カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

マウスをすてよ、町へでよう‐2295‐

先月のことですが、遅めの新年会に参加させてもらいました。

谷町3丁目から本町通を西に歩きます。

谷町4丁目方向から本町通を西に歩くと、東横堀川との交差点が本町橋。

北東角にあるシティプラザ大阪は最上階のカーテンウォールがひと際目を惹きます。

2006年竣工で、日建設計の仕事でした。

そのすぐ西にあるのがβ本町橋です。

プロジェクションマッピングが思いのほか、美しかったのです。

大阪府建築士会の「住宅を設計する仲間達」という部会が、この場所を会場としてイベントを始めます。

「住まいのメソッド」というイベントですが、会場の下見も兼ねての新年会でした。

第1回目、2月27日(金)の講師は「β本町橋」の設計者、高橋勝さんです。

この計画の立ち上げから関わっておられるようで、何とかお話を聞いてみたいと思っています。

上町のアトリエに移転して丁度1年が経ちました。

年が明けると、新規の相談が増えるのは大変有難いことですが、アトリエの上階に住居スペースがあるので、仕事に集中していると3、4日全く外出していないということもしばしば。

流石にそれは駄目だと思っているので、最近はできる限り勉強会や懇親会に出席するようにしています。

一所懸命働くことは何より大事なことですが、インプット、アウトプットの機会もやはり重要です。

劇作家の寺山修司は、「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。

「マウスを捨て、町へ出よう」と自分に言い聞かせている毎日です。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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もう一度行きたい!美しく、美味しい街ミラノ‐2294‐

昨日は、朝からクライアントと打合せでした。

上町のアトリエ前もかなり激しく雪が降り出しました。

車での来社だったので、雪が積もらないかハラハラします。

夕方には晴れ空に変り、杞憂に終わってくれました。

国民の義務、投票にも行ってきました。

あまりにも慌ただしく、腹に落ちないことが色々ありますが、それでも投票となると難しいものです。

ただ、選挙という戦略だけは止めて欲しいと思うのです。

そんな政治とは無縁の世界、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開幕しました。

再三登場するミラノのドゥオーモ。

本当に美しい、ゴシック建築の傑作でした。

内部空間も圧巻ですが、白の繊細な外観が素晴らしく上品なのです。

ミラノは2012年の8月に家族で旅しました。

妻の親友がミラノっ子と結婚し、暮らしているのです。

自宅にも泊めて貰いました。

子供も同じような年代で、この頃は毎年のように交流していました。

ご主人は料理が抜群に上手で、パスタは完全にお店の味。

イタリア人なら誰でも上手という訳ではないのだと思いますが、さすがイタリアと感じたのです。

ミラノは食だけではありません。

ミラノスカラ座広場にあるレオナルドダヴィンチ像です。

そのダビンチの「最後の晩餐」を観れる、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会も勿論訪れました。

娘は4歳でほとんど覚えていないそう。

それだけが残念ですが、このくらいの年代で無いと、なかなかまとまった休みが取れないのも事実です。

ご主人に、市場へも連れていってもらいました。

何を見てもいちいち美味しそう。

ドゥオーモのすぐ横にあるのがガッレリア。

テレビのミラノ紹介で「幸せの雄牛」というモザイクが紹介されていました。

雄牛の急所にある窪みにかかとをのせ、3回時計回りに回ると幸せになれるそうです。

知らなかったなと思いながら写真を見返してみると、ありました。

しっかり回っている所を娘が見ていました。

私の記憶などあてにならないものです。

ミラノの市街地はアスファルトではなく石畳です。

ミラノっ子は車で街に戻ってくると、ガタガタとした振動で「ああ、ミラノに帰ってきた」と思うのだそうです。

この話が大好きで、これまでも何度かここで書きました。

街を愛するということは、こんなことだと思っているのです。

ミラノは本当に美しく、美味しい街というイメージしかありません。

同じ街に2度行くよりは、少しでも多くの街を訪れたいと思っていますが、数少ない例外がミラノなのです。

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■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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坂倉準三の系譜、大阪にあり‐2291‐

