私はビール党です。
もっと言えば、「スーパードライ党」です。
勿論そんな党派はありませんが、アサヒスーパードライが世にでたのは、1987年の3月。私が16歳の時です。
飲むほどにDRY 辛口、生。
ノンフィクション作家の落合信彦が出演していたCMは今でも覚えています。
牛肉であっても。
魚であっても、その味を邪魔する事はありません。
勿論、味は主観であり、嗜好ですから色々な意見があって当然です。
アサヒビールは、市場調査によってビール需要の変化を感じとっていました。
それまで主流だった苦味が強いビールから、より飲みやすいビールをと研究開発を進めます。
そして苦味を減らした、「辛口」という新たなジャンルを確立しました。
でしゃばり過ぎず、食事を引き立てるビールを、女性も含めた多くの人達が支持したのです。
当時、私の実家にはビール専用の冷蔵庫がありました。中は、あの麒麟ラベルがついたキリンビールでいっぱいでした。
アサヒビールは「夕日ビール」と言われるほどに、シェアの低下が続いていました。
そんな時に社長に就任したのが樋口廣太郎です。
彼のことを描いた、高杉良の「最強の経営者」を読みました。
経済小説なのでフィクションということになりますが、ほぼ実話でしょう。
住友銀行の副頭取まで務めた樋口廣太郎は、当時の頭取と対立。住友銀行を辞任し、顧問を経て1986年にアサヒビールの社長に就任します。
スーパードライのことは、グルメ漫画のパイオニア「美味しんぼ」でも否定的に描かれていました。
味は好みだとしても、私も含めた消費者の目はシビアです。
一日働き、二百数十円のお金を払い、その日の晩酌の友を選ぶ時、妥協はないはずです。
「最強の経営者」の中で、ビールは鮮度が命なので古いビールを全て破棄するという樋口廣太郎の英断がフォーカスされています。
また、他社をまきこんだ「ドライ戦争」も取り上げられています。
タイトルにケチをつけるつもりはありませんが、「スーパードライ」が美味しくなければ、「夕日」からトップシェアへの激変は無かったはずです。
小説の中に、2つの建物が登場しました。
1989年に完成したアサヒスーパードライホールは、浅草寺から吾妻橋を渡ってすぐにあります。
フランス生れのフィリップ・スタルクの設計です。
左は生ビールを満たしたジョッキ、右は燃えるような情熱を表していたはずです。
1996年に改修が完成した、大山崎山荘美術館。
こちらは安藤忠雄が設計を担当しました。
アサヒビールとも縁の深い、ニッカウヰスキー設立にも参加した、加賀正太郎所有の洋館でした。
ここにマンションが建つ計画が持ち上がりましたが、アサヒビールが買い取り、美術館として再生したのです。
増築棟の円筒型の空間には、モネの水連が展示されています。
いずれも、樋口廣太郎肝いりの計画でしたが、これらもスーパードライが売れに売れたからこそ、現実となったものです。
樋口廣太郎が社長に就任したのは1986年3月28日。すでに「スーパードライ」の開発はスタートしていました。
また、就任2ヵ月前に発売した「コクがあるのにキレがある」のコピーで売り出したアサヒ生ビールは予想を上回る売れ行きです。
そして社員に向かってこう言います。
「私は運の強さをいつもいつも自慢していますし、誇らしくも思っていますが、〝コク・キレ”が強運を証明してくれました。
わたくしはアサヒビールのリーダーとして自信満々です……」
その後のアサヒビールの躍進は周知のとおりです。やはり、全てを含めて最強の経営者なのでしょう。
昨日の節分は家に帰れずでしたが、精一杯働き、晩酌のビールを口にするとき、小さな幸せを感じます。
「全てはうまいのために」
仕事の目的など、小学生でも分かることです。ただそれを純粋に貫くことは思いのほか難しいものです。
こんなにうまいビールがあることにただ感謝しかないのです。
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