タグ別アーカイブ: 大ゴッホ展

復興しないという選択肢はない‐2281‐

前回は、神戸で開催されている「大ゴッホ展」のことを書きました。

やっと会えた『夜のカフェテラス』の余韻に浸りながら、港神戸へ立ち寄ってみました。

その途中ですが、海側へ歩くとすぐに「史蹟旧海軍操練所跡」があります。

坂本竜馬も学んだと言われる神戸海軍操練所は、勝海舟が提唱して1864年に完成しています。

海外留学を経験していた勝海舟は、港と海軍の重要性をひしひしと感じていたのでしょう。

そこから50mも歩くと現在の神戸港。

海と山が近いのが、何と言っても神戸の魅力です。

海沿いを西に少し歩くと、メリケンパークの文字が見えてきました。

入り口にあるのが、建築家・フランク・O・ゲーリーによるオブジェ、フィッシュダンス。1987年の完成です。

フランク・O・ゲーリーはプリツカー賞も受賞している世界的建築家ですが、つい前日の12月5日に96歳で亡くなりました。

日本では確かこのフィッシュダンスしか作品を残していませんが、この錆問題が何度も論争になっています。

安全性の問題もあり、撤去される可能性もありそうですが、そこだけ解決できるなら、残して欲しい気はします。

バブル期はネガティブにしか語られませんが、その時代と活力をはらんでいる感じがするのです。

神戸港震災メモリアルパークは初めてやってきました。

メリケン波止場の僅かなエリアですが、当時のままの姿が残されています。

中学生の頃は、よく神戸港に釣りに来ていました。

通称「和田坊」まで渡船で渡してもらい、一晩中チヌを釣っていたのです。

大阪湾は夏は水が汚いですが、この時期はかなり澄んでくるのを思い出していました。

来年の1月17日で、あれから30年です。

「大ゴッホ展」も、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に、日本を応援するために開催されています。

昨年の能登地震もそうですが、15年に1度くらいはこの規模の地震が起こるのが日本なのです。

その後の阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、何度地震に襲われても、復興するしかありません。

ワールドシリーズMVPの山本由伸投手の言葉を借りるなら「復興しないという選択肢はない」となるでしょう。

災害に限らず、どんな困難が起こったとしても同じですが。

神戸港から元町に戻る途中に南京町があります。

神戸らしい風景で、点心も良いなと思いながらもやりすごします。

元町駅の北にある「堂源」という蕎麦屋さんまで戻ってきました。

田舎十割蕎麦と梅せいろを頼みました。

蕎麦屋さんで女性の店主は珍しいですが、とても繊細な蕎麦で大変美味しゅうございました。

物は壊れると自分では元に戻れませんが、人は食べて、寝れば、大概の怪我は治ります。

そう言えば、甲南大学のスキー部の先輩の先輩が、かなりの蕎麦通だったそうです。

その先輩がお気に入りの店が元町にあり、何度か行ったことがあります。

蕎麦の美味しさを教えてくれたのも神戸でした。

あの地震から30年ということは、私の仕事人生も30年目が間もなく終わろうとしています。

久し振りに神戸に来たのだから神戸牛でも……というレベルにはなっていません。

それでも、気軽に美味しい蕎麦を食べれるくらいにはなったので、それで良しとしておきます。

成長しないという選択肢はないので、気軽に神戸牛が食べられるようになるまで頑張ります。

そう言えば今日はクリスマスでした。皆さんも良いクリスマスを!

