カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

大阪シティバス 62号に乗って‐2270‐

先週土曜日の朝7時半、アトリエから一番近い上本町1丁目のバス停で待っていると、定刻から3分程遅れて到着。

自転車か電車が早いのですが、大阪シティバスに乗ってみました。

妻の友人が近くに住んでおり「この辺りはバスが便利よ」と聞いてきたのです。

大阪駅行きの62号系統で、健康診断に淀屋橋まで行ってきました。

上町筋を北上すると、難波宮跡、大阪城を右手に見る、なかなかの景色です。

土佐堀通に突き当り左折。丁度、京阪電車が通過します。

天満橋、天神橋、難波橋の大阪の三大橋を右手に眺めながら、15分程で淀屋橋に到着しました。

市役所周辺の街路樹も、見事に色付いていました。

健康診断が終わり、バス停まで行くと待ち時間が20分程あります。

それなら歩いて、62号系統から見える景色の復習かなと。

淀屋橋南詰にある「かき広」と大阪市役所。

以前、食事に行こうという話になったのですが、未だ実現していません。

一度は行ってみたいところです。

この辺りは、水都にふさわしい景色です。

土佐堀通を東へ歩きます。

北側の建物は土佐堀川の借景を取り入れた建物が多いのは必然でしょう。

ケーキ屋さんでしょうか.

すぐ東には中央公会堂。

難波橋を越えると、北浜レトロビルヂング。

こんな古民家も残っています。

箱軒が見えているので、昭和初期くらいの建築でしょう。箱軒は関東大震災のあと、防火対策として急速に広まったものです。

北浜レトロビルヂングの完成は明治45年(1912年)とありました。

堺筋を中心に、周辺には明治、大正、昭和の建物が本当に沢山残っており、建築が大切に使われているのが分かります。

先の古民家の東には、seiundoが入っている北浜1丁目平和ビル。

5階にあるオフィスですが、2016年に完成しました。

竣工写真は、何故か私が入っているという。

眼下に広がる土佐堀川とバラ園の景色は絶景と言ってよいものでした。

難波橋、天神橋をすぎ、大阪三大橋の最後は天満橋。

大阪城まで帰ってきました。

大阪府庁前で、20分程前に出たバスに追いつかれます。

ゆっくり歩いて45分の道程でした。

62号系統は、大川周辺の観光名所を巡る感じなので、路線周辺に住んでいる方にはお勧めです。

大阪シティバスの運賃は一律210円。それで観光バスに乗った感じの、お得感が最高でした。

『メトロに乗って』は浅田次郎の長編小説です。地下鉄がタイムマシンの役割を果たし、過去と行き来しながら、自分の父親、兄などの過去を知っていきます。

沢木耕太郎の『深夜特急』も路線バスを乗り継ぎ香港からロンドンを旅する話ですし、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』という人気番組があったとも聞きます。

