カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

「ナヌッバ」と「ナムバ」‐2352‐

御堂筋と千日前通の交差点が「難波」。

北を見ると、右手に大丸心斎橋店、左手に大阪Wが見えています。

真東を見るとなんばヒップス。

壁面には「namba HIPS」の看板も見えています。

完成は2007年で高松伸の設計。

千日前通を渡り、南に下った西側にはホテルロイヤルクラシック大阪。

2020年の完成で、設計は隈研吾。

この地にあった、村野藤吾設計の大阪新歌舞伎座のデザインを踏襲しています。

そして御堂筋は、南大阪からの玄関口、南海なんば駅であり大阪高島屋でもある南海ビルディングに突き当たり、西へクランクして南下していきます。

大阪の目抜き通りだけあって、建築も多種彩々です。

周辺にある、大阪メトロ「なんば」駅のローマ字表記は「Namba」です。

私達が小学校の時に習った時は「Nanba」が正解だったはず。

こちらは、天神橋筋と大川が交差する「天神橋」。

大阪メトロと運営母体が近しい大阪シティバスの停留所は「Tenjimbashi」表記。

「n」と「m」が混在しています。

しかし、道路標識は「Tenjinbashi」と「n」表記。

こうなってくると???という感じです。

日本語の発音をアルファベットで表現するのがローマ字ですが、私達が小学校の時に習った「訓令式(くんれいしき)」と「ヘボン式」という表記方法があります。

「訓令式」は規則に乗っ取ったもので、「ヘボン式」は英語の発音に近い表記方法。
アメリカ人宣教師、ヘボンさんが考案しました。

パスポートを「ヘボン式」で表記するのは、このためです。


「ヘボン式」では、「p」「b」「m」のようにしっかり唇を閉じる音(両唇音)の前の「ん」は「m」で表現します。

英語を習った時「n」の発音は「エンヌッ」といった感じで、唇は離したままでした。

確かに「馬場町」を唇を離したまま発音するのは難しい。

日本語では同じ「ん」で、違いを気にしていませんが、英語的な観点からみると、両唇音の前の「ん」は「m」で表現する方が、音としては正確なのでしょう。

それで「本通」は「hondori」、「馬場町」は「Bambacho」といった表現が混在することになりました。

昨年末、国としても広く浸透している「ヘボン式」を基本とする方針を決定しましたが、先の「天神橋」のように、道路標識は、訓令式が残っていることも多いようです。

難波も、道路標識は「n」でした。

この話、電車で通学している時から気になっていました。

それが、少し前に偶然付けたテレビ番組、『チコちゃんに叱られる』で解説していて、ようやくすっきりしました。

中国における漢字の数は、よく使われるもので3千5百文字、歴史的には10億とも言われているようです。

しかし、日本人が使う漢字、ひらがな、カタカナの組み合わせは無限とも言えます。
日本語の表現の多彩さが、日本人の感性を維持するのに、大きく役立っていると思っています。

しかし、音の滑らかさに関しては、英語が群を抜いていると思います。

母語において英語のシェアは世界一ではないにもかかわらず、世界規模のヒットをする楽曲はほぼ英語です。

意味を深く知らなくても、好きな楽曲が沢山あるのは、その説明にもなると思います。

今回は「エンヌッ」と「エンム」の違いに執着して書いてみました。

インバウンドが日本の経済を支えるなら「ナヌッバ」「テンジヌッバシ」でなく「ナムバ」「テンジムバシ」のほうがちょっとだけいいかなと思います。

道頓堀橋の南にある、はり重の隣にある松竹座は解体が決まってしまいました。

道頓堀通と心斎橋筋の交差点。

東側にミャクミャク様が鎮座していました。

撮影をするインバウンド客も沢山居ます。

表記も「ヘボン式」が基本となりました。

大阪のため、日本のためにどんどんお越しください。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

台湾の旅④ <感激、台北の朝粥・ねじれマンション、さよなら台湾編>‐2350‐

最終日となる4日目の朝も、早めに起きて台北中心部のホテルをでました。

まずはホテルからも近い雙連朝市へ。

基本は屋台ですが、魚も売っています。

スズキやボラのような魚も並んでいました。

路地の奥をのぞくと、「粥」の文字が見えています。

行ってみると、メニューに日本語もあります。
6席しかありませんが「ここで食べてもいい?」と聞くと大丈夫だと。

鶏肉+しらす+ピータンのお粥、85元を頼みました。

これが抜群に美味しい!

