カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

六甲アイランドに、ローマと香港を見る‐1897‐

4月の2週目、久し振りに六甲アイランドへ行く用事がありました。

学生時代は、甲南大学のスキー部にお世話になっていたこともあり、かなり頻繁に訪れていました。

体育会用のトレーニングジムがあったのです。

六甲ライナーで来たのは初めてかもしれません。

浅瀬をみつけると魚を探してしまうのは釣りキチの性。

実際にボラが群れていたのですが、なぜかワクワクするものなのです。

アイランドセンター駅周辺は、巨大な建物が集まっていました。

中央にアトリウムを備えている建物が多かったのも面白いところ。

丸い天窓を切っているところまで同じでした。

本家本元と言えば、ローマのパンテオン神殿です。

ローマと言えばコロッセウムがアイコンと言えます。

しかしパンテオンは見逃せません。

直径9mの天窓から、日の光が差すさまは圧巻です。

約2000年前にこの天窓を実現したことに驚かされるのです。

駅の少し北に建つ「アジア・ワン・センター(1993年)」は竹中工務店の設計施工。

この建物を見ると「香港上海銀行ビル(1986年)」を思い出します。

香港は2019年の10月に訪れました。

「サー」の称号も持つノーマン・フォスター設計です。

ビクトリア・ピークから見る100万ドルの夜景。

その中でもひときわ目立つのが、I・M・ペイ設計の「中國銀行ビル(1990年)」。

その近くにひっそりとたたずんでいるの が「香港上海銀行ビル」。

写真の左下に写っています。

ザハ・ハディド設計の「香港理工大学(2014年)」も必見。

もう建築パビリオンのような街でした。

ただ、香港の本当の魅力は街歩きだと思います。

そして食べ物

まずは「鹿鳴春」の北京ダック。

そして、ブルース・リーの主演映画「死亡遊戯」の舞台にもなった南北樓(ナンペイロウ)のエビチリ。

もうどちらも絶品でした。

今も、あの肉厚のエビの触感と甘辛さが舌に蘇ってきます。

バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」ファンの私としては、香港はどうしても訪れたい街でした。