公共交通は、誰もが共通体験を持っていますし、感情移入しやすいのでしょう。

高速道路を使わない日本一長い路線バスと言えば、奈良交通の「八木新宮線」で、169.9kmあります。

所用時間は6時間半。休憩が3回あるそうで、橿原市の大和八木駅から、十津川村を抜ける168号線で和歌山の新宮までの道のりです。

一度乗ってみたいと思っていますが、6時間半も乗っていると、本当にタイムスリップするのかも……

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

チームスポーツの秋‐2266‐

土曜日は朝焼けで、東の空が真っ赤に染まっていました。

朝焼けは、天気が下り坂になると言われますが、雨だった前日の水蒸気が残っていたのでしょう。

土、日、月と概ね好天に恵まれました。

大阪城公園も、日当たりのよい場所は紅葉が始まっています。

11月に入り、秋らしい雰囲気になってきました。

そのまま北の天満橋まで行くと、大川にブイが浮いていました。

日本国際ドラゴンボート選手権大会が開催されると横断幕がでています。

会場は、京阪百貨店の北側、八軒家浜船着場のようです。

対岸が選手村のようになっていました。

天満橋駅あたりで、オールを1本持った外国人の一行がホテルから出てきて、大挙してコンビニに入って行った理由が分かりました。

ちらと選手村をのぞいてみると、アスリート体形とは程遠い感じの人が結構おられたのです(失礼!)。

妻は以前ドラゴンボートの試合に出たことがあるそうですが、誰でも気軽に参加でき、結構楽しいそうです。

起源は中国の祭りにあるので、楽しくなければ意味がないとも言えそうです。街で見かけた選手の人達も、何だか楽しそうでした。

チームスポーツは、意識を揃えるのは大変ですが、「分かち合える」という点は、何にも勝るものかもしれません。

11月2日(日)、MLBのワールドシリーズ第7戦は、ロサンゼルス・ドジャースの劇的な勝利で決着しました。

日本が誇る、大谷翔平選手は当然凄かったのですが、あり得ない間隔で登板した山本由伸投手は、あのランディ・ジョンソン投手以来のシリーズ3勝を上げ、圧倒的内容でMVPを受賞しました。

トミー・ジョン手術から復帰1年目の大谷選手も、中6日確保してきた登板間隔を、中3日に短縮して先発。

中5日以上を確保してきた山本由伸投手にいたっては、最終登板は中0日。「鉄腕」という見出しも踊っていました。

元祖鉄腕と言えば、日本シリーズで3連敗のあと4連投4連勝し「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた、故・稲尾和久さんです。

また「権藤、権藤、雨、権藤」で知られる権藤博さんは、連投につぐ連投で、プロ入りから2年で65勝。しかし、当然ながら肩を壊してしまいます。

稲生投手は「鉄腕」の名の通り、生涯で276勝していますが、現在のように、登板をもっと管理されていたら優に300勝は越えていたかもしれません。

そういう時代だったので、どうしようもないことだったのですが。

大谷選手、山本投手は、「投げれるか?」と聞かれれば、何とか投げる方法を模索するでしょう。

その中で、先人の教訓を活かして欲しいと思うのですが、山本投手のコメントを聞いていると、無理をしているのではなく、それができる体を目指し、作り上げてきたという自信が伝わってきます。

最高の仲間から、心からの称賛を受けること程、嬉しいことはないでしょう。

178cm80kgという、MLBの中では極めて小柄で、一切ウェートトレーニングをしないという特異性も、ミステリアスにさえ見えてきます。

とは言え、チームにはこれ以上の無理はさせて欲しくないと、心から願うのですが。

元気、勇気、感動を貰った側としては、次は自分の仕事で、世の中にお返しできるよう頑張らなければなりません。

仕事の歓びの中に、チームとしての歓びという部分があると思います。

一旦振り出しに戻ったアトリエmですが、必ずチームとして、再び勝負したいと思っています。

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高津宮の葦舟‐2264‐

谷町筋の西側は、概ね上町台地の西端にあたるので、松屋町に向って下っていきます。

千日前通の1本北を西に2ブロック下ると、北側に高津宮(こうづぐう)の鳥居が見えてきます。

石畳が続く参道を早朝通ると、とても気持ちが良いのです。

土曜日に通ると、普段は何もない石段に、巨大な何かが置かれています。

26日(日)に「高津宮とこしえ秋祭り」が開催されるようです。

巨大な葦船でした。

『とこしえの船(高津の葦船)』は、芸術家の伊原セイチ氏により奉納されたもので、舟の骨格は天川村の杉を使い、船体は滋賀県近江舞子の「内湖を愛する会」から提供された葦を使用しています。

舟の中央には、2万年前の神代杉を乗せ、舟がとこしえ(永遠)へと向かう原動力となっているとありました。

高津宮のWebにはこうあります。

当宮は浪速の地を皇都(高津宮たかつのみや)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を主神と仰ぐ神社であります。 仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。 その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。