店員がボールの中でコトコトと潰しているのはピータンのよう。ピリッと味付けされたしらすとともにそのピータンがいい味を出しています。

食べていると、このお粥を取材した日本の番組の映像が流れていました。
有名店だったようです。

提灯にあった鴉片粥は「アヘン粥」の意味で、そのくらい癖になるのです。
第五家麵線の鴉片粥、看板に偽りなしのお味でした。

台北の東部まで移動し、ねじれマンションを再訪しました。

陶朱隠園(タオヂュインユェン)はベルギー人建築家、ヴィンセント・カレボーの設計で2018年の完成です。

工事は熊谷組が担当したようで、Webサイトに詳しい情報が載っていました。

このマンションのことは情報としては知っていましたが、実物を見たインパクトはその5倍くらいの衝撃でした。

その奇抜な外観とは裏腹に、車もエレベーターで上がれるという中央のガラスシャフト部に、住戸部分がずれながら貼りついているという、意外にもシンプルな形態です。

色々な角度から見てみましたが、その張り出しの大きさはかなりのもの。

それにもかかわらず、不安感を与えないのは、ずれていく距離感が絶妙なのと、連続していることによるものだと思います。

23,000本による緑化に加え、太陽光発電や雨水リサイクルといった環境への配慮も極めて高いレベルで達成しているという、驚くべき建築です。

下層階にわずかに人の痕跡を感じましたが、1戸80〜140億円という価格帯と、購入者への厳しい審査によって、殆ど売れていないという記事も見ました。

微妙な気持もありますが、新たなランドマークとして、この建物の価値を守っていく戦略でもあり、活気ある台湾の象徴でもある訳です。

その名前は、約2500年前、王に命を狙われる程の力を持った中国商人の隠れ家を意味するそう。
言い得て妙ですが、使われてこそ建築とも言えそうです。

すぐ近くには、台湾で一番高い台北101が見えます。

それがかすむくらいの存在感でした。

興奮冷めやらぬまま、MRTで台北の南部に位置する台湾大学へ。

台湾大学社会科学部は伊東豊雄の設計で、2013年の完成です。

キノコが連続するような有機的な柱と屋根の形態は、伊東ならではという感じ。

受付でパスポートを預け、PCで登録をすると入館カードのようなものを借りれます。

暑かった台北で、冷房の効いた快適な図書室で、ちょっと台湾を勉強。

台北で最後の食事は、中心部に戻り四平街番茄牛肉麺へ。

刀削麺をどうしても食べたかったのです。

看板には「日本のガイドブックにも……」という文字まで上がっています。

それでも、刀削麺は衝撃でした。

入り口前で、包丁で切った麺を大鍋に飛ばして入れる様は、見ていて全く飽きません。

レジ横で40元の小皿をセレクト。

入口脇の席を確保。

すぐに出てきました。

トマト牛肉刀削麺180元です。

パスタなら想像できますが、トマトの味つけってどんな感じなのだろうと思っていました。

台湾料理全般がそうでしたが、きつい味ではないのに、飽きずにしっかり食べれます。

トマトの酸味がゴロゴロとした牛肉の塊に非常にあっていて、太目の刀削麺は食べ応え十分。
小皿のナスの煮ものも、日本人が大好きな味つけで、大満足でした。

再びMRTで東へ移動して昆陽へ。

すぐ北には古い街並みが残っており、新旧入り混じった風景が美しい街でした。

少し東にある「台北ミュージックセンター」は、「高雄港クルーズターミナル」と同じくReiser+Umemotoと、台湾の宗邁建築師事務所による共同設計で、2020年の完成です。

貝のようなフォルムと、有機的な開口が唯一無二の外観を形成しています。

最後に訪れたのは、北部に位置する「台北パフォーミングアーツセンター」

レム・コールハース率いるOMAの設計で2022年の完成です。

波打ったガラスが内部からの景色を一変させていました。

もう台湾の現代建築には、圧倒されっぱなしで、台北郊外の台湾桃園国際空港へ向かったのでした。

桃園空港線の台北駅は槇文彦の設計で、2017年に開業しました。

槇文彦は2024年に逝去されましたが、王道を行く日本人建築家の仕事にほっとするのは、私が日本人だからでしょうか。

少し早めに空港へ行き、残った台湾ドルを日本円に両替しました。

高雄の空港は手数料が30元だったのがこちらでは100元。約500円です。

意外に現金が必要な台湾では、結論で言えば大阪で両替するのが最も効率が良かったです。

平日の台湾国内の銀行で両替すればそれが一番ですが、どうしても初めに現地通過が必要になるので、このあたりは参考にして貰えればと思います。

夕焼けとともに台湾とお別れ。

ただ、18時20分の出発予定が18時50分になり、関空に到着したのが22時30分でした。

出国のための移動は全て小走り。

入国審査、税関申告とも先着5名内で切り抜け、預けていた荷物も無いので、全てを23分でクリア。
特に税関申告は、デジタル庁の Visit Japan Web でQRコードを作成しておけば一瞬で通過できました。

