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博愛‐1221‐

初めての海外は1995年、24歳の時でした。

新卒で就職した設計事務所をクビになってすぐ。4月だったと思います。

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「建築に対する愛が足りない」と言われてたのですが、クビになったり鬱になったりと人生には色々な事が起こります。

失業保険を使って、すぐにフランスのパリを訪れました。

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ルーブル美術館は計3日程訪れました。

その頃は、建築と言うよりアート全体に興味があったように思います。

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ピカソ、シャガール、岡本太郎にとってそうだったように、私にとってもパリは「芸術の都」でした。

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一番行きたかったのは、ル・コルビュジエ設計のロンシャン礼拝堂。あの不思議な建物を、是非自分の目で見たかったのです。

パリ北駅から急行で一時間。駅からタクシー15分程。1時間程、佇んでいました。ここから、仕事人生の2回戦がスタートしました。

パリでのテロを知ったのは、土曜日の朝、ミーティングが終ってすぐです。マルコから聞きました。

彼はイタリア人なので、隣国の事件には、より危機感を感じると思います。

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パリを訪れたのは20年前。モーリス・ユトリロの愛した、モンマルトルの丘から見た街並みも、おぼろげになってきました。

しかし、あの美しい街に、悲鳴がこだまする光景は想像出来ません。

断固として許せない。勿論そうですが、人を殺し、自爆死し、巻き添えにし、世の中の何が変わるというのか。

私は人として最もしてはいけないことは、自殺だと思っています。折角与えて貰った命を、自分で絶つ権利を人は持っていません。

自分の命、時間を大切に出来ない人が、誰かの役にたったり、愛情を注いだりは出来ないのではと思うのです。

信仰の違いがあっても、人種の違いがあっても、人は幸せを求め、子孫の繁栄を願うことに、代わりはないはず。

死ぬために生まれてくる人等、誰一人居ません。本当に対話は不可能なのでしょうか。

自由、平等、博愛。

愛するのは簡単でないとしても、博(ひろ)く知ることから始めるしかないのではと思います。

会ったことも無い人を憎みあっているなど、この高度情報化社会が生んだ負の産物です。

お化け屋敷のお化けは、暗がりで見るから怖いのであって、太陽の下で向かい合えば、怖い人等居ないはず。

政治家は、今こそ行動を起こして欲しいと思います。どんな手を使っても、会うしかないのだと思うのです。

賢者の選択‐1171‐ 

 セブンドリーマーズの社長、阪根が「賢者の選択 Leaders」という番組に出演していました。

 何度か書きましたが、彼とは中学校からの付き合いです。

 一昨日、webサイトにも放送回がUPされました。

 セブンドリーマーズ社は現時点で、カーボンゴルフシャフト部門、ヘルスケア部門などを持ちます。

 当事務所はカーボンゴルフシャフト部門の、直営3店舗をデザインしました。

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 2014年2月オープンの「芝公園ラボ」。

 番組内でもフィッティングの様子が紹介されていました。

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 そして、2015年4月2日にグランドオープンした「梅田ラボ」。ようやく竣工写真が上がってきました。

 「梅田ラボ」は、過去2店舗の黒を基調としたデザインとは趣を異にし、より広い層に足を運んだ貰うという目的がありました。

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 店舗面積は過去最大で、試打エリアも2打席になりました。

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 1人1人のスイングデータを取り、完全オリジナルのゴルフシャフトをつくるのはどの店舗も同じです。

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 ラウンジエリアには、ル・コルビュジエ、イサム・ノグチの名作が並んでいます。

 黒いダイヤモンドをモチーフにしたディスプレイと共に、この店舗の位置づけを表しているのです。

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 番組では、彼の半生とセブンドリーマズ創設までの道のりを、非常に分りやすく、面白く語っていました。

 コミュニケーション能力の高さは昔からですが、更に貫禄がついたな、というのが素直な感想です。

 母体となっているCFRPのトップ企業、スーパーレジン工業の高い技術力があるとは言え、やはりリーダーの選択が会社の行く末を決めるのです。

 売り上げ3500億が目標という数字を聞くと、多くの社員を率いるその重責が伝わってきます。

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 つい先程まで、建築家・槙文彦の講演を聞いていました。

 現在86歳。

 東大の丹下健三研究室出身で、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞をはじめ、全てのものを手に入れたと言ってよい、生きるレジェンドです。

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 9・11テロの跡地に建つ、4つのスカイスクレパーの1つが4WTC(4ワールドトレードセンター)。

