
7月5日(日)の18:05からNHKで放送があった『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』。

お金をテーマにした番組ですが、昨日の放送は「瓦」がテーマでした。

その中で、ガラス瓦を取り上げるので「回遊できる家」の写真を使わせて欲しいと連絡があったのは4月の中頃でした。
アシスタントプロデューサーの方と数度やり取りして、画像を番組で使用することに承諾しました。
2ヵ月半も前から、そんな準備までしているとは、さすがNHKだと納得もしました。
ただ、キャプションにアトリエmと入れて欲しいとお願いすると「会社名はだめなんです」と。

それはそうかと納得し、私の名前だけ入れてもらいました。
NHKで露出したのは初めてだったので、一応リアルタイムで観ました。
どんなことでも、取り上げられるのは嬉しい事ですから。

「回遊できる家」の屋根上部にガラス瓦が使われているのが見てとれるでしょうか。
さすがにNHKはお目が高い。

しかし、この作品は本当に良くメディアに取り上げられます。
最高の孝行息子なのです。

週末は、晴れ間を狙って少し遠くまで走ります。
千日前通と疎開道路の交差点が「玉津3」です。

千日前通を西に戻ると鶴橋なので、ザ・下町と言ったところ。

東に進むと、南側は古い町屋が多く残っています。

反対に、北側は新しい建物が混在していました。
こちらは、理容店のカンバンのようです。
「さすがは大阪!」という声が聞こえてきそう。道頓堀へ行かずともこのクオリティなのですから。

更に東へ行くと、『松下幸之助起業の地』という看板を見つけました。

2分歩くと、お寺の前に石碑と案内板がありました。

1894(明治27)年生まれの松下幸之助は、9歳で親元をはなれて大阪で丁稚奉公をはじめます。
15歳で大阪電灯株式会社の配線工となり、1917(大正6)年、22歳の時にこの場所で独立します。
「松下式ソケット」を事業化するためですが、四畳半と二畳の借家の小さな工場で、妻と義弟の井植歳男が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越え、世界的大企業とする基礎が培われたのです。
東成・生野(旧・猪飼野)は、古代から先進的な技術者の集まった土地で、幸之助がここで業を興したのも、新しい産業を受け入れる土壌がこの地にあったからにほかならない、という説明もありました。
テレビ、ハードディスクレコーダー、髭剃り等など、我が家でもPanasonicはいたるところにあります。その全ての始まりの地を見れ、何だかテンションが上がったのです。
松下幸之助は本当にケチだったと聞きます。
「回遊できる家」も本当に予算がない、でも明るい家にして欲しいというリクエストから、苦肉の策で、ガラス瓦を採用したのです。
私も1996(平成8)年に天王寺の四畳のワンルームマンションで起業しました。
同列で扱うのはおこがましいですが、大阪の土壌があったからこそできたのだと思います。
「無い」は「工夫」を生み、「違い」を生みます。
何でもそうですが、高い方が良いという人は居ません。
どんな大変も「ネタ」に。私の物づくり人生はまだまだ続くのです。
■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』で「回遊できる家」が紹介されました■■■
■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■
■10月1日『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■