カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

夏の終わりのピースおおさか‐2247‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、昨日公開しました。

9月28日(日)に内覧会が開催されますので、よろしければお越しください。

予約などは不要です。

長男が大阪に帰ってきていた夏季休暇中に、ピースおおさかへ行ってきました。

終戦から80年、直接戦争は知りませんが、祖父母世代からは直接話を聞きました。

子供たちにはその経験もないので、戦争はより遠い存在だと思います。

終戦記念日の前に、長男を伴って訪問してみました。

開館して34年経ちますが、この建物はシーラカンスの設計です。

学生時代にコンペが開催されたはずなので、記憶に残っています。

「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」とあり、多くの画像、資料でその戦禍を伝える施設です。

大阪への大空襲は1945年3月13日から終戦前日の8月14日まで、計8回実施されています。

大空襲の定義は大型爆撃機のB-29が100機以上飛来した空襲を指すので、実際にはもっと多くの空襲があったのです。

焼夷弾によって大阪の街を焼き尽くし、1万人以上の市民が亡くなりました。

大阪城の東には、東洋一の規模をもった大阪砲兵工廠があり、そういった軍事施設も徹底的に狙われています。

天守閣の北にある山里丸石垣には、機銃の掃射痕が残っています。

80年の時間を経ても、石はその痕跡を生々しく残しています。

多くの一般市民が焼け死ぬ様子や、機銃掃射を避けようと、線路のガード下に人が殺到し、圧死した状況などを語る映像や一般市民が描いた絵は、目を背けたくなるようなものばかりでした。

長男はかなりしっかり各展示を見て回っていました。

順路の一番最後に、戦争後を伝える展示エリアもありました。

復興を遂げる1960年代の心斎橋筋商店街の写真です。

「中華そば 55円」とあります。


戦争は遠い過去となりつつありますが、ウクライナでも中東でも実際に戦争は続いています。

戦争が無く、思想的にも自由な社会は、頑張れば結果がでますし、そうでなければ淘汰されます。

自由に感謝し、仕事人として責任を持たなければ。

そんなことを感じた、夏の終わりのピース大阪でした。

戦争とは全く違いますが、罪のない市民が大きな被害を受けるのが天災です。

今週末、2024年1月1日に起こった能登半島地震の災害復興まちづくり支援のボランティアに行ってきます。

何ができるか分かりませんが、精一杯役割を果たしてきたいと思います。

■■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催■■■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

家族写真 in 大阪城‐2243‐

今日は朝から、家族で大阪城の天守閣へ。

本丸の正門にあたる桜門まで行くと、天守閣が見えてきます。

長男が東京から帰省していたタイミングで、家族写真を撮りに行ってきました。

昨年は、初めて4人で行った旅行先、白浜で撮りました。

今年は娘が受験ということもあり、塾へ行く前に大阪城で撮ることにしました。

昨日を予定日にしていましたが、生憎の曇天。

長男には一日滞在を伸ばしてもらったので、晴れてくれて助かりました。

日中は観光客でごった返す天守閣前も、朝の7時台はガラガラ。

思ったところで撮影できました。

これだけの蝉時雨が響くのもあと少しでしょう。

撮影した後の画像チェックの図です。

4人で撮った後は、恒例にしている兄妹のカット。

子達が仲が良いのは嬉しい限りです。

初めに書いた、桜門を入ってすぐの所には、蛸石と呼ばれる巨石があります。

大阪城内でも最大で、面積は約36畳、重さは108トンと推定されています。

大阪城は極めて立派な城ですが、間近でみて驚くのは石垣です。

石垣と言う、巨大な基礎があってこその大阪城なのだと分かります。

長男は大学3年生、長女は高校3年生。まさに仕事人への基礎を築く年代です。

石垣は傾斜が急すぎれば倒壊しますし、緩すぎれば、敷地を無駄使いした上に、労力ばかり掛かります。

程よい角度が美しいのは、人生も同じ。

自分が登れる最大角度を目指して欲しいと思います。

段々勾配が緩くなる石垣など全く美しくありません。

長男は、仕事を決めるべき時期にはいりました。

自分が人生を掛けてみたい仕事のなかで、一番厳しいと思うものを選んでほしいと願っています。

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■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