かまどの煙が乏しいのを見て、減税に踏み切ったという逸話は、この地から生まれたものかもしれないと知り、感慨深いものがあります。

翌日曜日は小雨が降っていましたが、気になってのぞきにやってきました。

境内には沢山の屋台がでています。

前日には無かった、神代杉も鎮座していました。

本殿では、拳法の演武だったり、和太鼓の演奏があったりと、賑わっています。

屋台もよく見ると、プロの店は一軒も無いようです。

リーズナブルで、体に優しそうなものが並んでいます。

参加者の人に聞くと「別に秋祭りはあるんだけど、宮司さんを慕っての集まりみたいなものなんです」とのことでした。

確かに、ほんわかとしたアットホームな空気感が漂っていました。

「祈りの結び」 どなたも幸せを願い、葦舟に縄も結んでいただけます、と説明書きもあります。

少し心づけをして、縄を取り。

家族の健康と、間もなく受験が始まる娘の合格を祈って、結んできました。

高津宮は、土地のロケーションが凄かったり、それを活かした縁結びの坂があったり、大阪大空襲から神輿蔵を守った龍神さまがいたりと、見所がいっぱいです。

縁結びの坂があれば縁切り坂まであり、また詳しく描きたいと思います。

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安満遺跡公園の今は無き抜け道‐2263‐

前回は、大谷翔平選手の歴史的活躍と、保健組合のウォーキングイベントに参加したことを書きました。

高槻城跡周辺を歩いたのですが、すぐ近くの高槻中学・高校に通っていたにも関わらず、全く知らない所ばかりでした。

最後は、安満遺跡に向うために母校の前を通りました。

裏門に通じる細い道沿いの景色が全く変わっておらずで、かなり懐かしかったのです。

170号線を北に10分程歩くと見えてきました。

安満遺跡公園として整備されていますが、兎に角広い。

飲食店やキッチンカーも出店しており、昼食は困らなそうです。

てんしばにもありましたが、子供玩具のメーカー、ボーネルンドの施設がありました。

手前にある大きな庇の下で、多くの子供が遊んでいましたが、酷暑の時代なので、子連れ世代は重宝したと思います。

南は阪急京都線まで。

北はJR京都線までなので、2路線のあいだ全てがオープンになっています。

遮るものがないので、風が吹き抜け、とても気持ちがよいのです。

中央あたりには、レストラン、体験施設もありました。

安満ムラは、三島地方で初めて米作りを行った集落です。

東西1500m、南北600mにおよぶ規模で、現在の安満遺跡公園の倍ほどの大きさでしょうか。

弥生時代のほぼ全期間・約750年存続しました。

濠を巡らせた環濠集落の南側には用水路を備えた水田が広がり、東側と西側は墓地になっていました。

居住域・生産域・墓域という集落の3要素が。史跡として保存されているのは全国でここだけだそうです。

高槻城の際にも触れましたが、芥川の扇状地で水に恵まれていたこと、淀川の水運に恵まれているという点も繁栄が続いた理由でしょう。

出土した土塁と環濠を再現したものでしょうか。

白玉砂利で遊んでいる子供が、本当に沢山居ました。

子供の遊び場は、こういったものが一番適しているのではないかと思ったのです。

先に紹介した中央部にあるレストラン棟ですが、真南を向いて建っていますが、エントランスから真っすぐに小径がに伸びています。

公園のWebサイトには、「昭和初期に建造された、ハーフティンバー方式を採用したモダンな建物です。レストランファーマーズクラブや休憩室、展示室(京大農場ヒストリー)があります」と紹介されていました。

