青春のカップヌードルストーリー‐1043‐

 2月初め、宝塚へ行った帰りに、池田で途中下車しました。

 インスタントラーメン発明記念館へ行くと、マイカップヌードルファクトリーは100分待ちという表示。

 300円でオリジナルカップヌードルを作るというサービスが人気なのです。「100分待ち」と言われると行きたくなるのが心情。

 長男と再度訪れました。

 まずはカップに絵付け。

 そして、スープ、具材をセレクト。

 お土産は完成。

 日清食品の創業者、安藤百福(ももふく)が、「チキンラーメン」を発売したのは1958年。

 戦後の食糧難を体験し「食足りて世は平らか」という哲学に至ります。天ぷらをヒントに瞬間油熱乾燥法を発明。

 強い信念のもと、世界初のインスタントラーメンは池田の地で誕生しました。

 更に手軽に。お湯さえあればどこでも食べられるカップヌードルの発売は1971年。当初、売り上げは伸びませんでした。

 1972年2月、連合赤軍が人質をとり長野県の山荘に立てこもります。この「浅間山荘事件」の救出作戦は全国に生中継されました。寒い雪の中、隊員たちが湯気を上げながらカップヌードル食べる姿が映し出され、問い合わせが殺到。爆発的に売れ始めたのです。

 結果が出なかった頃、販売チームは、製品とお湯の入ったポットを持ち、警察、消防署という夜勤の多い所を回っていました。初めての顧客になったのが自衛隊。地道な営業が実を結んだのです。

 1985年、パリ・ダカールラリーの映像に、HOUND DOGの「ff(フォルテシモ)」が流れるCMがありました。最後に「ハングリアン民族、カップヌードル」というコピー。

 これによってHOUND DOGは人気バンドの仲間入りを果たします。

 世がバンドブームだったこの頃、サクセスストーリーを歩みだすその姿がかっこ良くみえました。高校の頃、彼らのコピーバンドをしていたのです。

 インスタントラーメンなど、食べないに越したことはありません。しかし、その裏に隠された膨大な努力と創意に満ちた物語を知ると、同じ年代を生きたことを、誇らしくさえ感じます。

 恥ずかしながら「ff(フォルテシモ)」は今も私の十八番。そして、ほんのたまにですが聴きたくなるのです。我が青春のカップヌードルストーリーでした。