カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

大阪より下町な東京‐2203‐

前回は、娘の関東大学巡りと、渋谷109前交差点について書きました。

大学巡りを終えたあと、JR中野駅で長男と待ち合わせていました。

少し早く着き、話題の中野サンプラザへ。

2023年に閉館し、再開発される予定でしたが、建設費が倍に膨れ上がることが分かり、中野区は計画を白紙撤回しました。

残念ながら、サブカルの聖地には一度も入ることなく閉館してしまったのですが、私の世代なら「サンプラザ中野」と合わせて、親近感を持っている人も多いでしょう。

ただ、建設費が倍と聞くと、他人事ではありません。

新築のイメージで土地を購入されていた場合も、古家が付いている時は、まずリノベーションの可能性を探ります。

そのくらい、建築費の高騰が急激なのです。

駅前の商店街、中野サンモールも歩いてみました。

渋谷もそうでしたが、こちらの活気もなかなかです。

そうこうするうちに長男がやって来て、夕食をとることに。

「寿司」とか「焼肉」とか言われたのですが、最終的に牛タン屋さんに落ち着きました。

長男のバイト先なのです。

焼肉よりは安いだろうと「好きなものを頼んでいいよ」と伝えると、娘は一番高いものをオーダー。

次が長男で、私が一番安いものを。

ただ、お勧めをかなり追加したら、そこそこの金額になりましたが。

牛タンのみを食べることもあまりありませんが、長男の東京での胃袋を支えてくれたのがこの店の賄いです。

感謝の気持ちも入っているかもしれませんが、かなり美味しかったです。

長男は1回生、2回生と大学の国際寮で暮らしていました。

かなり恵まれた環境で2年間を過ごしたのです。

何より寮生の友人が沢山いたのが心強かったはずです。ヒッチハイクでも帰ってきましたし。

今年の1月、その国際寮からほど近い新井薬師前に 新たな下宿 先を見つけてきました。

中野からバスで10分程移動。

駅から歩いて5、6分の場所でした。

行った時はもっと散らかっていましたが、かなり片付けてこんな感じだそうです。

男なので何の心配もしていませんが、子供が暮らす家に入れて貰うのは何とも不思議な感じです。

ただ、ここで新たな関係性を築き、自立へと進む過程を感じたのも間違いありません。

妻と娘は1泊させて貰い、翌日も大学を巡ります。

私は遅い新幹線を予約していたので、「じゃあ頑張って」と伝え帰路につきまた。

長男が暮らす町を見ておこうと思い、新井薬師前から中野まで歩くことにしました。

スーパーはこじんまりした、小規模店が主流だそうです。

何故か、長野の町を思い出します。

この駄菓子屋さんはなかなかでした。

レトロを狙っているのだと思いますが、それでも10円ゲームは懐かしすぎます。

町中華。

もつ焼き。

八百屋さんも個人商店。

「東京」なので、もっとお洒落な感じをイメージしていたのですが、なかなかの下町です。

というか、大阪より下町なのです。

20分程かけて、JR中野駅まで戻ってきました。

長男は大阪の方が暮らしやすいかなと言っていましたが、将来のことを考えると関東で就職することになるでしょう。

それは私には経験のないことです。

活気をみてもやはり首都東京が上だと思うので、それで良いと思います。

大阪生まれの私としては、下町と言えば大阪だと思っていましたが、東京の方がより下町だったとは……

そこは正直ショックでした。

50歳を過ぎても、大阪も東京も知らないことだらけ。人生は、日本探訪の旅とも言えるのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

