立春が過ぎ、僅かに寒さも和らいだでしょうか。
現場にとって、厳しい時期には変わりはありませんが。
「KISHIWADA HOUSE」は基礎工事が終わったところ。
まだ吹きさらしの状態での水仕事は大変です。
暑いから、寒いからと、金額が変わる訳ではありません。
勤勉な職人の手によって、日本の建築現場は支えられているのです。
現在は、基礎のベースコンクリートを打設したところ。
「羽曳野の家」はリノベーション。 吹きさらしよりは、少しはましです。
それでも、暖を取る為の電気ストーブがおいてあります。
「長田の家」は外壁まで出来上りました。
随分ましになったと、監督も言っていました。
三軒三様。過程を見て、現場の苦労と、家の有り難さがよく分かります。
この一週間、清原の名前が記事に上がらない日はありません。
野球選手とタニマチの関係は、野村克也の著書「野村ノート」にもありました。ここでは、阪神の選手ですが、彼ほどの知名度があれば、状況は同じでしょう。
名経営者、京セラ名誉会長・稲盛和夫さんは、こんな話をしてくれたことがあります。京セラ所属の選手が、女子マラソンでオリンピックへ出場した時のことです。
稲盛さんは「必ず前半からトップグループについて行くように」と彼女にアドバイスしていたそうです。
コーチから「会長はマラソンの事はご存じないので」と、口を挟まぬよう言われました。しかし「マラソンのことは分からなくても、仕事の事は分かる。初めから全力疾走していなければ、今の京セラはなかった」と言いました。
その選手は、確か目標通り5位前後に入賞したのですが、稲盛さんは、「可能性があったのだから、一番、せめてメダルを目指すべきだった。死にもの狂いで、トップ集団に付いていくべきだった」と言ったのです。
経営(仕事)は、毎日毎日が真剣勝負。社員の生活を預かって、一日一日を命懸けで働いている。たった4年くらい、全力で努力が出来なくてどうする。私達は、オリンピックのメダリストより、大変な事をしていると言っても言い過ぎではないと。
人の体は年老いて行きます。その自然の摂理を受け入れた人だけが、アスリートとして生きて行けます。その分儚く、それ故、放つ光が美しいのです。
48歳の大人なので、全て自分の責任です。裸の王様に聞く耳はなかったのしょうか……
寒空の中「KISHIWADA HOUSE」で、モルタル詰めをする職人が、はつらつと働く様を見て、これが仕事じゃないかと思います。
主役以外の仕事に敬意を払えない世の中になって行っているのでは。そんな事を危惧するのです。