妻が高槻市の出身で、この場所は元は京都大学の付属農園だったそうです。

その移転に伴って、公園が計画されたことは、高槻市のWebサイトにも告知されていました。

レストラン棟は、当時の建物をリノベーションして利用されています。

1本南に171号線が走っていますが、混雑時には、北進するとレストラン棟にまっすぐぶつかる道を、義父が抜け道としてよく使っていたそうです。

道の両脇には街路樹が続き、海外のような景色だったと言っていました。

テンションが上がって、妹に動画を撮って送っていたのです。

建物内の休憩室から、元抜け道を見返してみました。

北海道大学のイチョウ並木のような景色を想像していたのです。

リノベーション、増築は、様々な法規制を受けるのでなかなか大変ですが、その分遣り甲斐もあります。

建物と共に人の記憶はあるのですから。

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大谷劇場第一幕完結、歴史街道高槻で言葉は洗って使うを知る‐2262‐

もう2日が過ぎましたが、10月18日(土)の大谷翔平選手の活躍は、凄まじいものでした。

7回途中無失点、10奪三振、3ホーマー、うち1本は場外弾。

報道し尽くされているので、新たな形容はありませんが、画面越しとは言え、リアルタイムで観れたことを幸せに思います。

人のことなのに、思い返すだけで幸せな気持になれるのですから。

大谷劇場第一幕完結編といったところでしょうか。

彼のピーク時を見逃すまいと、昨年SPOTV NOWに加入しましたが、この日はNHKの地上波放送がありました。

様々なコンテンツが有料化するなか、ポストシーズンでの二刀流をテレビで観れるのは本当に嬉しい。

ネット配信と比べると、画像が圧倒的に美しいからです。

NHKは地上波とはいえ有料ですが、時々中継してくれるなら、本当に安く感じます。

テレビというメディアの力を改めて感じたのでした。

昨日は、阪急高槻市駅に集合。

保健組合のウォーキングイベントに参加しました。

高槻中学・高校に通っていたので、駅前から東へ抜けるこの道は数えきれないくらい歩きました。

しかし、駅の南方向は、ほぼ行ったことがありませんでした。

まずは、真南に位置する本行寺(ほんぎょうじ)へ。

高槻城内にあった高麗門が移築されたようです。

門をくぐってすぐに、高槻銭洗弁財天がありました。

「洗うとお金が増える」とは書いていませんが、「何かよいことがありますように」とお金を洗いました。

南西へ少し歩くと、カトリック高槻教会があります。

キリシタン大名として知られた高山右近の名を冠した聖堂がありました。

右近は家康によってフィリピンへ追放されます。

生涯を終えたマニラ市郊外のアンティポロにある聖母大聖堂を模して設計されたとありました。

さらに南へ行くと、「高槻城公園芸術文化劇場」が見えてきました。

2023年の開館で、設計は日建設計。

2025年の日本建築学会賞の作品部門を受賞しています。

かつての高槻城跡に建ち、「回遊性のある、公園と一体となった劇場」をコンセプトに設計されたとありました。

日本建築学会賞といえば、2025年の日本一の作品といっても過言ではありません。

劇場内部も凄いようですが、正直、外観はあまりにも愛想がない気がしました。

その後は、すぐ東にある「しろあと歴史館」へ。

高槻城は、芥川の扇状地端部に立地する平城です。

1569年に和田惟政(これまさ)が周囲に堀をめぐらせました。

1573年に城主となった高山右近は、外堀を掘り、町屋を取り込んで大きく拡張します。

