カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

通称・森ノ宮、仮名(けみょう)・太郎‐2219‐

JR森ノ宮駅の西向かいにある、鵲森宮(かささぎもりのみや)。

通称、森ノ宮神社とあります。

鳥居をくぐると、すぐに解説がありました。

聖徳太子によって創設され、日本書紀にも登場する由緒ある神社です。

現在は、聖徳太子とその両親である用明天皇、穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社とありました。

聖徳太子の命による使者が、新羅への使者が、鵲(かささぎ)2羽を持ち帰ってこちらで飼ったことから、鵲森宮(かささぎもりのみや)となったのです。

かささぎの わたせる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

境内には、百人一首にも選ばれた大伴家持の歌碑もありました。かささぎ繋がりなのでしょう。

通称の方が広まり、このあたりを「森ノ宮」と呼ぶようになったのです。

日本では、通称のほうが一般的だったり、地名と神社が、同じ音にもかかわらず、他の漢字があてられていることが結構あります。

「お初天神」などもそのひとつですが、以前から何故なのだろうと思っていました。

ここからは私の仮説ですが、「諱(いみな)」という習慣が関わっているのかもしれません。

「諱」は 生前の実名を指し、普段使われる名まえを「字(あざ)」と呼び、区別していたようです。

また、普段「諱」を使うことを避けるため、江戸時代以前には、仮名(けみょう)を使うことが一般的だったようです。

生まれた順番に、太郎、次郎~九郎などと呼ぶ習慣です。

官職にちなんだ「〜兵衛」「〜左衛門」「〜右衛門」なども、同じような理由によるものでした。

調べてみると色々な説がでてきましたが、「諱」(=本当の名前)で呼ぶことは失礼にあたるというのが、何とも日本らしいなと感じたのです。

ただ、その感覚は少し分かるような気もします。目上の人を苗字で呼ばず、役職で呼びがちなのも似たようなものかもしれません。

敬意を示すがゆえに、その名前を呼ばない。

ここまで奥ゆかしいと、呆れるのを通り越して様式美さえ感じます。

あくまで仮説ですが、席は自由で社長ではなく〇〇さんと呼んで欲しい会社とはマッチしないでしょう。

さてどちらが良いのか。当社におけるその結論は、もう少し悩ませてください。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