しかし、犯罪容疑者の中国本土へ引き渡しを認める「逃亡犯条例」に対する抗議活動が、この年の7月頃から激しくなってきました。

海外への旅で、無用に危険を冒すことは愚の骨頂ですが、もしかすると最後のタイミングかもと思ったのも事実です。

それが戦争までが実際に起こってしまうとは……

「芸術とは、人の心を動かすことができるもの」という定義を信じています。

美しいものを見たり、人は全く違うと感じたり。反対に、人は本当に違わないと感じたり。

そういった体感が、人の心を育てるのだと思っています。

人も、物も、体感も、自由に行き来できる世の中に、本当に早く戻って欲しい。

ひとりの旅好きとして、切に願うのです。


■■■ 『ESSE-online』にコラム連載■■■

4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設

■■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

ガウディ建築に見るステンドグラスの魅力‐1896‐

先日、中之島にちらと寄ってきました。

中央公会堂に続く道の脇に植わっているのはベニカナメモチでしょうか。

真っ赤なラインで導いているようです。

難波橋を南に渡ると北浜です。

大阪証券取引所に入ってみます。

クライアントが「あのステンドグラスを見て、取り入れてみたいと思ったの」と。

何度か来たことがありますが、まじまじと見たことが無かったので立ち寄ってきたのです。


また、「サグラダ・ファミリアのステンドグラスがとても良かった」という話にもなりました。

ミラノから電車でバルセロナに入ったのは2012年の8月でした。

2週間弱で、イタリアを縦断し最後の目的地がバルセロナという強行軍でした。

アントニ・ガウディの建築群をみるのを、とても楽しみにしていたのです。

サグラダ・ファミリアの内部に入ると、バルセロナの強い日差しが一転します。

ステンドグラスを通して、穏やかになった光が有機的な建築に透過してくるのです。

高さを求めた教会建築は、更に高い位置の開口部も求めました。

抑えの効いた色鮮やかな光が、人々を非日常の世界へと誘ったのです。

世界中から観光客を惹きつけるガウディの建築ですが、バルセロナ郊外に隠れた傑作といわれる教会がもうひとつあります。


コロニア・グエル教会です。

タイルのトカゲで知られるグエル公園にも名が冠されているように、ガウディのパトロンだった、エウセビオ・グエルの命によって出来上がったものです。

最終的には、サグラダ・ファミリアのような塔もそなえる予定でしたが、1階部分だけで計画は中止となりました。

それでも傑作といわれるのは、ダイナミックで、プリミティブともいえるこの空間がもつ圧倒的な迫力です。

ステンドグラスも、サグラダ・ファミリアが都会的なセンスを感じさせるものとすれば、原始信仰に近いようなおどろおどろしさ、わかりやすさを感じます。

全く異なる、しかし同じ息吹を感じさせる作品を、多く残したことは、ガウディが天才たるゆえんだと思います。

ステンドグラスの魅力を再確認したのです。

そのクライアントは、「グニャグニャしたお家も、はじめは興味なかったけど、実際にみると凄くいいの」とも。

カサ・ミラのことだと思いますが、世界遺産は伊達ではなかったようです。

ステンドグラスのことを書こうと、イタリア・スペインの写真をピックアップしていたのですが、、何と言うか、もう居ても立っても居られない気持ちになりました。

海も湖も雪山も大好きですが、一番好きなのは旅なのだと思います。

知らない街に降り立った時のあのワクワク感。それを上回るものは私にはないようです。

少しづつですが、その時は近づいてきたでしょうか。

今すぐにでも飛行機に乗ってどこかへ飛んで行きたい衝動に駆られるのです。

最後に。

『ESSE-online』 のコラムですが、第6弾 「リビング学習」 が月曜日に公開されていました。

かなりの力作なので、良ければ読んでみて下さい。勉強が好きになる間取りが5例載っていますので。

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人生は敗者復活戦‐1890‐

先週土曜日、阪神電車にのる機会がありました。

大阪-神戸間は3路線が競合する激戦区です。

海側から阪神、JR、阪急という並び。

阪神電車は、海側までいち早く梅田のビル群から遠ざかります。

それで淀川越しの景色はなかなかのものです。

朝一番、15分程で甲子園駅までやってきました。思いのほか人出があります。

甲子園と言えばもちろん阪神タイガース。

タクシーもこの通りですが、流石にこの時間から試合はないはず……

と考えていたら、上空には数機のヘリも飛んでいます。

聞くと、春の選抜高校野球の開会式が、順延でこの日になったそうです。

どうりで警察官を見掛ける頻度が高い訳です。

出場校の宿も目にしました。

まず安全に、そして自分達の持てる力を出し切って欲しいものです。

先月の初め、2級小型船舶操縦士を、1級にランクアップする計画をたてました。

時間も無いのでボートスクールには通わず、独学で受けることにしたのは、YouTube先生を見つけたから。

先週、試験の点数を報告しましたが先生のお陰で無事合格していました。

合格証明書を貰いに天満橋近くの「日本海洋レジャー安全・振興協会」までやってきました。

これで私の大阪城通いも一段落です。

免許証を交付してくれる近畿運輸局まで、大阪城の外堀沿いに歩くことにしました。

途中には大手前高校。

こちらが母校のクライアントを思い出します。

すぐ近くに大阪府庁。

若い頃は建築確認申請でかなりいじめられました。

こちらの勉強不足も一因なので、鍛えて貰ったとも言えるのですが。

そして大阪府警察本部、大阪歴史博物館までやってきました。


植込みにあったユキヤナギも花が咲きだしています。

ここまでくれば、谷町四丁目にある近畿運輸局はすぐそこ。

11階で無事、小型船舶操縦免許証を交付してもらいました。

特殊とあるのは水上バイクも可とのこと。分かっていませんでした。

ついでに1級建築士の免許証も載せておきます。

現在建設大臣はいないので、国土交通大臣となっているのでしょう。

平成9年は1997年。この時はお金がないので、独学で受験しました。考えてみれば、昔から独学ばかりです。

効率を考えればという話もよく聞きますが、独学は何もない所から始めるので応用が効くのが良い点でしょう。

また、小型船舶免許のほうは、全部合わせても1万円は掛かっていないので、もし落ちたらまた受ければいいと思っていました。

高校野球が開幕し、球春を迎えますが、古豪、徳島の池田高校の故・蔦監督の言葉を紹介してみます。

「負けるのは不名誉ではない。不名誉なのは負けて駄目な人間になることだ」

やはり「上手くいった」と報告したいですが、そうはいかないことも多々あります。

尊敬する京セラ、auの創業者、稲盛和夫さんが主宰していた盛和塾はなくなりました。

しかしその後継塾はあり、来月、久し振りに経営体験発表をすることになりました。また6月後半には、「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演」をすることも決まりました。