江戸時代においては北摂唯一の城郭で、北に西国街道、南に淀川を控え、水陸の交通の要衝だったのです。

東へと抜けていくと、旧家も沢山残っています。

立派な蔵が、往時を偲ばせます。

まさに歴史街道です。

更に東へ抜けると、母校、高槻中学・高校が見えてきました。

これらの遺構が、6年も通っていた母校のすぐ近くにあったにも関わらず、全く知りませんでした。

ただ、当時から水路の多い街だなと思っていました。

扇状地の端部にあると分かり、大いに納得したのです。

初めに訪れた、 高槻銭洗弁財天 ですが、こうありました。

言葉は洗って使えとよくいわれます

お金もきれいに使いましょう

もうけることは動物でも出来る業です

しかし使いこなせるのは

知のある人だけなのです

全てのことは必然だと思います。

大谷翔平選手が、100年の歴史を紐解いても、誰も成し遂げたことのない結果を残し続けるのもやはり理由があります。

81マスの目標達成シートも、「ここにも運が落ちていた」といってゴミを拾う習慣も、続けているからこそ、現実となるのでしょう。

いつだったか、こんな話をしていました。

「イラっとしたら負けだと思っているので」

記者会見の質問でも、中には失礼な質問もあります。

仕事として、意図的にそういった質問をせざるを得ないインタビュアーもいるでしょう。

それでもイラっとしたら負けなのです。

失礼な営業電話、繰りかえされる同じような質問、自分のことしか考えていない電車内での会話……

それでもイラっとしたら負けなのです。

彼がそう言っている以上は、イラっとしたこともあった訳です。

それなら、努力すれば私でも出来るはずです。

その活躍に敬意を表し、その成果に畏敬の念を持って、何かあった時は一呼吸おき、言葉は洗って使おうと思うのです。

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上町界隈の名店①「饂飩とお酒 からほり きぬ川」‐2261‐

前回、チンドン屋がねり歩く「空堀商店街」のことを書きました。

食べログでも「百名店」に選ばれている店が色々あります。

まずはこの店にしてみました。

「饂飩とお酒 からほり きぬ川」です。

うどん百名店にも選ばれています。

いつも並んでいるそうなので、13時過ぎに行くと待たずに入店できました。

海老天、とり天、半熟玉子天の「えとたぶっかけ」1500円がオススメとありましたが、「とり玉天ぶっかっけ」1100円にしました。

普段使いにできるくらいの価格設定も魅力です。

柔らかいのですが、モチモチとして粘りもあります。

しっかり目の出汁が、半熟玉子天を割ってもしっくりきます。

油にもかなり拘っているとありましたが、薄目の衣でカラッと揚がっていて、正直いくらでも食べれます。

普段、昼は白米を食べていないのでパスしましたが、選べるご飯セット「おやこめし」も気になります。

卵かけご飯に鳥天のミニ丼が、プラス500円で食べられるのです。

また、やりすぎ出汁うどん「華昆布うどん」というメニューも非常に気になります。

大変おいしゅうございました。

空堀商店街周辺は、下町感も残っており、高過ぎず、安過ぎずの手頃な店がかなりありそうです。

「ご近所探訪」と、「上町界隈の名店」はコツコツ上げていきたいと思います。

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チンドン屋が奏でる哀愁の「秋桜」が似合う空堀商店街‐2260‐