関東大学探訪+日本の交差点を見て来春を思う‐2202‐

先週の土曜日は、朝から妻、娘と一緒に横浜へ向かいました。

新幹線の新横浜駅から、相鉄(そうてつ)に乗って、横浜国立大学へ。

最近の大学は、緑化をした建築が主流です。

しかし、それらが全く不要なくらい、緑あふれるキャンパスでした。

もう、森の中に大学があると言っても良いくらいです。

気温も20度を超え、完全に春の陽気でした。

娘は4月から高校3年生になるので、横浜、東京の大学を見て回ることにしたのです。

昨年春の東北大学視察は、残念ながら私だけ直前キャンセルでした。

今回は何とか参加できました。危ないところでしたが。

私が通う訳ではありませんが、流石国立大学という、ゆったりしたキャンパスはかなり好印象です。

今度は、ブルーライン、東急東横線と乗り継いで渋谷まで移動です。

国際連合大学の向かいにある青山学院大学までやってきました。

青山学院は文系の大学なので、私は初めて訪れました。

ミッション系の大学でもあり、立派なチャペルがあります。

あわせて、150年の歴史も感じます。

しかし、渋谷のど真ん中にこの空間は、ちょっと別世界です。

食堂が安くて美味しいのもかなり高得点。私は関係ないのですが。

先の国連大学のすぐ横に、岡本太郎の「こどもの樹」という作品がありました。

アートの香りが漂う街は、良い街と言えます。

バルセロナにあった、ミロのオブジェを思い出します。

最後の目的地を目指して、京王井の頭線の渋谷駅に向かいます。

渋谷109が見えてきました。

駅周辺が工事中で、もの凄い混みようです。

何とかJRの高架を抜けると、忠犬ハチ公像はチラとだけ。

ようやく渋谷109前までたどり着きました。

さすがの活気です。

「世界の交差点」をニューヨークのタイムズ・スクエアとするなら、「日本の交差点」と言って良いでしょう。

この活気こそが、東京の生命線なのだと感じます。

「渋谷109」の設計者は竹山実。

ポストモダン建築を最も平易に、世の中に伝えた建築家と言えます。

開口部ではなく、外壁のアルミパネルだけで、縦動線が納められた円筒とキューブの造形を表現しました。

完成は1978年なので、半世紀に渡って日本の顔となっているのです。

最後は、明治大学までやってきました。

明治は建築学科があるので、私は2回受験しています。2回落ちたのですが。

もう30年以上前なので、どこのキャンパスだったか忘れましたが、懐かしくはあります。

我が家の子供は、大阪が嫌いという訳では無いのですが、2人とも東京志向です。

金銭的には厳しいものがありますが、悔いを残すことだけはして欲しくないので、そこは全て尊重しています。

そう思わせる活気が、東京にあるのも間違いないと思いますし。

朝一番、新横浜に到着した時、娘が「受験にきたら、あの新横浜プリンスに泊まっていい?」と聞くので、「それは無い!」と即座に却下しておきました。

私がはじめて東京で仕事をした時は、格安のYMCAに泊まっていたくらいですから、ビジネスホテルでお願いします。

先週、甥っ子が志望大学に合格したと書きました。

来年のこの時期、娘もそうなると嬉しいのですが、神頼みで結果がでることもありません。

寒い冬から、いやもっと言えば、花が散った直後から、粛々と準備をしているからこそ、春花は咲くのです。

受検に失敗した親が言うのも何ですが、娘にとって、我が家にとって、勝負の1年が始まります。

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傘寿の祝いにサクラサク‐2200‐

昨日はしとしと雨でした。

昼前から、車で実家近くの木曽路へ。

父の傘寿を祝う会食でした。

東京で暮らす我が家の長男を除いて、弟家族と合わせて10名が集まりました。

詩聖、杜甫が詠んだ詩「人生七十古来稀なり」を由来とする古希。それをさらに10歳越えた訳です。

古希までは中国の風習が伝わったものですが、喜寿(77歳)以降は、日本で生まれたものだそう。

傘の略字が八と十であるのが由来と聞けば、確かに日本らしい感じもします。

間もなく両親とも80歳になるので、これからは外食にしようとなったのです。

今日は、午後から「ドッグランのあるタイル床の家」の3ヵ月点検でした。

クライアントは元パティシエで、お手製のマドレーヌをご馳走になりました。

手前から、紅茶、抹茶、チョコレート味。

流石のお味でした。

コーヒーはデロンギのコーヒーメーカーで煎れてくれた本格的なものです。

積もる話もあり、本当に幸せな時間ですが、その後に所用があり1時間半ほどで失礼したのです。(それでも1時間半ですが)

所用とは、車のタイヤ交換とメンテナンスでしたが、今回の代車はプリウスでした。

はじめて運転したのですが、何と燃費が21lkm/L。

預けた私の車の5倍です。

好きで燃費の悪い車に乗っていますが、技術革新は凄いものがあります。

私が80歳になるのは4半世紀先です。

初代プリウスの発売は1997年ですから、ほぼそれと同じ時間が経っていることになります。

もうその頃になれば、ドローンに乗っているのかもしれません。

ドローンの燃費は?

