祭りの後は、
水揚げ、大漁?
祭りの後は、
水揚げ、大漁?
設計で悩んでいる時は、朝早くにウロウロと散歩へでかけます。
建築は生活の産物なので「ヒントは必ず実生活にある」との考えからです。なので、必ずしも名建築を見るだけが、勉強とは思っていません。それは、海外の街でも同じことなので、名建築と下町の路地、寺院と市場の両方を見て廻ります。個人的には、知らない街の怪しい市場が一番面白いのですが。
その日の朝も、行き詰まっていた計画のことを「アーでもない、コーでもない」と頭をグルグルさせながら歩いていると、家から少し離れた、昨年9月に完成した「つるみ歯科クリニック」の近くまで来ていました。久しぶりに寄ってみると、「キソケイ」の小振りな黄色い花が咲いていました。
自分が設計した建築ですから、かなり贔屓目は入っていますが、「ウン!美しい、とっても合っている。やっぱり、キソケイで良かった」などと早朝から、ひとり納得して、ブツブツと・・・・・・
大阪の地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽丘から、「四天王寺さん」へ向かう参道を南へ少し下ると、”欧風カレー工房 チロル”があります。
店主は、大学生時代から現在に至るまで、競技スキーで競ってきた、同級生です。現在は夫婦でお店に立っていますが、彼も経営者のご多分に漏れず、ちょっと変わり者です。
有名大学をでてから25才までは、大手の企業に勤めていました。ある日、会社を辞めて飲食業の世界に入りました。経営者に信頼さた彼は、あるお店を任されるようになり、横浜まで行っていた事もありました。
29才の時、結婚を期に大阪に帰ってくると、朝は、知人の八百屋さんの手伝い、昼はトラックの運転手という生活が続きましたが、昼のトラックの運転手のみ辞めて、今度は夫婦でカレーの車上販売を始めたのです。”チロル”車の上店の誕生です。今から5年前のことです。
車上販売で、お昼時にオフィス街などを回ると、結構な評判を得て、雑誌やテレビ等でも取り上げられました。しかし車での販売は、規制も多く、3年前にこの地に”チロル”地上店をOPENすることになりました。
初めての店作りの時には、私も友人として、少しは相談に乗りましたが、ガラス屋さんのお父さんのツテを頼って、ほとんど手作りで、お店を作り上げました。それから3年間、2人は懸命に頑張って、お店の基盤も出来て、正面部分をリニューアルしようという事になり、私に設計の依頼が来た訳です。
友人ですから、許してくれると思いますが、予算的にも規模的にも、設計が入るには厳しいものでしたが、店主には私が仕事を始めて一番大変だった時期に、いろいろとお世話になっていたこともあり、お手伝いさせて貰おうと決めました。
彼らの仕事は非常に丁寧です。食材の安全性については”そこまで!”というくらいに、こだわっています。また、主役のカレーのバリエーションはもちろんですが、洋風のお惣菜から、デザートまで、多彩な品揃えです。デザートも、「かぼちゃのチーズケーキ」や「アールグレイのババロア」など種類も豊富。しかも全て手作りで、かなり安い!そして美味しい!
力説するほど、野暮ったくなるので、このあたりで止めておきますが、カボチャのチーズケーキを作っているカレー屋さんって、ちょっと無いのでは?
現在休みは日曜日だけで、平日は11:00am~8:00pmまで営業しているので、是非一度、お立ち寄りあれ。そして、私が保証する、人柄に触れてみて下さい。
住所:大阪市天王寺区四天王寺1-12-4南ビル1F
TEL:06-6773-0149
現在は高山に移転し、営業されています。
ある経営者の方とお話していました。
「今までは、家族のため、社員のため、と思って頑張ってきたけど、これからは、家族と共に、社員と共に、頑張らなアカン!」と仰っていました。「共生」の思想です。
自宅のダイニングには、書家「相田みつを」の作品が、ひと月分の31枚が綴られた、日めくりカレンダーを掛けています。
10日の作品には、ちょっとドキッとさせられます。
人の為と書いて、いつわりと読むんだねえ みつを
仕事をするのは、 自分の為?家族の為?クライアントの為?多分、誰かの為にする事じゃないんだろうな、って思います。
そう考えるようになったのは、「京セラ」の稲盛元会長の“社会こそが、自分を磨く最高の道場”という言葉を聞いてからです。
仕事をするという事は、修行をするということなのです。
今日は、長男の初節句。
義父母からの贈り物です。なぜ五月五日は「鯉のぼり」何でしょう?
端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾り男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からのようです。
室町時代には、戦のノボリが起源となって「吹き流し」を上げていたようですが、中国の故事から、“鯉の滝のぼり”は立身出世の例えとされるようになり、ノボリも鯉の柄が主流をしめるようになったようです。
五月五日という日の起源は中国から伝わったという説、元寇の勝ち戦が五月五日だったとか、足利尊氏の天下統一の日だったという説もあるようです。
しかし、今年のゴールデンウィークは天気が良くて、本当に爽やか!半村良の小説に「八十八夜物語」というあるホステスの人生を描いた、傑作があります。“女の一生を一年に例えるなら、八十八夜の頃が一番良い”というくだりがありました。
八十八夜は、立春からかぞえて八十八日目、現在の暦で言うと5月2日。人の年齢に換算すると、二十代前半頃でしょうか。正に一年の中でも、人生の中でも最高の時期かもしれません。
と、いう訳で、仕事が残ってしまい、自分が遊びに行けないとなると、羨ましさも一層です。ワタクシ、現在、百五十九夜。
現在、ゴールデンウィークの真っ只中。しかし、幸せにも、残念にも、私は仕事であります。
この間、母に「風呂場で、子供にオシッコを掛けられた」という話をしていると、「そう言えば小さい頃、銭湯の湯船の中でウンコをしてしまって、プカプカと浮かんで来た時は、慌ててタオルで隠したワ」と笑っていました。私の小さい頃の話です。
ん。という事は、風呂が無かったということ?
