昨日今日と、大阪は気持ちのよい秋晴れです。
気温25度、湿度は40%をきり、1年でも最も気持ちのよい季節になりました。
大阪市平野区で最も大きなお寺はおそらく大念仏寺です。
歴史も古く、1127年の創建とあります。
裏手には墓地があり、遠く目に彼岸花がみえました。
彼岸の中日を過ぎたにもかかわらず、墓参りにいけておらず……
ひとさまのお墓にまいるわけにはいきませんが、少し立ち入らせてもらいました。
大念仏寺は融通念佛宗の総本山とあります。
平安末期に広まった念仏信仰の先駆けとなり、日本最初の念仏道場だとwebサイトに紹介されていました。
「融通念仏」については以下の説明がありました。
融通とは溶け合い和合することです。
砂とセメントと水は、それぞれその形も働きも異なりますが、この三者が溶け合って和合すると強固なコンクリートになるのも融通です。
融通念仏は、念仏が相互に融通して大きな力となることをいいます。すなわち念仏を称えることによって、人と人、人と物、物と物とのすべての関係の上に融通和合の世界を自覚し、苦脳と迷いのこの世を喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にすることをめざした教えです。
「苦脳と迷いのこの世を」とはっきり言われると、月曜日の朝には多少重いかもしれません。
不信心を承知でかくなら、喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にする方法は、何でもよいと思います。
「念仏」を唱えることで実現できればもちろんそれでよいのです。
「融通」は、普段ネガティブ、あるいはグレーな意味でつかわれることが多いでしょうか。私は最も不得手としてきたことばだと思っています。
「融通のきかない男だな」と人生の中で何度か言われたことがありますし、それでよいと思ってきました。
しかし、コンクリートの説明はとても分かりやすく、ポジティブに解釈させてくれます。
融=とけあう + 通=つうじる = 溶け合い和合する
現時点より、成長したいなら不得手と思ってきたことを改善、克服していくしかありません。
社員は自分の長所を伸ばせばよい、経営者は欠点を無くさなければならない。
この言葉が身に染みたのです。
「融通」ということばと、正面から向かい合う必要がありそうです。
暦の無い時代、私のような不信心者にも、彼岸を知らせてくれた彼岸花。美しさと実用をかねていた訳です。
時代を遡ることはできませんが、その意味合いは全く違ったものだったと想像するのです。