勝ったことも、負けたことも、洗いざらい話してみたいと思います。

先の蔦監督は、「人生は敗者復活戦」と喝破したそうです。

何度負けても、立ち上がりさえすれば負けとはなりません。青春時代を生きる若者を叱咤しながらも、自らにも言って聞かせていたのだと思うのです。


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第二の故郷、天王寺でブラモリタニ‐1886‐

月曜日は、「大阪が大大阪になりえた理由」をレポートしました。

日曜日に大阪歴史博物館で勉強してきたのですが、谷町四丁目の設計事務所で私の仕事人生はスタートしました。

そして就職の3年後、天王寺でアトリエmを創業します。

久し振りに天王寺で買い物でもとやってきたのです。

JR天王寺駅の北側、緑の看板右に見えるマンションを意識して貰えると、地理が分かりやすいかもしれません。

初めてのアトリエは、この裏あたりにある4畳のワンルームマンションでした。

本当に懐かしいのですが、周辺は戦前からの街並みが残る、なかなかにディープな場所でもあるのです。

空撮が分かりやすいでしょうか。

天王寺・あべのエリアは東西のあびこ筋と、南北に走る谷町筋、あべの筋の交点となる「近鉄前」が中心です。

JR天王寺駅は、その北東角にあります。

4つのエリアは「あべの」の「a」をかたどった歩道橋で繋がれています。

北西エリアは、てんしば、天王寺動物園、そして通天閣と続きます。

南東エリアには近鉄百貨店が入る、シーザー・ペリ設計のあべのハルカス。

そして南西エリアにはキューズモールがあります。

このあたりは、最後の色街といわれる飛田新地もある山王エリアまで、細い路地が迷路のように入りくみ、繋がっていました。


これは2009年5月の写真です。

こうなる前にもっと写真を撮っておくべきだったと悔いが残ります。

蛍光灯なのに味わいのある居酒屋「明治亭」。

牛だったか、羊だったかの脳みそのソテーを安価で食べさせたグリル「マルヨシ」。

餃子の「珉珉」脇から入り、こんなところにあるの?というくらい路地の奥にあったのですが、とにかく安くて美味しかった。

そのグリル「マルヨシ」の耐火煉瓦が、大阪歴史博物館の展示の中にありました。

現在は、あべのキューズモールの中で出店しているそうですが、いまだに足が向かず……

思い出のままでもいいのかなと思っています。

2枚目の写真あたり、JR天王寺駅の北エリアまで歩いてきました。

天下一品横から、阪和商店街とあるアーケード内に入ってみます。

はじめに書いた、ディープ大阪エリアです。

こんな景色も最近めっきり少なくなりました。

閉まっている店もありますが、営業している店もそこそこあります。

立ち飲み屋が、これほど似合う街もなかなかないはず。

公衆便所の看板は、間違いなく昭和20年代の風情。

扉巾は45cmでした。

妻が「使うのはちょっと」と言っていましたが、これは見て楽しむものなのです。


この居酒屋「新力」は全皿350円。

若い頃、本当によく行きました。

コロナ下の社会では考えられないくらい、隣席と密着して飲んでいたのですが。

アーケードを抜けると、新しい店もできていました。


このあたりを裏天王寺と言うのでしょうか。

この店の向かいにあった「別人倶楽部」はパティオのある、なかなかに洒落たイタリアンでした。

残念ながら閉店し、駐輪場に変わっています。

生レタスがのった、ミラノ風の生地が薄いパリパリピザを知ったのもこの店でした。

普段使いの「新力」。よそ行きの「別人倶楽部」があれば、20代の私には十分だったのです。

老舗料亭の後ろに建つのが、2枚目で紹介したマンションです。

そのすぐ近くに私がアトリエにしていた(住んでいた)マンションがあります。

ハルカスがすぐそばに見えるのですから、25年という時間は、あっと言うまであり、膨大だとも感じます。

ちょっと裏路地をのぞいたとき。

「ダメモトで勝負してみる?」

これは、昭和世代だけの楽しみなのかもしれません。

折角食べるならと、口コミをみて精度を上げるのもよいですが、失敗もネタ的にはありです。

影の部分があってこそ、明るい部分はよりくっきりと、映えてくるのですから。

第二の故郷、天王寺でブラモリタニ。楽しんで貰えたでしょうか。

我ながら、「やっぱり街歩きが好きなんだな」と、つくづく思うのです。

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大阪通史と、大大阪になりえた理由‐1885‐

昨日は久し振りの休日で、大阪歴史博物館へ行ってきました。

NHK大阪放送会館と一体となったこの建物。

あべのハルカスなどもデザインしたシーザー・ペリが設計に参加しています。

ペリは2019年の7月に亡くなりましたが、日本にも多くの作品を残しました。