いや、リチウム電池で何時間飛べる?という世界でしょうか。

そうそう、甥っ子は1年の浪人を経て、志望校の国立大学に合格しました。

色々なことが起こるのが春ですが、こういった知らせは格別です。

サクラサク

日本語の粋、ここにありなのです。

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誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 応募のストーリー‐2186‐

昨年の秋、ENGINEという雑誌から「誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」という企画があるという案内が届きました。

なぜメールアドレスを登録していたのか覚えていないのですが、ざっと内容を読むと「私の為にあるような企画」と勝手に思い、締め切りをメモしていました。

締め切り日になったので、バタバタと書きはじめると、写真1枚、文章は400文字とあります。

私のディスカバリー愛を綴るには少なすぎる……というのが正直な気持でした。

折角なので送ってみたのですが、先週金曜日に公開されていました。

【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 epilogue】

しかし、実際に取材となった3件には選ばれませんでした。

ちょっと残念なので、イメージしていた「私のディスカバリーストーリー」をUPしてみます。

はじめてディスカバリーがやってきたのは、2011年の5月。40歳の時でした。

20年に渡って、2台のハイラックスサーフを乗り継ぎました。

若いころ大好きだったハイラックスサーフの後は、この車しかないと思っていたのです。

1989年に誕生したディスカバリーは、この型で第3世代になります。

この世代のフロントまわりのフォルムを見ると、最高に心ときめきました。

ENGINEにもある通り、「比類なきオフロード性能」を早速フルに発揮してもらいます。

2011年1月の蓼科高原です。

2012年の9月。

ハイラックスサーフと同様、キャリアーを取付け、ボートを積んで日本海へ。

海を見ながら、現地で獲れたものを食べるのは最高なのです。

2015年6月の池原ダム。

後部がフルフラットになるので、子供がかなり大きくなるまで、2人で十分寝れました。

この広さは、角ばったボディと背の高さが必要です。

それを、美しさ、運転性能とともに成立させているのが、ディスカバリー最大の魅力だと思っています。

5年乗った緑のディスカバリーは、乗り換え時に「さらば、緑のディスカバリー‐1327‐」という記事をUPしました。

なので、軽めにしておきます。 

そして、紺色の第4世代がやってきたのが2016年12月。

2017年5月。すぐにボートを積まれ、奈良県の七色ダムへ。

2018年の1月、「家族で47都道府県制覇」のために、大雪の蔵王へ。

かなりマナーの悪い車とでくわし、あやうく大事故になりそうな場面もありました。

2018年にバスボートを購入し、今度は牽引に変わりました。

流れは忘れてしまいましたが、ナンバープレートを貰うため、南港の近畿運輸局まで行ったこともありました。

2019年の1月は木曽福島へ。

オフロードカーは、やはり自然が良く似合うのです。

その後すぐに出掛けた伊豆半島の旅では、路肩にタイヤをぶつけてしまい、JAFにタイヤ交換して貰ったこともありました。

2024年8月、南紀白浜です。

ついに長男が免許を取りました。

初心者マークが付き、長男に運転して貰うことがあるとは、全くは想像していなかったのです。

子供達も、6歳、3歳からの付き合いなので、もやは家族のようなものです。

ディスカバリー誕生から35年。

そのうちの14年だけですが、40代、50代には常にディスカバリーがありました。

海、湖、雪山、そして仕事でも、撮影機材などを沢山積んで移動します。

心からディスカバリーを愛し、これだけその性能を必要としているのです。

ただ、最新の第5世代があまり好みでなく、現時点では動かなくなるまで乗ろうと思っています。

車を乗り継ぐ時は、感謝の気持ちをここで綴るのですが、その風景が全く想像できないのです。

ディスカバリー乗りは、縮めて「ディスコ」と言ったりします。

私のディスコ愛、伝わったでしょうか。