普段買い物をするのが「空堀商店街」です。

谷町筋を挟んで、東の「空堀ど~り商店街」は、上町筋まで続きます。

西の「空堀商店街」とあわせると、東西800mにおよぶ商店街です。

今日はスポーツの日で3連休ですが、基本仕事で缶詰状態でした。

気分転換に妻の買い物についていくことに。

「空堀商店街」の西端は松屋町通とぶつかります。

正確には「まつやまち」ですが、アーケードの看板も「まっちゃまち」です。

この辺りが、丁度上町台地の西端にあたります。

上町筋まで緩やかな上り坂が続く、ちょっと珍しい商店街ですが、なかなかに活気があるのです。

インバウンド客も多いですが、このお茶屋さんが人気で、よく並んでいるそう。

妻情報です。

遠くから、クラリネットが奏でる「秋桜」のメロディが聞こえてきました。

チンドン屋が、イベントを宣伝しながらねり歩いてきたのです。

曲のセレクトが昭和で、レトロな感じがたまりません。

物悲しい音色に、もう胸熱です。

こちらは普段買い物にくるという鳥肉屋さん。

鳥のむね肉がグラム108円でした。

こちらは昔ながらの豆腐屋さん。

厚揚げ盛りが一皿200円でした。

妻が「これ貰えますか」と指をさすと、「お金は貰うことになりますが(笑)」と。

「ハイ、おつり800万円」は出ませんでしたが、そんなやりとりも商店街ならでは。

庶民の財布にも、人も優しい、イカした商店街でした。

シャッター商店街化するところもありますが、天神橋筋商店街や駒川商店街など、活気のあるところもあります。

その差は、やはりお得感と人だと思います。

普段使いの店だけでなく、飲食店もかなり充実しています。

次回はそちらを書いてみたいと思います。

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橋の中の橋、「大坂橋」‐2256‐

暑かった夏も一段落し、朝夕は本当に気持ちのよい気候になりました。

ジョギングするにはもってこいの季節です。

最近、大阪城公園を北に抜けて、京橋あたりまで足を伸ばしています。

夜の京橋もよいですが、朝の京橋もなかなかです。

このあたりの地形は本当に面白いのです。

京橋へ向かう時は、大阪城公園の北西角を北に抜けると京橋(こちらは橋の名前)にでます。

その上には、人道橋が架かっているのですが、ここからの景色が抜群なのです。

大阪ビジネスパークのシンボルと言ってよい、クリスタルタワーが最も美しく見える場所だと思います。

タグボートが台船を引いて右手の第二寝屋川を上っていきました。

この橋は「大坂橋」。

大阪城築城の翌々年、天正13年(1585年)に架けられた元の大坂橋は、その後の消息は定ではありません。

大正末期に東横堀川を浚渫した際に、末吉橋と九之助橋の間の川底から「大坂橋 天正拾三年」(1585年)の銘が刻された銅製の擬宝珠が発見されました。

この擬宝珠は、昭和6年に再建された大阪城天守閣に保存され、市民に公開されていました。

しかし、終戦の混乱期に行方不明になり、橋の所在と共に幻の擬宝珠となってしまいます。

昭和48年、その由緒をしのんで、土偏の坂を用いて「大坂橋」と命名されたのがこの橋なのです。

縦横の河川と運河が大阪の水運を支え、天下の台所と呼ばれた大阪。

八百八橋と呼ばれる程、多くの橋がありますが、「なにわの三大橋」と言えばライオン橋で知られる「難波橋」、天満の天神さんのすぐ南にある「天神橋」、そして「大坂城」建設の際に架橋されたと言われる「天満橋」です。

橋の上からは、最も東にある「天満橋」が見えています。

三大橋を上回る景色と名前を持つのがこの「大阪橋」でした。

本気のランナーは、大阪城公園を猛スピードで駆け抜けていきますが、私は街の中を北へ西へと、歩くようなスピードで巡るのが健康法で、毎日の楽しみなのです。

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「ささき整形外科クリニック」内覧会で5年におよぶ計画も一区切り‐2255‐