知恵と無いお金を振り絞って、家具選び‐2218‐

日曜日は万博の予約をしていましたが、雨予報を見て延期。

結局、天気は好転しましたが、キャンセル済みだったので、心斎橋あたりで家具を見て回ることにしました。

アトリエから長堀通を西へ向かうと、色々な店があります。

松屋町まではかなり下っていて、景色に変化があって楽しいのです。

松屋町筋は人形が有名ですが、この時期は花火も沢山売られていました。

まずは、堺筋から2ブロック西にあるリーン・ロゼショップへ。

フランスのブランドですが、シャープなチェアもありました。

そのまま心斎橋筋を越え。

御堂筋の西側にあるカッシーナまでやってきました。

入口では、ル・コルビュジエらによるデザインのLC1、スリングチェアが出迎えてくれます。

現在、カッシーナのサイトでは「LC~」という表記はありません。

1928年の発表ですが、おそらく権利の問題なのだと思います。

奥には、茶色のLC2。

そしてLC4ことシェーズロング。

空間を邪魔せず、主張があり、何より快適なのが、世界で愛される理由でしょう。

寝心地は抜群です。

2階にはキャブのアームチェア。

こちらは、「seiundo」で採用しました。

しかし住宅のダイニング用ならノーマルなキャブでしょう。

マリオ・ベリーニが1977年に発表した傑作です。

スチールのフレームに革のジャケットを被せるという発想が、男子の心をとらえて離さないのです。

こちらはトーマス・リートフェルトの名作、1934年発表のジグザグ。

以前は、レッドアンドブルーの展示もありました。独特の形状ですが、結構座り心地が良い事に驚いたものです。

チャールズ・レニー・マッキントッシュがヒルハウスのためにデザインしたラダーバックチェア。

1902年の発表です。

建築の教科書にでてくるようなチェアが実際に販売されています。

なので金額は勿論それなりです。

その後、歩道が広くなった御堂筋を南にくだります。

千日前通すぐ北のボーコンセプトまで回ってきました。

色々な住宅、オフィス、商業施設で家具をセレクトしてきました。

しかし今回、自宅の家具を決めなければなりません。

実は、子供の勉強机とチェアだけは11年前にすでに購入済みです。

Vitraの.04(ゼロ・フォー)をセレクトしました。

長男は机だけ東京に持っていき、チェアはこちらに置いています。この時も、かなり悩みました。

チェアやデスクが実際に触れるもの。出所の知れた、本物を選ぶに越したことはありません。

しかし、それらは先に書いたとおり「それなり」のお値段です。

自邸に何を選ぶのか……

自分でデザインする場合を除けば、ある意味、建築家にとっては究極の選択を迫られているようなものです。

知恵と無いお金を振り絞って、決断したいと思います。

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鮮やか弁当の、美しさと品質‐2217‐

上町周辺は、住宅地と商業地が入り混じっている感じですが、結構公園があります。

藤棚の藤が満開でした。

日本、中国で紫は高貴な色とされますが、甘い匂いにも品を感じるのは私だけでしょうか。

チューリップも公園に彩を添えていました。

普段、昼食は妻に作って貰った弁当です。

少し前ですが、「たまには買った弁当でも」となりました。

すぐ近所に、「2階のべんとう屋さん 上町店」という店を見つけていたのもあります。

値段は1000円ちょっとから。

普段使いとしては少し高めでしょうか。

ちょっと贅沢してみました。

・2階のわっぱ弁当 ¥1100

・チキン南蛮&おかず達 カリカリ梅ひじきごはん ¥ 1170

どちらも彩が鮮やかで、紫の付け合わせが印象的です。

なのですが、チキン南蛮に掛かっていた紫のタルタルソースをみて、少しだけ「ん!」と思ったのも事実です。一瞬、見た目重視なのかなと思ったのです。

しかし、全くの杞憂に終わりました。

見た目を軽く上回るくらい、全ての品が美味しかった。特に、明太子がちょっと乗った出汁巻きは素晴らしかったです。

店員さんに聞くと、毎日本店から運んできているので、売切れ次第終了とのこと。

「2階のべんとう屋さん」は、大阪府大阪狭山市の金剛駅前にありました。

「2階」というハンディを名前に入れ、努力、工夫を重ねてきたのでしょう。下手な料亭に行くより美味しいのでは、と思ったのです。

美しさと品質。

建築も全く同じことを問われます。

昨年の9月にオープンした「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」は、5社によるコンペでした。

そのコンペになる前には、医療専門の会社からも計画案が出されていました。

誰の意見か忘れましたが、「あまりお洒落すぎると、年配の方が敬遠するのでは」というものがありました。

その意見に、私は真っ向から反対しました。

「本当に美味しい料理なら、見た目が美しすぎるからと言って、食べたくないとはならないと思います」と。

そんな空間を創るのが私の仕事で、人生の目的です。

それが出来たのか、出来なかったのかは10年後に分かるのだと思いますが、そう思わないことには何も始まりません。

今日もホームランを打った大谷翔平選手の言葉を借りるなら、ヒリヒリした真剣勝負こそが、それを実現する唯一の方法だと思うのです。


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続・梅田ダンジョン④<大阪駅前第1ビル地下2階は設計ミス?編>‐2216‐