物づくりが仕事だからか、物に対する愛情はただならぬものがあります。

車やボートは、真の意味での相棒だと思っているのです。


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お前が二十歳になったら‐2183‐

公園の樹々もすっかり葉を落とし、1月はもの寂しい時期でもあります。

ですが、成人式があるのもこの時期です。

月曜日の成人式に合わせて、長男が東京から帰省していました。

靴が無いということで、妻が大丸梅田へ同行し新調。

ベルトを忘れたというので、こちらは私の物でしのいで貰いました。

3月いっぱいで現在の国際寮を出なければならず、すでにマンションの契約を済ませていました。

その初期費用がウン十万円掛かるとのことで、そちらも支援が必要と。

私は全くお金を使っていないのですが、年始から出費が続きます。

区主催の成人式に参加し、その後母校での成人式に移動。

中学高校と卓球部に所属していた時の仲間たち。

その中でも、6年間一緒に通学した友人と。

彼が受検を突破するストロングとなったのが英語ですが、その添削をしてくれた先生とも。

お金はそれなりに掛かりましたが、これだけ周りに恵まれていたなら、親としては本当に嬉しい限りです。

式の後は、夜通しボーリングだったようですが、隣のレーンの人達が「成人式ですか?」と祝福してくれたそうです。

長男が言うには「東京では、これは絶対ないと思う」と。

大阪はやはり過ごしやすいそうです。

3泊の滞在をフルに楽しんでいました。

長男が小さい頃、河島英五の「野風増」をカラオケで歌った時、こんな気持ちになるのかなと思っていました。

♪お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ

なのですが、長男はお酒があまり強くなく、ビール1杯がちょうど良いらしいのです。

飲んでいなくても、そういった場は十分楽しいとも。

それなら無理をして飲む必要もないので、食事をするときも勧めません。

飲まなければ、お酒で失敗することも無いので、飲まないに越したことはありませんし。

先の「野風増」に出てくる父親は、「お前の門出を祝う」と言い、「男は夢をもて」と言います。

感慨深いものがあるのかなと思っていましたが、そういった余裕もなく、計画を前に進めるため、日に夜を継いで働く毎日です。

加えて、自分に夢を持てと叱咤激励しています。

15年程前のイメージとはかなり違っていますが、そんな現実も悪くないかなと思います。

長男があと2年、長女があと6年で社会人になると考えれば、子育ても最終盤に入ってきました。

数年前にある後輩が「守谷さんも、すっかり社長然としているんでしょうね」と言っていましたが、いえいえどうして。

経営から、一兵卒の仕事まで、何でもというか、全てやっています。

そんな親を見てどう思うか分かりませんが、それが私なりの人生です。

大きな夢をもって、世の中の役に立ち、世の中に求められる仕事人になって欲しいと思います。

そして彼なりの人生を謳歌してくれればと願います。

成人おめでとう。

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■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

それでもやっぱり紙が好き‐2181‐

「年賀状を終わりにようと思います」というメッセージが入った年賀状が、今年も結構ありました。

反対に、アメリカから届いたエアメールもありました。

年賀状終いは、やはり85円への値上げの影響も大きそうです。

家族用、会社用を合わせると3万円を超えたので、それなりの額です。

エアメールにも、勿論返信したのですがこちらは140円。

逆に安く感じました。

我が家の年賀状は、表が子供達だけの写真。

裏が家族全員の写真という構成にして20年。

ということは長男が20歳になる年です。

年賀状終いに逆行するように、結構気合を入れて作っています。

昨年唯一の家族旅行は、お盆休みの南紀白浜行きですが、ほぼこのためだけに行きました。

印刷が赤転びしている点だけが少し残念ですが、概ね納得しています。

会社用の年賀状は、 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」の共用廊下からのカットにしました。