何となく、導かれて長堀通‐2240‐

今日は心斎橋と長堀橋の間で打合せがあったので、まずは長堀橋駅で下りました。

クリスタ長堀の東端にあたります。

長堀通りと堺筋の交差点に駅はあります。

堺筋を3ブロック北に上がると堺筋倶楽部が見えてきます。

2003年の秋に、ここで結婚式を挙げました。

10時頃通ると、行列ができています。

「パンとエスプレッソと」という看板が見えました。

当時は、銀行だった建物がイタリアンレストランにコンバージョンされていました。

結婚式場として借りることもできたのですが、今はどうなのでしょうか。

1時間程の打合せを終え、帰りは心斎橋駅に向かいました。

どの街でもそうですが、変わらぬところと、変わるところあり、です。

商店街の中も少し歩いてみます。

ラーメンは900円から。

チェーン店の焼き肉定食も、1188円から。

そんなものだろうなと思いながらも、昼食で1000円かという気持ちも。

商店街を少し外れると、街歩き好きの鼻が効いてくるのです。

「ONEプレートサービスランチ ¥700」

プレートのスケッチ付きの看板です。

テープ貼りの下には「おかわりOK」の文字がうっすらと。

現在、それを望むのは酷というものでしょう。

先週の日曜日、名古屋の大須商店街へ行ったことを書きました。

心斎橋筋商店街も大きいですが、その規模に圧倒されました。

「そりゃ、名古屋にもお好み焼き屋さんはあるよな」と思いながら、二度見しました。

お好み焼き 330円

これは安い!

日本の店はどこで食べてもほぼ美味しいのです。

なら、安い店が一番です。

今日の昼食は、昼過ぎに結局会社に帰って、妻の作った弁当でした。

食べないので、高いも安いもないのですが、見るのは自由ですから。

堺筋倶楽部で結婚式を挙げたと書きました。

建築家として、どんなところで式を挙げるのかと、身の丈にあった、という2点で選んだと思います。

当日は、少し雨が降っていました。

「もう22年になるのか」という気持ちと「まだ22年か」という気持ちの両方があります。

ただ、何となく導かれて、アトリエを移転してきたような気もするのです。

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信仰の自由‐2222‐

6月に入りましたが、梅雨はもう少し先でしょうか。

気持ちのよい日が続きます。

先月のはじめ、ローマ・カトリック教会の新教皇が誕生したというニュースがありました。

ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が、第267代ローマ教皇に選ばれましたが、アメリカ出身は初めてということも話題になりました。

約14億人の信者がいるとされるローマ・カトリックの教会がすぐ近所にあります。

大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、「ローマ教皇が直接任命し教区を統治する司教が、公式に座る椅子がある聖堂」と説明がありました。

大聖堂に隣接した高い鐘楼は、阪神淡路大震災のときに被災し、撤去されたともありました。

鐘楼も一度は見てみたかったです。

日曜日になると、色々な人種の方が教会に入っていくのを見て、Webサイトで調べてみると、日曜日は5度のミサがあり、日本語に加えて、英語、ベトナム語、韓国語のミサも開かれていました。

信者でなくても自由に参加下さいとあります。

立派な空間で、後日参加してみようとこの日は一旦帰ったのです。

入口の左には、キリシタン大名で知られる、高山右近の像があります。

高槻城の城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉に仕えますが、1587年突如、秀吉が伴天連(ばてれん)追放令で大名の地位を失いました。

