誰と暮らすも自由‐1219‐

 どこに住むも自由。どこで働くも自由と書きました。

 そして、誰と暮らすかも自由です。

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 縁あって結婚し、今日で12年目を迎えました。

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 昨晩は、実家で皆に祝ってもらいました。

 妻を友人に紹介して貰ったのが1999年の冬だったか。29歳の私は、重い鬱の真っ只中にいました。

 こんなぶざまな姿をさらすなら、死んだほうがましと思い、動悸がおさまらず、常に不安に駆られていた頃です。

 そんな時、友人が妻を紹介してくれたのです。その友人は「サンルームと吹抜の家」のクライアントです。

 設計を依頼してくれたからではありませんが、今は感謝しかありません。

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 年賀状は家族写真と決めていますが、2004年が第一回目。

 この日記を始めたのが2004年の3月なので、その直前でした。

 結婚というのは、2人の人生が交差する場面です。そこに招待した人達は、それまで人生で、大切だと思った人達。

 その後の場面でも、度々交錯していくことになります。

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 私が鬱を脱することが出来たのは、思い通りにならない事があると分ったからだと、今は思っています。

 反対に言えば、少し努力すれば、全てが思い通りになると思っていたのです。

 同じ努力をしていても、貧困な国なら、日本と同じチャンスがある訳ではありません。

 日本人のお金を掠め取ってやろうと近寄ってくる輩もいますが、それとて、懸命の方向を間違っているだけです。

 海外を彷徨し、懸命に生きている人々の姿を目の当たりにし、おぼろげながら、そんな事を思い始めていました。

 結婚の頃を境に、人生が大きく動き出したのかもしれません。

 「縁」と言えば良いのか「運命」と言えばよいのか、この世には、コントロールしきれない何かがあります。

 沢山の縁を与えられて、今生かされていると実感するのです。

「人は変わる。変われるでは無く変わるんです。調子がいいからずっと同じ状態でいたいと言っても無理なんです。ならいいほうに変わろうよと、僕はいつも言ってるんですよ」
-王貞治-

 この王貞治のことばに、真理と現実の全てが含まれています。

 誰と暮らすも自由です。

 縁と自分の意思の積こそが、自分の人生と言えるのかもしれません。