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

昨日は冬の雨が降る中、神戸の元町まで行ってきました。

中央に見える10階建て程のビルの手前に、オレンジのタイルを貼った、5階建ての小さなビルが見えるでしょうか。

1年の休業後、第2期アトリエmを始動した2002年の春に、オファーを貰い、リノベーションしたビルなのです。

神戸の元町は、思い出の地でもあります。

旧居留地エリアにある、神戸市立博物館まで10分程で到着。

「大ゴッホ展」にやってきました。

会期が2月1日までで、年明けは混むだろうなと思っていました。

前日、Webサイトを見ると、朝一番の9時30分に空きがあり、急いで予約しました。

今回の目玉は何と言っても『夜のカフェテラス』ですが、革新的な試みとして、5作品が撮影OK。

その中に、なんと『夜のカフェテラス』が含まれているという。

会場は、第1会場と第2会場に分かれており、第2会場に入ると、まずは『夜のカフェテラス』に直行しました。

フィンセント・ファン・ゴッホは、シャガールやクリムトと共に大好きな画家のひとりです。

『ひまわり』も『星月夜』も好きですが、『夜のカフェテラス』が一番好きな作品でした。

その他、撮影可能なのは1887年製作『自画像』。

1887年製作『草地』。

1887年製作『レストランの室内』。

1887年製作『石膏像のある静物』の、全5作品です。

しかし『夜のカフェテラス』は、構図の大胆さ、色合い、ストーリーとも群を抜いていました。

1888年製作で、80.7×65.3cmの大きさです。

1853年生まれのゴッホは37年の生涯で1作品しか売れなかったと言われています。

前半生もなかなか上手くいかず、画家を志したのは1880年、27歳の頃。

1888年、35歳の時にパリを離れ、南仏プロヴァンス地方の街、アルルへ向かいます。

その時期でも初期にあたるこの作品は、近代ヨーロッパ絵画の中で、初めて本格的に夜を描いた作品と言われ、ゴッホはこの場にイーゼルを据えて描きました。

深い青の夜空に浮かぶ多くの星は、チューブから絵具を直接キャンパスに押し付けたため、盛り上がっています。

その荒々しい技法とは反対に、描かれた1888年9月16日頃の星の位置は正確に再現されているのです。

カフェの明りは、青の補色である黄色やオレンジで描かれ互いに引き立てあいます。

更に、好んで描いた糸杉にも通じる、緑で描かれた樹のタッチも印象に残るのです。

白い衣服をまとった店員の後ろには、十字架にも見える窓の桟が描かれ、キリストを象徴しているのではないか。

店内に座る12人の客を12使徒とみたて、ダビンチもモチーフとした「最後の晩餐」を暗示しているという専門家もいます。

また夜のカフェテラスは、ゴッホが愛読していたモーパッサンの小説『ベラミ』に描かれた、貴族階級の出会いの場として描かれているのではないか、という説もあると、テレビ番組で紹介されていました。

20代前半だと思いますが、どこか展覧会で買ったポストカードです。

実家に居る時は机の横に貼っていました。

太陽に焼け、少し色あせていますし、角も曲がっています。なぜかこの小さなポストカードが大好きでした。

オランダへ行って、本物を観たいと思っていた作品に、神戸で会えるとは……

1888年の2月、故郷のオランダにも似た、アルルの風景に出合い、ゴッホの才能は一気に開花しました。

1888年9月『夜のカフェテラス』、1889年1月『ひまわり(15本のひまわり)』1889年6月『糸杉』、1889年6月『星空夜』、1890年7月『カラスのいる麦畑』……と、短い期間に、色彩豊かな傑作を生み出し続けました。

しかし、1890年7月27日拳銃で自殺をはかり、7月29日にその生涯を終えました。

ゴッホの唯一と言って良い理解者だった弟・テオは画商でもありました。

兄の死後すぐに回顧展を開くと、ようやく作品が売れ始めます。

しかし、それを見届けるように、テオも1891年1月に33歳で衰弱死するのです。

せめて後2年、3年でも生きていたならと、誰もが思う人生でした。

しかし、一市民にここまで書かせる(勝手に書いているのですが)作家は滅多にいるものではありません。

この展覧会は、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に催され、福島、東京へと巡回していきます。

第2期として、2027年には『アルルの跳ね橋』がやってきて、再び神戸、福島、東京を巡るようです。

極上のアートには、人を勇気づけ、心を洗う力があると信じます。

人は逞しい。

無念の中、生涯をその絵に託した兄弟のためにも、そうありたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
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