土曜日は天気予報通り、とても良い天気に。
三宮まで足を延ばしてきました。
私世代は新神戸オリエンタルホテルのほうがピンときますが、現在はANAクラウンプラザホテル神戸。
ダイエーの総創業者、中内功肝いりのプロジェクトで、竹中工務店の設計施工でした。
1988年の完成当時は関西一高いビルでしたが、規模だけでなくフォルムも素晴らしいのです。
新神戸駅の東まで歩き、竹中大工道具館に行ってきました。
現在「イサム・ノグチ TOOLS」という展覧会が催されています。
竹中工務店の元本社後に建つ軒の深い建物は、新緑にまぶしいばかりです。
イサム・ノグチは、1904年、詩人・野口米次郎と作家・レオニー・ギルモアの間にロスアンゼルスで生まれました。
父は彼の誕生前に日本に戻ってしまい、女手ひとつで育てられますが、2歳の時に父を頼って母子は来日します。
母 レオニー は感受性の強かったイサムの能力に気づき、地元の指物師のもとに見習いに出しています。
そこで、木工用の道具に親しんだことが、ものづくりに目覚めるきっかけとなりました。
その後、母の勧めで13歳の時に再びアメリカに戻ります。
苦学しながらも彫刻家として生きる決意をしたイサムは、22歳の時に彫刻家・ブランクーシに弟子入りします。
そこで石彫を学び、その才能が開花していくのです。
晩年は日本の香川県にもアトリエを構えています。
勿論のことですが、石彫のための道具はひと際多く展示されていました。
イサムはより硬い石、玄武岩の作品を多く作るようになっていきます。
硬い石の彫刻の際は、目を守ることが必須だったと思います。
色々あった道具の中でゴーグルが特に印象に残りました。
岐阜へ立ち寄った際に見た提灯に興味をもち、和紙と竹でつくる照明「あかり」を発表します。
20世紀初頭、アメリカ人にも日本人にもなりきれない自分にイサムは思い悩んでいました。
しかし、それらの経験も全て創作によって作品へと昇華したのだと思います。
柔軟な考え方で様々な素材と向かいあい、どのような道具も使いこなした器用さと技術が、孤高の天才彫刻家を支えていたのです。
この 竹中大工道具館には、子供達は何度か連れてきたのですが妻は初めてでした。
思いのほか面白かったらしく、しっかり見て回っていました。
特別展示と別のフロアには、常設展示もあるのですが、その質も大変高いのです。
大正の名工、千代鶴是秀の残した鑿(のみ)は、吸い込まれそうな美しさでした。
同時に、背筋が寒くなるような妖艶さまで漂わせています。
イチローのバットづくりも担当していた、元ミズノのバット職人、久保田五十一さんは落合博満元監督にこう教えられたそうです。
商品は人が手にして喜ぶもの。道具は人が手にして使うもの。遊びはいっさい不要。
本物の道具を見た時、いつもこの言葉を思い出すのです。
■『建築家・守谷昌紀TV』 ■
■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 で「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載
10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
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