ギリギリ23時の終電に間に合いました。

終電の急行かなと思っていたら、22時55分のラピートが出る寸前で、ホームで特急券を買って飛び乗ったのです。

天下茶屋、長堀橋で乗り換え、家に着いたのは23時55分。

何とかその日のうちに戻れました。

コロナ前の2019年の香港行き以来、7年振りに海外へ出ました。

私の写真など必要ないと思いますが、夜市をうろつく56歳を載せておきます。

50歳であれ、60歳であれ、知らない街に降り立った時のワクワクが、何より好きなのです。

しっかり働いて、次はどこへ行こうかと思いを馳せるのです。


■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

台湾の旅③ <台中から台北、フォトジェニック九份編>‐2349‐

8月8日(土)から8月11日(祝・火)の台湾の旅。

今回は3日目、8月10日(月)の台中から台北編です。

早めに目が覚めたので、予定より1本早いバスを待ちます。

前日は、台湾高速鉄道(THSR)の台中駅から路線バスで中心街に入りました。

1時間くらい掛かりましたが、調べて見ると、急行のようなバスがあることが分かりました。

前日の夕方、念のため下調べに行くと、専用のバス停があるようです。
この格好いい停留所から、「151延」が出発しているのを確認しておきました。

一番前に並んでいたので、乗車する際に「High Speed Raiの駅まで行けるか?」と運転手に聞くと「No!」と。

「んっ?」となりましたが、やむなくその便をやり過ごします。

どう考えても間違ってないよなと思い、次の「151延」という表示の次のバスに乗ると、20分くらいで台湾高速鉄道の台中駅に到着。

英語が通じなかったのか、答えないという意味なのか未だに「No!」の意味は分かりませんが。

無事、予約していた便に間に合ったので良しとします。

台湾は九州くらいの大きさで、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが潜り込む所に位置します。

その運動によって盛り上がった山地が概ね東側にあり、西側が平地という構図になっています。

川の流れは緩やかな所が多く、ゆっくりと山肌を削られたような地形も多かったです。

台湾高速鉄道の台北駅に到着すると、観光地である九份へ向かうバス停を探します。

台北近くまで来ると台湾高速鉄道は地下にはいります。
Googleマップには100mと出ているのですが、地下にいる時はGPSが効きません。

それで「バスステーション」の案内板をたどっていくと、台北のバスターミナルに行きつきました。

受付で聞くと、「そのバス停はTHSRの台北駅のすぐ上にある」と言っているよう。
地上ルートで、殆ど同じ場所まで戻ってきました。

Googleマップを有効に使うには、すぐ地上に出るに限ります。

台北から東へ40km程行ったところにある九份まで、急行バスで1時間弱でした。

都心部から高速道路に乗ってアプローチするのですが、郊外の街並みも望むことができます。
首都である台北とは全く違った風景に変わっていきました。

九份はかつて金鉱山として栄えましたが、1971年に閉山すると街は廃れていきます。

しかし1980年代後半に映画の舞台となったことから、人気観光地となります。

斜面に貼りつくような街並み、美しい山と海を望む景色、石段のある風景は、極彩色の尾道といったところでしょうか。

レトロな建物が人気ですが、最も人が集まっていたのがここでした。

細い坂道や階段が山肌を縫うように広がっており、歩きごたえは十分です。

夜も更に美しいようですが、1時間程歩いて、フォトジェニック九份を堪能しました。

再びバスで台北に戻ります。

台北の中心街を通り過ぎ、西側に位置する西門までやってきました。

台湾エキスパートから、同性ラバーの聖地と聞いてきたのですが、それを感じることはできませんでした(笑)

「阿宗麺線」で昼食を取ります。

小が70元で大が85元。

出汁が効いた素麺のような感じです。

日本人が食べやすいお味でしたが、プラスチックレンゲは麺が跳ねまくり。
やはり麺は箸が一番です。

その後、台北101エリアを回ったのですが、天気がもうひとつだったので翌日再訪しました。
翌日は晴れたので、次回の写真をUPします。

ねじれマンションが本当に凄かったのです……

ホテルにチェックインし、夕食を取るために再度街へ出ます。

夕方からスコールのような激しい雨が降ってきたので、「人気店でも空いているかも」と、遠東そごうの台北復興館へ向かいました。

阪急うめだ本店にも支店のある鼎泰豐(ディンタイフォン)。

言わずと知れた小籠包の名店です。

元々あった本店は、テイクアウト専門になったようで、最後の夜くらいはとのぞいてみました。

閉店30分前でこの列でした。
聞くとすでに予約番号を持っている人だけでこの人数。

見立てが甘すぎたと思い、さっさと退散しました。

私には屋台で十分と寧夏夜市まで移動。

到着する頃には、雨も小降りになってきました。

お腹が減りすぎていたので、まずは豚肉丼?80元。

甘辛く炊き込まれた豚肉はとろけるようで、一瞬で完食。

もう1軒と思い今度は店に入りました。

妊婦の店員さんが「カキのオムレツがとても美味しいよ」と言っている感じだったので頼んでみました。

見た目はこんな感じで、全く愛想なし。

味は、悪くはないかなというレベル。

台湾ビールは、昔タイで飲んだシンハーやベトナムで飲んだ333と同じ系統の飲み口。軽くて飲みやすい。

何本でもいけます。店で飲めば100元くらい。スーパーなら30元くらいでしょうか。

ビール2本を含めて300元くらいでした。

そのまま屋台で買い食いして、ホテルに戻りました。

最後の夜なので、ちょっと良いものを食べようかと思ったのですが、それは叶いませんでした。

前日の夜に次の街のリサーチレベルなのでそれも仕方ありません。

知らない街の空気を吸い、地元の屋台で安い食事をするのが一番楽しいので、来られただけで満足です。

2004年にこの日記を書きはじめて、20年以上になりました。

「写真」にはこだわってきたつもりですが、SNS時代に入り、文章の重要度は下がり「写真」「動画」の一発勝負になった感は否めません。

これだけ長い文章を書いているということは、時代にはついていけていないと思っています。

でもいいのです。伝えたいことがあるうちは、何でも書いてみようと思うのです。

長かった4回シリーズですが、次回が最終回。よければもう1回お付き合いください。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