先週末、梅田から中之島まで歩いてみました。

大阪高等裁判所前の水晶橋を渡ると市役所の東端あたりに出ます。

中央公会堂までやってきました。

1月25日(日)まで開催の「坂倉建築研究所大阪事務所と太田隆信展」が目的でした。

2階の会場へは、南側にある地下からアプローチします。

ル・コルビュジエに師事した日本人のひとり、坂倉準三が1940年に設立したのが坂倉準三建築研究所です。

1948年には、大阪支所も設立されます。

彼が亡くなり、坂倉建築研究所大阪事務所となりますが、大阪の地で坂倉準三の思想は西澤文隆、そして太田隆信へと引き継がれていきます。

太田さんは昨年逝去されました。

その太田さんが携わった計画を中心とした展覧会でした。

「写真撮影は駄目ですよね?」とお聞きすると「引いた写真なら大丈夫ですよ」とのこと。

作品のパネル、手描きの図面、スケッチに加えて、太田さんのインタビュー映像も流れていました。

その中で、ご自身のことを「坂倉準三の薫陶を受けた最後の残党」と仰っていました。

1966年、大阪府青少年野外活動センターで、日本建築学会賞の作品賞を受賞されています。

こちらの構造体についても詳細に語っておられ、興味あってWeb上で探してみました。

保存運動が話題になった記憶がありますが、現存していないようで、あまり情報が残っていませんでした。

反対に、1975年竣工の大阪府立青少年海洋センターは、岬町の淡輪港内に現存しているようで、是非見てみたいと思いました。

大阪市中央公会堂の保存・再生も2002年の坂倉建築研究所大阪事務所の仕事でした。

早稲田の建築学科を出て、太田さんは坂倉建築研究所に入社します。

「大学を出たら大阪に戻ってくるつもりだった」と言っておられたので、関西に愛着を持っておられるのだと思います。

外に出ると日没寸前でした。

中之島は川に囲まれているので、朝夕は特に水面が美しいのです。

梅田方向を見ると、キタの玄関にあたるフェニックスタワー、その右に大阪梅田ツインタワーズ・ノースが見えています。

大阪にはキタやミナミがありますが、中心はどこかと問われればやはり中之島になるのでしょう。

さあ帰ろうかと歩き出すと、新婚カップルが撮影をしていました。

その先に見える、ダブルツリーbyヒルトンは真っ赤に染まっています。

何だか幸せな気持になりました。

坂倉準三の言葉です。

穏やかな表情で語る太田さんに、そのことばを重ねて聞いていました。

時々「設計士」と呼ばれることがあるのですが、その時は「すみません、建築家でお願いします」と伝えます。

呼び方を決めるのは相手の人で自由ですが、自分で主張していないとそうはなれない気がするからです。

技術者ではなく、やはり建築家として生きたい。改めてそう感じました。

ル・コルビュジエ、坂倉準三、太田隆信。

偉大な建築家の足元にも及びませんが、主張し続けるしかないのが私の人生なのです。

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導き給え‐2283‐

新年明けましておめでとうございます。

今年の1月1日は木曜日ということで、元旦からこの日記をスタートしています。

今朝は6時前に大阪を出て、7時前に北野天満宮に到着しました。

子供が大学受験の年は、年の初めの祈祷を目指しています。

到着してすぐに妻が受付に向かいました。

受験生の娘が風邪気味で、車で待機してもらうことに。その間に、私は境内をぐるりと回りました。

今年の干支は、60年振りの「丙午(ひのえうま)」。

放送作家で、元東京都知事の青島幸男作が書いた『人間万事塞翁が丙午(にんげんばんじさいおうがひのえうま)』という小説を思い出します。

モデルとなった母が、丙午に生まれたことからのタイトルですが、丙午に生まれた女の子は気性が荒くなるという迷信を、逆手に取った作品でした。

白馬の優美な姿をみていると、近年でそんなことを気にしている人は居ないような気がします。

日の出前の参道は、人出もそこまでなく、幻想的な風景でした。

京都の日の出予報は7時5分の予定でしたが、実際に日が差したのは7時50分でした。

今年も始まるなと、何とも清々しい気分になるのです。

8時前に、妻から「そろそろ待合に来て」と連絡がありました。

帰省している長男と合わせて4人で本殿に移動しました。

早めに出て来た甲斐あって今回も1番目。

1回につき20組くらいが本殿に上がるのですが、東京から来て東大を受ける受験生もいました。

京大医学部を受ける受験生もいたり、石川、愛知、福井県と遠方からの人も多いのです。

早くから来ているご家族は、やはり本気度が高い感じがし、そんな場に居ることがとても良い機運を運んでくれる気がするのです。

