったなと、若干懐かしい気さえしてくるのです。

 晴れの日ばかりではないので、普段から日記用にパシャパシャ撮るのが習慣になっています。

 その甲斐あってか、年始の東京行きでは蜃気楼を撮影できました。

 広辞苑で蜃気楼を引くとこうあります。

 地表近くの気温が場所によって異なる時、空気の密度の違いによって光線が屈折するため、地上の物体が空中にう案で見えたり、あるいは地面に反射するように見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象。砂漠・海上、その他空気が局部的に、また層をなして、温度差をもつ時などに現れやすい。富山湾で春に見られるのが有名。

 これまでに蜃気楼の写真は、2回UPしていました。

 1回目は2014年9月15日の琵琶湖

 2回目は2019年1月10日の相模湾です。

 どちらも、実際の景色は素晴らしかったのですが、写真でみるといまひとつで……

 今回は、はっきり写っていました。

 千葉側の工場地帯の景色だと思いますが、東京湾はよく蜃気楼が見れるのでしょうか。

 タンカーも完全に浮いており、私的には納得の写真です。

 光と空気の織りなすショーは儚く、美しいものでした。

 『自画像』 1658年

 その日あったこと、あるいは感じたこと考えたことを形に残さなければ、何もなかったことと同じになる。

-レンブラント- 画家

 もしこの日記を書いていなければ、写真を撮る張り合い、メモを取る頻度、もっと言えば全てのことに対する興味まで、全く違ったものになっていたかもしれません。

 そう考えると、オランダ史上最高の画家、レンブラントにも少し胸を張って「それだけはやってます」と言えそうです。

 ただ、日々劇的なことが起こる訳ではないので、日常の風景をどう切り取るかで、何かしらの「論」を書くことは出来ると思っています。

 大切なのはカメラ位置とアングルです。

 小さな説を書くのは小説家。

 建築を創るのが建築家。

 小さな論を勝手に唱えるので、小論家とも言えます。

 何かを誰かに伝えたい、分かち合いたいという気持ちは、おそらく本能ですが、だからと言って、勝手にその能力が向上することはありません。

 レンブラントが極めて美しい光を描けるのは、そのことを誰より分かっていたからだと、その言葉が物語ってます。

 光の画家の作品が中之島の国立国際美術館に来ています。何とか時間を作って訪れたいと思っているのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

