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名品珍品大公開‼の中に、本当の名品見たり‐2196‐

昨日は小雨の降る中、天王寺に寄ってきました。

ハルカスに春霞、はまだ気が早いでしょうか。

3月1日(土)にリニューアルオープンした大阪市立美術館。

オープニングイベントは「What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!」です。

東は天王寺動物園を見下ろし、鳥の声ならぬ動物の声を聞き、通天閣を眺めるアプローチは圧巻です。

これはリニューアル前から変わりませんが。

かなり久し振りなので、エントランスホールが以前とどう変わったのかが分かりません。

それでも、気持ち良い空間なのは間違いありません。

今回、画期的なのは一部を除いて撮影可なのと、ラベリングしてあることです。

佐伯祐三の「教会」はもちろん「名品」。

上村松園の「晩秋」も勿論のこと「名品」。

多くの「名品」が出展されていましたが、北大路魯山人の黄瀬戸もありました。

「珍品」は、平野区から。

6世紀とあるので、その創造性に驚きます。

こちらは「鳥人」ならぬ「羽人(うじん)」。

このイベントのマスコット的存在です。

「名品」「珍品」のダブルラベルとは、なかなか楽しませてくれます。

そもそも、アートにラベリングするという発想が凄いのですが。

非常に多彩な展示会ですが、陶器も充実していました。

こちらは、樂家三代目の道入(どうにゅう)。

別名「のんこう」として知られる、樂家随一の名匠です。

赤樂の深い色合いと、手びねりの風合いが特に椀の端部に表れています。

九代目、樂了入(りょうにゅう)の黒楽も並んで展示されていました。

その艶めかしさは際立っています。

京都の樂美術館には何度か通いましたが、一度で良いので手で触れてみたいものです。

ここまでは、以前から好きなものが大半でしたが、この青磁には思わず見入ってしまいました。

その美しさが、写真では伝わらないことに、逆に迫力を感じます。

大正10年(1921年)富本憲吉の「青磁 長頸瓶」とあります。

楽焼とは対照的に、厚みをもち、しっかりエッジの効いた口まわりが品格を漂わせています。

紹介を見ると、「自らの理念・思想を実現するために陶芸家を志した」とあります。

昭和55年(1980年)に人間国宝認定第一号となった陶芸家でした。

美しいはずです。

赤い九谷の絵皿も圧巻でした。

焼き物は、楽焼や備前焼が好みでしたが、こんな多彩な人がいるのかと感心しました。

展示会の魅力は、自分の好きなもの以外を見れることだと痛切に実感したのです。

あわせて、アート全般に興味を持っていたつもりですが、人間国宝第一号をしっかり見たことが無かったことにも、若干のショックを受けました。

今回のチケット、実は貰い物。

ただ、一見の価値ありとお勧めいたします。

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白の上の白‐1423‐

 先週、当社のwebサイトをリニューアルしました。

 webサイトの第一弾は2003年に製作しました。

 こだわりの家を建てたい人、違いのある空間を持ちたい人が知りたいと思う情報を、できる限り発信してきたつもりです。

 そのかいあって、多くの人に訪れてもらいました。

 しかし時代の変化は早く、1年程前だったか「ボタンが近すぎて使い難い」と検索サイトから忠告をうけました。

 スマホからスライドショーが見れないなどの課題もようやく解消できました。まだまだ改善点はありますが、ひとまず一段落です。

 ファーストモデルのデータはもうありませんが、マレーヴィチの「白の上の白」という絵をモチーフにしました。

 この白をグレーの表現に変え、正方形をひし形にデザインし、トップページとしました。

 当時、ロシア構成主義の画家が1918年に発表したこの絵がとても気になっていたのです。
 
 私にとって洋画のスタートはミレーだったように思います。

 母に連れられ、展覧会をまわりましたが、小学生ながら、ミレーの絵には他を圧倒する、静けさ、敬虔のようなものを感じました。

 初めて観たのは「種をまく人」だったと思います。

 その後、ゴッホ、モネ等の印象派などを知り、シャガール、クリムト、ムンクなどが気になり始めます。

 徐々に興味が抽象画に傾きはじめ、モンドリアン、そしてマレーヴィチを知るのです。

 さらに近代へ。

 アンディー・ウォーホール、リキテンシュタインとポップアートに触れます。

 これは 1960年、イブ・クラインの作品。

 この青一色の絵画は純粋精神としての非物質=空虚をしめしているとされます。

 書家、陶芸家、そして画家でもある北大路魯山人はこういっています。

 傑作と凡作との間は紙一重の相違である。

 しかし、この紙一重がなかなか破れない。

 人物の値打ちだけしか字は書けるものではない。

 字というものは、人物価値以上に光らないものである。

 60年代のパリで、クラインが描いた青だから意味があるのです。

 初めにあげたマレーヴィチは、幾何学の中で正方形を最も純粋なものと考えていました。

 彼も徐々に抽象画へと移行していった画家ですが「白の上の白」を描いたあと、この道をこれ以上進むことはできないと自覚し、1920年代には具象画へと回帰しました。

 そこまで突き詰め、終着点となった絵だったのです。

 紙一重をつき破りたい。

 その紙がどこにあるのかは分かりませんが、いつも思っていないと見つけられないはずです。

 もう一度、魯山人の言葉を引きます。

 途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。

 必ず実現したいと思うのです。