台湾の旅② <高雄から台中、一番美味的「肉圓」15元編>‐2348‐

8月8日(土)から8月11日(祝・火)の4日間で台湾を旅してきました。

今回は2日目の高雄、台中編です。

高雄の中心街をはずれた建物は、こんな感じですが1階の道路に面したところには、回廊のような空間があります。

「騎樓(チーロウ)」と呼ばれるものですが、車やバイクが置いてあったりして、通り抜けられない場合もあります。

そのあたりの曖昧さが、何とも台湾らしいと感じます。

高雄は特に多かったですが、信号の上に待ち時間が表示されているものがほとんどでした。

やはり大阪的、セッカチ気質なのでしょうか。

2日目も早起きしてMRTの美麗島駅へ。

真っ赤にライトアップされた夜景は前回紹介しましたが、地上部は高松伸の設計です。

一駅北の高雄駅から、赤い提灯で知られる三鳳宮のすぐ近くの三民第一公有市場まで歩きます。

うっかりしていると見逃しそうな入口が、雑居ビルの1階にありました。

市民が利用している市場は、一番気になります。

奥に抜けると、通り両脇にもずらっと店舗が並んでいます。

「肉圓」の文字がある屋台を見つけました。

実は台湾エキスパートに、いくつかアドバイスを貰ってきたのですが、その店のようです。

初めに頼んだのは、魚の団子スープ30元だったようで、追加で「肉圓」を1個だけ頼みました。

この「肉圓」はとろっとした触感の皮が独特で、中には餃子の具のような物が入っています。
醤油ベースの餡も合わせて素晴らしく美味しかったです。

合わせて45元ということは「肉圓」は15元。
全部で450円くらいです。

台湾は安くて美味しい国のようです。

高雄の中心部と違って、少し裏路地に入ると、質素な暮らしも垣間見えます。

最後に訪れる台北郊外の高級マンションと比べると、かなりの所得差があるのは間違いないようです。

どの国も、大なり小なり同じ問題を抱えているのですが。

今回からスマホを使えるようにしたのですが、その中で一番価値があったのはやはりGoogleマップ。

海外でバスに乗っている時、今どこに居るのかが分からないのが普通。

それで、運転手のすぐ後ろに居て「このバス停は〇〇か?」としつこく聞くことになります。

それがどこを移動しているのかが分かるので、もう劇的に違います。

しかし台湾のバス事情はややローテクで、乗りたい時は大きく手を挙げないと止まってくれないし、呼び鈴を押していたのに、1駅過ぎて止まったこともありました。

そのお陰で降車することになった中央公園駅付近。

一駅戻るために歩いていると、公園内でリス?に遭遇。

良いこともあるものです。

中央公園駅から、高雄市の東に位置する「衛武営国家芸術文化センター」までやってきました。

2018年の開業でMRTの高雄駅も設計したオランダのメカノーが設計しています。

しかし規模が大きすぎて、裏まで回る気力がなく……

着陸寸前の飛行機から撮った写真です。

初見でしたが、おそらく「衛武営国家芸術文化センター」だろうと分かるくらいの大きさだったのです。

お楽しみの昼食は中心街に戻る途中の「阿霞焼肉飯」で。

11時過ぎに着いたので、まだ混んでいない感じ。

焼肉飯と蛤のスープで100元。

スープ物はどこでもそうでしたが、かなりあっさり目で、生姜が効いているとても優しい味です。

焼肉飯は豚肉を甘辛く味つけて炭火で焼いたもの。

びっくりする味ではありませんが、日本の〇〇屋よりはこちらが好みです。火で炙っているひと手間でこちらに軍配なのです。

昨日、MRTからは見えたのですが、実際には写真を撮れていなかった、「高雄港クルーズターミナル」を再訪しました。

Reiser+Umemotoと、台湾の宗邁建築師事務所による共同設計で2024年に開業しました。

遠目に見ただけですが、そのフォルムに魅了されてしまいました。

MRTは、主に地下を走る路線と地上を走る路線がありますが、地上を走る路線は、電気を供給する架線が基本ありません。

駅の所にだけあり、そこでパンタグラフが上昇し充電しているよう。
最新のシステムなのでしょうか、ちょっと驚きました。

高雄市は西側が海なのですが、巨大建築が目白押しな上に、海岸地域によくある猥雑さを全く感じません。

早めの昼食は取りましたが、近くに小籠包が美味しいという「龍袍湯包」があったので高雄飯の仕上げです。

看板にカタカナが振ってあるくらいなので、日本人を十分意識しています。

台湾はクレジットカードを使えないところが、思いのほか多かったです。

屋台ばかり行っているというのもありますが、ここはカードOK。それどころか、QRコードで注文しました。

150元の価値は間違いなくありましたが、私的には15元の「肉圓」のほうに旅情を誘われるのです。

駅の方に歩いていると、ロータリーにそった形が面白い巨大建築が。

