■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■
今日は2件も訃報が届きました。
子供が小さい時は、多くの家庭がお世話になった絵本「ぐりとぐら」。
作者の中川李枝子さんが、89歳でお亡くなりになりました。
勿論、我が家も大変お世話になりました。小さな子供の誰もが夢中になる、子供だけに分かる何かがあるのでしょう。魔法のような絵本でした。
そして、もう1件は俳優の西田敏行さんです。
小学校の頃、再放送だったのか、リアルタイムだったのか覚えていませんが「池中玄太80キロ」は本当に好きでした。
最近、ドラマは殆ど観ませんが、あんなにも哀愁を称えたホームドラマは無いのではと思います。
切ない物語の中に、家族の絆。そういったモチーフは、今では流行らないでしょう。昭和の遺産と言えるかもしれません。
いくつかシリーズがあったと思いますが、主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が、大好きでした。心からご冥福をお祈りします。
昨日、カットに行きました。
散髪屋さんにある、赤と青がくるくる回っているサインがありますが、サインポールというそうです。
なぜこのようなデザインになったかは諸説あるようですが、むかしのヨーロッパでは、理容師が外科医を兼ねていたそうです。
血の赤に、包帯の白、そして、外科医と分かれた際に、青が加わったという説や、青は静脈を表すという説もあるようです。
大体、6週間から8週間に一度行くのですが、時刻は19時30分の一番最後の枠でお願いしています。
店長のDさんは、1962年生まれで8つ年上の62歳。全くその歳に見えないくらいとても若々しい。
この店が近所に移転してきてから、10年が経ったちました。その前は、地下鉄の駅前で、チェーン店のオーナー店長を務めていました。
私はその店に、中学生の頃から行っていると思います。
ちょっと色気がでてきて、美容院なども行ってみましたが、私にはDさんが一番良かったのです。
駅前の店舗の時は、スタッフは7人くらい居り、チェアも4,5台あったと思います。
しかし、どの業界も同じで、人手不足、若者の仕事が続かないということを踏まえて、全てをひとりでするという選択をされたのが10年前でした。
長男も、小学生5年生くらいに連れていったので、初めの頃は私が横で待っていたのでしょう。
もう覚えていませんが、そうであっても1回だけだと思います。後はひとりで行って貰いましたから。
このDさん、下町の理容店でありながら品があり、距離感が素晴らしいのです。
髪を切るという行為は、かなり近い距離感で行われますが、それ故、近すぎても、遠すぎても駄目な仕事です。
加えて、多くの人と1時間くらいみっちり話をするので(しない人もいると思いますが)、話題も豊富でなければなりません。
それはそれで大変だろうと思うので、私が行くときは、1ヶ月半の間にあった、面白そうなネタをピックアップしておきます。こちらが楽しませるイメージです。
大学生の頃、長髪にしていた頃も覚えてくれていますし、何かメディアに露出した際も観てくれて、褒めてくれるのです。
考えてみれば、家族以外でこれだけ定期的に会うのは、Dさんだけかもしれません。すでに40年ですから。
平野から上町に行った時、一番悩むのは散髪です。ここまで来るか、どこか近くで探すのか、かなり迷うと思います。
「守谷さんはよく働く上にポジティブですねえ」と良く褒めてくれます。
仕事の話をしていることがやはり一番多いと思います。
こちらのお店、朝10時から夜8時が基本。「ちなみに何時頃出勤しているんですか?」と聞くと「6時頃ですかねえ」と。
「6時!」と思わず聞き返してしまいました。
私もかなり働く方だと思いますが、毎日絶対に14時間は働いている訳です。
そして、「こんなにいい仕事はないですよ。夏は涼しく、冬は温かく、何よりこちらに出向いて貰えるんですから。本当に有難いことです」と。
感謝をベースに働くということは、全てを好転させることを、目の前でいつも見せて貰っています。
この店に来るか迷うと言いましたが、多分来るのだと思います。
昔のヨーロッパでは外科医を兼ねていましたが、Dさんは私にとって精神科医のようなもの。
そのくらい、気持ちよく話を聞いて貰えることには価値があると思うのです。
■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■
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