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上六探検‐2167‐

地下鉄の谷町九丁目から、近鉄の上本町までは、地下道を歩くのが一般的です。

信号もアップダウンもないので、それが一番早いです。

ただ、地上を歩くと上町台地の高低差がよく分かります。

ナンバヒップスが見えていますが、御堂筋までこれだけ下っているのです。

千日前通を東へ歩いていくと、上町筋との交差点に近鉄の上本町駅があります。

千日前通は上町台地の尾根を横切るように通っているのです。

交差点は上本町六丁目。

通称「上六(うえろく)」です。

上本町駅までやってきました。

この間の、千日前通の北側にこんなビルがあります。

上六センタービル。

地下鉄の出入口にもなっているのですが、タイルの雰囲気や壁面にあるレリーフを見ると、村野藤吾の設計かもしれません。

近鉄百貨店、都ホテルも村野の設計です。

何と言っても、ここは村野のおひざ元。

少し調べたのですが、確証はとれませんでした。

レトロな階段を下ります。

踊り場にこんなお店がありました。

ジャズハウスとありますが、中も気になります。

踊り場の反対側には、迷路のような通路が伸びています。

気になってのぞいてみると、シャッター街でした。

人気がないのですが、地下鉄の通路に面しているので、アクセスは抜群です。

夜に開いているのかなと思いながら駅に向かいました。

帰りは夕方になりました。

西を見ると美しい夕焼け。

シャッター街が気になり、もう一度のぞいてみました。

昼と同様、シャッター街のままでしたが、1軒だけ入居者が居るようです。

ということは使えない訳でなないようです。

少し時間に余裕があれば、寄り道もまた楽しです。

ちょっと上六探検でした。

ご近所さんになったら、重点的に歩きまわってみたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

上町台地の稜線を歩く‐1978‐

土曜日は、近鉄上本町駅すぐ南の病院で、人間ドックでした。

結果は後ほど送られてくるのですが、片側の視力が1.0を切ってしまったのが、一番のショックだったのです……

それはさて置き、検査終わりで少し周辺を歩いてみました。

駅の北側に出ると、シェラトン都ホテル大阪が見えてきます。

設計は近鉄グループではお馴染みの、巨匠・村野藤吾です。

ただ村野色をしっかり感じさせるのは、エントランスまわりの曲面壁くらいでしょうか。

ややおとなしいデザインと言えます。

千日前通の南側、手前には近鉄百貨店上本町店が見えています。

上本町6丁目の交差点は、上町台地の稜線付近にあたります。

千日前通を東へ下れば鶴橋。

西に下れば難波。

フリーフォールのあったナンバヒップスが中央あたりに見えています。

南のあべのハルカスもかなり下がっているのが分かります。

時代が時代なら、見晴らしがよかっただろうなと思いながら歩いていると「熊野街道」の石碑を見つけました。

谷町9丁目と上本町6丁目の中央あたりで北を見ています。

白いビルのすぐ東側が、熊野街道だったことがわかりました。

うろうろしながら写真を撮っていると「阿倍野の長屋」のクライアントとばったり出くわしたのには驚きましたが。

北へ向かって、熊野街道を歩いてみることに。

こういった曲がった道は、新しい道にはない景色です。

ところどころに石碑が建っています。

提灯屋さんがあったり。

古い町屋が残っていたりと、旧街道だった面影が残っているものです。

「桃谷湯」と見えます。

現在は駐車場になっており、奥の壁にはタイルが残っているのが見えました。

それほど古そうには見えませんが、廃業したようです。

このあたりから大阪城へ向かっては、更に標高が上がります。

かなり急な坂が出て来ました。

ここを左に曲がると、空堀ど~り商店街。

ここで大きくクランクしているのです。

そうせざるを得なかった理由が何かあるはずです。

そのまま北上すると、東側がかなり低くなっているのが分かります。

このあたり、桃谷だったり清水谷だったりと、谷の名が残っている通り、上町台地に河内潟が切れ込んでいる場所が沢山ありました。

先程のクランクも、そのあたりが理由なのかなと考えていました。

そして谷町6丁目に到着。

西を見るとこちらも大阪湾に向かって下っていくのがわかります。

高低差は、地図では一番分かり難いですが、実際に歩くと本当によく分かるものです。

途中、旧家の玄関に手書きで「上汐町」という表示がでていました。

「うえしおまち」と読むのですが、歩いている時は「ここまで海がきれこんできていた名残では?」と勝手に確信していたのです。

しかし帰って調べてみると、大阪市のWebサイトに説明がありました。

上汐(うえしお) … 菅原道真が左遷される途中、潮待天神(潮待寺)において引潮を待ったという故事に由来する。冠称の「上」は南船場に所在した「塩町」との混同を避けるために冠したことによる。

残念ながら、私の推理は外れでした。

そんなことを調べていると、もう少し北へ行けば暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)との交差点があったことも分かりました。

上町台地をあるくシリーズで、また勝手な推理でレポートしてみたいと思います。


■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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