日本に戻って調べてみると、オランダのUNスタジオが設計した「大立デパート」で1997年完成のようです。

で、「MRT中央公園駅」は、プリツカー賞を受賞しているリチャード・ロジャースの設計。

2008年の開業です。

地下に向って、エスカレーターと滝が下っていく景色は、なかなか見れないものです。

台湾版新幹線の台湾高速鉄道は Taiwan High Speed Rai でTHSRと表記されていました。

台湾高速鉄道の左営駅から台中へ向かいます。

1時間弱の快適な移動でした。

台中は特にですが、台湾高速鉄道の駅は中心街から離れていることが多いのです。

バスは鉄道と違って、聞ける人運転手しかいないので、英語が通じる人と、通じない人とでは、得られる情報が全く変わってきます。

台湾は漢字圏なので何とか通じるのかなと思っていたのですが、発音が日本と全く違うので、会話で伝えるのは、ほぼ無理でした。

Googleマップは漢字表記とアルファベット表記が混じっているので、見せても分からないことも多かったです。

ただ、何番のバスに乗るかがでるので、その数字頼みという感じです。

南国のスコールのような激しい雨のなかを1時間くらい掛けて市内までバス移動。

どうやら路線バスだったようで1時間ほど掛かりました。

それでも、無事「台中国家歌劇院」までたどり着きました。

伊東豊雄の設計で2016年の開業です。

音の洞窟をコンセプトに外部と同じく、内部空間も曲面によって構成されています。

壁と柱の境のない構造ですが、緩やかに立ち上がる壁の際に水路を通し、動線を処理している点は秀逸でした。

その足でホテルにチェックインし、「逢甲國際観光夜市」にくりだします。

座って食べれそうな、台湾おでん?らしき屋台があったので、ここで遅めの夕食にしました。

具もひとつ30~40元くらいで、自分で選びます。

筋肉、てんぷら、キャベツの肉巻きのようなものまであります。

良く見る半透明の細い麺を店員が「入れるか?」と聞いてきたので、「入れて」と。
全く伸びる様子もなく、何でできているのでしょうか。

旅にでると不足がちになる野菜もたっぷり補充できました。

暑い中、知らない街の屋台で、雑踏の中で取る夕食が、私にとって一番のご馳走なのです。
お代は占めて250元。

本当に安上がりな人間なのですが、台中の夜は更けていきます。

この日で一番おいしかったのは「肉圓」1個15元でした。
屋台のおばさんは英語での金額も理解してもらえなかったですが、人柄が滲みでていました。

次回は、いよいよ台北へ。


■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

台湾の旅① <高雄はリアル建築博覧会編>‐2347‐

8月8日(土)の午前中に関空を発ちました。

2時間45分程で台湾の高雄国際空港に到着。

久し振りの海外は、4日間の台湾です。

入国してすぐ始めたのが、スマホのeSIMの設定です。

前回の海外旅行は、2019年の香港行きでしたが、その旅も含めて、海外ではスマホを頼らずに旅してきました。
苦労は多いですが、沢木耕太郎の「深夜特急」世代の私としては、旅はそういうものだと思っています。

しかし、4日で2500円くらいで使えると知り、一度試してみることに。

到着してすぐ、説明書通りに何度操作しても繋がらず……

空港のフリーWiFiに接続して、eSIM発行会社とラインでやり取りすること1時間、何とかつながりました。

全く便利になったのか、不便になったのか分かりませんが、3泊4日、台湾の旅のスタートです。

空港を出てすぐ、台湾メトロ(MRT)の駅があります。

そこに向う途中、交差点に止まるバイクの数に驚きます。

近代化された香港といった感じ。

MRTの駅はどこも美しく、かなりの本数が走っています。

EasyCardというICカードを100元で購入し、現金でチャージしていくのですが、これが旅行者にとっては、とても便利でした。

車窓からの景色にいきなり圧倒されます。

まるで万博のパビリオンのようにデザインされた、スケールで言えば何十倍もある建築が、いたるところに建っています。

高雄展覽館はフィリップ・コックスと劉培森共同設計で、2013年の完成。

造形、スケール感とも群を抜いています。

斜め向かいには、高雄85ビル。

1996年の完成で、台北101も設計した台湾人建築家、李祖原の作品です。

現在でも、台湾で2番目に高いビルなのです。

本当に、万博会場にいるような感覚です。

空港で予定より時間を使ってしまったので、遅い昼食は「港園牛肉麵」へ。

かなり混んでいましたが、少し待って「牛肉湯麺」150元にありつけました。

日本円に換算する時は約5倍なので750円くらい。

大きめの牛肉が載った、もっちりした麺は、薄味だけどとても美味しい!