父は今も、ガラス屋を営んでいますが、私が1歳になるころ、現在の場所に引っ越して来ました。それまでは、四畳半と三畳、二間きりの長屋を借りて、四畳半の部屋を仕事場に改造し、三畳間で父、母、父の従兄弟の3人で生活をしながら、ガラス屋を始めました。考えてみれば風呂などあるはずも無かったのです。
1970年、昭和45年の話です。大阪万博が開催され、高度成長期の真っ只中で、仕事も本当に忙しく、大阪には活気が漲っていたそうです。
当時の色あせた写真を見ると、大阪の下町の風景が見て取れます。舗装されていない道路、所々に残る田んぼ、角ばった無骨な車、そして華奢な家々。家同士は密集しており、道が広いわけでも無いのに、何故か街はゆったりとしていて、開放感があるのは、家が軒並み2階建てだからでしょうか。
建築の設計をしていると、いつも繰り返し考えます。「街も家もどんどん便利になっていく。しかし、良くなったんだろうか」ということです。
私の家も含めてですが、多くの事が家の中で完結できるようになると、地域との関係は自然と粗になって行きます。ご近所に頼らなくても、何とか暮らせるからです。お風呂屋さんに行かなくても良いし、映画館に行かずとも、テレビでも結構な画質と音でDVDを観ることができます。便利で快適ですが、本当に良い事だけなのかな、とも思います。
懐古的な発想だけでは、前には進めませんし、クライアントの要求に応えるのが、職業建築家の仕事です。しかし、便利さによって失なうものがあるかもしれない、という気持ちは常に持っていないと、もっと大きなものを失うかもしれません。明快な答えと方法が有るのかと言われれば、口ごもってしまう部分もありますが、建築を通して、自分なりの提案はして行きたい、と。
親が風呂の無かった昔を思い出し、大変だった事を、嬉しそうに話すのを見て、そんな事を考えました。
ちょっと気分を変えて、日記の背景を変えてみました。
今週は、月曜日の朝から兵庫県尼崎市での列車事故の一報がありました。事故の重大度は、亡くなった人の数で決まるものでは無いと思いますが、誰が犠牲者になっても、全く不思議の無い場所で、100人近くの市民が亡くなるというのは、どうにもやりきれない気持ちになります。
状況は、新聞やテレビで刻々と報じられています。
その情報の中に、複雑に絡み合った数十秒刻みのダイヤがありました。専門家が言っていましたが、これを守れるのは日本以外ではあり得ない事で「神技」レベルとも言える、と。
ラッシュの時間帯の電車に乗ると、プラットフォームに電車が到着した瞬間から「間もなく、ドアを閉めます。急いで、ご乗車下さい」のアナウンス。神技を要するダイヤを守るためには、そういうアナウンスにならざる得ないでしょう。
今回の事故の原因が何だったかは別にしても、私達日本人も、定刻を守らなかったから、といって駅員にクレームを付けたり、必要以上に約束の時刻を守る事に固執するのは、止めたほうが良いのかもしれません。もっと大事で、守らなければならないものがあると・・・・・・。
どんな人でも、命を懸けてまで急ぐ場所など、無いのですから。
半年ぶりに奈良県の南端にある湖へ、釣りに行って来ました。
今年は稀に見る、花粉の飛散量の多い年のようです。昨年までは、春先からは少しくしゃみが多くなるな、という程度だったのですが、今年は違いました。完全に花粉症です。
その上、吉野杉、檜で埋め尽くされた山々に囲まれた湖に、ボートを浮かべていると、取れたてのフレッシュな花粉が、絶え間なく降り注いでくるわけです。
おりしも当日は一日中強風が吹き荒れ、花粉は乱舞し、釣りをしながらも、水のような鼻水は垂れ流しのまま。静かな山上湖には、くしゃみの音が延々とコダマしていました。くしゃみのしすぎは本当に体力を消耗します。その上、誰にぶつける事も出来ない不快感。
花粉の治まるゴールデンウィークが本当に待ち遠しい。
花粉症が完治する薬を発明したら、多くの人に感謝された上、ダイナマイトを発明したノーベル級の財を築けるのでは?
現在、大阪の天王寺に設計中の現場があります。帰り道を歩いていると、美しい夕焼けでした。
25歳の時に、成り行きで、勢いあまって、建築設計事務所「アトリエm」を立ち上げました。親などの「まずは、自分の部屋で始めたら?」という声に反発して、JR天王寺駅のすぐ北に4畳一室の部屋を借りました。
天王寺だった理由は「梅田や本町では家賃が高いから」と言っていましたが、正直に言えば実家から近いというのが何よりの理由でした。
天王寺には、5年ほど事務所を構えていたので、街には愛着があります。聖徳太子によって建立された四天王寺などの、お寺が有るかと思えば、終戦直後、ドヤ街が増殖していった際の、薄暗い路地が残っていたり、動物園、美術館、百貨店があったり、チンチン電車が走っていたりと「ごった煮」のような街です。
その路地をウロウロしていると、突如として2000円で「羊の脳みそ」を食べさせる、洋食屋が現れたり、350円で刺身を食べさせる居酒屋があったりと、なんとも楽しいのです。
当時、仕事を始めたばかりの私は、当然仕事のスピードも遅く、毎日深夜までドロドロになった頭で、必死に図面を描き、あがいていました。兎に角、部屋が狭かったので、行き詰まると深夜の天王寺を徘徊したものでした。
夕焼けを見ていると、少しセンチメンタルな気分になって、生ぬるい夜風を思い出しました。