違和感センサーを信じろin東京‐1761‐

 初めて東京を訪れたのは、6、7歳の頃だと思います。

 上野動物園へ、初代パンダのカンカン、ランランを見に行きました。

 かなり長い行列に並び、一瞬でパンダエリアを通過した(させられた)ことを覚えています。

 40年前、パンダ詣での後に東京タワーにも上りました。

 子供達もなぜかスカイツリーより東京タワーに興味を示します。

 今回良い写真が撮れませんでしたが、名古屋テレビ塔、通天閣と内藤多仲設計のタワーは魅力があるのです。

 今回の目的は大学巡り。

 折角ならと日本の最高峰、東大の赤門を訪ねますが「在校生のみ入校できます」とつれない返事。

 少し北にある正門から遠く安田大講堂を眺め、本郷を後にしました。

 そのまま南下して、御茶ノ水にある明治大学へ。

 当時憧れていたビートたけしの母校でもあり、2度受験しました。

 よって、このあたりが青年守谷の初めての東京体験になります。

 18歳、19歳の頃、何を思っていたのだろうと懐かしいのです。

 西に5km程行くと早稲田大学。

 初めて訪れましたが、すぐ手前に日本のガウディこと梵寿綱(ぼん・じゅこう)さん設計の「和世陀(Waseda el Drado)」がありました。

 こんな驚きも、街歩きの醍醐味です。

 大隈記念講堂は凛として美しく。

 初代総長、大隈重信像も初めて実物を見ました。

 普段は子供に「口角を上げて」と言いますが、への字口もなかなかにチャーミングなものです。

 私設はとバスツアーで、子供達の反応が意外に良かったのが国会議事堂と警視庁。

 名探偵コナンで見たからだそう。

 岡田新一設計の最高裁判所は妻が高評価。

 反対に東京駅への反応は今ひとつでした。

 辰野金吾の魅力はなかなか伝わらないようです。

 一番興味深そうだったのが皇居です。

 元は江戸城であることと、現在は皇族の住まいだと伝えると、こんなに大きいんだと驚いていました。

 桜田門外の変もポイントのようです。

 その皇居の横を抜けて、首都高速へ。

 自分の車で本格的に東京を走るのは初めてで、それも楽しみにしていたのです。

 狭い高速は大阪で慣れていると思っていましたが、首都高は想像以上に狭くて複雑。

 トンネルが多いことも聞き知っていましたが、分岐が多くてまるでアーケードゲームのようでした。

 ブラモリタニ東京編の開催中、やってしまいました。

 交通違反キップを切られ、-2点で罰金9千円。

 罪状は「信号無視」です。

 場所は「壱岐坂(いきざか)交番前」。

 東大へ向かう際、本郷三丁目から右折北進ができず。

 一旦行き過ぎて、東京ドーム前で左折し壱岐坂通りに西から入り直しました。

 安全運転を心掛けているつもりなので「信号無視」と言われ、あっけにとられました。

 ただこの交差点、まるでトリックです。

 空撮で見ると、左が東京ドーム。

 東(右)に進むと、まず「壱岐坂交番前」手前の信号を通過します。

 この時信号は青。

 しかし「交差点内」に侵入すると、次の信号が黄色に変わりました。

 何だか変な景色だなとは感じたのですが、その先に白バイが見えていたので、更にスローダウンすると、信号をくぐる際には赤に。

 すると、身振りで路肩へ誘導されたのです。

 「信号で止まってください!と合図していたのですが、停止線に気付かれませんでしたか?」と。

 空撮で見ると確かにあります。

 ここは交差点でなく、2つの信号続いているだけなので、赤なら停止しなければならないので、信号無視だと。

 これが正しい風景ですが、どうしても交差点内に止るという感覚になります。

 「四丁目の家」やseven dreamers 「ginza Tokyo」「 shibakouen tokyo」の仕事をしていた際、このあたりの宿が安く良く泊まっていました。

 街を歩いていても「東京は信号のない交差点が結構多いな」とか、「間延びした交差点が多いな」とか思っていたのです。

 この交差点も歩いたことがあるので、何か違和感を感じていたかもしれません……

 説明を聞くと抵抗しても無駄と分かりました。

 「ここはお上りさんには辛いわあ」と言うと、「都会は標識も多いので、よく注意して走って下さいね」と。

 「大阪も標識は結構あるけどね」と返しておきましたが。

 言い訳する訳ではありませんが、ここは間違いなく彼らの「猟場」です。

 「停止線」が手前にあるので言い逃れは不可能です。

 ただ、本当に「止まれ」というのなら、停止線の横で大きなジェスチャーで伝えてくれれば良いのですが。

 車の異音にしても、ボートのステアリングのガタつきにしても、何か「違和感」を感じたなら、やはり何か起こります。

 本田宗一郎がヘリコプターで移動し、目的地に到着しました。

 ヘリコプターから降りる際、パイロットに「ローターリーの○○の部品が摩耗しているから変えておいた方がいい」とアドバイスしました。

 実際にバラしてみるとその通りだった、という話を聞いたことがあります。

 人の感じる能力はここまで伸ばせるということですが、感じるセンサーが敏感でることに加え、自分を信じる勇気も必要になってきます。

 何かしらの違和感を、しかも数年に渡って持っていたのを、実際の行動に置きかえれずで、悔しいのひとことです。

 今回の件で、ゴールド免許がまた普通の色に戻ってしまいました。

 先月、東京行きを迷いに迷っていると書きました。

 その回で、ビートたけしの出世作「赤信号、みんな渡れば怖くない」を紹介してしまいました。

 この場では、ネガティブなことを書かないと決めているのですが、若干違和感を感じながらも書いてしまったのです。

 その結果がこれ。

 人生は本当に心のままに導かれますが、まるでコントのようなオチがつきました。全ては自分の心の産物だったのです。

 東京の人は皆知っているのだと思いますが、「壱岐坂交番前」は要注意なのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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家康が愛した街、家康が愛された理由‐1760‐