30分近くの正座だけは堪えましたが、こんな時しかしないので、それはそれで良い思い出になります。

最後は、絵馬を奉納する列に並びます。

日当たりのよい場所に絵馬を奉納し、初詣が終わりました。

神頼みを信じるか信じないかは別ですが、中学受験、大学受験と、兄妹ともここまで第一希望に合格してくれました。

勿論、その時々のベストと思える学校を選んで受けているので、無謀な学校を受けている訳ではありません。

それでも「良かったなあ!」と言える学校に、2人とも合格して来たので、私の中で北野天満宮は特別な場所だと思っているのです。

快晴の元旦で、東寺の五重塔を見ながら京都をあとにしたのです。

最近参拝の時はこうお願いすることにしています。

これも、尊敬する始道塾の恩田塾長の受け売りですが、とても気に入っています。

何でもお願いするのではなく、自分が行くべき方向へ導いて頂けますでしょうか、という考え方です。

さて、娘の受験はどうなるか。それこそ、神のみぞ知る、なのです。

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復興しないという選択肢はない‐2281‐

前回は、神戸で開催されている「大ゴッホ展」のことを書きました。

やっと会えた『夜のカフェテラス』の余韻に浸りながら、港神戸へ立ち寄ってみました。

その途中ですが、海側へ歩くとすぐに「史蹟旧海軍操練所跡」があります。

坂本竜馬も学んだと言われる神戸海軍操練所は、勝海舟が提唱して1864年に完成しています。

海外留学を経験していた勝海舟は、港と海軍の重要性をひしひしと感じていたのでしょう。

そこから50mも歩くと現在の神戸港。

海と山が近いのが、何と言っても神戸の魅力です。

海沿いを西に少し歩くと、メリケンパークの文字が見えてきました。

入り口にあるのが、建築家・フランク・O・ゲーリーによるオブジェ、フィッシュダンス。1987年の完成です。

フランク・O・ゲーリーはプリツカー賞も受賞している世界的建築家ですが、つい前日の12月5日に96歳で亡くなりました。

日本では確かこのフィッシュダンスしか作品を残していませんが、この錆問題が何度も論争になっています。

安全性の問題もあり、撤去される可能性もありそうですが、そこだけ解決できるなら、残して欲しい気はします。

バブル期はネガティブにしか語られませんが、その時代と活力をはらんでいる感じがするのです。

神戸港震災メモリアルパークは初めてやってきました。

メリケン波止場の僅かなエリアですが、当時のままの姿が残されています。

中学生の頃は、よく神戸港に釣りに来ていました。

通称「和田坊」まで渡船で渡してもらい、一晩中チヌを釣っていたのです。

大阪湾は夏は水が汚いですが、この時期はかなり澄んでくるのを思い出していました。

来年の1月17日で、あれから30年です。

「大ゴッホ展」も、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に、日本を応援するために開催されています。

昨年の能登地震もそうですが、15年に1度くらいはこの規模の地震が起こるのが日本なのです。

その後の阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、何度地震に襲われても、復興するしかありません。

ワールドシリーズMVPの山本由伸投手の言葉を借りるなら「復興しないという選択肢はない」となるでしょう。

災害に限らず、どんな困難が起こったとしても同じですが。

神戸港から元町に戻る途中に南京町があります。

神戸らしい風景で、点心も良いなと思いながらもやりすごします。

元町駅の北にある「堂源」という蕎麦屋さんまで戻ってきました。

田舎十割蕎麦と梅せいろを頼みました。

蕎麦屋さんで女性の店主は珍しいですが、とても繊細な蕎麦で大変美味しゅうございました。

物は壊れると自分では元に戻れませんが、人は食べて、寝れば、大概の怪我は治ります。

そう言えば、甲南大学のスキー部の先輩の先輩が、かなりの蕎麦通だったそうです。

その先輩がお気に入りの店が元町にあり、何度か行ったことがあります。

蕎麦の美味しさを教えてくれたのも神戸でした。

あの地震から30年ということは、私の仕事人生も30年目が間もなく終わろうとしています。

久し振りに神戸に来たのだから神戸牛でも……というレベルにはなっていません。

それでも、気軽に美味しい蕎麦を食べれるくらいにはなったので、それで良しとしておきます。

成長しないという選択肢はないので、気軽に神戸牛が食べられるようになるまで頑張ります。

そう言えば今日はクリスマスでした。皆さんも良いクリスマスを!

