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狂気の行くさき‐1406‐

 先日島根をまわった際、出雲大社も訪ねました。

 前回訪れたのが2013年の11月

 拝殿の西に位置する「庁の舎(ちょうのや)」を初めてみました。

 過去に見たことはあったはずですが、初めて菊竹清訓という建築家を意識してみたというほうが正確です。

 神在月に多くの参拝客が訪れる中、夢中でシャッターをきりました。

 子供達にも見せておきたいと思ったのですが、この3月に解体が終わっていました。

 様々な団体から、保存を呼びかける運動があったのですが、叶わなかったようです。

 右奥に拝殿の屋根が見えるので、前回もこの辺りから撮影したことになります。

 今回の島根行きでは、宍道湖湖畔にある県立美術館にも立ち寄ってきました。

 菊竹清訓の設計で、1999年の開館です。

 有機的な平面に大屋根がかかり、展望テラスが穿たれています。

 西に位置する宍道湖に対してガラスの大開口が開き、沈む夕日が見られるのでしょう。

 晴れた日にもう一度訪れてみたいものです。

 屋根の構成は、2014年の夏に訪れた九州国立博物館に似ています。

 上階にいくにしたがって、小さくなる平面を大屋根が一体の空間にまとめているのです。

 初めて菊竹作品を訪ねたのは2009年の3月

 1958年完成の自邸「スカイハウス」。

 軽やかに持ち上げられた上階に、家族の変化にしたがって下階にユニットをつけ加えていくというコンセプトです。

 近代建築におけるエポックメイキングとなりました。

 吉野ヶ里歴史公園センターは2000年の作品。

 2015年の9月に訪れましたがその大屋根の存在感は際立っていました。

 その際に、小倉の北九州メディアドームへも足を運びました。

 1998年の作品です。

 「スカイハウス」、「庁の舎(ちょうのや)」で、菊竹の狂気に魅せられ、菊竹詣でを始めたのです。

 出雲大社では建て替えに至ったの経緯についてのパネルが張りだされていました。

・雨漏りによって銅板で屋根を葺きなおした。
・漏水により地下室は水浸し。
・斜壁に無数の亀裂。
・雨漏りのため柱内に樋をとりつけた。
・斜壁の柱から毎日無数に白い粉が落ちてくる。
・それゆえ、宝物殿を別に建てることになり、多額の経費が必要になった。