昨日の日曜日は、自転車で梅田へ。

大阪城の西側にある大阪府警察本部の前を横切り、谷町筋へ向かってゆるやかに下ります。

庁舎は2008年の完成で、設計は黒川紀章。

黒川は2007年に亡くなっているので、完成を見ていないのです。

天神橋を渡り、大川の北側にでます。

天満橋のOMMビルが東に見えていますが、このビルがランドマークになっているのがよく分かります。

西にキタのビル群が近づいてきました。

このあたりが丁度真ん中です。

2号線沿い、大阪駅前第3ビルの南側までやってきました。

のんびり走って20分くらいだったでしょうか。

目的は釣り道具の補充でした。

平野からは、フィッシングエイト本店に通っていましが、上町からはここが一番近い系列店になります。

第3ビルの西隣は第2ビルです。

「seven dreamers Umeda Osaka」は、2019年の経営破綻で閉鎖されました。

その場所を訪れると、現在はクリニックが入っていました。

渾身の仕事だっただけに寂しいことですが、致し方ありません。

丁度、動画をUPしたところだったので、ここにも貼っておきます。

はす向かいにあった大阪マルビル跡も、関西万博会場行きのバスターミナルになっています。

昨年の2月に、梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>を書いた時には解体中だったマルビル。

時代の趨勢は誰にも止められないことを実感するのです。

ですが、昭和の香り漂う第1ビルの地下2階で、昼食でも取ろうと店を探してみます。

第1ビルの地下2階だけ天井がかなり低く、通路が極めて狭いのには訳があります。

元々、地下2階は倉庫等に使う予定で、店舗用には設計されていないのです。

しかも、JR大阪駅からは地下1階で接続する予定だったのを、後で地下2階で接続するよう計画が変更されました。

大阪駅と繋がるディアモール大阪の勾配が、かなり急で長いのはそのせいです。

梅田界隈は地盤が弱く、広大な地下街を作るには強度の問題から、より深くする必要があると後で分かったからのようです。

それを証明するように、第1ビルの地下2階は、大阪駅に最も近い北側中央には空間がありません。

店舗にするなら、その場所こそが最も人が訪れるのは間違いないのに、です。

第2ビルの地下2階で、日曜日にも関わらず定食を750円や800円で出している店を見つけました。

「金明飯店」の麻婆麺ミニ炒飯セットは800円。

豪華とは言いませんが、金額を考えるとかなりお得で、十分美味しかったです。

3回シリーズで一旦終わった「梅田ダンジョン」シリーズ。

またネタがあれば、「続・梅田ダンジョン」シリーズでUPしてみたいと思います。

昨日は母の日。

妻に長男からこんなLINEが届きました。

20歳になった長男から、こんなプレゼントがある訳ですから、時代が変わっていくのは必然で、昭和は遠い昔になっていきます。

少し寂しさを感じたあなたは、 大阪駅前第1ビル第2ビル の地下2階へどうぞ。

ほぼタイムマシンですから。

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そこは快速の列、こっちが新快速の列‐2211‐

今日は第4木曜日なので、「ささき整形外科クリニック」リハビリ棟増築計画の定例会議でした。

会議が始まるまで現場を見て回りますが、4階まで上がると風がとても心地良い。

周辺の小高い丘も、緑がいっそう濃くなってきました。

JR大阪駅から姫路までは新快速での移動です。

打合せの予習をしながらも、うららかな景色と日差しに、ついウトウトしてしまいます。

ここ数年、インバウンドによって日本の景色がかなり変わりました。

今年になってから、更に加速した気がします。

姫路へ向かう車内は、3割くらいが外国人のこともあります。

帰りは、3駅西の網干駅から乗ることもあるのですが、先日は、その車内がすでに外国人で溢れていました。

網干より西と言えば、相生でカキを食べてきたのか、備前で焼き物を体験してきたのか、岡山から大阪へ戻る途中なのか……

これまで、インバウンド客をあまり見ることが無かった街にも、多くの外国人が訪れています。

観光立国を目指す日本としては、喜ばしい限りです。

大阪駅では、新快速のために並ぶ列と、快速のために並ぶ列が、マークと色で区分けされています。

姫路までは新快速で1時間掛かるので、少し早めに行って並ぶことにしています。