ファーストコンタクトがこれなら、台湾への期待値は上がる一方です。

南部の街、高雄は海運で発展してきた街で、台湾の大阪のようなところです。

物価も安く、関西人にはより親しみ深い感じがします。

海沿いに建つ、高雄ポップミュージックセンターはスペインのマヌエル・A・モンテセリン・ラホスと台湾の翁祖模の共同設計です。

写真では伝わりにくいですが、もの凄い規模の建築でした。

到着して早々、建築的にはお腹一杯の感じですが、一旦チェックインして、瑞豐夜市に繰り出します。

宮古島より更に緯度が低いので、蒸せるような熱気ですが、ミニ遊園地があったりして、ローカル色の強い夜市でした。

MRTの高雄駅はオランダのメカノーの設計で、2024年の完成です。

地上に旧駅舎が残っていたようですが、それは見ずじまいでした。

高雄駅からすぐの三鳳宮。

赤い提灯で知られるお寺です。

この写真を撮りたいがためにここまで足を運びました。

ホテル近くの美麗島駅までMRTで戻ってきました。

この駅のステンドグラスがド派手。

イタリアのステンドグラスアーティスト、ナルシサス・クアグリアータの作品です。

地上部分は高松伸の設計で、2008年の開業です。

昼と夜の表情が全く違いますが、日本人建築家の仕事も多く見ることができました。

最後は、ホテル近くの六合国際観光夜市。

夜市のはしごです。

屋台を回って夕食を済ませました。

夕方に空港を出て、ここまで何カ所回ったのか。

Googleマップの威力を思い知ると共に、疲れすぎて、ベッドに横たわると一瞬で夢の中でした。

3回シリーズになるか、4回シリーズになるか分かりませんが、もう少し私の台湾旅に付きあって貰えると嬉しいのです。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

流政之のホンマデッカ‐2346‐

関西で最も美しいビルはと聞かれたら、大阪ビジネスパーク(OBP)のクリスタルタワーと答えます。

1990年の完成で、竹中工務店の設計施工です。

OBPは寝屋川と第二寝屋川に囲まれる三角州のような地形になっており、その先端に建つのがこの美しいビル。

まるでOBPの番人のようです。

その名前の通り、洗練された透明感は唯一無二と言ってよいでしょう。

残念ながら2023年に休刊となった『新しい住まいの設計』。

多くの作品を掲載して貰いましたが、「地元建築家がガイドする名建築 大阪編」にナビゲーターとして寄稿したこともあります。

その際にもこのクリスタルタワーを取り上げました。

しかし今回は、その前にある、存在感十分のモニュメントの話です。

彫刻家、流政之の『HOMMA DEKKA』。

1923(大正15)年長崎に生まれた流政之の父は立命館大学創設者で、同校に1941(昭和16)年に入学します。
しかし戦時中はゼロ戦のパイロットとして兵役をつとめました。

出撃命令の前に終戦となり、その後大学も中退します。
その後日本を放浪し、1955(昭和35)年頃から彫刻に打ち込むようになります。

海外の芸術家から高く評価され、1960年代に渡米し、世界的に評価されるようになります。

1966(昭和41)年、香川県庵治町にアトリエを構えます。
同じく世界的彫刻家、イサム・ノグチや家具作家、ジョージ・ナカジマを庵治町に連れてきたのは彼のようです。

2018(平成30)年に95年の生涯を閉じます。

OBPは明治時代から砲兵工廠があり軍事兵器を製造していた過去があります。

『HOMMA DEKKA』は、何だか歪んだ、現実感の薄い、錆びた巨大な大砲のようなモニュメントです。

コミカルと言えるほどバランスも欠いています。

戦争、軍事兵器に対しての皮肉のようなものを感じるのです。

自身も、特攻していたかもしれないという気持もあったはずです。

代表作『サキモリ』は、九州で防備にあたった兵士「防人」を思い、内臓を取り去り精神だけを残した像です。

彼の戦争体験が強く影響しているのは間違いないでしょう。

昨日は、長崎に原爆が投下されてから81回目の原爆の日でした。

戦争の無い世の中は絶対来ないのでしょうか。
つまらないエゴは捨てて、ただただ当たり前の平和を望みます。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

