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「ほんもの」と「いかもの」‐1425‐

 今日は昼から、上京区で進めているオフィスビルの現場へ行っていました。

 この現場は二条城のすぐ北にあります。

 大阪の現場からの移動でしたが、少し早くついたので初めて立ち寄ってきました。

 堀川通りに面する東大手門は、いつも観光客であふれているのが車からみえていたのです。

 二条城は1603年、徳川家康によって築城された平城です。

 本丸には5層の天守閣がありましたが、1750年の落雷で焼失しています。

 よって、いわゆる城らしい佇まいは濠を残すのみ。

 今年は「イヤダロナ」で覚えた大政奉還から150年。

 徳川慶喜が天皇家に行政の権限を戻すと宣言したのが二条城です。

 まさにここから近代が始まったのです。

 東大手門から入り、西に進みます。

 唐門をくぐると、二の丸御殿が正面にみえてきます。

 唐門のきらびやかな彫刻は、日光東照宮を彷彿させます。

 しかし、他の建築と比べると多少違和感を覚えるのも事実なのです。

 二の丸御殿の正面に立ってみます。

 手前に見えるのは車寄せ。牛車で入れる大きさになっており、檜皮葺きは神社建築を思わせます。

 その奥の高い大屋根は遠侍と呼ばれる棟。

 瓦屋根は、日本建築の迫力をもっとも感じさせるもの。

 妻面には大きな菊の御紋が施されています。

 これは天皇家に敬意を示したものでしょう。

 残念ながら内部の撮影は禁止でした。

 二の丸御殿は、多くの棟が雁行しながら繋がっています。そのすべてが世界遺産であり、国宝に指定されています。

 その中央あたりにある大広間が、大政奉還の実際の舞台となったところです。

 棟の前に中庭があり、写真を撮ってみるとそのケラバにも菊の御紋がみえました。

 しかし、さらにその上の鬼瓦には葵の御紋が。みてとれるでしょうか。

 当然ながら、葵の御紋は徳川家の家紋。

 このあたりに、歴史、建前、プライドが見え隠れして、とても面白いのです。

 建築家・磯崎新の『建築における「日本的なもの」』という著書に、以下のようなことを書いています。

 ブルーノ・タウトという建築家が、伊勢神宮、桂離宮を天皇的で「ほんもの」とし、日光東照宮を将軍的で「いかもの」と表現した。

 磯崎はこれらを、ハイアート、キッチュと区別しています。

 270年の平和を築いた徳川家を、馬鹿にしたい訳ではありません。しかし、こと建築においてはブルーノ・タウトの説を支持したいのです。

 今日、プロ野球のドラフト会議が開かれました。

 高校生スラッガー、早稲田の清宮幸太郎選手は7球団からの指名があり日本ハムが交渉権を引き当てたとニュースにありました。

 過去のドラフトでは8球団からの指名が最高で、その1人が野茂英雄です。

 彼が本物であることは説明の必要はありません。

 多くの球団が指名したとしても、大成していない選手もいます。

 「やっとスタートラインに立てた」というコメントが載っていましたが、868本以上のホームランを打ち、是非、本物中の本物になって欲しいものです。

 もちろん、人のことを心配する前に、自分の精進、自社の精進です。ハイアートを目指すしかありません。

 「ほんもの」と「いかもの」が混在する場所。二条城はとても面白いところだったのです。