この建物にも何度か訪れましたが、背が高いうえに水平、垂直、曲線が入り乱れ、撮影がとても難しいのです。

意外にこんなアングルの方が形状が良くわかるのかもしれません。

最上部まで連続するガラス部の先端は、こうなっていました。

館内も訪れた気でいましたが、実際の展示を見たのは初めてでした。

建物の軸線が、まっすぐに大阪城を向いていることは、ここから眺めないと分かりませんでしたから。

実は1年前、地元でこの貼り紙をみかけ、すぐに一度訪れました。

まさか1年前から告知しているとは思わず、『2022年』を見落としていたのです。

よって今回はリベンジ再訪です。

ですが、喜連村史展のみ撮影禁止とのこと。成果としてはこの写真くらいになってしまいました。

しかしこの博物館、期待を遙かに上回る充実度でした。

いきなり横長の大開口に圧倒されます。

外観写真で、太陽があるあたり。

10階の開口部ですが、眺望も演出も素晴らしかったのです。

10階から6階へと下りながら観覧していきますが、冒頭の3分くらいの映像を見るだけでも600円の価値があります。

紀元前3000年の大阪平野。

7世紀に、奈良から大阪に都が移ってきました。

その場所は、大阪歴史博物館のすぐ隣です。

戦国時代を終わらせたのは秀吉でしたが、大坂の陣で徳川の世へと移り変わります。

江戸時代、天下の台所として、商人の町大阪はひとつの頂点を極めます。

しかし明治維新のあと、近代国家を目指す混乱期にはインフラ整備の遅れもあり、大阪の経済は落ち込んでいきました。

そこから脱出し、日本最大、世界でも第6位の人口を誇る、「大大阪時代」を迎えるのです。

その理由は後ほど。

第二次世界大戦で焼け野原に。

そして復興。
高度経済成長期の沸点として、1970年の大阪万博を迎えました。

映像だけでなく、展示物も素晴らしかった。

ここなら4時間くらいは軽く楽しめそうです。

「大大阪時代」を迎えるに至った理由についての映像もありました。

紡績業の成功も大きかったのですが、アジア最大規模と言われた「大阪砲兵工廠」と「造幣局」ができたことが大きな要因になったそうです。

重工業から化学産業に至るまで、多くの分野で産業が発展したからです。

江戸幕府が大阪に銅座をおいたこと、住友家の銅精練所が中央区島之内にあったことも、「造幣局」が大阪にできた理由のようでした。

商人の町、民の力もあったのですが、こういった背景があったことも分かりました。

少し寂しい気もしますが、民と官は敵対すべきものではないことに納得したのです。

おまけですが、1階にあるレストランはお勧め。

デミグラスハンバーグ&海老フライが1000円。この立地を考えればなかなかリーズナブルです。


谷町四丁目駅のすぐ近くにある中学校。

門扉越しに紅白の梅が見えました。
時間があれば、大阪城の梅林を見にいこうと思っていました。

昨日は時間切れで諦めましたが、とても得をした気分になりました。

なかなか出歩きにくい時代です。

しかし、直接目にしないと分からない事や、思いがけない発見こそが、街歩きの醍醐味です。良い休日になりました。

実はまだまだ書きたいことがあるので、次回ももう少し大阪について書いてみようと思います。


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大阪砲兵工廠にも光と風を‐1875‐

1月はあっという間に行ってしまい、今日が最終日です。

地下鉄の天満橋駅から、土佐堀通を東へ5分ほど歩きます。

大川に流れ込む寝屋川を渡ると、南に向かってまた橋が伸びています。

この橋が「京橋」だと今日はじめて知りました。

Googleマップにも「江戸時代の街道の起点だった橋」とあります。

このあたりに所用があったのですが、それを済ませて京橋を南に渡ってみます。

橋の中央から東を見ると、OBPのクリスタルタワーが真正面に。

大阪城の手前に見えるのは、大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)の旧化学分析場です。

「筋鉄門跡」が見えてきました。

大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)の石柱も。

徳川幕府が筋状の鉄筋で補強した門を設けたそう。いかに重要な場所だったかが分かります。

入ってすぐに見えるのは警備員詰所だったそうです。

完全に朽ちています。

南に廻り正面までやってきました。

1919年の完成ですが、周辺は完全に封鎖されていました。

建物からは木が生えています。

傷んではいますが、立派な建物です。

ちなみに、大阪城の天守閣のすぐ南にある「旧陸軍第四師団司令部庁舎」は「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」として昨年再オープンしています。