– 患者さんでなくても立ち寄ってほしい。曲面状の本棚があるクリニック –

というメッセージを伝えるには、この2カットが良いかなと思い選んだのです。

「本棚裏のカウンターで、受験勉強をしてくれたら嬉しい」というドクターは、日本広しと言えどもそうは居ないと思います。

本だけ読みにきて頂くのも大歓迎というコンセプトですが、その本も全て、江口院長の何かしら縁のある方からの寄贈で賄われています。

私も出来る限り寄贈したのですが、被ってしまった本がありました。

沢木耕太郎の「深夜特急」です。

真っ先に思い浮かんだのがこの本ですが、どちらかと言えば、私はクリニック側の人間なので、私の分を引き取ってきました。

しかし、同じ思いを持った人が居たことを嬉しく思ったのです。

これは昨年の年賀状ですが、皆の顔が若干こわばっています。

長男が東京の大学へ行ったので、家族写真を撮るタイミングはかなり限られてきます。

なのに、何のイメージも作れておらず、夏の帰省時に、急遽近所の公園で撮ったのです。

三脚を立て、タイマーで撮影していると、公園に居た人たちが「なんだ、この家族?」みたいな雰囲気になり、良い写真が撮れませんでした。

4人揃っての写真が撮れるのは、あと何回くらいかなと考えます。

それなら、毎年2カットくらいは良い表情の写真を撮れるよう、準備しようとなったのです。

もうひとつの候補だった、春先の仙台旅行は私だけキャンセル

南紀白浜行きもかなり怪しかったのですが、何とか参加できました。

本と年賀状。減少の一途をたどっているのはどうしようもありません。

それでも私は紙媒体が好きなのです。

太っても、少々毛が薄くなっても、ありのままの姿を伝えるつもりです。

誰も見たくないかもしれませんが。

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■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

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懺悔と青春‐2179‐

新年明けましておめでとうございます。

元旦に、アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を公開しました。

よければご覧ください。

2025年の1回目は、昨年末の話からです。

12月30日、阪急うめだ本店のショーウィンドウも、すっかり迎春仕様になっていました。

百貨店の屋上広場から、北西のJR大阪駅側を望みます。

間もなく2024年も終わりだなと、やや感傷にふけるのです。

昨年はオリンピックイヤーだったので、中学・高校の同窓会の開催年でした。

柄でもないのですが、世話役の代表を引き受けています。

2004年アテネオリンピックの年に第1回目を開催。

以降、4年毎の12月30日に開催を続けてきました。

今回、先生方は3名が参加下さいました。

学生時代は、迷惑しか掛けていないと言っても過言ではないのですが、英語担当のA先生には、格別のご迷惑をお掛けしてしまいました。

本当にお世話になり、全く頭が上がりません。

開会のご挨拶をお願いしました。

70歳を超えたとのことですが、とてもお元気で、はつらつとされています。

皆に楽しんでもらうため、2分くらいの近況報告を全員にお願いしています。

なぜずっと私も写っているかと言うと、司会進行をさせてもらっているからです。

この3時間は気合十分、仕事くらいのテンションで臨みます。

初参加の同級生あり。

毎回安定の盛り上げ役ありと、多彩なメンバーが揃っています。

大学教授、海外の大学教授、医師、税理士、会計士、映画監督、CM監督、社長、副社長、SE、エンジニア、研究者、東京、愛知、ニューヨーク、十勝から……

もし子供が将来に迷っていたら、この会に参加するのが一番良いのではと思うくらいです。

と書いてみて、本当に実現したらとても有益な気がしてきました。

体育の先生は当時26歳だったそうです。

熱血指導でここでは書けないネタも満載ですが、そういった先生の話が一番盛り上がるのです。

「若かったので、皆さんにはご迷惑をお掛けしました!」は大爆笑でした。

3名とも、はじめて6年持ち上がったということで「君たちはとても印象に残っている」と。

化学のT先生は、やや体調を崩していたにも関わらず、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての参加です。

こちらの先生には高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」と。

本当に、ご迷惑をお掛けしてばかりで……

会の終了後、皆で写真撮影。

最高に楽しい会でした。

その後、阪急東通商店街の串かつ屋さんで2次会。

こちらも31名の参加があったのです。

2004年、第1回目のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生には「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に寄せてもらったのですが、奥さまが、会から戻ったあと「楽しかった、楽しかったと、何度も言っていました」とお聞きしました。

20年前。

お2人とも本当に若い。

そういう私達も勿論若い。

2016年リオオリンピックの年に参加くださった、国語のS先生が2020年にお亡くなりになりました。

また、第1回目に参加下さった数学のY先生も、2021年にお亡くなりになりました。

冒頭の挨拶で言ったのですが、実際にお会いできることが、当たり前ではないという事を痛切に感じます。

S先生は中1、中2の担任でしたが、2016年のとき「あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と。