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やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

昨日は冬の雨が降る中、神戸の元町まで行ってきました。

中央に見える10階建て程のビルの手前に、オレンジのタイルを貼った、5階建ての小さなビルが見えるでしょうか。

1年の休業後、第2期アトリエmを始動した2002年の春に、オファーを貰い、リノベーションしたビルなのです。

神戸の元町は、思い出の地でもあります。

旧居留地エリアにある、神戸市立博物館まで10分程で到着。

「大ゴッホ展」にやってきました。

会期が2月1日までで、年明けは混むだろうなと思っていました。

前日、Webサイトを見ると、朝一番の9時30分に空きがあり、急いで予約しました。

今回の目玉は何と言っても『夜のカフェテラス』ですが、革新的な試みとして、5作品が撮影OK。

その中に、なんと『夜のカフェテラス』が含まれているという。

会場は、第1会場と第2会場に分かれており、第2会場に入ると、まずは『夜のカフェテラス』に直行しました。

フィンセント・ファン・ゴッホは、シャガールやクリムトと共に大好きな画家のひとりです。

『ひまわり』も『星月夜』も好きですが、『夜のカフェテラス』が一番好きな作品でした。

その他、撮影可能なのは1887年製作『自画像』。

1887年製作『草地』。

1887年製作『レストランの室内』。

1887年製作『石膏像のある静物』の、全5作品です。

しかし『夜のカフェテラス』は、構図の大胆さ、色合い、ストーリーとも群を抜いていました。

1888年製作で、80.7×65.3cmの大きさです。

1853年生まれのゴッホは37年の生涯で1作品しか売れなかったと言われています。

前半生もなかなか上手くいかず、画家を志したのは1880年、27歳の頃。

1888年、35歳の時にパリを離れ、南仏プロヴァンス地方の街、アルルへ向かいます。

その時期でも初期にあたるこの作品は、近代ヨーロッパ絵画の中で、初めて本格的に夜を描いた作品と言われ、ゴッホはこの場にイーゼルを据えて描きました。

深い青の夜空に浮かぶ多くの星は、チューブから絵具を直接キャンパスに押し付けたため、盛り上がっています。

その荒々しい技法とは反対に、描かれた1888年9月16日頃の星の位置は正確に再現されているのです。

カフェの明りは、青の補色である黄色やオレンジで描かれ互いに引き立てあいます。

更に、好んで描いた糸杉にも通じる、緑で描かれた樹のタッチも印象に残るのです。

白い衣服をまとった店員の後ろには、十字架にも見える窓の桟が描かれ、キリストを象徴しているのではないか。

店内に座る12人の客を12使徒とみたて、ダビンチもモチーフとした「最後の晩餐」を暗示しているという専門家もいます。

また夜のカフェテラスは、ゴッホが愛読していたモーパッサンの小説『ベラミ』に描かれた、貴族階級の出会いの場として描かれているのではないか、という説もあると、テレビ番組で紹介されていました。

20代前半だと思いますが、どこか展覧会で買ったポストカードです。

実家に居る時は机の横に貼っていました。

太陽に焼け、少し色あせていますし、角も曲がっています。なぜかこの小さなポストカードが大好きでした。

オランダへ行って、本物を観たいと思っていた作品に、神戸で会えるとは……

1888年の2月、故郷のオランダにも似た、アルルの風景に出合い、ゴッホの才能は一気に開花しました。

1888年9月『夜のカフェテラス』、1889年1月『ひまわり(15本のひまわり)』1889年6月『糸杉』、1889年6月『星空夜』、1890年7月『カラスのいる麦畑』……と、短い期間に、色彩豊かな傑作を生み出し続けました。

しかし、1890年7月27日拳銃で自殺をはかり、7月29日にその生涯を終えました。

ゴッホの唯一と言って良い理解者だった弟・テオは画商でもありました。

兄の死後すぐに回顧展を開くと、ようやく作品が売れ始めます。

しかし、それを見届けるように、テオも1891年1月に33歳で衰弱死するのです。

せめて後2年、3年でも生きていたならと、誰もが思う人生でした。

しかし、一市民にここまで書かせる(勝手に書いているのですが)作家は滅多にいるものではありません。

この展覧会は、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に催され、福島、東京へと巡回していきます。