すこし東へ行きすぎると、中央に水が溜まった鉄の塊がありました。


ネット上にも色々な書込みがありましたが、どうやら砲兵工廠の溶けた鉄がそのままここに残されているようです。

江戸時代、街道の起点だったこの場所に、なぜこのままの状態で放置しているのか……

また、新兵器の開発や化学実験をした場所ですから、不気味さは一層です。

戦後この周辺は、「アパッチ族」と呼ばれる、不良集団が跋扈しました。

大阪砲兵工廠後地に、警備をかいくぐって侵入。鉄くずを集めてそれを売り、糊口をしのいでいたのです。

その姿を開高健は「日本三文オペラ」で、小松左京は「日本アパッチ族」で描きました。先程の朽ちた詰所には、彼らを取り締まる警備員が居たのでしょうか……

しかしその面影を残す建物が、現存しているとは全く知りませんでした。

あるテレビ番組では「光と風の振付師」。「光のマイスター」と呼ばれたこともあります。

この負の遺産を、明るく風通しの良い建物にできないものかと真剣に思うのです。


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バーゲンは罪?‐1873‐

日曜日が雨予報だったので、土曜日に梅田へ出ていました。

JR大阪駅の南東にある交差点は「阪神前」。

「阪神前」の北東に建つのは阪急百貨店です。ややこしい言い方をしていますが。

その前にあるのは、村野藤吾設計の梅田換気塔。

1963年の完成ですから、60年近く地下街へ新鮮な空気を供給しているのです。

梅田の地下街は、屈指の大きさと通行量を誇りますが、大規模なリニューアル工事中。

阪神百貨店前の東広場に至っては完成が1937年。80年以上経っているのです。

イメージパースが掲示されていました。

東広場を西に進み、大丸方向へ向かうと、パッと明るくなり雰囲気が変わりました。

何と、大阪駅前地下道にトップライトが設置されていました。

阪神、阪急、大丸をむすぶ歩道橋から確認してみます。

位置から考えるとこの部分でしょうか。

地下に外光が差し込むと、全く雰囲気が変わるはず。最終的にどうなるのかとても楽しみです。

この光が一番欲しかったのは、以前あったふるさと名産店(通称アリバイ横丁)の売り子さんかもしれませんが。

百貨店の一角に、まだ「セール」の貼り紙があったと聞き、あわててやってきました。

現場へも革靴を履いていくので、全てが傷だらけに。何足か補充しておきたかったのです。

3つの百貨店なら私は大丸派。フロアが適度にコンパクトで、買い物が早く済みます。靴売り場へいくと、それなりに残っているようで探し始めました。


店員に「この25.5cmってあります?」と聞くと、「もう展示だけですねエ。セール終盤なので」と。
他のものを訪ねると「それもないですねエ、セール品は」と。

セール品でなくても構わないかなと思っていたのですが、この時期に来たのをとがめられて様ないるような扱いで……

バーゲンに来るのは罪ですか?と言いたくなりました。

気分の悪いまま買うのは嫌で帰ってきました。

帰りの地下鉄でふて寝していると、乗り過ごしてしまいました。

谷町線の終点は八尾南です。

そういえば、子供達はしょっちゅう乗り過ごしているといっていました。

ホームから東を見ると、沢山の車両と生駒山が見えました。なかなかの景色だなと気分を直して会社に戻ったのです。

若い時ほど腹が立つことは減りましたが、それでも時々頭にくることがあります。

そんな時は、まず一呼吸おいて寝る。そして移動する。これに限るのです。

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大阪下町ダイバーシティ‐1871‐


1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載 されていました。

こちらは1998年完成。私にとって2つ目の作品です。

と思っていたら、翌1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」も掲載されていました。

こちらは2006年の作品。初めて『住人十色』『住まいの設計』にも取り上げて貰いました。

特に連絡もないので、SNSで偶然見かけて知りました。結構そんなケースが多いのです。

日曜日は打合せのあと、「セブンパークス天美」に初めて寄ってきました。