金沢の前田利家に客将として迎えられるも、家康の禁教令でマニラへ追放。

その地で1614年に病死しました。

細川ガラシャは、明智光秀の三女、玉子として生を受けました。

1582年に信長の媒酌で細川忠興と結婚します。

しかし、1582年、光秀の本能寺の変により、細川家は玉子を離縁、丹後国に幽閉します。

同じく、1587年の伴天連追放令で、忠興から外出を禁じられますが、自宅で洗礼を受け、キリスト教徒となります。

ガラシャ(恩恵の意)はその洗礼名でした。

1600年、忠興が家康の東北の上杉氏討伐に加わった際、石田三成は忠興を味方につけるため、妻ガラシャを人質として大坂城へ連れていこうとします。

それに応じなかったため、ガラシャの屋敷に三成側が火をかけます。

キリシタンの教えでは自害が禁じられているため、家臣に胸を突かせて37歳の人生を終えたのです。

教会を少し西にいったあたりに、「越中井」が残っています。

忠興の邸内にあったものといわれ、ガラシャ最期の地とされているのです。

平日は、朝の7時からミサが行われていると知り、ジョギング帰りに初めて参加してみました。

洗礼を受けていない人は聖体拝領は受けられません。

しかし、聖書も持っていない私が参加するのは、少し場違いかなと感じました。

ただ、早朝の大聖堂の空気は清らかで、時々立ち寄らせてもらっています。

命を掛けて信仰を貫いた人が居たことは知っていましたが、より身近に感じるようになったのは事実です。

高山右近は、伝来間もない時にキリスト教に改宗、ユスト(儀の人の意)洗礼名を受けました。

全く予備知識の無い中で、改宗したその行動力にも驚かされます。

信仰の自由とは……

最近、ちょっと考えているのです。

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大阪より下町な東京‐2203‐

前回は、娘の関東大学巡りと、渋谷109前交差点について書きました。

大学巡りを終えたあと、JR中野駅で長男と待ち合わせていました。

少し早く着き、話題の中野サンプラザへ。

2023年に閉館し、再開発される予定でしたが、建設費が倍に膨れ上がることが分かり、中野区は計画を白紙撤回しました。

残念ながら、サブカルの聖地には一度も入ることなく閉館してしまったのですが、私の世代なら「サンプラザ中野」と合わせて、親近感を持っている人も多いでしょう。

ただ、建設費が倍と聞くと、他人事ではありません。

新築のイメージで土地を購入されていた場合も、古家が付いている時は、まずリノベーションの可能性を探ります。

そのくらい、建築費の高騰が急激なのです。

駅前の商店街、中野サンモールも歩いてみました。

渋谷もそうでしたが、こちらの活気もなかなかです。

そうこうするうちに長男がやって来て、夕食をとることに。

「寿司」とか「焼肉」とか言われたのですが、最終的に牛タン屋さんに落ち着きました。

長男のバイト先なのです。

焼肉よりは安いだろうと「好きなものを頼んでいいよ」と伝えると、娘は一番高いものをオーダー。

次が長男で、私が一番安いものを。

ただ、お勧めをかなり追加したら、そこそこの金額になりましたが。

牛タンのみを食べることもあまりありませんが、長男の東京での胃袋を支えてくれたのがこの店の賄いです。

感謝の気持ちも入っているかもしれませんが、かなり美味しかったです。

長男は1回生、2回生と大学の国際寮で暮らしていました。

かなり恵まれた環境で2年間を過ごしたのです。

何より寮生の友人が沢山いたのが心強かったはずです。ヒッチハイクでも帰ってきましたし。

今年の1月、その国際寮からほど近い新井薬師前に 新たな下宿 先を見つけてきました。

中野からバスで10分程移動。

駅から歩いて5、6分の場所でした。