第2期として、2027年には『アルルの跳ね橋』がやってきて、再び神戸、福島、東京を巡るようです。

極上のアートには、人を勇気づけ、心を洗う力があると信じます。

人は逞しい。

無念の中、生涯をその絵に託した兄弟のためにも、そうありたいと思います。

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大阪を愛し、大阪に愛された男‐2277‐

寝屋川と第二寝屋川に囲まれた三角形の先端にあるのが大阪ビジネスパークです。

このあたりまでやって来ると、急に高層ビルが増えてきます。

そのひとつが読売テレビ。

第二寝屋川を渡る橋は、人専用のものがいくつかあり、大阪城新橋もそのひとつ。

大阪城港のすぐ西に位置します。

大阪城ホールのすぐ近くと言ったほうが分かりやすいでしょうか。

このあたりは戦時中は軍事施設が多くあったので、現在は野球場や野外広場として使われています。

先週日曜日ですが、何やらサンタクロースが沢山集まっていました。

サンタパレードというイベントでした。

よく見ると、「たかじんメモリアル」の文字と「OSAKAあかるクラブ」が見えますが、サングラスと鼻とタバコがいかしています。

「OSAKAあかるクラブ」の初代キャプテンがやしきたかじんで、メッセージが掲載されていました。

サンタパレードは、サンタの恰好をしてウォーキングやランをするチャリティーイベントで、世界中で開催されているともあります。

以下のようなコメントもありました。

会場のどこかで、寄付ができるコーナーがあったのかもしれません。

来年のこの時期、注意しておこうと思います。

現地にいる時は、これらのことを知らず、会場である太陽の広場をでました。

するとすぐに「10円パン」と書いた屋台がでています。

「今どき10円?」と思って近寄ってみると「10円玉の形をしたパン」でした。

たかじんなら、あのだみ声で「10円ちゃうんかい!」と、大声で突っ込んでいたはず。

そう言えば『たかじんのそこまで言って委員会』も『たかじんnoばぁ〜』も読売テレビの製作でした。

しゃべりも一流でしたが、私は歌も大好きで、CDを持っています。

11月22日の毎日新聞に、大阪環状線の発車メロディーが掲載されていました。

福島駅『夢想花』、天王寺駅『あの鐘を鳴らすのはあなた』、桃谷駅『酒と泪と男と女と』、森ノ宮駅『さくらんぼ』、天満駅『花火』と錚々たる名曲ばかりですが、やはり大阪駅は『やっぱ好きやねん』です。

「大阪を愛し、大阪に愛された、故・やしきたかじんさんの代表曲」とありました。

ここまで言われたら、芸能人冥利につきるでしょう。

たかじんが亡くなって、もう10年以上が経ちました。

健康で、明るい、ハンサム芸人も良いですが、大阪らしい、クセのある、夜の街が似合う、ずけずけモノを言う芸人も出てきて欲しい。

そんな芸人がやっぱ好きやねん!

あ、たかじんは芸人ちゃうか。やっぱり芸人や。

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楽しみだなあ、2人だけの電車旅!‐2272‐

今日は勤労感謝の日の振り替え休日。

3連休の最終日です。

3日とも好天にめぐまれ、絶好の行楽日和になりました。
大阪城公園のイチョウも金色に輝いています。

私はと言えば、今から奈良県の「下北山村の古民家〈リノベーション〉」の写真撮影に向かいます。

ということで、今回は朝にUPしていているのです。

休日の朝は、いつもより遠出します。

昨日は、桜の通り抜けで知られる造幣局あたりまで足を伸ばしました。

明治政府お雇技師、イギリス人のトーマス・J・ウォートルスの設計で、1871年(明治3年)に貨幣の製造を開始しています。

向かいにある泉布観も、同じくトーマス・J・ウォートルスの設計で、造幣局の応接所として建てられました。

「貨幣の館」を意味するそうです。

グラバーによって政府に紹介されたトーマス・J・ウォートルスは日本で初めて本格的な西洋建築を設計したといわれており、日本の近代建築の水先案内人のような存在なのです。