本当に、懺悔、懺悔、懺悔しかないのです。

これまでぼんやり書いてきましたが、殴り合いの喧嘩、慰謝料、修学旅行中の別室隔離、学校でお好み焼き、かつ勉強は全くしない。

高槻中学・高校は進学校ですから、先生側からすれば絶対に要らない生徒です。

しかし、大学に入ってからは本気で建築を学び、仕事人としては毎日を全力で生き、誰よりも働いてきたつもりです。

多少はまともになったと思ってもらいたいのと、少しでも恩返しができるならと引き受けたのが、「同窓会実行委員会 世話役代表」でした。

会場捜し、名簿の作成、往復葉書の送付、メール配信、アンケート用紙の作成、そして会が終わった後の情報の整理、母校への報告と、開催年の8月頃から準備を始めます。

やるべきことが結構あるので、全て会社として引き受けているイメージでした。

しかし人手が足りていない今回は、かなり時間の確保が難しかったのが正直なところです。

また、そんな滅茶苦茶な生徒だったので、私以外が代表をすれば参加する生徒も居るのではとも、ずっと思っていました。

そんな理由で、20年勤めてきた世話役の代表を今回で退任させてもらうことにしたのです。

先のT先生にこんなことを言ってもらったことがありました。

「僕は今の生徒に、こんなことを言っているんや。

この学校に来れる子は、頑張れば絶対何とでもなる。

それは守谷を見てそう思う」と。

もとが真面目な人より、ヤンキーが厚生した方が偉く見えてしまう的なところもありますが、私にとってこれほど嬉しい言葉はありませんでした。

20年前と言えば34歳です。

自分で見ても若いと思います。

はっきり言えば、この会は私にとって、懺悔と青春だったと思います。

私は働きもしますが、前にも出ます。そこを陰から支えてくれたI君には感謝しかありません。

次回の第7回は、2028年ロサンゼルスオリンピックの年です。

世話役を退任した次回、参加したいと思うのかなとか思ったりもします。

まだ4年あるので、それはまたその時に考えてみたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

2024年 暮れは元気にご挨拶‐2178‐

今年も残すところ2日になりました。

私の2024年を振り返っておこうと思います。

1月 2024年は何が出来る?‐2074‐

元旦の夕方に起こった、能登半島地震。

街角に設置されるようになった、多くのカメラがその生々しさをダイレクトに伝えます。

改めて、地震大国・日本を認識せざるを得ません。

2012年に家族で巡った、能登半島の美しい自然を思い出します。

北陸の海の幸は特に美味しいのです。

年始から、2024年は何ができる?というお題をいきなりもらうことになりました。


2月 梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>‐2083‐

インバウンド旅行者の間でも「梅田ダンジョン」が話題になっているそう。

慣れ親しんだ梅田を、3回シリーズで紹介してみました。

梅田ダンジョン②<1.2km東西横断脱出編>‐2085‐

梅田ダンジョン③最終回<阪急三番街と阪急サン広場編>‐2091‐

長男が帰省するさい、東京からヒッチハイクで帰ってきたのには笑わされました。

青春ヒッチハイク‐2088‐

3月 奈良ホテルでセミナー‐2093‐

奈良大宮ロータリークラブの例会で講演をする機会をもらいました。

会場が辰野金吾の名作、奈良ホテルだということが特別に嬉しかったのです。

4月 4時間の山道はワクワク時間だった‐2106‐

長らく通っている池原ダムの近くで、古民家フルリノベーションの依頼を頂きました。

掘り炬燵のある平屋「下北山村の古民家〈リノベーション〉」です。

昨年末、通勤路とも言える169号線で崩落事故があって通行止めに。

現場は動いているので、十津川村を通る168号線で大きくう回して現地へ向かいます。

山道4時間はなかなか大変でしたが、それはそれで新鮮でした。

日本の粋。169号線ようやく開通‐2126‐

夏にはようやく仮設橋が開通。

「道」の大切さを、身をもって経験しました。

5月 第3ラウンドは上町で勝負‐2111‐

天王寺で創業し、平野に移転して20数年が過ぎました。

2年程前から、駐車場があり、スタッフも通いやすい場所を探していました。

大阪城のすぐ南、中央区の上町に小さな古ビルを見つけたのが今年の春。

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」のスタートです。

年内引越しを目指していましたが、少し遅れそうです。

