朝のジョギングコースには、沢山の地蔵尊が祀られています。
堺に次ぐ規模の環濠都市だった平野郷の名残です。
本来なら地蔵盆の時期ですが、中止の貼り紙がありました。
平野郷の中にある昔ながらの商店街。
なんかいモールです。
「なんかい」は「南海」。
ここに1980年に廃線となった南海平野線の終着駅があったのです。
今は藤棚となった始発駅、「平野停留所」から出発進行です。
すぐにすれ違いエリアが見えてきました。
踏切の名残も。
信号機は付け替えられられたのか、当時のままなのか。
雰囲気は十分堪能できます。
住宅街を縫うように線路は続きます。
100m程で現在の道に突き当たりました。
南海平野線平野駅跡地プロムナードとして現在は利用されているのです。
国道25号線と近畿道が交わる少し手前。
廃線となった阪和貨物線跡があります。
ここを通った時、妻が「これ何に使えるんやろ」と言っていました。
線路という形状だけに、再利用が最も難しい形状と言えるかもしれません。
確かに、南海平野線もプロムナードとして利用している部分はよいものの、その先はどうなっているんだろうと考えました。
右の緑の線が平野駅跡地プロムナードで、その先はほぼ阪神高速松原線に沿って走っていたようです。
チンチン電車時代から、車時代へと切り替えが上手くいった成功例かもしれません。
あたりを見回すと、天王寺まで繋がるルートは阪神高速しかないのかなと思っていましたが、想像通りで、若干悦に入っていました。
波が引いた後に残る様子を「波残(なみのこり)」といい、それが略され「なごり(余波)」となったそうです。
「自然は飛躍せず」と植物学者のリンネは言いましたが、街も飛躍はしません。
どこかに名残が残っているものです。
駅をでてすぐのすれ違いエリアには、線路をコントロールする何かしらの施設があたはずです。
そこを示すように、サルスベリが濃桃色の花を咲かせていました。
墓石もある人が生きた名残、痕跡と言えます。
2年続けて墓参りにも帰れていません。
不要不急のものにどれだけ価値があったのか、よくよく考える機会でもあります。
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