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続・およそ一世紀 

 亡き祖父は、結構おしゃれな人でした。

 口髭はいつも手いれしており、出かけるときはスーツに広ツバ帽を被っていました。メガネをかけており、少し汚れが見えたので洗ってあげようと思い、手にとってみると、あまり度がきつくありません。「これで、良く見えるの?」と聞くと、あまり変わらないと。よくよく聞いてみると、ダテ眼鏡もかけていました。

 毎年、年始に岡山にある祖父宅を訪れると、食べきれない程のご馳走を用意して待ってくれていました。なかでも、食後にストーブで焼きながら食べる「へき餅」という手作りのお餅が美味しかったことを良く覚えています。

 ついた餅に卵、砂糖、練乳などを混ぜて、一旦乾燥させます。味付け海苔くらいの大きさを、厚さ5ミリくらいに切り、ストーブの上で、焼いて食べるのです。やや甘めなので、少しこげ色がつき、プーと膨らみだしたら食べ頃です。時間がたちすぎて乾燥しすぎたものは、油で揚げても食べていました。

 裏山にある果樹園をこよなく愛した祖父は、そこからの眺めが大好きでした。果樹園へ向かう山道の中程に、先祖代々のお墓があります。

 自らが愛した、山と小さな港町を眺めながら、ゆっくりと過ごすことでしょう。

およそ一世紀

 一昨日、明治45年(1912年)生まれの祖父が、93年の生涯を閉じました。

 祖父は明治、大正、昭和、平成と生きた93年の間に、第一次、第二次世界大戦を体験し、戦後の激動期を生抜いてきました。

 材木の販売で身を起こし、働き通しだった祖父の晩年の楽しみは、家の裏山にある果樹園で、桃、柿、スイカなどの、手入れに出かけることで、入院する半年前まで元気に出かけていたようです。

 年に2回ほどの親戚の集まりでは、お酒を飲んではご機嫌なようすで頬を真っ赤にしていた姿を思い出します。お酒をこよなく愛した祖父の棺に、祖母が小さなビンを3つほど入れていました。

 日本酒、養命酒、はちみつ、だったそうです。天国でも、ご機嫌で晩酌していることでしょう。

 告別式の日、祖父の暮した瀬戸内海の港町は、雲ひとつ無い快晴でした。

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お墓参り

 5/30(日)に、岡山へ私の父方の祖父のお見舞いに行ってきました。

 祖父は今年92歳になります。昨年の12月に、妻を連れて結婚の報告に行った時には、2階から、急な階段を自分一人で降りて来て、とりとめもない話もしましたが、今は話はできない状態でした。

 大工だった祖父は、身長は低いながら、半纏(はんてん)からのぞく二の腕は、筋肉が盛り上がっていて、私が中学生だった、70歳くらいまでは全く衰えを感じませんでした。

 ベッドに横たわる痩躯をみて、こんなに小さかったのか、と驚かされました。目もかなり悪くなっているのでしょうが、ゆっくりと来訪者を見比べる姿を見て、自分の息子、孫達が分っているんじゃないかな、と感じました。

 表情はとてもとても穏やかで、また赤ん坊に戻って行く途中のようでした。

 看病している、祖母は今年88歳になるのですが、背中が全く曲がっておらず、健脚で、私を追い越して前を歩きそうな勢いです。そして何より、よく笑います。それを見て、心配はあまりなくなりました。

 その後、祖父の家の裏山にある、先祖のお墓に参ってきました。瀬戸内海の小さな島々を見渡す、高台からの景色は、年に数回ですが、自分の「血脈」を考えさせてくれます。線香の煙と共に、気の遠くなるような、祖先のことを思いながら、少し神聖な、少ししんみりした気持ちになっていました。

 ぼんやりと、墓石に彫られていた文字を見ていると、曽祖父 享年69歳、曽々祖父 享年72歳。んっ、血脈。