 これも2013年の彼の作品です。

 しかし語られた言葉は穏やかなものでした。

 「街に、ささやかな核をつくるのが建築家の役割」

 「ニーチェは、孤独は最高のホームと言った。百貨店のトイレ前のソファーでなく、街にも独りを楽しめるような空間が必要です」

 目の前にいるのは、86歳の老人です。しかし、まぎれもない、世界最高峰の建築家。

 役割が、人を無限に成長させるのでしょう。

 若い女性は弱くとも、母となれば強いのです。いや、強くならざるえないのです。

 規模は違えど、私もリーダーであり建築家。常に世界一の頂を目指し、登り続けるだけです。 

カゴ付き自転車買う‐1004‐

 自転車を買いました。

 実に18年振りのことで、ややワクワクしています。

 自転車は、まずは近所へ買い物に行く手段。事務所を平野に移してからは、通勤の手段にもなりました。

 正直、それ以上でも、それ以下でもありませんでした。しかし、若者の車離れが進む中、自転車にこだわる人は増えているようです。

 クライアントの中にも、自転車好きの人が多くいました。また、当事務所のスタッフも、なかなか格好いい自転車に乗っています。

 スタッフにの1人に、天王寺のムーブメントというショップを紹介してもらいました。

 そもそも、どんなメーカーがあるのかさえ知らないのでこんなリクエストをしました。「カゴがあっても成立する自転車」

 で、勧められたのがschwinn(シュウイン)というメーカーの1台。1895年にシカゴで設立されたメーカーです。

 真の自転車好きには、邪道なのかもしれません。しかし、コルビュジエは「住宅は住むための機械である」と言いました。カバンを持って通勤する以上、カゴは必須と考えてたのです。

 簡単にメンテナンスの方法も教えて貰いました。

 油をさすのに、いったん油をクリーナーでとるそうです。

 そこまでしなけらばならないとは。

 何度もパンクし、チェーンも外れ、父に直してもらいながら、乗って来た無印良品の自転車。天王寺で事務所を設立した際に買いました。18年の苦楽を共にしてきた戦友でもあります。

 3年ほど前、携帯電話を見ながら自転車に乗っていた女の子が、こちらに突っ込んで来ました。避けきれずに後輪に衝突。

 その後も、だましだまし乗って来たのですが、フレームがいがんでいるようで、これが致命傷になりました。ろくにメンテナンスもしない中、よくもってくれました。

 モンゴルでは馬は風の生まれ変わりとなっています。草原で馬を駆る姿、とまでは行きませんが、初乗りはかなり爽快でした。ギアの切り替えが出来る自転車は小学生の時以来か。

 無印の自転車は2万円くらいでした。それを考えれば、長い付き合いになりそうです。

これから雨の日は、カバーを掛けておきます。

マルモッタンの思い出

 「美の巨人たち」という番組を、毎週録画しています。

 今月初め、クロード・モネが取り上げられていました。「サン・ラザール駅」や「睡蓮」の連作へ至るまでがクローズアップされていましたが、私にとってはやはり「印象・日の出」です。