6月 背景に人生をかける‐2122‐

久し振りに足を運んだ展覧会は、「新・山本二三(にぞう)展」。

「天空の城ラピュタ」をはじめ、ジブリの背景画を多く担当したのが 山本二三です 。

「火垂るの墓」「ルパン三世」等も担当しているのですが、「じゃりン子チエ」もそうだったと知り、驚き、納得しました。

「じゃりン子チエ」の背景については、この日記でも何度か取り上げました。

時代を写し込む精度が凄いと、いつも思っていたからです。

7月 3つの現場を回って、恥を忍んでひとり撮影‐2130‐

掘り炬燵のある平屋「下北山村の古民家〈リノベーション〉」の現場へは、遠方なのでひとりで行くことが殆んどです。

【現場日記チャンネル】の撮影も、当然ひとりで行わなければなりません。

アイフォンを使ってリモート操作するのですが、これを沢山の職人がいる現場でするのが恥ずかしく……

何とかEpisode6まで頑張りました。

8月 始まりの地、南紀白浜‐2141‐

長男が帰省したタイミングで、家族で南紀白浜へ。

南紀白浜は「家族で47都道府県制覇」の旅の始まりの地だったので、感慨深いものがあります。

もうひとつの目的は、家族写真の撮影。

ワンチャン、家族写真は南紀田辺へ‐2140‐

減る一方の年賀状ですが、4人で集まれる限り写真付きで送りたいと思っています。

9月 一粒万倍日に開業「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」ずっと元気を応援する‐2149‐

昨年の秋にオファーを頂き、9月17日の一粒万倍日に開業した、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」

5社程のコンペから選んでもらったのですが、コンセプトを聞いた時から、「この計画は絶対に成功する」と思いました。

「患者さんでなくても立ち寄ってほしい」のは、元気な時のお姿を見たいから。

江口さんのこの考えを、形にしていく仕事はとてもやり甲斐があり、とても楽しかったのです。

10月 理容師≒医師‐2157‐

アトリエ付き住居の移転を控え、迷っているのが、どこで髪を切ってもらうかです。

中学生の頃から通っているDさんの店に通い続けるんだろうな、というのが今の結論です。

少し調べてみると、昔のヨーロッパでは、刃物の扱いに長けている理容師は、外科医も兼ねていたそう。

私にとっては、話をゆっくり聞いてもらう、精神科医のようなものでもありますが。

11月 その男、万里の長城レベル‐2168‐

2024年も、MLBで圧倒的な成績を残した大谷翔平選手。

今年1年は、右肘の手術で投手は封印。

その中で、指名打者では初めてのMVPに満票で選ばれました。

しかも2年連続で3回目の受賞です。

宇宙から肉眼で見える唯一の人工物と言われるのは万里の長城ですが、それに匹敵する、この惑星一の野球選手です。

12月 このクリニックを、必ず大繁盛クリニックにする‐2172‐

9月の開業を取り上げた 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」 ですが、院長の江口さんから打ち上げのお誘いを受けました。

「内科系」のクリニックは、スタート時が本当に厳しいのです。

なので、スタートダッシュにつながるなら、何でもしようと思っていました。

そのひとつが、院長自らの言葉で、開業への思いを語ってもらうことです。

また、膵臓がん・胆道がんを発見するエキスパートなので、内視鏡、超音波内視鏡のできることも、分かりやすく説明してもらいました。

食事会の席で現状を尋ねると、聞いたことがない程、順調なすべり出しでした。

当日は朝方まで仕事をしていたので、失礼のないよう会話できていたか怪しいのですが、そんなことが吹っ飛ぶくらい、今年で一番嬉しい、美味しい時間となったのです。

年始の問いは、「何ができる?」でした。

結局のところ、私にできるのは懸命に働くことだけです。

そう考えると、より働きやすくなる、 アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」が一番のご褒美かもしれません。

クライアントの駐車場を心配しなくても良いことも、都心部に出る時間が短くなるのもとても嬉しいことです。

そして、クライアントに心から喜んでもらえたら、仕事人冥利につきるのです。

本年も、「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2025年が、皆さんにとって素晴らしい1年となることを確信しています。