 新年あけましておめでとうございます。

 2021年は年始から穏やかな好天に恵まれました。

 状況が状況なので迷いましたが、このタイミングしかないと思い、静岡、東京行きを決めました。

 1月2日の早朝に大阪を発ちました。

 東名を走っていると、静岡側からの富士山が見えてきました。

 大阪から300km。静岡インターで高速を降ります。

 静岡県は何度も来たことがありますが、市内は初めてだと思います。

 1時間程で所用を済ませました。

 地図を見ると、「三保松原」の文字が見えたので、海沿いまで走ってみました。

 近くに御穂(みほ)神社があったので、まずは初詣で。

 やはり人出は少な目です。

 一年の健康と安全を祈念してから「神の道」を歩きますが、これがなかなか雰囲気があるのです。

 10分位歩くと、駿河湾が見えてきました。

 青い海に白い波。

 そして一筋の雲に冠雪した霊峰富士。

 まさに絶景でした。

 駿府城公園にも立ち寄りました。

 櫓は見えますが、残念ながら天守閣は残っていません。

 徳川家康は三たび駿府に入り、最後の地に選んだことでも知られます。

 中心街のすぐ北にありますが、現在は広大な公園として開放されています。

 正月らしく、凧揚げをしている家族がいました。

 中央部あたりにある家康像です。

 鷹狩りを好んだ家康らしく、左手には鷹が止まっていました。

 戦国時代、駿府城は強大な勢力を誇った今川家の城でしたが、家康は人質にとられ、7歳から18歳までをここで暮らしました。

 しかし、信長が桶狭間の戦いで今川義元を討つと、今川家は急速に衰え、1568年武田家に追放されます。

 1582年、今度は家康が武田家を追放し駿府に戻ります。

 ところが今度は秀吉の時代となり、1590年に関東へ移封され再びこの城を出ることになるのです。

 秀吉が世を去り、関ヶ原の戦いで勝利した家康は、1603年、征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。

 パックストクガワーナとも呼ばれる、270年に及ぶ太平の世の礎を築いた家康は、1607年に秀忠に征夷大将軍を譲り、大御所となって三たび駿府に戻ったのです。

 そして75歳という長寿の人生をこの地で終えました。

 静岡の人は家康がこの地を愛した理由を4つのキーワードで語るそうです。

 水、空気、海、そして雪が降らない

 十分に感じることが出来ましたが、今度は水を知る為に、何か地の物を食べてみたいと思います。

 関西での暮らしが好きですが、山のある景色だけは少し物足りないかもしれません。

 富士山、磐梯山、岩木山に開聞岳。

 「良い山がある町から大人物が育つ」と聞いたことがあります。

 家康が天下を収めた理由は富士山だけではないと思いますが、単純に顔が上を向くだけでも、人生が違ったものになるとも思うのです。

 評論家、谷沢永一は著書「人間通」でこんなことを書いています。

 彼奴には至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。(中略)才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。

(中略)

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 可愛気は全く自信がないのですが、律気なら何とかできそうな気がします。

 磨きあげれば、殆ど可愛気に近づくという言葉には随分救われた気がします。


 
 先程東京から戻ったのですが、ひとつやらかしてしまいました。

 続きは木曜日にUPします。

 今年も一年、宜しくお願いいたします。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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シンシンの夜は チクチク飲んで ‐1752‐