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今週日曜日は「ささき整形外科クリニック」内覧会です。

ゲンバ日記にも書きましたが、日曜日には写真撮影に行っていました。

大阪から向う途中は雲が多かったのですが、何とか外観撮影時は晴れてくれました。

そのタイミングを逃さないよう、ドローンからも色々な角度で撮影します。

写真家のカットがメインですが、何か撮り漏らしがあってはと、自分でも撮って回ります。

あっという間に日没を迎え、撮影が終わりました。

2023年に完成した 「ささき整形外科デイケアセンター」 との間にある、新病棟の位置関係は空撮が分かりやすいでしょうか。

「クリニックの東に、プール付きのデイケアセンターを建てたい」と相談を受け、現地を訪れたのが2020年の4月2日。

新型コロナの緊急事態宣言が発令される6日前でした。

院長の佐々木さんの思いを聞き、計画はすぐにスタート。

しかし、「ささき整形外科デイケアセンター」が完成したのは3年後の2023年の8月でした。

コロナの影響を見計らいながら、スケジュールを調整したのですが、その間も月1回の打ち合わせは続けていました。

これは、相談を受けた際にとったリハビリ室ですが、後にこの空間と新病棟を接続することになるとは……

実は、夕景撮影まで少し時間ができたので、ふらっと網干港をのぞきてきました。

基本、海は大好きですし、この5年のあいだに、この豊かな海の恩恵を大いに受けてきました。

美味しいものを食べて回ることを楽しみにしていたのです。

網干港では、名物のあなご、貝、カキフライ。

カキフライとトコブシが絶品でした。

少し足を延ばして、「道の駅 みつ」では岩ガキと真ガキの食べ比べセット。

またまたあなご丼。

そしてあなごにゅう麵も。


帰りに、明石焼きを食べに、魚の棚に寄ったこともありました。

出来るだけ電車で通っていたので、JR姫路駅のホームにある、えきそばも楽しみのひとつ。

姫路の商店街でそばを頼むと「普通のそばと、黄そば、どっちにしましょう!」と聞かれたことにも驚いたのです。

撮影が終わると、院長からお土産を頂きました。

姫路の老舗、伊勢屋本店の詰め合わせでした。

手前の玉椿は白餡で、奥の塩味饅頭は、塩づくりが盛んな播州地方の塩を活かしてつくられた姫路城下の銘菓だそうです。

院長は「どちらも好きなんですよ」と。

そして「5年にもわたって、ありがとうございました」と言って下さったのです。

始まりあれば、終わりあり。日曜日の内覧会で一区切りとなります。

「ささき整形外科デイケアセンター 新築計画」  打ち合わせ回数 47回 現地訪問 29回

「ささき整形外科クリニック 増築計画・改修計画」  打ち合わせ回数 36回 現地訪問 21回

5年という年月は、この場所に愛着を生むのには十分でした。

最後は食べ物の話ばかりになってしまいましたが、2つの施設が、地域の人に愛され続けることを心から祈っています。

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大阪最古の神社、いくたまさんはお得感半端なし‐2254‐

谷町9丁目あたりも、何となく生活圏なのでよく出掛けます。

谷町筋から西をみると、難波へ向けて下っているのがよく分かります。

千日前通との交差点が「谷町9」の交差点ですが、すぐ北にある緑のビルは、フィリップ・スタルクの設計です。

1992年完成の「バロンヴェール」。

学生時代はスタルクがお気に入りだったので、すぐ見に行きました。

少し錆びているのと、塗り直した部分の色が違うのがかなり残念。

千日前通りを難波へ向いて下っていくと、松屋町筋との交差点の南側に鳥居が見えてきます。

生國魂(いくたま)神社の鳥居です。

大阪最古とありますが、その足元がかなり気になっていました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」とあるのです。

近くはよく通りますが、参拝したのは初めてだと思います。

谷町筋から100m程西に入りますが、一段高い敷地はかなり広大です。

その広い敷地を活かし、本殿の北側には、上町台地の縁をなどるように段差を活かしながら、10程の社があります。

ぐるりと回れるように「いくたま参り道」が整備されているのです。

皇大神社、精鎮社、稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社。

城方向(きたむき)八幡宮、鞴(ふいご)神社、家造祖(いえづくりみおや)神社、浄瑠璃神社。

ぱっと見渡しただけでこれだけあるのです。

ここで4千句を読み上げたという井原西鶴像。

生國魂神社近くで生まれたという織田作之助像も。

大阪の偉人大集合なのです。

そして西の端、まさに上町台地崖っぷちでようやく発見しました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」です。生玉鑑定所ともあります。

その音に惹かれてやってきたのですが、ちょっと想像とは違ったので、看板だけにしておきます(笑)

気になる人は直接確認ください。

大阪最古の神社、いくたまさんは、そのごった煮感が凄かったのですが、合わせてお得感も半端ありませんでした。

ただ、上本町駅から西に延びる参道は、谷町筋で完全に遮断されています。

歩道橋こそありますが、信号や横断歩道はありません。

谷町筋東側も、趣がある参道が残っています。

神社の格式、立地、エンターテイメント性も含めて、間違いなく大阪の宝と判断しました。

これは何とかならないものかと思うのです。

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