 大学生の頃、「ラ ミューズ」という雑誌が発刊されました。

 50回で完結するシリーズ本でした。続いて発売された「グレート・アーティスト」は100週で完結。どちらも全巻買い、今も事務所の本棚にあります。

 美術書と言えば分厚く、高価なものでしたが、これらの本は500円。週刊誌のように読みやすい構成で、発売を楽しみにしていたものです。

 作家の友人が「日本では<印象派>と言う文字が入っていないと、お客さんが来ないと言っていました。

 絵画展では、日本でも圧倒的な人気を誇ります。その始まりとなったのがモネの「印象・日の出」。

 「ラ ミューズ17」マルモッタン美術館 PARIS の6、7ページです。

 初めての海外旅行はパリでした。1年で設計事務所をクビになり、その失業保険が30万円ほどでました。即、フランスへ。

 まずはル・コルビュジエ設計の「ロンシャンの教会」を見るのが目的でした。

 しかし同じくらい、ルーブル、オルセー等の美術館で本物が見たかったのです。「印象・日の出」は最も楽しみにしていました。

 1874年、故郷ル・アーブルの港町を描いたこの絵には「日の出」という名前が付けられていました。

 それではあまりにも素っ気なさ過ぎると言う声に、モネは「じゃあ『印象』と付け加えてくれ」と答えます。彼が34歳の時です。

 この作品が、評価をされはじめたのはおよそ100年後。それまでは、酷評され、買い手が破産し、女性問題を引き起こし、あげくの果てに1985年には盗まれます。

 しかし、あまりにも有名すぎ、買い手がつかず、5年後にこの美術館に戻って来るのです。そんな絵を実際に見てみたい。

 24歳の私が、実際その絵の前に立った時、何を感じたか。全くもって記憶がないのです。印象の印象がない……

 覚えていないというより、舞い上がっていたと言うのが正確かもしれません。思い出のマルモッタン。是非また訪れたいと思います。2回目は落ち着いて見れるはず。 

上野で見る、師弟の仕事

 6日(火)の朝、9時頃東京に着きました。そのまま地下鉄で上野へ。

 何回か来た上野ですが、まずは中に入れていなかった国立西洋美術館へ。

 こちらは、20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエ日本唯一の作品です。

 向かい合って建つ、東京文化会館は弟子、前川國男の設計。

 実施設計や現場監理は、弟子である前川、坂倉準三、吉阪隆正らが行ったようです。

 更に北へ歩くと国立東京博物館が見えてきます。

 エントランスをくぐって、すぐ西へ向うと見えてくるのが法隆寺宝物堂。

 こちらも、やっと見る事が出来ました。

 その名の通り法隆寺の宝物が収蔵されています。

 内部は荘厳という表現が相応しい神聖な空間でした。
 
 完成は1999年で、谷口吉生の作品です。

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)の新館、豊田市美術館、丸亀市現代美術館と共に、彼の代表作と言えます。

 いずれも秩序が保たれた清潔なたたずまいで、美術館のエキスパートと言えるでしょう。

 この敷地に入ってすぐ、右手にある東洋館は、谷口吉郎の設計です。苗字が示すとおり、彼の父親の作品なのです。

 同じ敷地内で、父子が国の施設を設計するというのは極めて稀な事。こちらも何らかの形で、精神の継承が行われていると考えるのが自然だと思うのです。

 次の目的地は、浅草のすぐ西、田原町駅近くにある善照寺。

 細い路地を抜けると突然現れます。

 こちらは白井晟一の代表作で、鉄筋コンクリート造の切妻屋根と正面にある入口だけというのシンプルなファサードです。

 周囲に持ち上げられた片持ちの床が美しく、建物を軽快に見せています。

 住職が建物に大変愛着を持っていると聞いていたので、不在だったのが残念と言えば残念。 

 その後、都内のスタジオへ向かいました。

 『大改造!!劇的ビフォーアフター』の収録の為です。

 昨年の10月中旬、番組のプロデューサーから電話がありました。当事務所で一度会い、その後実際に依頼したいと連絡がありました。スタートしたのは、11月の中頃。

 それから約半年。ようやく工事が終わり、スタジオ収録となったのです。スタジオ収録もスムースに進み、1時間ほどで終了。

 まだ編集などは残っているようですが、放映日も7月8日(日)と決まりようやく肩の荷がおりました。

 経緯については、番組の放映が終わってから、現場日記にUPしていくつもりです。 

 6日(火)はホテル泊で、翌日は「四丁目の家」の撮影に行ってきました。

 生憎の雨でしたが、内部は良い写真が撮れれました。

 こちらもまた、現場日記にUPします。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します 

それは自らの手で

 昨日は、子供達が妻の実家へ行っていました。

 それもあって、朝一番から3つ現場を回ってきました。

「東田辺の家」は掘方が始まりました。

 日曜の朝は道も空いており、車で移動。

 街路樹も色づいてきました。

 「あちこちでお茶できる家」は、屋根、金物関係の中間検査を間もなく迎えます。

 「サンルームと吹抜のある家」は引越しが済んだにも関わらず、少し工事が残っています。

 クライアントには迷惑を掛けていますが、これには良い結果で報いる他ありません。

 現場には発破をかけてきました。

 夕方には投票へも行ってきました。

 昨日の大阪はW選挙と言われ、市長選は60%を超える高い投票率。結果は市長が橋下徹氏、府知事が松井一郎氏でした。

 誰に投票したかは差し控えますが、2人には身を粉にして頑張って頂きたいと思います。はっきり言えば、政治家というのは、市民、府民の下僕だと思える人の事だと思っています。

 以前作家の五木寛之氏の話に、大変共感できたので、政治に対するスタンスを書いてみます。

 5年程前だったでしょうか、イタリアを題材に多くの作品を多く書いている、塩野七生さんと対談がテレビで流れていたました。

 五木氏が「塩野さん、新聞って読んでます?」と。「読んでますよ」と塩野氏。

 「僕は読むのをやめたんでよ。ニュースを読んでも暗くなる話ばかりだし。で、どう出来る訳でもないでしょう。読む必要ってあるんですかね」
 と言うような会話でした。

 新聞を読んでいる私が言うのも何ですが、この意見を聞いたとき「そうだな」と思ったのです。

 社会の流れや、風潮を知るのは大切な事です。例えば、株価の上昇、下降などが分かっていなかったりすると、経営者の集まりの中で、トンチンカンな事を言ってしまったりします。

 海外からの輸入や輸出に関わる人や、株を持っている人にとっては、最重要事項だと思います。

 しかし私にとって、知ったところで、円高を止める事も出来ないし、それらによる損失を補う事もできない。目を背けたくなるような悲しいニュースを、真正面から読んでみても、私には何も出来ないのです。

 それらが他人事と思っている訳ではありません。全ての情報において、ネガティブな想像をする事に、全く意味がないのではと思ったのです。

 建築家ル・コルビュジエは、ヒューマンスケールを提唱しました。身長を基準とし、黄金比で割って行く、普遍的な尺度「モジュロール」という考えを発表したのです。

 また、宮崎駿は「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」というメッセージを発しています。 

 政治に期待をし、興味を持つことは重要な事です。しかし、それぞれが目の前にある事に精一杯打ち込む事のほうが、何十倍も大切に決まっています。

 大阪を、日本を、世界を良くするのは、自らの手に掛かっているのです。

前川の言葉

 先々週の2月8日、京都市は京都会館のネーミングライツ(命名権 )を売却したと発表しました。

 相手先は市内にある半導体メーカーの「ローム」で、50年52億円という破格の規模。施設として古くなった会館を改修したいという京都市の思惑と、ロームの地域貢献が一致したとありました。

 そんな事もあり、昨日は京都へ。

 京都会館は京都市左京区、平安神宮も近い岡崎にあります。

 日本の近代建築化に大きく貢献した、前川國男の代表作で、完成は1960年。築50年を超えました。

 疎水沿いに建つその姿は、古めかしく映るかもしれません。

 この日は、ブラスバンド大会があったようで、結構賑わっていました。

 前川の代表作としては、上野の東京文化会館などがあります。

 いずれも鉄筋コンクリート造ですが、その重量感を適切なものにするため、前川は腐心していたと思います。

 木造であるかのような、細やかなデザインが細部に行き届いているのです。

 手摺もRC(鉄筋コンクリート造)ならではの造形を、軽やかに楽しく仕上げられています。

 質感の違う素材の組み合わせも巧み。コルビュジエに師事し、丹下健三を育てた彼の言葉が、私は好きです。

 「建築で一番大切なものは永遠性だよ」

 「人間は、はかない存在である。頼れる確固たる存在が必要だ。それに建築は応える必要がある」
  
 「一本の鋲を用いるにも 一握のセメントを用いるにも 国家を 社会を 農村を思わねばならない」

 「自然は美しいね。なぜだと思う。自らに責任を持っているからだよ」

 ホテルフジタ京都は鴨川沿いに建つ名門ホテルで、同じく近代建築の巨匠、吉村順三の設計です。

 先月末、経営難も有り閉館されるとニュースにありました。今年で40年目。近くで見ると、解体の準備か、バリケードがはられていました。

 対比を書きたいのではありませんが、その建築の運命を決めるのは、根底に流れる哲学が影響すると思います。

 責任を果たすため、懸命に生きるからこそ自然、人は美しいのです。

細部に

 甥っ子が幼稚園で竹馬をするらしく、父に頼んでいました。

 弟には竹を買ってくるよう言ったそうですが「なかな買ってこないから、店にある材料で作った」と。

 店とは、実家のガラス屋のこと。厳密に言うと竹馬ではない竹馬です。

 

 以前は、若干つめの甘いところが有りました。

 しかし、孫のものを作るようになり、精度が上がった気がします。

 馬の足先には、馬蹄が付いていました。

 God is in the details 「神は細部に宿る」

 これは、ミース・ファンデルローエが好んで使っていた言葉。

 ミースは、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三代巨匠と呼ばれる建築家。彼の言葉は想像力を掻き立てます。

 Less is more 「少なきことは豊かなこと」

 言葉自体が「少なき」で、様々な解釈が可能。それこそが、豊かな事とも言えるのです。

 結論に大して意味はありません。しかし、仮説を立て、考えるのは過程であり、意味のあることだと思います。

 「神」を良心と仮定します。良き心、正しい心は、細部、最も複雑で難解な部分に現れてくる。

 これが私の解釈です。