 市内を流れる川は、護岸をされているものが殆どです。

 平野川に合流し、大阪城あたりで第二寝屋川に注ぐこの今川もそう。

 普段なら、無粋な矢板鋼板が目につきますが、これだけ色があれば全く気になりません。

 むしろ引き立て役かなというくらい。

 桜は春も見事ですが、紅葉もそれに負けていないのです。

 近鉄南大阪線の今川駅から少し西へ行くと、地下鉄田辺駅があります。

 その駅前にある須田画廊で「生誕90年開高健特別展」が9日(水)13時まで催されています。

 1958年に「裸の王様」で芥川賞を受賞した開高健は、天王寺区に生まれました。

 7歳の時に現在の東住吉区北田辺に引っ越してきます。

 その縁で発足した「北田辺開高健の会」がこの展示会を主催しているのです。

開高は1989年に58歳で病没展示しました。

 亡くなる1年前、これまで記録に無かった大阪での講演原稿が発見され、今回展示されています。

 これは「北田辺開高健の会」の世話人を務める、こちらの白髪の方、吉村さんのもとに持ち込まれたものでした。

 1978年11月、母校である天王寺高校での講演の音声も聞くことができました。

 「講演は嫌いだけど、20数年振りに引き受けた」とあり、小、中、高を過ごしたこの北田辺界隈や母校への愛情を感じます。

 開高が暮らした昭和初期の長屋を、実測して復元した模型も展示されていました。

 現在はもうないのですが、吉村さんに聞くと、近鉄北田辺駅のすぐそばだったと教えてくれました。

 近鉄今川駅のひとつ北が北田辺駅です。

 駅のすぐ西側に記念碑がありました。

 「耳の物語」から、昭和13年に北田辺に引っ越してきた行が碑となっていました。

 「耳の物語」は大阪で過ごした青春時代を「音」によってたどる自伝的小説です。

 詳細までは思い出せませんが、面白かったことは覚えています。

 これは私の好みですが、開高健は小説も良いのですが、エッセイは更に素晴らしいと思っているのです。

 吉村さんに聞いた場所を訪ねてみました。

 この昭和初期に建った四軒長屋の向こう側に、先程の模型が建っていたそうです。

 文字で、大人やお酒や遊びを教えて貰った、大好きな作家、開高健がここで暮らしたという景色をしばらく眺めていました。

 すぐ近くの商店街はこの通り。

 まっすぐ南に下った駒川商店街の活気と比べると、寂しい感は否めません。

 開高が作家として成功する前は、壽屋(現サントリー)の宣伝部に在籍していました。

 そこで、コピーライターとしてその才能を開花させます。

 「屋台にハイボールが並ぶまで、書いて、書いて、書きまくる」と言ったように、行動を起こし続ける以外に、持続も反映も無いのです。

 展示にあったパネルは何度か見たことがあるので「どこに保存してあるのですか」と世話役の吉村さんに尋ねてみました。

 母校である大阪市大の倉庫に保管されているそうです。

 そのパネルから一節抜粋してみます。

 シンシンの夜は
 チクチク飲んで

 オレはオレに
 優しくしてやる

 そうすることに
 してある

 チクチクとな
 トリスでナ

(1967年1月 トリスウィスキー広告)

 その事実に、何故か開高健の偉業を強く感じますし、このコピーに哀愁と、優しさと、お酒への愛情を感じるのです。

 私の何かが、母校に保存されるのか……

 ふたつの意味を込めて「まだ、まだ!」と自分に言い聞かせるのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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口から出てしまってるやん‐1747‐