すぐ横に快速用の列がありますが、日本人でも間違っている人が居るくらいなので、外国人の多くは「こっちが空いてるわ」くらいの感じで、そちらに並ぶことが多いのです。

新快速が到着すると、乗車口の左右に分かれ、降車客を待ってから乗ることになります。

私が乗車口の左に行こうとすると、その左にある快速の列に並んでいた外国人のカップルが「なぜ私の前に乗るの?」みたいな感じで私を見てきました。

どうしようかなと思ったのですが「違うんですよ。そこは快速の列で、こっちが新快速の列なんですよ」と、片言の英語で伝えました。

すると、分かったような、分からなかったような感じだったのです。

結局どちらも座れたのですが、そのカップルは私の隣の席に座り「さっきは、何を伝えようとしてくれたんだい?」と聞かれ、またまた片言の英語で説明してみました。

ある程度伝わった感じで、彼女に「どうやら、乗る電車によって、待つエリアが違うみたいだ」のような説明をしていました。

英語が得意ということはありませんが、海外旅行くらいならそれほど困ったことはありません。

しかし、今日ほど英語をもっと勉強しておけば良かったと思ったことは無かったのです。

さらに、知らない間に新快速に「Aシート」なる、有料指定席ができていました。チケットレスなら600円です。

京阪、阪急、そしてJRと、インバウンドのことを考えても、有料席はさらに増えていくことでしょう。

降車客を待てないような下品な人にはなりたくないし、席を取るのに駆け込むような真似も当然したくない。

かといって、並んでいない日本人に「どうぞどうぞ」と言えるくらい1時間は短くありません。

また、「Aシート」 払えない額ではないが、早めに並べばほぼ座れるし……

夏まで続く姫路経由、太子町通い。私の悩みは尽きないのです。

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小屋根リングin森ノ宮‐2210‐

万博が開幕し、色々な情報が入ってくるようになりました。

入るのに時間がかかる、この入口なら混まない、あの館が面白い……

開幕直前にチケットを購入し、5月18日に訪問する予定ですが、3回は変更可能なようです。

情勢をみながらいつ行くか決めたいと思っています。

開幕日が悪天候で、中止になったブルーインパルスの展示飛行

多くの人が待ちぼうけを食ってしまった難波宮跡公園。

平日は極めてのんびりした風景です。

すぐ北に、阪神高速東大阪線が東西に通っていますが、この付近は高架になっていません。

難波宮跡公園を過ぎた所から、再び高架になります。

法円坂料金所から森ノ宮出入口のあたりまでが、遺跡の上を横切っているので、地盤を荒らさないよう平面道路になっているのです。


急に景色が開けるので、大阪城も良く見えるのです。

そのまま東へ行くと森ノ宮のキューズモールがあります。

このあたりまでは自転車圏内なのでアトリエの備品を買いに行ってきました。

正確には、もりのみやキューズモールBASEというようです。

阪神高速東大阪線に沿うように、東西に長い施設です。

規模的には、あべのキューズモールよりはかなりコンパクトです。

ただ、日本国内の商業施設で初めて屋上に本格的なランニングトラックを設けた点は、画期的な試みといえるでしょう。

その存在は知っていましたが、近所に越してきて初めて上ってみました。

正式には「エアトラック」という名称で、無料で走ったり、歩いたりできるのです。

それぞれ、レーンが区分けされています。

大阪城を望む景色はなかなかのものです。

阪神高速と同じ目線で走れる場所はなかなか無いかもしれません。

少し先から、高架から平面へ向かって下がり始めているのも分かります。

案内図をみると、施設の外周をぐるりと回っていますが、1周300mなので、400mトラックよりひとまわり小さいというサイズ感です。

開業は2015年の4月27日なので、施設ができてすでに10年が経っていました。

なかなか無いコンセプトだなと感心しました。

万博の大屋根リングも、鉄と木の違いはあれど、同じようなコンセプトです。

サイズが違うのでこちらは小屋根リングでしょうか。

大屋根リングも楽しく、感銘を受けるのか、近いうちに現場検証をしてきたいと思います。

なんだかんだ言っていましたが、行くと決めたら楽しみになってきました。

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絶品アジフライin谷六‐2209‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を、昨日公開しました。