 内容は非難一辺倒でした。

 その宝物殿も菊竹の設計です。

 「庁の舎」の雨漏りによるこの惨状は疑いようもありません。

 2013年に訪れた際も、前日に少し降った雨が、まだにじんでいました。

 この建物は第15回日本建築学会賞作品賞を受賞しています。

 建築は人類の幸せの為にあるものなので、クライアントからすればこの建築は失格です。

 この結果に対して、弁解の余地はありません。

 狂気の行く先に、幸せはありませんでした。

 しかし、誤解を恐れずいえば、これを芸術と解釈するなら、違った選択があったかもしれません。

 先日、北大路魯山人を女優・樹木希林が語る番組をみました。

 魯山人は稀代の芸術家でありながら、美に厳しすぎたがゆえ他者との確執も絶えなかったといいます。

 彼女はこんなことをいっています。

 持って生まれたほころびを、修繕しながら生きているという感じがする。

 70歳をすぎ、なおそう思うようになったという彼女は左目を失明し、全身に転移する癌ともたたかっているといいます。彼女にすれば共生しているのかもしれませんが。

 以下は魯山人の言葉です。

 途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。

 狂気は諸刃の刃です。しかし、私が菊竹、魯山人に惹かれるところがあるのは事実なのです。

みんな寝ている松江、まずは自分が頑張れ<行ってはいるが島根編>‐1404‐

 今日、8月14日(月)は杜の都・仙台に。

 居るはずでした。

 あるプロジェクトのスケジュールがよめず、夏季休暇の予定は全てキャンセル。
 
 47都道府県を制覇するつもりだったのですが、目標は持ち越しです。

 それもあって、今朝は早起きして全米プロゴルフ選手権を観ました。

 松山英樹25歳。最終日の後半を単独首位で折り返しました。

 観ているだけでも力がはいります。しかし、最終的には3打差の5位でホールアウト。

 メジャータイトルへは僅かに届きませんでした。

 1日位はどこかへ連れていこうと、11日の山の日は島根へ行ってきました。

 通過はしているが、子供の記憶に残っていない県の1つでした。

 宝塚トンネルの渋滞を避けるため、朝の4時半に出発しましたが、この時間でギリギリ。

 米子道からみる大山は「伯耆富士(ほうきふじ)」にふさわしいたたずまい。

 この日は雨予報で、晴れは早朝まででしたが。

 400km弱走って10時頃に石見銀山(いわみぎんざん)に到着。

 2007年に世界遺産に登録された文化遺産で、江戸情緒を残す街並みも一緒に指定されています。

 車の立ち入りが制限されているので、自転車を借りました。

 豊島に行ったときは娘の身長がたらずで、電動自転車が借りられませんでした。

 へそを曲げてしまい大変だったのですが、今回は雪辱戦です。 身長130cmくらいが分岐点になるよう。

 石見銀山は16世紀半ばから17世紀前半の最盛期には、世界中で産出される銀の3分の1を産出しました。

 日本における銀のかなりの割合を占めたのですが、大変質が高く石見銀山の所在する佐摩村(さまむら)にちなんでソーマ銀と呼ばれました。

 龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)は中に入ることができます。

 こちらは精錬所跡。

 世界遺産に子供は大概興味がないもの。

 花より団子です。

 緑の中、茶店の縁側で一服しました。

 このあたりは、淡路瓦、三州瓦とならぶ瓦の産地です。

 石州瓦は赤茶色が特徴で、同じ色の屋根が続く街並みはとても美しいのです。

 石州は石見の石から来ているのかもしれません。

 昼食は名物、出雲(割子)蕎麦になりました。

 石見銀山から出雲大社まで、東に50kmほど移動します。

 雨が本降りになってきました。

 前回来たのが2013年の11月。

 式年遷宮の年で大しめ縄も新調したてでした。

 中でも「菊竹の狂気‐1011‐」として拝殿西にある「庁の舎(ちょうのや)」を取り上げました。

 子供にも、この建物は見せたいと思っていたのですが……ない。

 保存運動をしていたことは知っていましたが、解体が終わっていたとは全く知りませんでした。

 通りがかりの神官に聞いてみると「この状態になったのは今年の3月頃だったでしょうか」と。

 残念。

 この件については回を改めて書こうと思います。

 なにかすっきりしないまま、更に東へ50km移動。

 松江は、宍道湖の東に広がる城下町です。

 水都といわれるだけあり、水のある景色が美しい街でした。

 宍道湖湖畔に建つ島根県立美術館。

 当の菊竹清訓の設計です。

 松江は雨、曇りが多いことでも知られますが、それを逆手にとって、市はこんなアピールをしています。

 松江に降る雨は、縁雫(えにしずく)といって、あなたのもとへ素敵なご縁を運ぶ雨なのです

 縁雫に打たれながら堀川めぐりの船に、と思っていたのですが、私以外の3人は本気睡眠モードで、全く起きる気配なし。

 ここまでやってきて、1人で街をめぐることになりました。

 まあ、朝の4時起きだったので仕方がありませんが。

 子供とは、夜10時までに妻の実家へ送る約束をしていたので、夕食は車の中で済ませることになってしまいました。

 残念ながらコンビニおにぎり。

 「宍道湖七珍」は、鱸(すずき)、モロゲエビ、うなぎ、アマサギ、白魚、鯉、しじみと7種の魚介類のこと。頭文字をとって「スモウアシコシ」というそう。せめて鱸だけでも食したかった……