 近鉄は日本最長の路線をもつ私鉄です。

 伊勢志摩あたりの景色も素晴らしいですが、奈良線が生駒山を登っていくあたりも見逃せません。

 大阪側の最後の駅が石切。

 大阪平野が一望でき、なかなかに見応えがあるのです。

 グランフロントもクリスマス商戦に向けて準備完了といったところでしょうか。

 しかし今日は夏日という報道もあり、盛り上がるにはもう少し冷え込みが必要かもしれません。

 北館一番奥にある、サンワカンパニーのショールームへ行ってきました。

 グランフロントに出店する前は、北浜にショールームがありました。

 洗面とタイルには特徴がありましたが、現在とは比べものにならないくらい小さなものでした。

 現在この大きさになったのは、多くの支持を集めた結果です。

 今月の初め、かやしま写真スタジオOhanaが、土地の収用で移転計画をしていると書きました。

 計画は着々と進んでおり、カメラマンの石井さんと水廻り機器を見にやってきたのです。

 水栓だけでこの数。

 洗面ボールも硬軟織り交ぜて、選択肢が豊富です。

 水栓を実際にあてがえ、イメージをつくりやすいですし、「来て楽しい」がとても大事なのです。

 この日案内してくれたスタッフの女性も、非常にホスピタリティが高く、気持ちよく見て回ることができました。

 洗面の寸法を聞くと、すっとiPadで出してくれました。

 物が良いことは最重要ですが、人によって印象は大きく変わるものです。

 中央の吹き抜けにお目見えしたのは、バルーンのクリスマスツリーでしょうか。

 下に降りて撮ってみようということになりました。

 石井さんは普段からニコニコしている人ですが、カメラを構えると顔つきが……ということもないのですが、やはりプロです。

見下げたときの写真の特徴、見上げたときのアングルの良さなどを、言葉で明確に説明してくれます。

 あおって撮っていたので、私も真似してみました。

 本当はもっとあおっていたと思いますが、やはり印象は変わるものです。

 竣工写真だったり、雑誌取材だったりと、プロのカメラマンと接する機会が多く、どんなアングルで撮っているかはいつも見ています。

 これをアングル泥棒と言うのです。

 そのまま他メーカーで、トイレも見てきました。

 最近発売になった海外物が展示されており、値段もなかなかですが、確かに美しいのです。

 石井さんが一度試しに座ってみました。

 すると「んっ、ちょっと大きいかな」と。

 改めて国産物に座ると「大きさも、足の置く位置もこっちの方が好きかな」と。

 完全に個人の感想ですが、思ったことをすぐに行動できるところが、石井さんのストロングポイントだと思います。

 映画『東京物語』などの監督で知られる小津安二郎。

 昭和30年代、晩年の小津が仕事場とした「無芸荘」が蓼科高原に残っています。

 どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。

 よく引用される言葉ですが、簡単ではありません。

 芸術の定義は色々ありますが、「人を感動させることができる可能性があるもの」という説を私はとっています。

 人を感動させたい、だけれども従うのは自分。

 これを掘り下げていくと、人と自分がかなり近い存在でなければなないのです。

 この日のショールーム回りは奥さんも同行してくれました。

 石井さんが「僕はすぐに顔に出てしまうタイプだから」と言うと、すぐに奥さんがこう返しました。

 「顔じゃなくて、もう口から出てしまってるやん!」と。

 嫌だなあと思ったら、お客さんの前でもすでに口から出てしまっていると。

 3人で大笑いしていたのです。

 お互いもう50歳。

 それが良いのかどうか分かりませんが、自分に嘘がないのは芸術家の証しだと思うのです。

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ブラモリタニ‐1744‐

 ドラマ「3年B組金八先生」のオープニングは、荒川の土手上だったと思います。

 土手の上は景色が開け、とても気持ちが良いので好んで使います。

 大和川南の土手を東に走って行くと、石川との分岐点にぶつかります。

 ジオラマを見ると、生駒山と金剛山地の間を縫うように大阪平野に流れ込んでいるのが良く分かります。

 このあたりが柏原市(かしわらし)。

 先月ブドウを買いに来てから、本当に地形が面白いので時々ブラブラ寄っているのです。

 石川の手前で川の北側に渡ると、今度は土手下の道になります。

 近鉄電車では最も古く、1898年(明治31)年には開通していたという道明寺線をくぐると、再び土手上に。

 そのまま東へ走ると、リビエールホールと柏原市役所が見えてきました。

 ここで大和川は大きく南へカーブしています。

 先のジオラマ写真には、薄い水色で旧大和川の流れが示されています。

 功労者と言われる、中甚兵衛の像が建っている所がその交点。

 北に伸びるこの水路が旧大和川の名残なのです。

 すぐ北の丘陵地から眺めると、南に広がる古市古墳群が一望に見渡せます。

 遠くから見えている白い建物。すぐ近くに迫ってきました。

 こちらの調査はまたの機会にします。

 ジオラマは「柏原市立歴史資料館」で撮ったものでした。

 この資料館は殆どが実物展示。

 駐車場も有って無料です。

 館の方は質問にも気軽に応えてくれました。

近くに美しい竹林もあり見応え十分。かなりお勧めしておきます。

 これまでにも大和川の付け替え工事のことを取り上げたことがありました。

 いくつか理解が間違っていたことも分かりました。

 川の付け替えという大事業ですから、賛成と反対は真っ二つです。

 土地が川になってしまうエリアは勿論反対。

 氾濫がなくなる湿地帯は勿論賛成。これらの湿地は後に新田となります。

 銅像となった中甚兵衛ですが、柏原市のwebサイトでは彼をヒーロー扱いすべきではないという論調で、評価が分かれているのは面白いところです。

 しかし実際に工事現場のリーダーとして働いたようですから、功績があったのは間違いないようです。

 付け替え工事という大事業完成の翌年には仏門に入り、91歳の天寿を全うしたとするサイトもありました。

 朝のジョギング帰りに、時々会う近所の方が居ます。

 品のある方で、少しだけ会話を交わすのです。

 「お元気ですねえ」と挨拶すると「もう87歳だから、ボチボチやわ」と。

 まだ働いておられるとのことで「素晴らしい!」と言うと、「何も素晴らしいことないよ」と笑って駅へと向かって行かれました。

 流石に歩みはかなりゆっくりになりましたが、それでもかくしゃくとしたものです。

 バイデン新大統領は78歳。ブラタモリのタモリさんは75歳。

 元気だから働けるのか、働くから元気なのか。どちらもあるでしょう。

 叶わぬ夢だと思いますが、タモリさんが引退する時に、あの番組を譲ってくれないかしらと思います。

 万にひとつも無いと思いますが、その時はブラモリタニです。

 土地や街のことを紐解きながらブラブラ歩くのは最高の楽しみなのです。

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まことに日に新たに、日々に新たに、又日新たなり‐1743‐