行った時はもっと散らかっていましたが、かなり片付けてこんな感じだそうです。

男なので何の心配もしていませんが、子供が暮らす家に入れて貰うのは何とも不思議な感じです。

ただ、ここで新たな関係性を築き、自立へと進む過程を感じたのも間違いありません。

妻と娘は1泊させて貰い、翌日も大学を巡ります。

私は遅い新幹線を予約していたので、「じゃあ頑張って」と伝え帰路につきまた。

長男が暮らす町を見ておこうと思い、新井薬師前から中野まで歩くことにしました。

スーパーはこじんまりした、小規模店が主流だそうです。

何故か、長野の町を思い出します。

この駄菓子屋さんはなかなかでした。

レトロを狙っているのだと思いますが、それでも10円ゲームは懐かしすぎます。

町中華。

もつ焼き。

八百屋さんも個人商店。

「東京」なので、もっとお洒落な感じをイメージしていたのですが、なかなかの下町です。

というか、大阪より下町なのです。

20分程かけて、JR中野駅まで戻ってきました。

長男は大阪の方が暮らしやすいかなと言っていましたが、将来のことを考えると関東で就職することになるでしょう。

それは私には経験のないことです。

活気をみてもやはり首都東京が上だと思うので、それで良いと思います。

大阪生まれの私としては、下町と言えば大阪だと思っていましたが、東京の方がより下町だったとは……

そこは正直ショックでした。

50歳を過ぎても、大阪も東京も知らないことだらけ。人生は、日本探訪の旅とも言えるのです。

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関東大学探訪+日本の交差点を見て来春を思う‐2202‐

先週の土曜日は、朝から妻、娘と一緒に横浜へ向かいました。

新幹線の新横浜駅から、相鉄(そうてつ)に乗って、横浜国立大学へ。

最近の大学は、緑化をした建築が主流です。

しかし、それらが全く不要なくらい、緑あふれるキャンパスでした。

もう、森の中に大学があると言っても良いくらいです。

気温も20度を超え、完全に春の陽気でした。

娘は4月から高校3年生になるので、横浜、東京の大学を見て回ることにしたのです。

昨年春の東北大学視察は、残念ながら私だけ直前キャンセルでした。

今回は何とか参加できました。危ないところでしたが。

私が通う訳ではありませんが、流石国立大学という、ゆったりしたキャンパスはかなり好印象です。

今度は、ブルーライン、東急東横線と乗り継いで渋谷まで移動です。

国際連合大学の向かいにある青山学院大学までやってきました。

青山学院は文系の大学なので、私は初めて訪れました。

ミッション系の大学でもあり、立派なチャペルがあります。

あわせて、150年の歴史も感じます。

しかし、渋谷のど真ん中にこの空間は、ちょっと別世界です。

食堂が安くて美味しいのもかなり高得点。私は関係ないのですが。

先の国連大学のすぐ横に、岡本太郎の「こどもの樹」という作品がありました。

アートの香りが漂う街は、良い街と言えます。

バルセロナにあった、ミロのオブジェを思い出します。

最後の目的地を目指して、京王井の頭線の渋谷駅に向かいます。

渋谷109が見えてきました。

駅周辺が工事中で、もの凄い混みようです。

何とかJRの高架を抜けると、忠犬ハチ公像はチラとだけ。

ようやく渋谷109前までたどり着きました。

さすがの活気です。

「世界の交差点」をニューヨークのタイムズ・スクエアとするなら、「日本の交差点」と言って良いでしょう。

この活気こそが、東京の生命線なのだと感じます。

「渋谷109」の設計者は竹山実。

ポストモダン建築を最も平易に、世の中に伝えた建築家と言えます。

開口部ではなく、外壁のアルミパネルだけで、縦動線が納められた円筒とキューブの造形を表現しました。

完成は1978年なので、半世紀に渡って日本の顔となっているのです。

最後は、明治大学までやってきました。

明治は建築学科があるので、私は2回受験しています。2回落ちたのですが。

もう30年以上前なので、どこのキャンパスだったか忘れましたが、懐かしくはあります。

我が家の子供は、大阪が嫌いという訳では無いのですが、2人とも東京志向です。

金銭的には厳しいものがありますが、悔いを残すことだけはして欲しくないので、そこは全て尊重しています。

そう思わせる活気が、東京にあるのも間違いないと思いますし。

朝一番、新横浜に到着した時、娘が「受験にきたら、あの新横浜プリンスに泊まっていい?」と聞くので、「それは無い!」と即座に却下しておきました。

私がはじめて東京で仕事をした時は、格安のYMCAに泊まっていたくらいですから、ビジネスホテルでお願いします。

先週、甥っ子が志望大学に合格したと書きました。

来年のこの時期、娘もそうなると嬉しいのですが、神頼みで結果がでることもありません。

寒い冬から、いやもっと言えば、花が散った直後から、粛々と準備をしているからこそ、春花は咲くのです。

受検に失敗した親が言うのも何ですが、娘にとって、我が家にとって、勝負の1年が始まります。

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傘寿の祝いにサクラサク‐2200‐

昨日はしとしと雨でした。

昼前から、車で実家近くの木曽路へ。

父の傘寿を祝う会食でした。

東京で暮らす我が家の長男を除いて、弟家族と合わせて10名が集まりました。

詩聖、杜甫が詠んだ詩「人生七十古来稀なり」を由来とする古希。それをさらに10歳越えた訳です。

古希までは中国の風習が伝わったものですが、喜寿(77歳)以降は、日本で生まれたものだそう。

傘の略字が八と十であるのが由来と聞けば、確かに日本らしい感じもします。

間もなく両親とも80歳になるので、これからは外食にしようとなったのです。

今日は、午後から「ドッグランのあるタイル床の家」の3ヵ月点検でした。

クライアントは元パティシエで、お手製のマドレーヌをご馳走になりました。

手前から、紅茶、抹茶、チョコレート味。

流石のお味でした。

コーヒーはデロンギのコーヒーメーカーで煎れてくれた本格的なものです。

積もる話もあり、本当に幸せな時間ですが、その後に所用があり1時間半ほどで失礼したのです。(それでも1時間半ですが)

所用とは、車のタイヤ交換とメンテナンスでしたが、今回の代車はプリウスでした。

はじめて運転したのですが、何と燃費が21lkm/L。

預けた私の車の5倍です。

好きで燃費の悪い車に乗っていますが、技術革新は凄いものがあります。

私が80歳になるのは4半世紀先です。

初代プリウスの発売は1997年ですから、ほぼそれと同じ時間が経っていることになります。

もうその頃になれば、ドローンに乗っているのかもしれません。

ドローンの燃費は?

いや、リチウム電池で何時間飛べる?という世界でしょうか。

そうそう、甥っ子は1年の浪人を経て、志望校の国立大学に合格しました。

色々なことが起こるのが春ですが、こういった知らせは格別です。

サクラサク

日本語の粋、ここにありなのです。

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誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 応募のストーリー‐2186‐

昨年の秋、ENGINEという雑誌から「誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」という企画があるという案内が届きました。

なぜメールアドレスを登録していたのか覚えていないのですが、ざっと内容を読むと「私の為にあるような企画」と勝手に思い、締め切りをメモしていました。

締め切り日になったので、バタバタと書きはじめると、写真1枚、文章は400文字とあります。

私のディスカバリー愛を綴るには少なすぎる……というのが正直な気持でした。

折角なので送ってみたのですが、先週金曜日に公開されていました。

【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 epilogue】

しかし、実際に取材となった3件には選ばれませんでした。

ちょっと残念なので、イメージしていた「私のディスカバリーストーリー」をUPしてみます。

はじめてディスカバリーがやってきたのは、2011年の5月。40歳の時でした。

20年に渡って、2台のハイラックスサーフを乗り継ぎました。

若いころ大好きだったハイラックスサーフの後は、この車しかないと思っていたのです。

1989年に誕生したディスカバリーは、この型で第3世代になります。

この世代のフロントまわりのフォルムを見ると、最高に心ときめきました。

ENGINEにもある通り、「比類なきオフロード性能」を早速フルに発揮してもらいます。

2011年1月の蓼科高原です。

2012年の9月。

ハイラックスサーフと同様、キャリアーを取付け、ボートを積んで日本海へ。

海を見ながら、現地で獲れたものを食べるのは最高なのです。

2015年6月の池原ダム。

後部がフルフラットになるので、子供がかなり大きくなるまで、2人で十分寝れました。

この広さは、角ばったボディと背の高さが必要です。

それを、美しさ、運転性能とともに成立させているのが、ディスカバリー最大の魅力だと思っています。

5年乗った緑のディスカバリーは、乗り換え時に「さらば、緑のディスカバリー‐1327‐」という記事をUPしました。

なので、軽めにしておきます。 

そして、紺色の第4世代がやってきたのが2016年12月。

2017年5月。すぐにボートを積まれ、奈良県の七色ダムへ。

2018年の1月、「家族で47都道府県制覇」のために、大雪の蔵王へ。

かなりマナーの悪い車とでくわし、あやうく大事故になりそうな場面もありました。

2018年にバスボートを購入し、今度は牽引に変わりました。

流れは忘れてしまいましたが、ナンバープレートを貰うため、南港の近畿運輸局まで行ったこともありました。

2019年の1月は木曽福島へ。

オフロードカーは、やはり自然が良く似合うのです。

その後すぐに出掛けた伊豆半島の旅では、路肩にタイヤをぶつけてしまい、JAFにタイヤ交換して貰ったこともありました。

2024年8月、南紀白浜です。

ついに長男が免許を取りました。

初心者マークが付き、長男に運転して貰うことがあるとは、全くは想像していなかったのです。

子供達も、6歳、3歳からの付き合いなので、もやは家族のようなものです。

ディスカバリー誕生から35年。

そのうちの14年だけですが、40代、50代には常にディスカバリーがありました。

海、湖、雪山、そして仕事でも、撮影機材などを沢山積んで移動します。

心からディスカバリーを愛し、これだけその性能を必要としているのです。

ただ、最新の第5世代があまり好みでなく、現時点では動かなくなるまで乗ろうと思っています。

車を乗り継ぐ時は、感謝の気持ちをここで綴るのですが、その風景が全く想像できないのです。

ディスカバリー乗りは、縮めて「ディスコ」と言ったりします。

私のディスコ愛、伝わったでしょうか。

物づくりが仕事だからか、物に対する愛情はただならぬものがあります。

車やボートは、真の意味での相棒だと思っているのです。


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お前が二十歳になったら‐2183‐

公園の樹々もすっかり葉を落とし、1月はもの寂しい時期でもあります。

ですが、成人式があるのもこの時期です。

月曜日の成人式に合わせて、長男が東京から帰省していました。

靴が無いということで、妻が大丸梅田へ同行し新調。

ベルトを忘れたというので、こちらは私の物でしのいで貰いました。

3月いっぱいで現在の国際寮を出なければならず、すでにマンションの契約を済ませていました。

その初期費用がウン十万円掛かるとのことで、そちらも支援が必要と。

私は全くお金を使っていないのですが、年始から出費が続きます。

区主催の成人式に参加し、その後母校での成人式に移動。

中学高校と卓球部に所属していた時の仲間たち。

その中でも、6年間一緒に通学した友人と。

彼が受検を突破するストロングとなったのが英語ですが、その添削をしてくれた先生とも。

お金はそれなりに掛かりましたが、これだけ周りに恵まれていたなら、親としては本当に嬉しい限りです。

式の後は、夜通しボーリングだったようですが、隣のレーンの人達が「成人式ですか?」と祝福してくれたそうです。

長男が言うには「東京では、これは絶対ないと思う」と。

大阪はやはり過ごしやすいそうです。

3泊の滞在をフルに楽しんでいました。

長男が小さい頃、河島英五の「野風増」をカラオケで歌った時、こんな気持ちになるのかなと思っていました。

♪お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ

なのですが、長男はお酒があまり強くなく、ビール1杯がちょうど良いらしいのです。

飲んでいなくても、そういった場は十分楽しいとも。

それなら無理をして飲む必要もないので、食事をするときも勧めません。

飲まなければ、お酒で失敗することも無いので、飲まないに越したことはありませんし。

先の「野風増」に出てくる父親は、「お前の門出を祝う」と言い、「男は夢をもて」と言います。

感慨深いものがあるのかなと思っていましたが、そういった余裕もなく、計画を前に進めるため、日に夜を継いで働く毎日です。

加えて、自分に夢を持てと叱咤激励しています。

15年程前のイメージとはかなり違っていますが、そんな現実も悪くないかなと思います。

長男があと2年、長女があと6年で社会人になると考えれば、子育ても最終盤に入ってきました。

数年前にある後輩が「守谷さんも、すっかり社長然としているんでしょうね」と言っていましたが、いえいえどうして。

経営から、一兵卒の仕事まで、何でもというか、全てやっています。

そんな親を見てどう思うか分かりませんが、それが私なりの人生です。

大きな夢をもって、世の中の役に立ち、世の中に求められる仕事人になって欲しいと思います。

そして彼なりの人生を謳歌してくれればと願います。

成人おめでとう。

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■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

それでもやっぱり紙が好き‐2181‐

「年賀状を終わりにようと思います」というメッセージが入った年賀状が、今年も結構ありました。

反対に、アメリカから届いたエアメールもありました。

年賀状終いは、やはり85円への値上げの影響も大きそうです。

家族用、会社用を合わせると3万円を超えたので、それなりの額です。

エアメールにも、勿論返信したのですがこちらは140円。

逆に安く感じました。

我が家の年賀状は、表が子供達だけの写真。

裏が家族全員の写真という構成にして20年。

ということは長男が20歳になる年です。

年賀状終いに逆行するように、結構気合を入れて作っています。

昨年唯一の家族旅行は、お盆休みの南紀白浜行きですが、ほぼこのためだけに行きました。

印刷が赤転びしている点だけが少し残念ですが、概ね納得しています。

会社用の年賀状は、 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」の共用廊下からのカットにしました。

– 患者さんでなくても立ち寄ってほしい。曲面状の本棚があるクリニック –

というメッセージを伝えるには、この2カットが良いかなと思い選んだのです。

「本棚裏のカウンターで、受験勉強をしてくれたら嬉しい」というドクターは、日本広しと言えどもそうは居ないと思います。

本だけ読みにきて頂くのも大歓迎というコンセプトですが、その本も全て、江口院長の何かしら縁のある方からの寄贈で賄われています。

私も出来る限り寄贈したのですが、被ってしまった本がありました。

沢木耕太郎の「深夜特急」です。

真っ先に思い浮かんだのがこの本ですが、どちらかと言えば、私はクリニック側の人間なので、私の分を引き取ってきました。

しかし、同じ思いを持った人が居たことを嬉しく思ったのです。

これは昨年の年賀状ですが、皆の顔が若干こわばっています。

長男が東京の大学へ行ったので、家族写真を撮るタイミングはかなり限られてきます。

なのに、何のイメージも作れておらず、夏の帰省時に、急遽近所の公園で撮ったのです。

三脚を立て、タイマーで撮影していると、公園に居た人たちが「なんだ、この家族?」みたいな雰囲気になり、良い写真が撮れませんでした。

4人揃っての写真が撮れるのは、あと何回くらいかなと考えます。

それなら、毎年2カットくらいは良い表情の写真を撮れるよう、準備しようとなったのです。

もうひとつの候補だった、春先の仙台旅行は私だけキャンセル

南紀白浜行きもかなり怪しかったのですが、何とか参加できました。

本と年賀状。減少の一途をたどっているのはどうしようもありません。

それでも私は紙媒体が好きなのです。

太っても、少々毛が薄くなっても、ありのままの姿を伝えるつもりです。

誰も見たくないかもしれませんが。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載