2週間程前、富田林へ行く機会がありました。
久し振りにPLの塔を真近でみましたが、その迫力に圧倒されます。
高さ180m、設計は日建設計。1970年8月1日の完成です。
野球部の消滅問題や、清原の事件で良い話を聞きませんが、私達の世代で言えばPL高校は名門中の名門。
その母体となるパーフェクトリバティー教団ですが、「人生は芸術である」という教えだそうです。
人差し指がモチーフだと聞いたことがありますが、このPLの塔こそまさに芸術です。
イチローの日米通算安打が、ピート・ローズの4256本を超えました。
イチローにしろ、王さんにしろ、日本の偉大なプレーヤーはクールな人格者が多く、それゆえ頂点にまで登りつめたのだと思っていました。
ピート・ローズの「高校の安打も含めてくれ」とはまるで駄々っ子のようにも見えます。
また、張本さんは、イチローがこの記録を達成したら「アメリカにざまあみろと、言ってやりたい」と発言していたので、やはりパーソナリティーによるようです。
彼らは、闘争心で結果を出してきたタイプなのだと想像できるのですが。
最近、家族でハリー・ポッターの映画を観ています。
原作は、J・K・ローリングの初作品にして、言わずと知れた世界的ベストセラーです。
主人公のハリーは、自分が魔法使いであることを知り、両親を殺したヴォルデモートと対決するというストーリー。
ハリーは生まれながらにして、特殊な力を持っており、その成長が描かれる壮大な物語です。
映画は初めて観ましたが、大人も十分楽しめました。
スーパーマンを劇場で観たのは小学校の時。「自分にも何か特別な力があればいいのに」と思ったものです。
あれから40年が経ち、分かったことは「特別な力など無い」と言う事です。
日々の積み重ねだけが、僅かに自分の長所を伸ばしてくれると言う事だけを学びました。
ハリー・ポッターを観終わって、子供にそんな話をしてしまいました。
全く夢のない話とも言えるし、夢だらけの話でもあるのですが、子供達はどう感じたのでしょうか
イチローの4256本目のヒットは、捕手前の内野安打だったようです。これも全力疾走の賜物ですが、2009年に彼の内野安打に対しての考えを書きました。
その中で、私はこう書きました。
5年程前に、MLB経験のある現、楽天の中村紀洋選手がイチローに「セーフティーバントみたいな、せこい事をするな」とメッセージを送っていました。彼の意見も分からなくはありません。しかし、どちらが目的に純粋かは明らかです。
中村紀洋選手は、一流の長距離打者でしたが、やはり視点の違いが、そのまま結果に出ていると思います。どうみられるかではないのです。
芸術の定義を、北大路魯山人の言う「心を動かしえるもの」とすれば、スポーツは芸術です。勿論、人生も芸術たりえるでしょう。
ダーウィンは「137億年の進化は緩やかに連続している」と言っています。
イチローの「準備がすべて」という言葉がより厚みを増して聞こえてくるのです。