 11月3日は文化の日で祝日。

 この日は一日掛けてショールームを回っていました。

 御堂筋と中央大通りが交差するのが「久太郎3」の交差点。

 その南西角にトーヨーキッチンがあります。

 御堂筋が通行止めになっていたので、スタッフの人に聞くと、この日から「OSAKA光のルネサンス」が始まるとのこと。

 トーヨーキッチンは、岐阜が創業の地で、元はスプーンやナイフを作っていた会社です。

 それらの加工技術を生かしてキッチンを作り始めたのですが、かなり前衛的な試みをしてきたメーカーだと思います。

 キッチンをリビングダイニングの中央に押しだしてきた功績は大きいと思うのです。

 飾り気の少ない、質実剛健といって良いデザインが、ミニマルな建築に良く合います。

 私も「下町のコンクリートCUBE」をはじめ、2000年代の作品にはかなり採用しました。

 しかし、最近縁がなくショールームも5年振りだったようです。

 最近は、流氷をイメージした「アイス仕上げ」と呼ばれる天板の人気が高いそうです。

 さらにインテリアにも力を入れており、こちらは馬の照明。

 このあたりにも「我が道を行く」感が出ています。

 当社もそうですが、選ばれるためには何かしらの理由が必要です。

 マジョリティでないなら何かを仕掛けて行くしかないのです。

 まずデザインの方に目が行くのですが、大きなシンクを立体的に使えるよう考えられた「3Dシンク」は、キッチン業界に一石を投じたと思います。

 まだSNSなどがない時代ですが、それを教えてくれたのは、目の肥えたクライアントでした。

 この日案内してくれたのは、社会人2年目の溌剌とした女性で、非常に好感が持てました。

 「仕事、好きそうだね」と聞くと「ハイッ!」と答えてくれたのですが、私が仕事を始めた頃に生まれたのか……などと思っていました。

 15時から17時まで案内して貰い、プランがまとまりました。

 ただ、この日は3メーカー回ったので、どこになるかは金額も含めてクライアントと相談の上です。

 ショールームを出ると、イルミネーションが点灯されていました。

 消費が冷え込む中、どのメーカーも決して楽ではないはずです。

 四半世紀にわたり建築の世界で生きたので、様々な隆盛を見てきました。

 例えばトーヨーキッチンを例にとれば、「デザイン」、「機能」、そして「新しい」が認知の後押しをしたと思います。

 それを自分に置き換えた時、若い時なら別ですが、私が「新しい」ということはありません。

 殷の名君湯王は、たらいの底にこのような言葉を刻み、毎朝顔を洗う度に戒めたそうです。

 まことに日に新たに、日々に新たに、又日新たなり

 24、5歳の彼女に、気持ちの「新しさ」だけは負けないつもりなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