造幣局と泉布観の完成は、同じ1871年なのにそれぞれ明治3年、明治4年となっていました。

1871年は、明治3年と明治4年に分かれるようで、このあたりはまた調べてみたいところです。

2つの建築を隔てる国道1号線を東に行けばすぐ東に新桜宮橋と桜宮橋があります。

右側の桜宮橋は、京都大学建築学科を創設した武田五一の設計で、1930年(昭和5年)年の完成。

左の新桜宮橋は安藤忠雄の設計で、2006年に完成しています。

新桜宮橋から北を望むと、大川が大きく蛇行していることで、ダイナミックな景色が楽しめます。

桜宮界隈は、建築に関わる者にとっては巨匠だらけの場所でした。

桜宮方面に向かうため、天満橋を渡っている時、向かいから親子連れが歩いてきました。

上品そうなお父さんは背が高く、30代半ば頃でしょうか。

5歳くらいの賢そうな男の子は、ピタパを手にして、使うタイミングを待ちわびている感じです。

すれ違いう時「楽しみだなあ、2人だけの電車旅!」というお父さんの声が聞こえました。

何だか胸がキュンとなって、思わず後ろ姿を撮ってしまいました。ゴメンナサイ。

天満橋駅から京阪で京都へ向かったのでしょうか。

もし京都なら、JRに乗り換えて京都水族館でしょうか。それとも蹴上の京都市動物園でしょうか。

追いかけて行って撮った訳ではありませんが、天満橋駅から緩やかに上る線路を、京都に向って走る景色がとても好きなのです。

近所の学校では、運動会だったようです。

これだけ遅い時期になっているとは、時代だなあと感じます。

多くの人は、人生の中で最も充実していた時間は?と聞かれると、一番大変だった時を答えるそうです。

子育て期も間違いなくその1つです。

上品そうな親子の、2人だけの京都への(分かりませんが)電車旅はどんな1日になったのでしょうか。

前日遅くまで仕事をし、電車の中で爆睡しながら、毎週のように子供を連れて出掛けていた頃を思い出していました。

全く知らない親子に、なぜか感情移入してしまったのです。

それもこれも、ノスタルジックな気持ちにさせる秋が悪いのです。

皆さんも、ノスタルジックな3連休最終日を満喫ください。


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大阪シティバス 62号に乗って‐2270‐

先週土曜日の朝7時半、アトリエから一番近い上本町1丁目のバス停で待っていると、定刻から3分程遅れて到着。

自転車か電車が早いのですが、大阪シティバスに乗ってみました。

妻の友人が近くに住んでおり「この辺りはバスが便利よ」と聞いてきたのです。

大阪駅行きの62号系統で、健康診断に淀屋橋まで行ってきました。

上町筋を北上すると、難波宮跡、大阪城を右手に見る、なかなかの景色です。

土佐堀通に突き当り左折。丁度、京阪電車が通過します。

天満橋、天神橋、難波橋の大阪の三大橋を右手に眺めながら、15分程で淀屋橋に到着しました。

市役所周辺の街路樹も、見事に色付いていました。

健康診断が終わり、バス停まで行くと待ち時間が20分程あります。

それなら歩いて、62号系統から見える景色の復習かなと。

淀屋橋南詰にある「かき広」と大阪市役所。

以前、食事に行こうという話になったのですが、未だ実現していません。

一度は行ってみたいところです。

この辺りは、水都にふさわしい景色です。

土佐堀通を東へ歩きます。

北側の建物は土佐堀川の借景を取り入れた建物が多いのは必然でしょう。

ケーキ屋さんでしょうか.

すぐ東には中央公会堂。

難波橋を越えると、北浜レトロビルヂング。

こんな古民家も残っています。

箱軒が見えているので、昭和初期くらいの建築でしょう。箱軒は関東大震災のあと、防火対策として急速に広まったものです。

北浜レトロビルヂングの完成は明治45年(1912年)とありました。

堺筋を中心に、周辺には明治、大正、昭和の建物が本当に沢山残っており、建築が大切に使われているのが分かります。

先の古民家の東には、seiundoが入っている北浜1丁目平和ビル。

5階にあるオフィスですが、2016年に完成しました。

竣工写真は、何故か私が入っているという。

眼下に広がる土佐堀川とバラ園の景色は絶景と言ってよいものでした。

難波橋、天神橋をすぎ、大阪三大橋の最後は天満橋。

大阪城まで帰ってきました。

大阪府庁前で、20分程前に出たバスに追いつかれます。

ゆっくり歩いて45分の道程でした。

62号系統は、大川周辺の観光名所を巡る感じなので、路線周辺に住んでいる方にはお勧めです。

大阪シティバスの運賃は一律210円。それで観光バスに乗った感じの、お得感が最高でした。

『メトロに乗って』は浅田次郎の長編小説です。地下鉄がタイムマシンの役割を果たし、過去と行き来しながら、自分の父親、兄などの過去を知っていきます。

沢木耕太郎の『深夜特急』も路線バスを乗り継ぎ香港からロンドンを旅する話ですし、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』という人気番組があったとも聞きます。