国宝・犬山城と街グルメ‐2341‐

前回、ちらと書いたのですが、海の日は愛知県犬山市を訪ねました。

名鉄名古屋駅から特急で犬山庭園駅まで30分程。

15分くらい歩くと犬山城が見えてきます。

小高い丘を登って、天守閣の下までやってきました。

石垣は自然石を積んだ野面積みです。

この日は結構混んでいて、天守閣に入るまで1時間程並びました。

急な階段を3層登ります。

この角度なので、降りる時は後ろ向きの人もいました。

3階には国宝5城の写真が展示されていました。

松江城、姫路城、彦根城、松本城と犬山城ですが、 最も古いのが犬山城です。

室町時代の天文6(1537)年に織田信長の叔父である織田信康によって築かれました。

最上階の4階まで上がってきました。

国宝5城の中でも、最上階の外に出て一周できるのは犬山城だけです。

その手摺の低さも強烈。

髙い所が苦手な私には罰ゲームレベルです。

眼下に木曽川を見下ろす眺めは絶景でした。

建築の専門家として言わせて貰えば、あの手摺のまま、誰もが回廊に出られることが、ずっとは続かない気がします。

行くなら早め、犬山城です。

すぐ東にある、有楽苑にも寄ってきました。

建築家、堀口捨己氏が監修した日本庭園ですが、園内には、こちらも国宝の如庵があります。

織田信長の弟、織田有楽斎(うらくさい)が京都で建てた茶室で、待庵、密庵と共に、茶室として国宝に指定されています。

年に数回ある特別見学会では内部を見ることができます。

そのためだけでも来る価値がありそうです。

その後、城下町を歩いて名鉄犬山駅に向かいました。

城下町に漂う、食欲を刺激する匂いの全てを我慢して、駅前の「角屋」までやってきました。

自家製麺のきしめんは650円。

ボリューム満点の味噌かつ定食は1400円。

きしめんは、関西風の出汁より魚の味がしっかりしています。
何杯でもいけそうな優しいお味でした。

味噌かつは、甘めのタレでご飯が進み過ぎます。

特にきしめんの出汁が素晴らしかったので、店員さんに「この出汁、味がしっかりして、凄く美味しかったです。何で取ってるんですか?」と聞いてみました。

「ありがとうございます。ただ、出汁は企業秘密なので言ってはいけないことになってるんです、すみません」と。

それはそうだなと納得しました。

帰り際に、女将さんがでてきてくれたので、出汁が美味しかったことを伝えると「〇〇と〇〇でしっかりめに取ってるんですよ。創業昭和26年で、微調整はしますが基本的に全く変えてないんです」と。

あれっ、教えてくれるんやと(笑)

やっぱり旅は、食と人です。

大満足の犬山城と犬山街グルメでした。

犬山城を訪れたなら、車の人も駅前の「角屋」を絶賛、お勧めしておきます。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV
アトリエmのゲンバ日記

美は力‐2339‐

阿倍野区を庚申街道(こうしんかいどう)で移動していると、十字架のある塔が見えてきました。

日本基督教団南大阪教会です。

大阪が誇る巨匠・村野藤吾のデビュー作で、塔の部分は1928(昭和3)年に完成した、

当初から塔はRC造でしたが、会堂のある平屋部分は木造でした。

平屋部分が傷んできたので、1981(昭和56)年に改築されています。亡くなる3年前の完成でした。

村野の真骨頂、有機的な造形が冴えわたります。

柔らかい外壁のテクスチャーに、夏の鮮やかな花が良く似合うのです。

敷地の調査もあって最近このあたりをよく通ります。

古い住宅が結構残っているのです。

どちらの住宅も、昭和初期の建物でしょうか。

だとすれば、RC造でなくても約100年持っていることになります。

こちらも阿倍野区にある大阪府立工芸高等学校本館です。

1924(大正13)年の完成で、大阪市指定有形文化財に指定されています。

学校のWebサイトには以下の解説がありました。

1世紀前に遠くドイツの地で起こった芸術運動が、大阪の地に引き継がれていることに感動すら覚えます。

モダニズムの源流がバウハウスにあるなら、村野もその流れを汲んでいることになります。
彼らをお手本として生きてきた私達も、支流の水路くらいの流れを汲んでいると言ってもよいかもしれません。

バウハウスが、芸術学校として機能したのはわずか14年ですが、最後の校長であるミース・ファン・デル・ローエに代表されるように、装飾的ではない、機能的で、合理的な美を追求していきます。

