バラックには夢がある‐1310‐

 前回は、名古屋への小旅行を書きました。

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 市役所までこのデザインとは恐れ入ります。

 最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。

 12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。

 これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。

 熱意をもって指導致しますので。

 来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。

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 計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。

 土地は父、建物は弟がオーナーになります。

 父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。

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 1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。

 当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。

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 1階はトイレと階段だけ。

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 2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。

 というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。

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 その時に出来たのがこの個室群です。

 一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。

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 ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。

 風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。

 1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。

 更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。

 私にとって再出発の場所でもあります。

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 浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。

 今はその部分に、ガレージが付随しています。

 1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。

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 中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。

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 しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。

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 デッキにあるのはトイレだけ。

 その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。

 ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。 

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 隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。

 そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。

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 この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。

 次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。

 竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。

 借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。

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 ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。

 建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。

 決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。

 しかしバラックは完全に行き当たりばったり。

 それゆえ粗末で、精度は低い。

 しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。