4階建てになってくると、かなりの高さです。

ドローンで撮った、鳶の職人技と合わせてご覧ください。

地下鉄、谷町六丁目駅の東側は、戦争時の空襲から逃れた住宅が結構残っています。

空堀商店街を中心に、そんな住宅街の中にもポツポツと飲食店があります。

未だ、平野と上町の2拠点生活が続いており、急遽谷町六丁目あたりで外食することになりました。

「橋の湯食堂」はアジフライが人気のお店。

アジ好きの娘は絶対行きたいというだろうなと、引越し前からリストアップしていました。

カウンター席とテーブル席が2つ。

並ぶかもと思っていたのですが、1つ残っていたテーブル席に座れました。

銭湯のような雰囲気をテーマにしているそうで、壁の画もいい感じです。

グラスはサッポロですが、スーパードライが無かったので、マルエフを初めて頼みました。

1986年からあるアサヒの生ビールブランドだそうですが、なかなか飲みやすいビールでファンになりました。

おばんざい的なメニューも豊富。

まずは有機ほうれん草のおひたしを頼んでみました。

出汁がしっかり効いていて、かなりいけます。

看板メニューは、長崎の松浦港産のアジフライ。

塩とタルタルソースを頼みましたが、まずは塩から。

ざっくりとしたパン粉はカリッと揚がっています。間違いのない味です。

タルタルソースは、期待を遙かに上回る美味しさ。

私的には、塩よりタルタルソースでしょうか。

刺身とカルパッチョ。

トマトの和風ロールキャベツ

豚の角煮。

妻と娘はアルコールを飲んでいないとは言え、3人で1万円はかなり満足です。

「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」計画ですが、少しずつ前進しています。

アトリエなどの一部を使いながらのリノベーションは、引き継いでくれた工務店もやはり大変です。

私達家族もなかなか落ち着きません。

そんな時のために、『あまから手帖』の「谷町1から9」を購入しました。

この本を眺めながら、完成後の楽しい暮らしを思い描いて頑張っています。

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博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