■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

落とし物が帰ってきた‐2177‐

冬至、クリスマスが終わり、街も年末モードに入りました。

クリスマスはいくつになってもワクワクするものですが、中でも阪急梅田のコンコースは、この時期の風物詩と言えます。

今年は小魚のようなモビールがまるで群れのよう。

今まで見てきた中でも、出色の空間演出ではないでしょうか。

20年書いてきたブログでも、最も読んでもらったのが「阪急梅田駅の歴史」という2005年の記事です。

阪急梅田と大阪は、やはり切っても切れない関係なのです。

そんな慌ただしい年末の月曜日。堺筋本町まで行ってきました。

ボートのオブジェが外壁を飾るのは、本町通り北側にある、大阪産業創造館(サンソウカン)。

その向かいにあるのが、東警察署です。

先週現場へ行った時に、交通系のカードを入れたパスケースを落としてしまったようです。

そのことに気付き、急いで各カード会社に使用停止の連絡をしました。

すると、クレジット機能がついているカード会社には、警察から連絡があったのか、すでに使用停止の手続きがとられていたのです。

このあたりは有難いなあと感謝したのです。

担当窓口に行き、カード会社に教えてもらった受付番号を告げました。

免許証を見せると、すぐに手元に返ってきたのです。

おそらく30年くらい使っているこのパスケース。

何度か買い替えようと代わりを捜したのですが、この薄さがなかなか見つからずで、今も現役なのです。

無くしてすぐに思ったのは、「あのパスケースの代わりが見つかるかな……」でしたから。

無くした現場は「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」のすぐ近くのようでした。

つまり、来年からの私のアトリエであり住居です。

ようでしたと書いたのは、拾ってくれた方が、全ての権利を放棄し、匿名で届けてくれたからです。

今まで、警察に紛失届を出して返ってきた物はひとつもありませんでした。

本当に有難く思い、お礼をしたかったのですが、それは叶わなかったのです。

落とした自分が一番悪いのですが、何だかとてもツイている気がします。

『ツイてるね ノッてるね』は、先日俘虜の事故で亡くなった中山美穂さんのヒット曲。

心からご冥福をお祈りします。

同い年だったことに驚きましたが、代わりと言ってはなんですが、遠慮なく、ツイて、ノッていきたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

いよいよ本格始動します‐2160‐

昨日は、昼から阪神百貨店向かいの、梅田阪急ビルオフィスタワーへ。

正確に言うと、大阪梅田ツインタワーズ・ノースに名称が変わったのですが、今でも前者のほうがしっくりきます。

妻とTOTOのショールームに来る日がやってくるとは……

「上町のアトリエ兼住居」のモノ決めにやってきました。

家を建てるのに、TOTOが一切使われないことは、あまり無いかもしれません。

日本が世界に誇るメーカーですから、モノが良いのは間違いありません。

しかし、普段クライアントに勧めているグレードは、金額的に使えなさそうです。

ヨドバシカメラ前の歩道橋を渡って、グランフロントに移動します。

この歩道橋、出来た時から屋根部にフレームがあります。

いつか屋根を架けたいんだろうなと思っていました。

ヨドバシカメラに接している部分のみですが、ついに屋根が架かっていました。

これはヨドバシカメラがお金を出しているのでしょうか。

全部に屋根が架かると、移動がとてもしやすくなるのですが。

グランフロントのサウスタワー内にあるリクシルに移動しました。

便器と同じく、キッチンもあまりお金を掛けられずで、既製品を見に来たのです。

前の家では、置き型の食洗器が壊れてから、大分文句を言われているので、食洗器だけは必須になると思います。

普段から、金額調整はかなりシビアにやっていますが、かなりの減額に迫られそうです。

最後はグランフロントのノースタワーにあるミラタップ

最近、サンワカンパニーから名称が変わりました。

衛生機器類は比較的リーズナブルで、多めの採用になりそうです。

私にとっては、普段のショールーム巡りの定番コースですが、妻は「疲れた」と。

それならと、ひとりでグランフロントの屋上まで上がってきました。

グラングリーンが9月に街びらきをしましたが、まだ訪れたことがありません。

せめて全体像を見ておきたかったのです。

プリツカー賞を受賞した、SANAAが大屋根を設計したイベントスペースが中心に見えています。

かなりの人出ですが、何があるのか全く知らないので、是非寄ってみたかったのですが

約30年に渡って、100軒ほど設計させて貰いましたが、自分の家を建てるのは初めてです。

建築とは、改めてのお金が掛かるものだということを痛感しています。

場所と構造にこだわって中古物件を探したので、あまり工事費にはお金が掛けられず、かなり苦戦しているのです。

ただ、泣いて、喚いても誰も助けてくれないので、何とか自分で解決するしかありません。

「上町のアトリエ兼住居」 、まだ「ゲンバ日記」は名称を変えただけですが、いよいよ本格始動します。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載