妻が車で行きたそうにしていたので、私としてはサービスのつもりです。

大阪市内からなら大和川を渡るとすぐ。

阪神高速の松原線、三宅出口から西に1kmあるなしの距離です。

夕方だったのでそれなりの車列でした。

しかし駐車場が大きく、待ち時間は苦にならない程度。

屋上から南東を望むと二上山も見えますが、畑の中にポツンといった立地なのです。

フードコートには「神座」。

ロフトや無印が入っているのが、イオン系との違いでしょうか。

天美スタジアムという大きなイベントスペースは、なかなか好感がもてます。

野菜の格安店らしく、凄い列でした。

時期が時期なのでこちらは避けておきました。

海産物の専門店もあり、エビが安かったので夕食はエビフライに。

私がこの世で一番大好きな食べ物なので、サービスした甲斐がありました。

と思っていたら、娘も卓球の大会で3位だったと連絡があり、ちょっとしたお祭り気分だったのです。

三宅出口とセブンパークスとの間にはスポーツパーク松原スケートパークがあります。

そこにはこの横断幕。

史上最年少金メダリスト、西矢椛(にしやもみじ)選手のホームグランドでした。

信号待ちでとまると、親子鷹なのか熱心に練習しています。

これがなかなかの迫力なのです。

今日「ドカベン」などの作者で知られる、水島新司さんの訃報が届きました。昭和50年代の大阪の下町。男の子は野球以外のスポーツは知りませんでした。

阪神の矢野監督もたしか出身が近所だったと思います。

それはそれで競争も激しく楽しかったのですが、現在の多様性と比べると、全く別の国のようにさえ感じます。

卓球、スケボー、野球……選択肢が無限だからこそ、決めることは大変だろうなとも思います。ダイバーシティの波は、確実に大阪の下町にも押し寄せていました。

すると先程、あるクライアントから「長男が第一希望の中学校に合格しました!」と、喜び溢れるメールが届きました。

設計をしていた時は、小学校に入る前だったはず。本当に時間が経つのはあっという間です。

阪神淡路大震災からも今日で27年。

選択肢は無限でも、選べる道は1本しかありません。そのことに置いて悔いはありません。

鬼籍に入った 水島新司さん追悼の記事は回を改めて書いてみたいと思います。

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過去と現代の交差点‐1869‐

なかなか子供とスケジュールが合わないのですが、休日の夕食くらいは一緒にとりたいものです。

外食なら「お寿司行きたい~」となるのですが、またまた微妙な状況。

それなら手巻き寿司でとなり、堺の大起水産までネタを仕入れに行ってきました。

中央綜合卸売市場とつながっているのは、遊んでいたスペースを大起水産が借りているのでしょうか。

大起水産と言えば、関西に多くの回転寿司店を出店している会社です。

店内は、白浜のとれとれ市場を小さくしたような雰囲気。

朝一番からマグロの解体ショーも始まりました。

雰囲気としては、昨年の6月に買い出しに行った泉佐野漁港青空市場のほうが好みですが、近いことは魅力です。

兄妹とも好きそうなネタを仕入れ、市場の裏側へでました。

Googleマップ で道程を確認していると、北側の細い道が竹内街道と分かりました。

少し歩いてみたいと思ったのも、ここに来た理由です。


裏に出ると、この敷地が池の上に建っているのがよく分かります。

おそらくあたりは湿地帯で、これだけ大きな土地が残っていたのだと思います。

臭いというか、懐かしいというか、ドブの臭いも。

周辺にも説明の看板があちこちにでていました。

少し歩くと大泉緑地の南にでてきました。

子供が小さい頃はよく来ていたので、雰囲気がある道だなと思っていたのです。

Googleマップは、こういった旧道も表示されているのが嬉しいところ。

思わず大阪港まで辿ってしまいました。

丁度公園の南西角あたりで大阪中央環状線(通称:中環)と交差し、旧市街地へと入っていきます。

大起水産の看板左が竹内街道です。

ロマンティックに言えば、過去と現代の交差点です。その言葉に負けないくらい良い交差点でした。

先の看板にあった我堂金岡線を越えると、昔からの集落らしい雰囲気に変わります。

旧道は、先の見えないこのうねりが良いのです。

竹内街道は、シルクロードの終着点である難波と飛鳥の都を結ぶ日本最古の官道です。