ありのままの笑顔が大好きです‐1742‐

 私が住む大阪市平野区ですが、由来は諸説あります。

 征夷大将軍だった坂上田村麻呂の次男、坂上広野(ひろの)が治めたことがから「ひらの」となったという説。

 野を平らにしたから「ひらの」という説。

 いずれにしても、大阪市平野区も存続することになりました。

 こちらはお隣の東住吉区にある山坂神社。

 平野区は東住吉区から1974年(昭和49年)に分区して生まれました。

 ウィキペディアによると、投票では1票差で「大和川区」を上回ったとありました。

 平野区は東住吉区でもあり、大和川区か阿倍野区になった可能性があったのです。

 山坂神社の前には「七五三詣り」の看板が出ていました。

 境内を少しのぞいてきました。

 これはお百度参りに使われるものなのでしょう。

 一番下の文字は「回」?。

 朱の鳥居はお稲荷さん。

 「力石」は力自慢が競うためのものでした。

 神社はエンターテイメント空間でもあったのです。

 我が家の七五三は6年前が最後。

 勿論、Ohanaで石井さんに撮って貰いました。

 主役は娘なので、いい笑顔で撮れるよう長男も全面協力です。

 とっても懐かしい。

 もう笑い過ぎくらい笑っていました。

 折角なので兄も。

 着物。

 ドレス。

 兄妹。

 本当はこんな顔が一番多かったのですが、そこはプロの仕事を見せてくれました。

 遠い昔、7歳まで元気に生きてくれたことを祝ったのが七五三の始まりです。

 Ohanaは、このくらいの子供達が楽しめるよう設計した、私にとっても渾身の作品です。

 実は敷地が道路に収容されることになり、次のOhanaを現在計画中なのです。

 大きなコンセプトは変わらずとも、やはり進歩がなければ携わらせて貰う意味がありません。

 そこは石井さんとそれこそ膝を突き合わせて計画を練っているのです。

 2014年の七五三の記事に、「年に一度は家族で写真が撮れたらいいな」と書いていました。

 私は出来ていませんが、多くの人達にそう思って貰える新しいお店を創り上げたいと思うのです。

 Ohanaのトップページには、「ありのままの笑顔が大好きです」というメッセージがあります。

 その笑顔を引き出すのが石井さんの人柄とプロのスキルですが、何とかそれを応援できる空間にしたいのです。

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梅田墓地と高井田横穴群‐1737‐

 大阪梅田は電車時代が来るまで、のどかな田園風景が広がっていたようです。

 諸説あるとは言え、沼地を埋め立てて田んぼにしたので「埋田(うめだ)」というのですから、かなり辺鄙なところだったでしょう。

 しかし現在の大阪の顔。

 1874年(明治7年)に初代大阪駅ができて全てが変わり始めたのです。

 近年においては、阪急グループが牽引してきた部分も大きいと思います。

 阪急系列の建物は、概ね竹中工務店の設計施工ですが、HEP FIVEも同じで1998年の完成です。

 真っ赤な観覧車が一体となり、ランドマークとなっています。

 昨年秋には、ヨドバシカメラ北側にリンクスウメダが開業。

 西隣のグランフロントは2013年の開業です。

 以前、建築関係のショールームは本町が主でしたが、ここに多くのメーカーが移転してきました。

 グランフロントのタワーAは38階建てですが、ここにも住宅機器メーカーのショールームが入っています。

 コロナ下の世の中になり、打合せも控えていたのですが久し振りにやってきました。

 このショールームは眺めが良く、楽しみにしていたことがありました。

 今年の8月、大坂七墓のひとつ「梅田墓地」発掘調査の発表がありました。

1,500体を超える埋葬人骨が見つかったことなどが、大阪市のwebサイトに詳しく載っています。

 写真をいくつか拝借してみます。

 「うめきた」2期区域の南東端がそのエリアで、タワーAから良く見えるのです。

 明治時代の地図と重ねると、梅田墓地の北東角に掛かっているのが良く分かります。

 大阪市のサイトにはよりアップの写真もあります。

 小さな穴が無数にあり、多くの人骨が埋葬されていました。

 江戸時代の終わりから明治20年代まで営まれたこの墓地に、埋葬されているのは大坂城下町周辺に居住してい庶民だとありました。

 平均が30代と若く、さらに病変が認められる個体が多いことから流行病で亡くなったのではと考えられているようです。

 大阪市は調査は公開しないと発表していました。

 しかし梅田で江戸を感じることなど滅多にないと思い、何とかこの目で見ておきたいと思っていたのです。

 ショールームでいつもアテンドをお願いする女性に、到着早々に「梅田墓地は?」と訊ねました。

 すると「私も興味津々で見ていたのですが、数日前にあの建物が建ってしまいました」と。

 落胆する私に「でも、調査が始まったらすぐにシートを掛けてしまったんですよ」とも。

 すでに建物が建っているので、もう一生見ることは叶いません。

 「大阪市は一体何をするんだ!」と、二人でちょっと真面目に憤っていたのです。

こちらは、先日訪れた柏原市の高井田横穴群です。

 大和川が大阪平野に流れ込んできてすぐの丘陵地中腹。

 小高い丘には無数の横穴古墳が残っているのですが、現在は公園として整備されているのです。

 柵はあるものの、実際にのぞけるところが殆ど。

 こちらは公開横穴とありました。

 壁画が残っているのですが、ガラス越しに見ることができるのです。しかもライトアップまで。

 6世紀~7世紀に描かれたもので、同じような服装をした人物が複数描かれています。

 1300年前の飛鳥時代と言えば、聖徳太子が生きた頃。

 ここに埋葬されて人が描かれていると考えられており、これらはいわば遺影。

 心ときめくと言うと不遜かもしれませんが、その時代の生をひしひしと感じるのです。

 すこし見辛いので、解説の写真も載せておきます。

 右上には船に乗った人物が槍のようなものを掲げ、左右の小さな人物は、イカリとオールを手にしています。

 相応の身分に居た人達なのでしょう。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。私は人の過去にふれてみたくなる。

 はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。

 -山本隆司- エディター

 ターザン山本こと山本隆司さんは、週刊プロレスの伝説的編集長です。

 私が読者だった頃、彼のロマンティックな言葉を見るのが大好きでした。

 もし大阪都になったなら、各区長さんには過去だけは大切にして欲しいと思います。

 あの孔子もそう言っているのですから、これはもう絶対です。

 でなければ、柏原市に引っ越します。

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生命が宿り動き出す‐1732‐

 日曜日の朝は空が高く、秋らしい青空が広がりました。


 
 朝ジョギングにでると、風がひんやりとして本当に気持ちが良い。

 どこかへ遠出したくなるのです。

 近所の校庭をのぞくとテントが張られていました。

 運動会の準備でしょう。

 今年は父兄も入れないところが多いのだと思います。

 早朝の公園で、逆上がりの練習をする親子を見掛けました。

 我が家の子供達は運動は得意なほうで、あまり教えを請われたことはありませんが、何だか懐かしく、温かい気持ちになるのです。

 家に帰ってシャワーを浴び「さあ、今日も働くぞ」と気合をいれ、清々しい気分でアトリエへ向かいました。

 一日目一杯仕事をし、お楽しみの夕食は娘のリクエストでモダン焼きを作りました。

 「お腹パンパン」とのことで、沢山焼き過ぎましたが、日曜日くらいは良しとしましょう。

 9時までには全てを終え、チャンネルは4chに。

 テレビドラマは生涯5本目くらいですが、流石に「半沢直樹」は面白かった。

 視聴率の30%越えも、前シリーズから7年振りとのことで、話題をさらっていました。これは前作もレンタルしなければなりません。

 池井戸潤さんの小説は外れなしで、何を読んでも最高のエンターテイメントです。

 タイミングが良すぎますが、新刊『半沢直樹5』が発刊されたそうで、これも買わずには居れ無さそう。

 今日のwebニュースに、作者本人のインタビューが掲載されていました。

 小説は、登場人物のたった一言で話がガラッと変わってくるもの。書き進めるうちに物語に生命が宿り、化学変化がどんどん起きていく。その勢いを大事にして書くことが、すごく重要だと思っています。

 一番驚いたのは、ベストセラーを連発する氏が「600枚ぐらい先のことが予測できるかというとそれは無理」とあったことでした。

 「仮にその通り進んだとしたらそれは駄目な作品」ともあったのです。

 先日、初めてテレビで「Official髭男dism」を観ました。

 髭男(ひげだん)という言葉くらいは聞いたことがありましたが、観終えたあと『Pretender』『 I LOVE…』『宿命』の3曲を購入しました。

 すっかり好きになってしまったのです。

 音楽は極めて好みに影響されるものですが、インタビューのシーンで、ヴォーカルの藤原聡さんはこんなことを言っていたと思います。

 僕たちはどちらかと言えば、楽曲目線なんです

 私も創り手なので、池井戸潤さんと藤原聡さんの言葉はビシビシと伝わってきます。

 「やりたいことをやる」を否定はしませんが、自分の気持ちや気分より「作品がどうあるべきか」を大切にしていることが良く分かります。

 髭男の3曲も、映画やドラマの主題歌だそうで、お題があったということです。

 その中で、ヒット曲を連発でき人は「やるべきことをやる」人なのだと良く分かるのです。

 最後に。

 『Pretender』は映画『コンフィデンスマンJP -ロマンス編-』の主題歌と知りました。

 出演者が2人も自ら命を絶ち、世の中は落ち着きを無くしています。

 心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 丁度、藤原さんと同じような歳の頃、私も何度も「死んでしまえば楽になれるのだろうか」と考えました。

 その心病んだ3年間を何とかやり過ごし、楽な時は少しもありませんでしたが、今、生きることこそが素晴らしいと実感します。

 命は自分の意思で掴んだものではありません。自分でコントロールするものではないし、してはなりません。

 人は生きるために生きるのです。

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