その思想を汲んだ建築の美しさは、世界に衝撃を与えたのです。

「翼をください」等の作曲で知られる村井邦彦さんが、新聞で「美は力」という言葉を紹介していました。

美しい建築はそれ自体が力をもっています。そして、人に力を与えてくれます。

建築設計を生業としているのですが、本当にいい仕事をさせて貰っていると思います。
と同時に、その頂の高さに圧倒されることもしょっちゅう。

それでも前に。倦まず、弛まず、一歩ずつ、です。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

青と緑の大阪‐2337‐

7月に入ったばかりですが、昨日近畿地方は梅雨明けしました。

昨年は6月中に明けましたが、今年も平年より11日早い梅雨明けだそう。

夏の花も一気に咲きはじめました。青紫のアサガオに、薄紫の花はデュランタのようです。

天神橋から、中之島越しに大川を望みます。

いきなり快晴が続くようで、今年も暑い夏がやってきました。

例年なら梅雨時に開催される夏祭りも、今年は傘不要のようです。

夏祭りの開催日を見ていると、近くの神社で被らないようになっているのが分かります。

保育園、小学校、中学校の運動会が被らないようにするのと同じでしょうか。

できるだけ沢山の人に来て貰うための工夫なのか、はたまた的屋を手配する都合なのかもしれません。

天神橋の南詰めまでが天神橋筋で、その南は松屋町筋です。

松屋町筋には個性あるビルが色々あります。

大塚グループ大阪本社大阪ビルは、日建設計の設計で2014年の完成です。

三角形のカーテンウォールは、構造と一体化したダイヤゴナル(斜め)・フレームとなっており、執務空間は柱が無いそうです。

現代的な洗練されたオフィスビルの佇まいですが、一度内部も見てみたいものです。

こちらは、少し北に上がった、天神橋南詰にあるアクアタワービル。

以前から何だか気になっていたビルで調べてみました。

1992年の完成で、施工は大林組のようですが、設計者は分からずでした。

形はやや特徴ありくらいの感じですが、色使いが面白いのです。

淡い青の外壁に、同系色のエメラルドグリーンのカーテンウォールをもってくるあたりが、只者ではない感が漂っています。

また、アクアタワービルのネーミングもいかしています。

水都、青と緑の大阪を象徴する建物と書けば、持ち上げすぎでしょうか。

2011年の11月にアメリカの東部をまわりました。

いくつも感激した建物はありましたが、そのひとつがレバー・ハウスです。

ニューヨークのマンハッタンに建つ、最初期のカーテンウォール構造の高層建築で、SOM(スキッドモア、オーウィングス&メリル)の設計です。

1952年に完成しました。

ブルーグリーンのガラスに覆われたこのビルは、街に輝く宝石のようでした。

興奮のあまりピンボケの写真しかないのは痛恨の極み。再訪したい建築のひとつです。

補色の関係なら、互いが引き立てあうのでデザイン的には簡単です。
同系色で洗練された表現をするのは何倍も難しいのです。

海外旅行もコロナ前の2019年香港行きからどこにも行けていませんが、この夏は近場に出掛けてこようと思います。

建築にしても、街にしても、その場に立ってみなければ感じられないことばかり。いくつになっても海外行きはワクワクしかありません。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

NHK初登場と松下幸之助起業の地‐2336‐

7月5日(日)の18:05からNHKで放送があった『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』

お金をテーマにした番組ですが、昨日の放送は「瓦」がテーマでした。

その中で、ガラス瓦を取り上げるので「回遊できる家」の写真を使わせて欲しいと連絡があったのは4月の中頃でした。

アシスタントプロデューサーの方と数度やり取りして、画像を番組で使用することに承諾しました。

2ヵ月半も前から、そんな準備までしているとは、さすがNHKだと納得もしました。

ただ、キャプションにアトリエmと入れて欲しいとお願いすると「会社名はだめなんです」と。

それはそうかと納得し、私の名前だけ入れてもらいました。

NHKで露出したのは初めてだったので、一応リアルタイムで観ました。

どんなことでも、取り上げられるのは嬉しい事ですから。

「回遊できる家」の屋根上部にガラス瓦が使われているのが見てとれるでしょうか。

さすがにNHKはお目が高い。

しかし、この作品は本当に良くメディアに取り上げられます。

最高の孝行息子なのです。

週末は、晴れ間を狙って少し遠くまで走ります。

千日前通と疎開道路の交差点が「玉津3」です。

千日前通を西に戻ると鶴橋なので、ザ・下町と言ったところ。

東に進むと、南側は古い町屋が多く残っています。

反対に、北側は新しい建物が混在していました。

こちらは、理容店のカンバンのようです。

「さすがは大阪!」という声が聞こえてきそう。道頓堀へ行かずともこのクオリティなのですから。

更に東へ行くと、『松下幸之助起業の地』という看板を見つけました。

2分歩くと、お寺の前に石碑と案内板がありました。


1894(明治27)年生まれの松下幸之助は、9歳で親元をはなれて大阪で丁稚奉公をはじめます。

15歳で大阪電灯株式会社の配線工となり、1917(大正6)年、22歳の時にこの場所で独立します。

「松下式ソケット」を事業化するためですが、四畳半と二畳の借家の小さな工場で、妻と義弟の井植歳男が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越え、世界的大企業とする基礎が培われたのです。

東成・生野(旧・猪飼野)は、古代から先進的な技術者の集まった土地で、幸之助がここで業を興したのも、新しい産業を受け入れる土壌がこの地にあったからにほかならない、という説明もありました。

テレビ、ハードディスクレコーダー、髭剃り等など、我が家でもPanasonicはいたるところにあります。その全ての始まりの地を見れ、何だかテンションが上がったのです。

松下幸之助は本当にケチだったと聞きます。

「回遊できる家」も本当に予算がない、でも明るい家にして欲しいというリクエストから、苦肉の策で、ガラス瓦を採用したのです。

私も1996(平成8)年に天王寺の四畳のワンルームマンションで起業しました。

同列で扱うのはおこがましいですが、大阪の土壌があったからこそできたのだと思います。

「無い」は「工夫」を生み、「違い」を生みます。

何でもそうですが、高い方が良いという人は居ません。

どんな大変も「ネタ」に。私の物づくり人生はまだまだ続くのです。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV