昨日の京都は20℃を超えました。
ゴッホ展も気になりますが、かなりの混雑のようで今回はパス。
「樂美術館」へ行ってきました。
千家の茶道具を手掛ける茶碗師、樂篤人(あつんど)さんが、十六代目吉左衛門を継ぐという記事を見かけました。
「樂美術館」は、御所の西にある樂家の居宅に隣接して建っています。
ろくろ等を使わず手でつくる焼き物を「楽焼」と呼びますが、「樂焼」は樂家によって作られた焼き物を指します。
手で形をつくり、ヘラで削るだけで創り上げらる、手法としてはごく原始的なものです。
樂焼は一子相伝で、「吉左衛門」の名を継ぎます。
十五代450年もの間、脈々と受け継がれてきました。
秀吉が建てた「聚楽第」近くに、初代長次郎が居を構えていたこともあり、利休に好みの茶碗を求められたようです。
そして、秀吉から聚楽第の「楽」の一字をもらい、樂家となりました。
初代長次郎の黒樂筒茶碗「杵ヲレ」。
利休の求める「詫び茶」を体現するため、模様や色彩もなく、殆どが黒もしくは赤の茶碗です。
僅かな歪みや曲線だけで、その存在感は放たれています。
この椀を、利休も手にとったのでしょうか。
樂家、歴代随一の名工と言われる三代道入。
別名ノンコウによる赤樂筒茶碗「山人」です。
ヘラ削りによる造形と、夕日のような赤が革新的。
こちらも三代道入の黒樂茶碗「残雪」。
長次郎の茶碗と比べて縁は更に薄く削られ、釉薬は艶やかです。
「残雪」の銘の通り白がわずかに散りばめられ、新たな挑戦も見えます。
この抑えた表現が、一流の迫力と自覚を感じさせるのです。
四代一入の黒樂筒茶碗「誰が袖」。
縁には僅かに朱が散りばめられ、中央あたりのくびれ部は釉薬が掛け外されています。
限られた表現の中に、これだけ豊かな世界が生れるのです。
樂家のことを知ったのは、22歳の時でした。
大学4回の時、オープンデスクに行った設計事務所に、その写真集が置かれていました。
その美しさに目を奪われ、一子相伝という物語に心奪われたのです。
樂家の家訓は「教えないこと」だそうです。
釉薬の調合法などもそれぞれ違い、全てにおいて自らが考えることを求められる。
それゆえ、歴代の樂茶碗があると篤人さんは書いていました。
利休は、たった二畳の茶室に、土壁を背にした一畳の床を設けました。
そこに一輪の野花を活けることで、亭主が客をもてなす心を最大限に表現します。
茶室が小さな宇宙と言われる所以です。
樂美術館のアプローチには咲く寸前の梅が活けられていました。
また、利休の説いた通り塀越しに桜が見えました。
幹の太い桜は、塀越しが最も美しいという考えからです。
学ばなければならないのは、方法ではありません。考え方や生き方です。
樂茶碗を表現するなら、手のひらの中の小宇宙です。
答えはいつも自分の良心の中にある。それは樂茶碗であれ、建築設計であれ、全く違いはないと思います。