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原曲『赤とんぼ』から醸し出される郷愁‐2205‐

JR大阪駅から姫路駅までは新快速で1時間です。

乗り換えまで時間があったので、久し振りに姫路の「えきそば」です。

店内が空になったタイミングでメニューを撮っておきました。

今回は、ごぼう磯部揚げえきそば530円。

黄そば+和風出汁を、たまに無性に食べたくなるのはなぜでしょう。

間もなく開幕する万博では、「究極のえきそば」が3850円だそうです。

流石に私は食べないと思いますが。

姫路には世界遺産の姫路城があるので、インバウンド客も多いのです。

ただ、日帰りが殆どで姫路に泊まってくれないと地元の人が言っていました。

「他では何が美味しいですか?」と聞くと、「生姜醤油で食べるおでんは、なかなかいけますよ」と。

私もまだ未体験ですが、インバウンド客の皆さんも、宿泊のうえ是非お試しください。

姫路駅はハブ駅で、新幹線をはじめ多くの路線と繋がっています。

今回は、岡山県の新見駅とを結ぶ姫新線(きしんせん)に乗り換えます。

PiTaPaでタッチすると、アラーム音が鳴りだし少し慌てました。

播磨新宮駅までは交通系ICカードが使えるのですが、事前にチャージが必要でした。

ディーゼル列車の単線のようです。

2両ある車内は、出発前にはほぼ満席となりました。

最近は、廃線のニュースを良く見ますが、こちらは採算が取れているんだろうかと気になります。

姫路から離れると、所々にため池がある、東播らしい風景が広がります。

はじめて来たのに懐かしく感じるのはなぜでしょうか。

途中の本竜野駅には童謡『赤とんぼ』の歌碑がありました。

『赤とんぼ』はたつの市出身の詩人・三木露風が作詞をし、山田耕筰が作曲をした、誰もが知る童謡です。

1921年(大正10年)、 三木露風 が33歳の発表ですが、幼少期を過ごした、たつの市へ風景を思い浮かべながら作ったそうです。

少し調べてみると、 同志社女子大学のサイトで興味深いコラムを見つけました。

発表当時は、題名も歌詞の内容も少し違っていたそうです。

・発表時

赤蜻蛉

    一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。

    三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

    四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。

・現在

赤とんぼ

    一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

    三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

    四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

題名がひらがなになっている他、一番の「山の空」が「あかとんぼ」に変わっていたり、一番と二番の最後の詞が入れ替わっていました。

負はれて見たのは、まぼろしか。

童謡の出だしとしては、表現が少しきつい気がしますが、元の詞の方がより郷愁を感じさせる気がします。

三木露風が詠んだ100年前の詞に、日本の原風景を感じることを不思議だとも思いますし、当然のようにも感じます。

何より原曲から醸し出される郷愁に感じ入ってしまいました。

いくつかの単語が入れ替わるだけで、これほど印象が変わるのが日本語です。

本当に奥深いものだと思うのです。

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暗さと不完全さを恐れないことを、北欧から学ぶ‐2204‐

昨日は、晴れたり曇ったりの一日でした。

アトリエから、歩いて難波まで行ってみました。

妻のペースで25分くらいだったので、ひとりなら20分くらいでしょうか。

目的は、難波の高島屋で開催中の「北欧のあかり展」です。

チケットは1200円とそこそこしますが、沢山の人が訪れていました。

近代照明の父と呼ばれる、ポール・ヘニングセンがPHランプを考案してから100年を記念しての開催とあります。

入ってすぐの空間で、彼がデザインした、ペンダント、スタンド、フロアスタンドが出迎えてくれます。

この展示会は、一部を除いて、写真も動画もOKなのも嬉しいところ。

海外と比べて、日本はNGが多かったのですが、SNS時代に入り、そこは無視できないのだと思います。

ひと際美しいのは、やはりPH5です。

我が家でも愛用しているペンダントライトですが、いつまで見ていても飽きません。

アルネ・ヤコブセンのコーナーもありました。

冬が長く、日の出ている時間が極端に短くなる北欧。優れた照明や家具が数多く生まれました。

PH5、アリンコチェア、AJフロアランプ……

必要は発明の母と言ってしまえばそれまでですが、理にかなった上で、極めて美しい名作が、これ程生まれた地域は稀だと思います。

当社の打ち合わせのチェアは白のセブンチェアですが、こちらもアルネ・ヤコブセンのデザインです。

セブンチェアは色や素材のバリエーションも楽しいのです。

そしてフィンランドの国民的建築家、アルヴァ・アアルトのコーナーも。

私が最も好きな建築家のひとりです。


彼は照明デザイナーとしても、家具デザイナーとしても極めて優れているのです。

自邸の写真が飾られていました。

好きすぎて、フィンランドへも行ってきました。

2016年の8月にヘルシンキの自邸を訪れた際の写真です。

自分も含めてそうなのかもしれませんが、現在の建築家にはない、暖かさや遊びにあふれています。

もしかすると、不完全さと言ってもよいのかもしれません。世界の巨匠に恐れ多いのですが。

会場の冒頭にあったパネルにはこう記されていました。

「暗さを良しとして受け入れる」

暗さの中でこそ、その美しさは際立ちます。

それは分かっているのですが、住まい手に「暗い」と言われたくないという気持ちも、大きいのは事実なのです。

高島屋前の桜はほぼ満開でした。

谷崎 潤一郎の名著『陰翳礼讃』で、谷崎は日本人の感性を称えています。

軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、日本の美を見出だしたのです。

光と陰。

そのドラマティックな要素を、いかに扱うかが、空間の質に大きく影響を与えるのです。

ふらっと出かけたのですが、とても刺激になりました。

照明は空間の最後の仕上げだと思っています。暗さと不完全さを恐れず、最上の空間を目指したいと思うのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■