時代が時代なら、ここは銀座4丁目のようなもの。趣きのある建物も残っていました。

もう少し行くと、金岡神社が見えてきました。

神社の本殿は南向きがほとんどですが、こちらの神社は西を向いています。

四天王寺も西向きだったと思いますが、大阪港からの参拝客に配慮したのかもしれません。これはあくまで私の想像ですが。

大阪、堺を移動していると、晴れ着を着た新成人を沢山見かけました。

こちらの境内では、娘さんを熱心に撮るお父さんカメラマン。友達同士で盛り上がるのもよいですが、何だかとても良い構図でした。

娘の成人式まではまだ6年あるので、あまり考えないようにします。

今日の仕事はここまでにして、家に帰って妻の手伝いをします。

誰もほめてくれないので「何と立派な大人」と自分で褒めておきたいと思います。

■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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完璧ではないから‐1868‐

今年初めの日記は、1月3日の初詣でを書きました。

その前は、年末から1月2日まで木曽福島へ行っていました。義妹家の山荘を訪れるのも3年振りです。

年末年始は厳しい寒さで、木曽福島でも-16℃まで下がりました。

道もピカピカアイスバーンです。

中山道沿いの盆地地形ということもあり、普段は雪が少ない地域ですが、今年はしっかり積もっていました。

さらに気温が低いので、平地でも樹氷となっています。

キリッと寒い雪原に咲く雪の花。

スキー部の合宿で過ごした北海道中部を思い出します。

今回はスノーボード可の、やぶはら高原スキー場へやってきました。

弟の子供3人と合せて5人は、弾けるように出掛けていきましたが、私は年末の寝不足で……

車の中で午前中は寝ていたので、ほぼ子供達とは滑れず。

ようやく夕方に、ひとりで山頂まで登りました。

ひときわ輝くのはどこの山なんだろうと思いながら、一気に滑りおりてきたら足はガクガク。

無理は禁物と、早めに引き上げたのです。

山荘なので食事は自分達で用意します。

初日は義妹がカレーを、2日目は私達が近所のイオンへ惣菜を買い出しに。

大阪から持参したものと合せて、なかなか楽しそうな食卓になりました。

スキー部の先輩の山荘、白馬の山小屋は私の2つ目作品ですが、旧山小屋へ寄せて貰った時も自炊でした。

皆で食べるのがなによりのご馳走ですが、本当に楽しかった思い出しかありません。

デザートも手作りのフルーチェ。とてもいいことです。

その後はこんな感じ。

さらに女の子チームもこんな感じ。

山荘の魅力は、やはり一切の気兼ねが不要なことでしょう。

山頂に神社があると聞きました。

前日、山を眺めていた所から、さらに雪山を登ります。

木の鳥居の後ろには御岳神社の石碑がみえています。

その名の通り、背後に見えるのは霊峰・御岳山でした。

少し高度が違うだけで、全く違う山に見えるものです。

家族の初詣では北野天満宮ですが、私は先にこちらでお参りしました。

今回は滑っているところも含めて、「ゲツモク日記チャンネル」の第2弾として動画を上げるつもりでした。

動画も撮ったのですが、編集が時間切れになってしまいました。機会を改めてまたUPしてみたいと思います。

北海道の雪原を思い出すと書きましたが、この風景を見ていると「池中玄太80キロ」を思い出しました。

タンチョウヅルではありませんが、載せておきます。ハクセキレイでしょうか。

西田敏行演じる報道カメラマンが、杉田かおるらが演じる連れ子の3姉妹を育てる物語ですが、80年代は切ないドラマが沢山ありました。

「鳥の詩」そして「もしもピアノが弾けたなら」と、主題歌・挿入歌も秀逸でした。

♪私の心が空ならば 必ず真白な鳥がまう♪

シンガーソングライター全盛の時代ですが、俳優が歌う魅力もあります。それは完璧ではないから、人の心が入り込む余地があるのだと思っています。

劇作家、寺山修司はこう言っています。

物語は半分作って、後の半分は観客が補完して一つの世界を作っていく。余白が無いといけない。それが演劇の可能性だ。

私の目指す建築像はまさにこの言葉に集約されていると思っています。

良い仕事ができるよう、アトリエも今日からフル稼働です。

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