 次回は七珍に必ずありつきたいと思います。

 「人を感動させるもの」を芸術の定義とするなら、トッププロの試合はまさにアートです。そして観るものに力を与えます。

 これは建築も同じはず。

 そこを目指して、日々を頑張るしかありません。

 現在の結果は、昨日までの全行動の結果です。

 未来を信じて、また今日を頑張るしかありません。松山頑張れ。でも、まずは自分が頑張れです。

 
<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

ビッグスター‐1012‐

 嘘は絶対駄目です。

 嘘をつくと、それを覚えておく必要があります。ある時、これはかなり面倒だと気付きました。言ってみれば、頭がドライブの重いパソコンになったようなもの。

 全てにおいてマイナスしかありません。という事は、勿論嘘をついた経験があるということですが。

 先週末、出雲ので建築家展が終わったあと。

 電車まで少し時間がありました。

 一緒にイベントに出ていた建築家と「ちょっとラーメンでも」という話になりました。

 駅前を4人で歩いていると、いい感じの屋台を発見。

 中に入ると更にいい感じ。

 ベニヤにマジックで書かれたメニューには、ラーメンが500円、おでんが100円とあります。

 おばちゃんがおしゃべりとくれば、もう完璧。

 ささやかな打ち上げになりました。

 おばちゃんもエンジンがかかり、いろいろな話しをしてくれます。

 前日、タレントの博多華丸・大吉が来ていたそうです。屋台が大好きだそうで、ベニヤにサインもありました。本当に感じが良かったそうです。

 ひとしきり盛り上がったあと「そろそろ時間なので」と立ち上がると、ひとりに向かって「あれ、あんたもタレントさん?」と言い始めました。

 その方はとてもおしゃれで、かなり恰好がいいのです。全員が、大きな荷物を持っていたこともあってか「ああ、絶対そうや」と。

 冗談で言ってる感じではなかったので、その方が「ええまあ。韓国の方ではちょこちょこと」のような事を言ったのです。

 「ああそうや、やっぱりビッグスターなんや」と言いだしたのです。店を出ると、背中にむかって「まて来てや~」と。

 覚えておかなくて良い嘘は、ジョークと言う。

 お後がよろしいようで。

菊竹の狂気‐1011‐

 週末は出雲市で、 建築家展に参加していました。

 出雲大社は60年に一度の遷宮の年にあたります。日本で唯一「神在月」を許されるこの地に、全国の神様が集まります。

 まさに「神迎祭(かみむかえさい)」の真っ最中。多くの参拝者で賑わっていました。

 国宝の本殿は、今年屋根が葺き替えられました。檜皮にも、新しさを感じます。

 門をくぐると、まわりには荒々しくゴロタ石が敷き詰められてします。

 神様と人の結界を表し、非常に歩きにくくなっています。簡単には寄りつけないようになっているのです。

 本殿の手前、拝殿のすぐ横にある「庁の舎(ちょうのや)」。設計者は菊竹清訓で、神社のオフィスといった建物です。

 菊竹は1960年に発表されたメタボリズムの体現者。

 都市、建築には「新陳代謝」が必要という考え方です。東京で仕事が始まった時、その代表作「スカイハウス」を真っ先に見に行きました。。

 庁舎(ちょうのや)は、1963年の完成。この建物を見た瞬間から、夢中でシャッターをきり続けました。

 建物のモチーフは、稲穂を天日で干すそのフォルムです。

 しかし建物全体のイメージを決定づけるのは、側面を覆うルーバーです。これが建物内へ、柔らかな光を落としています。

 この日は朝から雨が降っていました。

 このルーバー状のコンクリートには溝があり、そこにポタポタと雨水が落ちています。

 言ってみれば、これらは全て軒樋だったのです。

 また、それに覆われているのではなく、樋と樋の間にはガラスが入っています。屋根であり、外壁であり、開口部でもあったのです。

 50年が過ぎ、わずかに雨がにじんでいました。

 これらが全て分かったとき、菊竹の狂気を感じました。

 もの創りにおいて、考え方が大切です。しかし、その考え方を動かす、情熱がなければ、何も達成できません。しかも「狂」がつくくらいでなければ、人の心など動かないと感じたのです。

 今回は仕事へ行ったのですが、多くの刺激とエネルギーを貰いました。

 出雲大社はあらゆる縁を結ぶ神様として知られます。それならこれも何か縁なのか。