公共交通は、誰もが共通体験を持っていますし、感情移入しやすいのでしょう。

高速道路を使わない日本一長い路線バスと言えば、奈良交通の「八木新宮線」で、169.9kmあります。

所用時間は6時間半。休憩が3回あるそうで、橿原市の大和八木駅から、十津川村を抜ける168号線で和歌山の新宮までの道のりです。

一度乗ってみたいと思っていますが、6時間半も乗っていると、本当にタイムスリップするのかも……

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
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株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

チームスポーツの秋‐2266‐

土曜日は朝焼けで、東の空が真っ赤に染まっていました。

朝焼けは、天気が下り坂になると言われますが、雨だった前日の水蒸気が残っていたのでしょう。

土、日、月と概ね好天に恵まれました。

大阪城公園も、日当たりのよい場所は紅葉が始まっています。

11月に入り、秋らしい雰囲気になってきました。

そのまま北の天満橋まで行くと、大川にブイが浮いていました。

日本国際ドラゴンボート選手権大会が開催されると横断幕がでています。

会場は、京阪百貨店の北側、八軒家浜船着場のようです。

対岸が選手村のようになっていました。

天満橋駅あたりで、オールを1本持った外国人の一行がホテルから出てきて、大挙してコンビニに入って行った理由が分かりました。

ちらと選手村をのぞいてみると、アスリート体形とは程遠い感じの人が結構おられたのです(失礼!)。

妻は以前ドラゴンボートの試合に出たことがあるそうですが、誰でも気軽に参加でき、結構楽しいそうです。

起源は中国の祭りにあるので、楽しくなければ意味がないとも言えそうです。街で見かけた選手の人達も、何だか楽しそうでした。

チームスポーツは、意識を揃えるのは大変ですが、「分かち合える」という点は、何にも勝るものかもしれません。

11月2日(日)、MLBのワールドシリーズ第7戦は、ロサンゼルス・ドジャースの劇的な勝利で決着しました。

日本が誇る、大谷翔平選手は当然凄かったのですが、あり得ない間隔で登板した山本由伸投手は、あのランディ・ジョンソン投手以来のシリーズ3勝を上げ、圧倒的内容でMVPを受賞しました。

トミー・ジョン手術から復帰1年目の大谷選手も、中6日確保してきた登板間隔を、中3日に短縮して先発。

中5日以上を確保してきた山本由伸投手にいたっては、最終登板は中0日。「鉄腕」という見出しも踊っていました。

元祖鉄腕と言えば、日本シリーズで3連敗のあと4連投4連勝し「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた、故・稲尾和久さんです。

また「権藤、権藤、雨、権藤」で知られる権藤博さんは、連投につぐ連投で、プロ入りから2年で65勝。しかし、当然ながら肩を壊してしまいます。

稲生投手は「鉄腕」の名の通り、生涯で276勝していますが、現在のように、登板をもっと管理されていたら優に300勝は越えていたかもしれません。

そういう時代だったので、どうしようもないことだったのですが。

大谷選手、山本投手は、「投げれるか?」と聞かれれば、何とか投げる方法を模索するでしょう。

その中で、先人の教訓を活かして欲しいと思うのですが、山本投手のコメントを聞いていると、無理をしているのではなく、それができる体を目指し、作り上げてきたという自信が伝わってきます。

最高の仲間から、心からの称賛を受けること程、嬉しいことはないでしょう。

178cm80kgという、MLBの中では極めて小柄で、一切ウェートトレーニングをしないという特異性も、ミステリアスにさえ見えてきます。

とは言え、チームにはこれ以上の無理はさせて欲しくないと、心から願うのですが。

元気、勇気、感動を貰った側としては、次は自分の仕事で、世の中にお返しできるよう頑張らなければなりません。

仕事の歓びの中に、チームとしての歓びという部分があると思います。

一旦振り出しに戻ったアトリエmですが、必ずチームとして、再び勝負したいと思っています。

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